お茶かぶりと公爵様(後)


いつの間にバトルフィールドから帰ってきたのか、声に体ごと振り向けばそこにはザクロの姿があった。目が合えば爽やかに笑いかけてきて、プレサンスは思わず頬が赤くなってしまう。入りたての頃に「後ろから声をかけられて首だけで振り向くのは失礼だ」と散々先輩に注意されていたが、その経験は今どうにか活きて恥ずかしいところを見せずに済んだ。

「こ、これはデュークのザクロ様。いかがなさいましたか」

こんなに間近でお話しできるなんて夢みたい。でもどうして私の名前を御存知なの?そんな心の内をリオルも感じ取ったか、ザクロの方を目を丸くしてまじまじと見ながら尻尾がピンと立っている。臆病なリオルが緊張している時のサインだ。プレサンスが「大丈夫よ」と呼びかければ、ほっとした表情を浮かべる。

その様子をザクロは微笑しながら見たあと、プレサンスに向き直って口を開いた。

「今日のデューク用のサロンでの用は、プレサンスさんにお願いするようにとイッコンさんからお伝え頂いたのですが。よろしいですか」
「は、はい。私が承ります、お申し付けくださいませ」

一介のメイドでしかない、それも実力があって名前が知れ渡っているならまだしも、バロネスにさえなってもいない自分のことを何故知って……?プレサンスのそんな疑問は一瞬で解消された。イッコンがそう教えていたのなら知っていて当然だ。もしかしたら私のことが気になって調べていたのかしら、と一瞬でも夢を見た自分を叱りながら、彼の用命に応えようとする。この廊下をずっと行った突き当りには、マーキスやマーショネスのみが使えるサロンがあるから、そこで何かをしてほしいという依頼かもしれない。

だが。

「あ……も、申し訳ございません。先に他のお方の御用がございまして、その」

そうだ、まだ用事の途中だったのだ。ザクロに会えた嬉しさと、彼に名前を呼んでもらえた喜びに浮かれてあやうく忘れてしまうところだった。

でも、爵位がものをいうこの場でデュークを待たせるなど、上司に知れたら大目玉だ。それに待たせているヴァイカウンテスたちは、ここぞとばかりに何か言ってくるに違いない、嫌だなあ。他の誰かを呼んで代わりを頼む?とはいっても、出払っているのか姿が見当たらない。

ああ、折角のチャンスなのにこんなところを見せちゃうなんて。高く舞い上がったプレサンスの心は、早くも猛スピードで急降下を始めている。想い人の前で役に立てないことと、これから受けるだろうことを想像して顔が曇った時だった。

「……ずっと言おうと思っていても、なかなか言う機会がありませんでしたが」
「は、はい!」

ザクロがそんなことを言い出すものだから、プレサンスはドキリとした。もしかして私の働きがお気に召さないとか?そうだったらきっとショックで立ち直れない……ビクビクしながら次の言葉を待った。

「お辛くはありませんか」
「え……?」

だが、掛けられたのは予想外の言葉。驚くプレサンスにザクロはなおも続ける。

「プレサンスさんにきつく当たるご婦人方がいらっしゃるそうですね。様子からしてその方々のことではと……ただ僕が話を聞く限り、あなたには何の落ち度も無いように思えるのですが」
「お、お心遣いをいただきまして光栄でございます。ですがすべては私の至らなさ。私はバトルの腕ではなくてお茶を淹れることですとか、そういったおもてなしぶりを認めていただいてメイドになったのです。バトルの腕は今はなくとも追々磨いていけばよいということで……あの、ですから、今はできることに精一杯当たるほかないといいますか」

出てきた言葉が責める内容ではなくて、プレサンスはほっとする。でも今度は、ザクロが自分のことを気にかけてくれていた嬉しさと、自分の実力の無さを思い出したこととがない交ぜになって泣きそうだ。しまった、と思うのに、舌は勝手に空回りしていらないことまで紡いでいる。こんな情けない事情を好きなひとの前で話したくなんてないのに、それでも彼は。

「そうだったのですか」
「はい……、ですから……っ……」

だめ、お願い止まって……穏やかに話を聞いてくれる優しさに触れて、とうとうプレサンスの目から涙が流れ落ち始めてしまった。要らないことまで話して涙をせき止めていたようなものだったのに、言葉が詰まって溢れてとうとう決壊してしまった。

「申し訳、ございませ……お見苦しいところ、を」

情けない、やだ、せめてザクロ様の前ではこんな顔したくなかったのに。早く止めないと、と零れて止まらないそれを拭おうとプレサンスは手を伸ばしかけた。何よりこれでは仕事にならない

――が。それよりも先に、優しい体温の通う感触が頬に当たって、思わず言葉も涙を拭うことも忘れた。ザクロがプレサンスの零した滴を長い指で拭い始めたのだ。

「僕が許しがたいのは」

想い人の突然の行動に、今度は頬を赤らめるプレサンス。その様子を大きな灰色の瞳に映しながら、ザクロは真剣な眼差しで語る。浮かぶ光は真摯そのもので、心臓が今にも破裂してしまいそうだ。

「爵位をかさに着てシャトーの伝統と格式を汚すこともですが、何よりもプレサンスさんを苦しめている方がいることです。残念ながら、あなたを苦しめることの全てを解決できるとまでは力及ばずお約束できません。ですが……どうか僕を頼ってはくれませんか。お辛いときは、どうかお一人で泣かないでください。僕が受け止めますから」

プレサンスは今すぐ頬をつねろうかと思ったがやめておいた。好きなひとがこんな夢みたいなことを言ってくれるなんて夢に決まっているから、それなら覚めないでほしかったのだ。つとめてメイドらしく振る舞わなくちゃ、と思っていた思考はもうどこかへ飛びかけていた。

「わっ、私には身に余るほどのお心遣いでございます」
「単なる心遣いではありませんよ、お慕いしている方がお困りであれば助けるものです。お話しする機会は無くても、ひたむきにお仕事に励まれるプレサンスさんを一目見てからずっと素敵だと思っていたのですから。初めてお話した時に出していただいた紅茶の美味しさは、今でも覚えています」
「まあ……!」

これ、やっぱり夢?一目惚れした相手も自分に一目惚れしていたなんて。嬉しいやら理解の範疇を超えそうになるやらで、舌がもつれてしまいそう。でもそう言ってもらえたし、何よりチャンスだから自分もちゃんと想いを伝えたい。プレサンスはうち震える声で訊ねる。

「私で、よろしいのでしょうか」
「プレサンスさんでいいのではありません。プレサンスさんが、いいのです」
「ありがとうございます……!その、私もザクロ様が好きです。実は一目お目にかかった時から、お近づきになれたらって、ずっと……ずっと思ってきたのです」
「本当ですか!僕たち一目惚れ同士なんですね。では改めて……僕の恋人に、なっていただけますか?」
「喜んで。これからはデュークのザクロ様の恋人として恥じないよう、励んでまいります」
「うーん、まずは敬語のよそよそしさという壁を超える必要がありそうですね」

ザクロはそう言うと、悪戯っぽい笑みを浮かべながらプレサンスの涙の跡に形のいい唇を寄せてきて――軽いリップ音を立てて口付けが落とされるたび、プレサンスは心が幸せで満たされていくのを感じた。

そして、成り行きを見守ってきて、今はヴァイカウンテスたちの言いつけなどすっかり忘れてそれを幸せそうに受けるプレサンスを見たリオルは、主人の恋が実ったのを見届けて嬉しそうに鳴いたのだった。



来城した時には水色だった空からは、いつの間にかオレンジ色の光が差し込んできていた。遠くにはねぐらへ帰るらしい鳥ポケモンたちの姿が見えている。

「――という風に持っていきたいんですよ」
「……」

ザクロは話をようやくそこで一旦切り、対面のソファに座るビオラに言った。彼女が何についてどこからどうコメントしたらいいのかしら、と考えて言葉少なになっているのをよそに、真剣そのものといった顔をして。話を聞いているうちにかなりの時間が経っていたらしい、周りにちらほらいたはずだった他の来客の姿が見えなくなっていたのも当然だった。

それはさておき、ビオラはザクロに色々と言いたいことがありすぎた。なのに、先ほどようやく大団円(?)を迎えた想像――いやもはや妄想と呼ぶべきか――に、思わず呆れやら驚きやらが入り混じって言葉にならない。

最初こそビオラは「紅茶を出された時に一目惚れしたプレサンスというメイドに想いを伝えるにはどうしたらいいのか」という恋愛相談をザクロに持ちかけられ、耳を傾けることになったはずだった。壁が好きでたまらないザクロがそんな話をするなんて滅多にないことだからと興味を持ったのだ。

しかし。ザクロはその方法として「辛い目に遭い落ち込んでいるプレサンスを自分が慰め、ついには結ばれる」というファンタジーじみた物語を語りだし今に至ったのだ。男性は案外ロマンチストだなどというけれど、自分よりよほど乙女だ。というより夢見がちにもほどがある。

確かに「意地悪をされたところを憧れていた相手に慰めてもらう、そして彼と両思いになる」……そういったシチュエーションは、かのプリンセスのようだと憧れる女性もいるにはいるかもしれない。でもだからといってプレサンスというそのメイドがそれに当てはまるかは解らないし、ザクロが話したことがうまくいくとは到底思えなかった。冗談を言っている風ではなく大真面目に話すものだから、つい何も口を挟めずに聞いてしまったけれど。

話にはまだ続きがあったらしい、その間にもザクロはなおも口を動かし続けていた。

「……そして最後は『あなたは壁のように美しい』これで締めるつもりなんです。最高の褒め言葉だとは思いませんか?現にプレサンスさんの起伏の少なさ、すべらかでつややかでまさしく壁そのものなんですから!」
「えーっとね」
「ですが問題は話しかけるきっかけすら中々無いことなんです。爵位を下げてもらおうかとさえ本気で考えかけましたよ、そうしたらもっと近づけるのではないかと……こんな調子では悩みのせいで登れる壁も登れなくなってしまいます。そこで先ほどお話したようにすれば上手くいくのではないかと思いましてね。どう思いますか、ビオラ?」

勢い込んで話すので割り込むタイミングが測れずにいたけれど、ようやくこちらに話を振る気になったらしい。ビオラは思ったことをザクロにぶちまけることにした。

「あのね、それどこの灰かぶり姫のお話?そもそもお話に出てきたヴァイカウンテスはイッコンさんがとうに出入り禁止にしたじゃない。それはさておいてそんなこと本当に言うつもりなの?」
「出禁?ああそういえばそうでしたね、プレサンスさんを想うあまり忘れていましたよ。となるとその手は使えないかなあ、良い方法だと思ったんですが……ところでそんなことというのは?」
「壁のように、っていうやつ」
「もちろんですよ、つまり僕の心を離してくれないほど魅力的な方だという意味で」

胸を張ってそう答えるザクロに、ビオラは思わず頭を抱えた。

「……どう思って言うかはともかくね、女の子に向かって壁のようだって言ったら『あなたは胸が無いですね』って言ってるようなものよ?私はそのプレサンスっていう子のことは知らないけど、たとえザクロ君のこと好きだったとしてもそれでコンプレックス刺激されてあなたに幻滅すると思うけど。ショックも受けるだろうし、少なくともリアクションには困るでしょ」
「そんな!そこが素敵だというのに!?」

披露した推測に、ザクロは目を見開いて衝撃混じりの悲鳴にも似た声を上げた。自分が愛してやまない壁に例えたのに、真意は伝わらないだろうと言われたのがそんなに驚きだったらしい。

「いくら好きだからって何でも壁に例えればいいってものじゃないのよ!それにそんなこと言って追い掛け回したら結局嫌われちゃうと思……ちょっとどこ行くの?」

まったく、この壁好きときたら……。ビオラは太い眉を寄せて呆れながらも、せめて良きライバルの恋が実るようにアドバイスを送ろうとした。

だが、彼はやおら立ち上がるや、シャトーでいっとうお気に入りだと主張する壁――ビオラには一見どころか、何度見ても何の変哲もない壁にしか見えないけれど、熱弁を振るわれたせいで位置を覚えてしまったのだ――につかつかと向かっていくではないか。人に話を振っておいたのを放り出して一体何をし出す気なの、と眺めていると。

「どんな時でもどんな相手でも諦めないこと、それが僕のポリシーです!プレサンスさんと僕の間に立ちはだかる高い壁を、必ずやいつかきっと登りきってみせましょう!」

ザクロは愛してやまない壁に向かって、そんな誓いの言葉を吠えた。

その様子を遠い目で見ながら、カメラガールは沈黙するしかなかった。この恋路は言葉通り高い壁に阻まれる。そして、ザクロが登りきるのはいつもとは違ってきっと容易くはないのだろう、と――彼女はライバルの恋の道ならぬ恋の壁と、それに振り回されるだろうプレサンスの行く末を思うのだった。



目次へ戻る
章一覧ページへ戻る
トップページへ戻る


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -