お茶かぶりと公爵様(前)


バトルシャトーの、メインサロン。ここにいる人々の目は、先ほどまで窓の外から見えていたバトルフィールドに釘づけだった。バトルの決着がついてからややあって、外の熱気の名残は室内にも段々と伝わりつつあった。

「さきほどのアールのお方のニョロボンをご覧になりましたか?大層よく鍛えられているものですなあ」
「ええ、あのお方はここ最近随分と腕を上げておいでとか。わたくしも負けてはいられませんわ。ですが、ザクロ様のアマルルガの動きもやはりデュークの称号に違わず実に見事なもので……」

本来ならば同じ爵位同士でしかバトルを申し込むことはできない。だからデュークであるザクロがアールとのバトルを受けることはまず無いが、今は同じ爵位の相手が来城していないことからイッコンが特別に取り計らったのだ。

人々は、イレギュラーだが見応えのあったバトルの感想を口々に交わす。その声には端々に興奮が混じっている。冷めやらないざわめきはまだまだ部屋の中を満たしそうだ。私もいつか、この会話に交じることができたら……プレサンスは耳をそばだててそう思いながらも、ティーワゴンを動かした。

バトルシャトーはティータイムの時間を迎えようとしていた。給仕役のメイドが一番忙しい時間帯でもある。今日は来城者が多いからなおさらだ。あちらのバロネス、こちらのヴァイカウント。笑いさざめく紳士淑女たちの間を縫いつつ、プレサンスたちはカップやらラングドシャやらを手際よくサーブして回る。

でも、意識はほとんど窓の外へ向いているようなものだった。一目でもいいから、窓の隙間からでもいいからバトルを終えたザクロ様をじっくり見たい……でも、メイドが手を休めることは許されない。まして今は仕事中、それもバトルの腕が立たないけれどお茶を淹れるのが得意だからと採用されたプレサンスが役に立てる、数少ない機会でもあるのだ。

ただそれでも欲求には勝てなくて、仕事の合間に窓から目に飛び込んでくる光景をこっそりと、途切れ途切れながら見てしまったけれど。その時丁度見えた、アマルルガが対戦相手のニョロボンに「とっしん」をお見舞いしたところ。あの動きの迷いの無さは、バトルの経験が少ないプレサンスにも解るほどだった。

カロス地方に名だたるポケモンバトルの社交場、バトルシャトーで、プレサンスがメイドとして働き始めてそれなりに――そして、ザクロに恋をするようになってしばらくになった。これまで特別彼のファンだというわけではなかったけれど、ある時急に休むことになった先輩メイドの代わりに、紅茶を出したそのほんの一時の間に恋に落ちていた。「お紅茶でございます」「ありがとうございます」というごく短い言葉を交わしただけだけれど、その時の穏やかで爽やかな声に、使用人にも丁寧に接してくれる彼に心を惹かれた。今でも思い出してはウキウキしてしまうほどだ。もっとお近づきになれたら、プレサンスはその時からそう願ってやまなかったが叶うことはなかった。

けれど、今日はその夢が少しだけ実現するかもしれないのだ。足元を見下ろすのに何の障害もないほど平らな胸だって、期待に膨らむというもので(比喩ではなく本当にそうなったらいいのに、と思ったのは彼女だけが知るところだ)。

いつもならまだまだザクロへの距離は遠い。バトルがてんでダメなせいだ。プレサンスには、バロネスの爵位さえ夢のまた夢なのだから。

ある先輩メイドの言葉を借りれば「バトルシャトーでは爵位こそすべて」だ。爵位はバトルの実力を示すのはもちろんだが、この城ではいわばステイタスの役目も果たしている。そして、段階に応じて受けられる待遇も違ってくる。ゲストとなるトレーナーたちもそうだし、何よりユニークなのはそこで働く使用人たちにも、経験を積んでいけば爵位が与えられ適用されることだ。爵位が無いか下級であれば給料は安いし、仕事の内容も雑用ばかり。けれど上級になればなるほど、バトルの審判や招待状の受付など、負担の少ない役が回ってくる上に高給になるというわけだ。

ところでゲストの待遇に話を戻すと、その一つにマーキス、マーショネス以上になれば出入りできる専用のサロンというものがあった。そこには経験も長くバトルの腕も立ち、そして爵位がものをいう場だけあり上級の爵位を持っているメイドたちが専属で付いているのだ。だが、今日はその全員が休みだった。なんでも運悪く風邪が流行ってしまったのだとか。

そのため、今日のプレサンスは埋め合わせと作法見習いも兼ねて、先輩たちの代行をこなすよう言い渡されてもいた――何より今日はザクロが来ている。いつもよりはお話できるかな、という淡い期待もあって胸は高鳴りどおしだ。バロネスの爵位さえも遠い自分には夢のような仕事。このサロンからは遠いから、行き来も大変で負担も増える。けれど頑張らないと、ザクロ様に少しでもいいところを見せたいもの。

だが、そんな考えは苛立った甲高い声に破られてしまった。

「ちょっとそこのメイド聞いていて!?この紅茶ヘンな味がするわよ!」
「何か入れたんじゃないでしょうねっ」

先ほど紅茶を出したヴァイカウンテスの3人組が、プレサンス
を射すくめるような目で見ながら怒鳴りつけた。またなの、と眉が寄りそうになるのを抑えながら、プレサンスは彼女たちの元へと駆け寄って訊ねる。

「大変失礼いたしました。いかがなさいましたか」
「どうしたも何もないわよ、ヘンな味がするって言ってるのよ!」

ヴァイカウンテスは眉間に皺を寄せて言うが、おかしい。前回くどくどと指示された、どこそこのブランドの茶葉で淹れて蒸らし時間は何分で、という細かい指定もきちんと守ったのに。

「おかわいそうなお母様、せっかくのお紅茶が冷めているなんて」
「これだから爵位無しは……」
「も、申し訳ございません。すぐにお代わりをお持ちいたします」

自分を辱める言葉を吐く彼女たちに、プレサンスだって腹が立たないわけがない。だがつとめて冷静に、そしてひたすら謝ることしかできなかった。

意地の悪い母と、よく似た娘二人。マナーの悪さが目に余る彼女たちに、プレサンスは何故かいつの間に目を付けられてしまったらしく、これまで何度も嫌味を言われてきたのだ。イッコンや先輩メイドたちさえ手を焼いている要注意人物と聞いたことがあるが、まして経験の浅いプレサンスが太刀打ちできるはずもなく。小さく身を縮こませて、最早ほとんど言いがかりでしかない言葉を浴びるしかなかった。

「シャトーでは爵位こそが全てよ、なのに爵位が上の者の機嫌を爵位無しが損ねていいとでも思っているの!?さっさと淹れ直していらっしゃい!」
「は、はい!直ちに戻ります……」

お顔立ちはお綺麗でも、あんなに意地の悪い目をしていちゃあ台無しよ――そう言えたらどんなにいいだろう。でも、現実は内心でそう皮肉るのがやっとだ。もともと気が強い方ではないしとても言い返せない。

「早くなさいよ、わたくし冷めた紅茶をいただく趣味はございませんの!あなたと違ってね」

背中に刺さるのは、鼓膜をざわつかせるクスクス笑いに、周囲からの哀れみと好奇の視線。プレサンスは悔しさをこらえながら一礼して下がり、厨房へと逃げるように戻っていった。

走って、走って。息を切らしながら厨房にたどり着く。

「もう!どうしてあんなこと言われないといけないのっ」

思わず涙が溢れそうになるのを必死にこらえながら、茶葉の缶がしまわれている戸棚を開ける。手を伸ばして新しいお茶を淹れ直そうとするけれど、手は震えてしまって思うように動かない。ああ、早くしないとまた何を言われるか……。

するとポン、と音がした。プレサンスのパートナーのリオルがボールから飛び出てきたのだ。エプロンドレスの裾にすがりついて、キュウキュウと心配そうに鳴き声を上げる。リオルは種族の性質上、相手の感情を察することができるからだろうか。

「もう……勝手に出てはだめって言っているでしょ?」

ただ、プレサンスはリオルをたしなめはしても叱れなかった。辛いときはいつもこうだ、彼なりに励まそうとしてくれているのかもしれない。

「大丈夫よ、ごめんね心配をかけて。さ、お仕事しないと。そこの棚からティーカップを取ってもらえる?」

慰めてもらったおかげか、少し落ち着いたような気がする。喉元を撫でてパートナーを励ませば、彼は解ったとばかりに頷いて戸棚に手を伸ばした。

しっかりしないと。プレサンスは手を動かし始めながら言い聞かせる。私がこれじゃあこの子に申し訳が立たない。もっと強くなりたい、バトルも心も――そう、ザクロ様とお付き合いしても恥ずかしくないように……。

そこまで考えてはたと我に帰る。何言ってるのかしら、そんな夢みたいなことかないっこないのに。空想じみた思いを振り払って、今度こそは文句を言われなければいいのに、と祈りながらティーワゴンにティーセットを乗せ終える。そしてサロンへ向かおうと、数歩歩いた時だった。

「プレサンスさん、お願いしたいことがあるのですが」

後ろからの声に振り向けば、そこには誰あろうザクロがいたのだった。



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