お願いです、誰でもいいので至急冷却剤を持ってきてください


その日リーグで一番早く起きたパキラは今しがた私室から出てきたところだった。ポケモンリーグの最高峰の座を占める四天王ともなればその地位に見合った待遇が用意されている。それは一口に言っても様々あるが、リーグ本部に各自が好きに使うことができる部屋を宛がわれるのもその一つなのだ。
彼女は廊下を歩きながらゆっくりと思いを巡らす。今日は久々の1日オフね、朝食を摂ったら部屋でゆっくり本でも読もうかしら。それともミアレまで出て最近評判だとかいうスポットでも巡るか。ニュースキャスターたるもの(一面に過ぎないが)知識の吸収や情報収集を怠ってはならないのだし。
歩みを進めるたびに視界に入っては視界から逸れていくドア。それを横目で見ながら、今の時間帯の自分には珍しく緩く口元が上がっているのが分かる。聞こえる音といえば自分の靴音だけ、そんな静けさのおかげか優雅なプランニングが大いに捗っているからだ。そのまま直進しながら思う―ほんと、一日どころかいつもこれ位静かだったらね。あいつらのおかげでリーグがやかましいったらないんだから。
そんなことを思って歩いてきた廊下もそろそろ終盤だ。やがて同僚であるズミの部屋のドアと、その少し先にはダイニングホールへと続く階段が見えてきた。彼は四天王に就任しリーグに数カ所ある部屋を選ぶように指示された際、真っ先にダイニングに一番近い部屋を選んだのだ。料理人でもある彼らしいといえば彼らしい。
だが、思考がクリアになったのはその時までだった。
「!!!」
「〜〜〜〜!」
ドア越しに漏れ聞こえてくる声に最早お馴染みになりつつある光景が嫌でも目に浮かぶ。ったく、我がチャンピオンと四天王はまた…。脳内の優雅なプランニングと静けさは瞬く間に消し飛ばされてしまって、パキラは無意識に舌打ちした。
いや、原因はそれだけではなくてあと2つある。1つは手持ちの誰も『だいばくはつ』を覚えていないこと。もし覚えているなら部屋に放り込んでかましてやれるのに。そして2つ目は何よりドアを隔てて聞こえる会話に対してだ。またなの?防音仕様はどうなってんのよ―という彼女の呟きは、朝から騒々しいチャンピオンと四天王のカップルが上げる声にかき消されてしまった。
「私がするって言ったでしょ!何よズミのバカもう知らない!」
きゃんきゃんと叫ぶのはカロス地方の歴代最年少チャンピオンのプレサンス。何やら恋人のズミと恒例の喧嘩を始めたらしい。良く言えば賑やかさ、悪く言えばやかましさは今日も朝から余すところなく発揮されるようだ―パキラには迷惑千万なのだが。彼らが付き合い始めてからというもの、1日1回は傍から見れば至極どうでもいい理由でこんなことが起きるのだからたまったものではない。
しかし言われた相手も言われっぱなしで黙っている性格ではなかった。
「な…誰が痴れ者だと!?先ほどから黙って聞いていればこの口はっ」
「ふがっ」
恋人の言ったバカ、という言葉を言い換えたズミが反撃に出たようだ。何をしたのかは分からないがなんとも間の抜けた声を挟んでかまびすしい声はひとまず止んだ。しかしそれは一瞬のことで早くも復活したのかプレサンスがまた叫ぶ。
「いったあ!ふつう仮にも彼女の口をつねる!?しかもあんたシェフなのに料理を味わう器官をよく平然とつねれるわねっ」
「口ではない、つねったのは頬だ。それにしてもプレサンスは舌ではなく頬で味わうのか?恋人ながら変わった構造の体をしているものだな」
「な…へっ屁理屈よそんなのおまけに細かすぎ!」
まったくやいのやいのとまあ朝から騒々しい。おかげで優雅なオフの朝が台無しだ―とうとうパキラの我慢も限界に達した。怒りにまかせてドアノブに勢いよく手をかけ思い切り叫んだ。
「ちょっと騒がないでちょうだい五月蠅いわよ朝から!」
「あっパキラおはよういいところに!そうだちょっと聞いてよまたズミが!」
「はいはい原因は何なのよ」
扉を開けるなりプレサンスはいい話し相手を見つけたとばかりに瞳を輝かせた。一方パキラは適当に相槌を打つ。別に聞きたいわけではないが、あしらえばあしらうほど話を聞けと騒がしくなることはもう学習済みだからだ。チャンピオンは待ってましたとばかりに勢い込んで口を開き一気に言った。
「おはようのキスは私がするからって言っといたの、なのに勝手にズミがしたのひどいと思わない?ズミいつも先に起きてしてくるから今日こそは私がって思ってたのにあーもう悔しいっ!」
「…」
「えっちょっとなんで黙んの!」
言葉が出てこなかった。そんな痴話喧嘩の類をなぜ朝からおっぱじめる必要があったのか。そして静かな朝をそんなものに台無しにされたと思うと…人間呆れやら何やらに口を塞がれることもあるのだとパキラは思ったが、その反応に不満を覚えたかプレサンスは口をとがらせて不満そうな声を上げた。
すると黙って女性陣2人のやり取りを見ていたズミが恋人の方を見て口を開く―しかも心なしか口元を上げて楽しそうに。
「プレサンス。そもそもはあなたが朝寝坊をするから悪い」
「なにそれ、昨日あんだけいいようにしたせいでしょ」
ズミの言いぐさが不満らしく形のいい唇を尖らせて文句を言おうとしかけた。顔も顰めて明らかにムッとしているふうだ。しかしそれをよそに彼は「だが」と被せるように続けてからこう言った。
「約束を破ってでもキスをさせたくなるような愛らしい寝顔をしているのが何より悪い」
「え…」
「恋人の愛おしい唇という極上の美食がそこにあったとして味わいたくならない男がいると思うのか?それともこの理由ではまだ不満か?まったく我儘な眠り姫だ」
「もー!なにそれ」
言いながら微笑してみせるズミを見るなり、プレサンスの顔はボンという音を立てないのが不思議なほど一瞬で赤く染まった。口調こそ怒っている風でも口元はデレデレに緩んでいる。
分かっている、あれは彼らなりのコミュニケーションなのだ。彼らは決して互いが嫌いなわけではない(それならそもそも交際してなどいない)。だが、お互いが好きすぎるのをこじらせたからか何なのか、その勢い余ってこんな風な愛情表現に行きついてしまうのだ。
で、こんな朝からプレサンスがズミの私室にいて、彼女が昨日がどうしたこうしたと言って、そして「おはようのキス」とくれば…服こそ着ているがベッドへと目をやれば波打ったシーツが無言のうちに昨夜のことを物語っていた。
ったく、こいつらは毎日毎晩飽きもせず…いつも振り回されるこっちの身にもなってみなさいよとパキラは内心舌打ちしたが。
「も…ももももう一回勝手にやったら私のかわいいランターンが黙ってないんだから!水門の間なんて水浸しじゃなくて電気浸しなんだからね!?いい!?」
「それは恐ろしいな」
照れ隠しなのかひっくり返った声で叫ぶ恋人をズミは至極愛おしそうに見ながら答える。今彼がまとっている雰囲気はとても柔らかい。それに眼差しも違う―バトルや料理のさなかには決して見せない、険しい目の中にも優しい光があった。
「あの…ありがと。ズミのそういうとこ、好き…あっでもズミばっかりずるいから仲直りのキスは私からする!ほらこっち向いてよ」
「仕方のない、最初から素直にそう言えばいいものを。もっとも強気なプレサンスも愛おしいが」
火炎の間にだけは断固遠慮するけれど、リーグにスプリンクラーでも付けてやろうかしら。それとも冷却剤が出るような装置とか。それで朝から火炎の間よりもお熱いことこの上ないこのバカップル共が盛り上がらなくなればいいのに―パキラは眼の前の光景を見ながらそこまで考えたところで辟易しすぎたせいで頭が回らなくなったのかと自分に呆れた。効果があるはずがないのは百も千も承知の上でしょうに、とも思いながら。
「はいはいお邪魔様」
ひとまず静けさは戻った。そして2人の世界に入りつつあるからには長居は無用というものだ。聞こえないのは分かっているけれど一応礼儀としてそう言いながらドアノブを手前に引いた。狭くなっていく隙間の向こう、もうすっかり闖入者のことなぞ忘れて2人の世界に戻ったプレサンスとズミが深い口づけを交わそうとするのを見ながら。



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