誰かじゃなくて


ダイニングテーブルに置かれたマグの中を覗き込んだプレサンスは歓声を上げた。プラターヌの青いマグと、自分のお気に入りの白いハート型のマグ。容器こそいつものものだけれど、今日淹れてくれたのはいつものコーヒーではなくてココアだった。しかも。
「わあ、マシュマロかわいい!」
湯気を立てる薄茶色の表面にはマシュマロが2つ浮いていた。甘党の彼女にとってこの上ない幸せが詰まっているといっても言い過ぎではないくらいだ。しかも形も持ち手もハート型のマグと同じ形で薄ピンク色をしていて、見た目にもとても美しい。目を輝かせて大喜びしてくれるプレサンスを愛おしく思いながらプラターヌも自分のマグに手を伸ばす。
「ほんとはペロッパフの形のを浮かべようか迷ってね。でも結局マグの形に合わせてハート型のにしたんだけどどうかな」
「すごーい素敵!ありがとう博士」
「いやいや、どういたしまして。それじゃあ冷めないうちにどうぞ」

今日―3月14日はカロスでは何でもない日だ。だがプラターヌは、カントー育ちの恋人であるプレサンスからひと月前に贈られたプレゼントにお返しをしようと決めていた。
シンオウに留学中に知った、カントーなどではホワイトデーと呼ばれて男性がマシュマロだのを贈る今日。留学中にも贈られたことやお返しを選んだこともあったけれどそれは儀礼的なものだった。でも同じ貰ったのでもわけが違う、誰より好きな子がくれたものへのお礼にはカロスらしく愛を込めたいじゃないか―そう思い立った彼はそれを実行に移したのである。プレサンスがくれたのは手作りのクッキーだったし、既製品を買ってお茶を濁すような手抜きはしたくない。しかし生憎一からお菓子を作れるほどの腕も持ち合わせてはいない…さて、どうしたものだろう。あれこれ考えて思いついたのが、自分でも作れて、カントー風のお返しとしてマシュマロも入れたココアを御馳走することだった。

一口目を啜ったプレサンスは先ほどから幸せそうにトロンとした目をしている。プラターヌはよかった、気に入ってもらえたみたいだと胸をなでおろした。こんなに喜んでくれるなんて、カフェ・ソレイユのオーナーに弟子入りして美味しく淹れるコツを教えてもらった甲斐があったなあ―ただプレサンスの前では言わないけれど。好きな子の前でくらい格好は付けたいものだから。
「お代わりあるからねー」
「はーい」
口を開けば呼びかけに答える声まででれっとしている。白い喉をこくりと鳴らして、一滴一滴が貴重な飲み物みたいに味わっているかのようだ。
本当に、たまらないなあ―その姿に思わずため息が漏れて、それに気が付いたプレサンスが口を開く。
「溜息ですか?幸せが逃げちゃいますよ」
「いいの、幸せでついてる溜息なんだから。こんなかわいい子の恋人になれて幸せだなあって思っただけだよー」
ウインクと一緒に甘い言葉を投げれば彼女はクスクスと笑う。
「もー…ほんとカロスの男の人って、女の子を喜ばせることよく言いますよね」
「そうかい?でもね、女の子を喜ばせるって部分がちょっとだけ惜しいかなー。ボクの場合そこはプレサンスだけに、そして喜ばせるんじゃなくて喜んでもらうこと。それが正解なんだよね」
可愛い?そうなのかなあ…とても気に入っているマグに、マシュマロ入りココア。プラターヌが淹れてくれて、何より彼がそばにいること。自分を幸せに包んでくれるここにいられるのが嬉しいだけなんだけどな。でもそう言われて悪い気はしないし、何よりココアはとっても美味しいし。ああ幸せ、幸せ。プレサンスはそこで思考を働かせるのをやめると、またのほほんとココアを口に含み始めた。

だが。その姿を見ていたプラターヌの脳裏によぎるものがあった。…待てよ。聞き捨てならないことを聞き捨ててしまったことに今更ながら気が付いた。記憶を巻き戻してみよう、彼女はさっき何て言ったっけ?男がどうのって…ああそうだ。
「他の誰かにも言われるのかい、こういうこと」
「え?ええ、まあ…」
聞いたプラターヌは顔を顰めた。カントーの男性はほとんど愛の言葉を囁かないそうだ。けれどカロスの男性は別だ、愛を愛する地らしくいつも女性を口説くことに余念がない。だからカントーあたりの女性は囁かれればすぐにコロッと参ってしまうのだと聞いたことがあった。そして他ならぬ自分も愛の言葉を贈りに贈って―気が付いてもらうまでに時間がかかってとても手ごわかったけれど―プレサンスの心を射止めたのだ。
でも、不安はいつも付きまとっていた。他のカロス男の囁きに誘惑されやしないだろうか。人のものこそ手に入れたいというたちの悪い輩だって近づいてこないとは限らない。知り合って恋に落ちた時から今に至るまでハラハラしてばかりだ。
「誰に言われるの?何を?」
「えっと、バトルシャトーでバロンの人とか、カフェにいたらいきなりウェイターの人とか…君がまばゆすぎてもっと近づきたくなっちゃったんだ、とか。いろいろパターンがあるんですよねえ、よく思いつくなって感心しちゃうくらい」
勢い込んでまくし立ててしまうけれど、プレサンスは相変わらずのんびりした口調で答える。
プラターヌはなんだかだんだんと腹が立ってきた。まったくキミって子は、少しは危機感とボクの恋人だって自覚を持ってよ―そう言いかけたけれど、プレサンスがまた口を開き始めたので何とか口の中に押しとどめて続きを待つ。
「でも、最初はくすぐったかったけど正直なところ最近は全然嬉しくなくなったの。なんでだろうって考えたんですけど」
「…けど?」
「…笑わないで聞いてくれますか?」
「うん、笑わない」
プレサンスは真剣な顔のプラターヌを見てココアをまた一口すすると、にっこりして言った。
「他の誰でもなくてね、ああいうことはプラターヌ博士に言ってもらえるから嬉しいんだって」



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