満たす人


バトルであれスポーツであれ、満足のいく結果を出すことができた日の充実感はたまらない。まして今日は自転車レースで優勝を飾り、しかも大会新記録を更新することもできたのだからなおさらだ。

シャワーを浴び終えたザクロは、パフォーマンスの出来を振り返りつつ、とある熱の昂ぶりを感じ始めていたところだった。今回はこれまで以上に納得のいく走りができました、といってもこれは自分だけの成果ではありませんが、と謙虚に省みる。ズミのアドバイスも受けて食事も改良を重ねたし、バトルシャトーで出会った「振袖の下に魅惑のボディを持っている」と称するトレーナーに教わったトレーニング方法を参考にしてみたことも効果があったのだろう。それに加えて何より大会前の……。

だが、その回想はリビングに戻るなり中断させられることになった。

「あのね聞いてさっきザクロさんのとくせいを考えたんだけど何回考えても『メロメロボディ』しか思いつかないの!でもメロメロなんていうんじゃ全然足りないの、だから『はつじょうボディ』なの!」

マネージャーにして妻のプレサンスが、よく回る舌で興奮気味に言った。ザクロは目を瞬かせながら聞く。彼女は興奮するとこうして突拍子もないことを言い出すのだ。確かに、言っていることは貶す言葉でなく紛うことなき称賛ではある。ただ何せ唐突すぎるためにどうリアクションを取ればいいのか、と出会ったころは面食らうことも多かった。夫婦になった今慣れてはきたつもりだったけれど、プレサンスにはまだまだ驚かされるばかりだ。

「どうされたのですか」
「ふふ、理由知りたい?」
「とても。それにしても『はつじょうボディ』とはまた……」

何とも悩ましい言葉で自分を言い表され、ザクロは少し顔を赤くした。プレサンスは悪戯っぽい笑みを浮かべ、ぴょんと抱きついてくる。腕を回して受け止めれば、薄手のネグリジェ越しの感触に、体温に、我慢していた熱が燃え上がり始めたのがはっきりと解る。プレサンスは夫に体を押し付けるように預けながら、浮かれた口調でその理由を話し始めた。

「だってね今日の大会で私ザクロさんしか目に入らなかったんだよ!トレーニングとか色々頑張った甲斐がもう発散されまくりって言うかだからそのせいでもう目が釘づけって言うか?ほら、ほんとクラクラしちゃうくらい全身まるまるカッコよくってもーどうしようかなって!でね、さっき言った風に考えてみたら私がザクロさんにメロメロっていうかなんていうかになっちゃうのはそのせいだってことしか言えないって思ったわけ!」
「そういうことですか。ともかくとくせいが何であれ、プレサンスさんが私だけを見てくださるのは嬉しいことです」
「でしょ嬉しいでしょ!なんたって私はザクロさん一筋だもんっ」
「ありがとうございます、プレサンスさん。私もプレサンスさんだけを愛していますよ」
「どういたしましてー」

この世で一番愛するプレサンスがそう言ってくれて、嬉しくならないわけがない。ザクロは愛情をこめて妻を抱きしめる力を少し強め――つまりもっと体を密着させ、まじまじと彼女を見下ろして思う。

ああ、やはりプレサンスさんと結婚してよかった。結婚した日から今まで、一日たりともそう思わなかった日など無い。彼女の一途さと天真爛漫さは、いつも自分を癒してくれる。恋人時代から今まで、蘇ったばかりのチゴラスと意思の疎通が難しくて悩んでいたりした時でも、スポーツの成績が振るわなかったりした時期でも、傍でともに励まし、涙を流し、笑ってくれたひと。プレサンスは、ザクロが自分一人だったら壁にぶつかってたどり着けないところへ導いてくれる。足りない、満たせないものを彼女は存分に持っているのだ。今までどれだけ助けられたことだろう。

それにしても。ザクロは毎回思う。今の――この瞬間のプレサンスさんは、何と色っぽい。耐えて来て満たされなかったものを強請ろうとする瞳の煌めきは、たまらなく美しく、そして、この上なく淫靡だ。 

「ね、ザクロさん」
「はい」

ザクロが物思いにふけっている間に、先ほどまでとくせいについて語っていたプレサンスの無邪気さはもう消えていた。艶を含んだ声で名前を呼ばれて、背筋に甘い痺れがまとわりつく。頬を上気させたプレサンスは、ザクロを見上げると緩く口元を上げた。

夫の優勝を喜んでいるからというのも、もちろんあるだろう。だがそれだけではないことを彼は知っている――大会が終わるまで、ベッドを共にするのを我慢してもらっていたから。その我慢が決壊を迎えようとしているのだ。そして、それは自分も同じだった。

「大会前は互いに触れない」これが夫婦のルール。もっと直接的に言えば「夫婦の営みはしない」ということだ。体力をそういったことに使うとパフォーマンスが落ちるという説を聞きつけて――何ともおかしいことに――同時に切り出したのがきっかけで、そういうことになったのだった。

合意の上でのこととはいえ、大会が終わるまでの間は満たされない思いを互いに味わうことになってしまうから実に辛いものがある。新婚の当時でも今でも、禁欲はまさしく苦行。だが、それを乗り越えたからこそ抑え込んでいたものが満たされるのもまた事実。それを望むプレサンスも自分に「はつじょう」したのだ。

「ザクロさんたらぁ……ね、だめ?」

答えずにいると、プレサンスはもう一度甘えた声で名前を呼び、体を押し付けてきた。誘惑するよな妙に熱っぽく潤んだ眼差し、鼻をくすぐる香り。それは頑丈に築いておいたはずだった理性の壁など、瞬く間にいとも容易く崩している。

そして、その隙間から熱がザクロのある一点に集中し始めていた。プレサンスそのものが媚薬になったかのようだ。全身から立ち上るよな、艶めかしい蠱惑の香りがする。同じシャンプーや石鹸を使っているはずなのに、こんなにもクラクラさせられるなんて。

「もー、話聞いてよぉ」
「すみません、プレサンスさんがあまりにも色っぽいので見とれていたら聞き逃してしまいました。何がだめなのか、もう一度言っていただけませんか?」

言いたいことはとうに知っているけれど、こんな小さな意地悪をして焦らすのもまた悪くない。

「……あの、今夜したい、の。いい……?」
「もし、嫌ですと言ったらどうしますか?」
「えーっ勇気出したのにひどい!」

普段は明るく賑やかなプレサンスだが、こうして営みに誘う時ばかりは恥じらいを隠せないらしい。ザクロはそんな落差までたまらなく愛おしくて、少しだけからかう。妻は不満そうにむぅ、と頬を膨らすので、ザクロは指先で優しくつつきクスリと笑った。

けれど、ザクロだって久々に近くで味わう愛しい人の感触と体温に、指先からもう臨戦態勢に入りかけている。だから、もちろんその拒否は。

「冗談です、今日は寝かせませんよ。プレサンスさんに今日まで我慢させてしまった分を心行くまで満たしてさしあげましょう」
「やった!でもお手柔らかに、ね?こういう時のザクロさんホントすごいんだからぁ」

プレサンスはそう言うと、腕をザクロの首の後ろに絡めて彼を見上げた。大きな目は一秒ごとに潤みと艶めかしさを増していくのが見て取れて、抱き上げた柔らかな体から伝わる体温はもはや燃えたぎらんばかりの熱になっている。ザクロはゴクリと喉を鳴らして感じた。封じて秘めて押さえていた熱は、もう完全に自分とプレサンスの体と理性を満たし支配しているのだ、と。

その高まりを感じながら寝室のドアノブを捻り、シーツの海へダイブすれば――あとは、互いをひたすらに満たし合うだけだ。



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