しあわせ色ぜんぶ


海を臨む高台にある純白の壁をした結婚式場は、吹いてくる潮風の微かな香りに包まれながら静謐な雰囲気をまとっている。新婦控室の窓から見えるのは、アズール湾の眩しく輝く水面と、キャモメたちがのんびりと鳴き交わしながら行く空。どちらも同じ混じり気のない紺碧で、式場そしてプレサンスが纏うドレスの色とコントラストを成していた。
「プレサンス、ズミさんとどうか幸せにね…」
「ママ…ぐすっ、育ててくれて、ありがと…」
「ほら泣かないの!笑顔でいなさいっ」
「そっちこそっ、う、泣かないでよぅ」
笑顔でいろと促す母もプレサンス本人も、顔にはすっかり涙の跡が鮮やかになっていた。ベールを下ろした時2人の眼からとめどなく流れ出したそれは、今ようやく勢いが弱まってきた。独身の時代はここまで。そして母にとっては娘が、プレサンスにとっては自分が、あのひとと一緒に歩み出す時間は夢でなく、現実であって着実に近づいてきているのだと思うと、感動やら感謝やらとにかくいろいろなものがない交ぜになって。自分に限って泣かないでしょって思ってたんだけどなあ、涙で崩れたメイクを直されながらプレサンスが内心驚いていると。
「御新婦様、間もなく御入場となります」
「分かりました」
メイク直しが済んだところに声をかけてきた式場スタッフの言葉に答えて思う――いよいよだ。いよいよ、ズミさんと夫婦になれるんだ。1秒ごとに幸せがこみ上げて心臓が高鳴ってくるのを強く感じる。法律にのっとった手続きはもう済ませてあるけれど、婚姻届にサインをすることと実際に式に臨むこととではやはり湧く実感が全く違う。真っ白なドレスに身を包んでベールも付けて。
そしてそれだけではなく、古いもの、新しいもの、借りたもの、そして青いものも揃えた。カロスの結婚式で花嫁が身に付けると幸せが訪れるとされる風習に従ったのだ。祖母が愛用していたネックレスに、新調した白い長手袋に、自分より少し先に結婚した友人から借りたハンカチ。どれも思いの詰まった素敵で大事なものだけれど、とりわけその中でもプレサンスの心を高鳴らせているのは青いものだった。夫となるズミが自ずから貸し与えてくれたものだからだ。今はドレスの下に付けているガーターベルトに巻かれたそれを渡された時のことを振り返りながら、介添えのスタッフに導かれ開かれた控室出入口の扉に向かって歩き出した。

「ズミさんにプロポーズしてもらった時から、式を挙げるならぜーったいヒヨクシティのこの式場でって決めてたんです。だって真っ白な壁に青い海ですよ、ズミさんになにより似合うでしょ?一番好きな人がよく身に付けてる色と同じ色の場所で永遠の愛を誓えたらとっても素敵だなって」
あれは本格的に式の準備に取り掛かろうとしていた時だった。嬉しくてたまらなくて、プレサンスは本当は一刻も早く公表したかった。だが「チャンピオンと四天王の結婚なんてセンセーショナルな話題、マスコミが追いかけないわけがないんだから。そうなったら落ち着いて準備できなくなるわよ?婚約の発表はまだ先にしなさい」と母に言われ、冷静に考えればそうなのだからそうしようということくらいしか決まっていないころ。話し合いのためにズミの自宅を訪ね「そろそろ式場の候補を決めなくてはなりませんが、どこか希望はありますか」と彼に訊ねられたプレサンスは、すぐさまそのヒヨクシティにある式場が良いと答えたのだ。
「良いのですか、そのように迷わずに決めてしまって。カロスの結婚式場はそこだけではないのですからもう少し選んでは…それに何も今すぐ決める必要も」
「いいんです!ここがいいしここじゃなきゃ嫌ですよーだ、なんて」
ズミが驚きを浮かべてそう言ったのも尤もだ。もう少し吟味しなくてよいのだろうかと思わせるくらいに迷いの無い言葉だったから。
だがそう言って茶目っ気たっぷりに笑ってみせるプレサンスを見れば、いつも険しい表情が緩むのも当たり前だ。
「一番好きな人の纏う色と同じ場所で永遠の愛を」か、まったく嬉しいことを言ってくれる。いつもどちらかと言えば下がっているズミの口元が自然と上がってくる。プレサンスは自分のこと以上に周りの誰かを思う心に、決めたことは曲げないけれどそれを補って余りある大らかさも持っている。そんな面は誰も彼も、そしてもちろん自分をも惹きつけてやまない。とある研究者にとあるトレーナーに、他に青を纏う人々――ズミにとってはライバルだが――は彼女の周りに少なからずいたのに、自分をパートナーとして受け入れてくれた。もちろん今に至るまでは平坦な道のりではなくて喧嘩やすれ違いも幾度となくあった。でもその原因がズミにあったとしても大らかに構えて、自分が悪かったときは素直に謝って引きずらない、プレサンスのそんな雰囲気がとても居心地がよかった。だから、一生を共にしたいと思ったのだ。
愛しい人のそんな主張にズミはふむ、としばし考える。そこまで言うのならそうしよう、それにこれほど自分を想ってくれているプレサンスに報わなくては…そう考えたのち、座っていたソファから立ち上がり部屋を出て行こうとした。とある考えを思いついたのだ。
しかし突然の行動にプレサンスは当然驚いて、先ほどまでの喜びに煌めいていた顔を一瞬で悲劇のヒロインのようにして叫んだ。
「どうしたんですか?えっまさか私のこと嫌いになっちゃったんですかやだやだ置いてかないでー!」
「そのようなわけがありますか!いいから少しお待ちなさい」
この世の終わりだ、とでも言うような表情をしてすがってくるプレサンスを苦笑して軽く叱るとズミはリビングを出て行った。パタリ、とドアの閉まる音がして足音が遠ざかっていく。プレサンスはその間気が気でなかった。彼は否定したけれどまさか、まさか心移り?ううんそうじゃなくて他にいいと思ってる式場があったのかな、なのにここじゃなきゃなんて言ったからいけなかったのかな、思考はぐるぐると回って止まらない。ひょっとしてこれってマリッジブルー?とまで思うようになって、彼が戻ってきて肩を叩くまで呆然としてしまっていた。
「ほら、プレサンス。花嫁が何か青いものを身に着けると良いと言われるでしょう?式にはこれを付けて臨みなさい」
「え…えっ!でもそれって」
プレサンスの目はまたも驚きに見開かれた。見れば、それはズミがコックコートの首元に巻いているスカーフだった。今日はオフの日だから、いつもの服は着ずにブルーのシャツに白いボトムを身に付けているので外していたのだろう。
しかしそれはさておき、一口にスカーフとはいってもそこらの店で買えるようなものではない。難関の試験を突破し、カロス最高の料理人として認められて初めて授与されるという大変名誉あるものなのだ。ズミは自分のそういったことについてひけらかすのを好まないのでこれは聞いた話でしかないが、何にせよとても大事なもののはずなのに。
「そんなに大事なもの私がつけていいんですか!?」
「もちろんです。不満ですか」
「えっとんでもない!でも青いものってガーターっていうかし、下着みたいなものに着けるんだって聞いたことありますよ、そんなとこに付けるなんて」
結婚するにあたって色々と情報は集めているから、青いものはどんなものをどこに付けるかは知っている。とは言えさすがに躊躇するプレサンスだったが、ズミは静かに首を横に振り打ち消して。そしてプレサンスの手を強く握ると、いつもは険しい三白眼に優しい光を灯してこう言ったのだ。
「付ける場所がどこかなど問題ではありません。わたしのどれほど小さな1かけらでも、プレサンスを幸せにするためなら喜んで捧げたいと思っていますし、大事なものを貸し与えても惜しくない存在ということですよ。プレサンスはこれからの人生を共にする相手としてわたしを選んでくれた。ならばわたしは、そのことを後悔させないために、あなたに絶えることの無い幸福を捧げ続ける責任があるのです。だからこそ、わたしからプレサンスへ、幸せの色をしたものを贈りたいのです」と――。

「あの小さかったプレサンスが…!っ、結婚するなんてなあ…」
「パパったらもう、泣きすぎ…ほらちゃんと、っ、歩いてってば」
一歩、また一歩。思い出を振り返ってから式場の入口をくぐれば、ファンファーレと参列者たちの盛大な拍手に迎えられる。そしてまっすぐに伸びる通路を奥へ奥へと歩いていけば、白いタキシードに身を包んで自分を待つズミのもとまではそう遠くない。
やがて父の手が離れて、プレサンスは絨毯を踏みしめて愛しい彼のもとへと歩んでいった。

――私は、しあわせになる。空の、海の、そしてズミさんがくれた青色に包まれて。



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