あの子はどちらに微笑むか(後)


3、2……エレベーターは静かに降りながら液晶パネルの階数表示を変えていく。プラターヌ博士はといえば、見送った時に立っている場所から動こうともせずに、閉じた扉さえもデレデレした顔で見やっている。プレサンスが乗ってるからかもしれないけど、オレはその姿を気持ち悪いと思った。心の奥の奥底から一片の嘘偽りなくそう思った。

そのうちディスプレイに1の数字が表示された。エレベーターは玄関のある階へ降りたみたいだ。

――その瞬間、博士はさっきまでの表情をきれいに引っ込めた。そして代わりに、どこに隠してたんだ、って訊きたくなるくらいの不機嫌さをぷんぷん漂わせ始めながら、オレに向き直って言った。

「待たせて悪かったね。さあ図鑑をチェックしようか」

不機嫌になった理由は解ってる。まずプレサンスが帰ったこと。そしてあの子との時間を邪魔されたことに加えて、オレたちが名前を仲良く呼び捨てにしあう様子を見たからだろう。幼馴染の特権ってやつだ。

それに引き替え、まだ出会ってそんなに経ってないプレサンスはプラターヌ博士のことを名前じゃなくて「博士」っていう肩書でしか呼ばない。そう、オレたちみたいに名前をお互い気軽に呼び合えるような関係にはなれっこないはずだ。なんたって立場も年齢もあなたはプレサンスから遠すぎるんですよ、下手したら一生近づくのなんてかなわないかもしれないくらいにね。

ま、あなたのプレサンスへの距離とオレの近さを見せつけるためにやったけど気を悪くしないで下さいよ。そんないい気分で図鑑を取り出して渡した。

「お願いします」
「ありがとう」

博士は図鑑を受け取った、かと思えばすごい速さで捕獲数の表示されるページを開いて話し出した。

「ふむう、セントラルカロスで見つけたのは129匹だね。前回から11匹増えている。そしてマウンテンカロスは61、コーストカロス87か。クズモーにメレシーに……いい感じに埋まってきてるね。同じ場所でも時間帯によっては違うポケモンが活動していることもあるから一度行った場所も時間を変えて行ってみるといいかもしれないよ。とにかく順調なようで何よりだ、この調子でね。はい図鑑」
「……どうも」

オレがその勢いに驚いてる間に、息もほとんど継いでないんじゃないかってほどの早口で確認とアドバイスをして。しかもヒトの図鑑を、触ったら即死するウイルスまみれのモノか何かみたいに一秒だって持ってられやしない、とでもいうように押し付けるみたいに返してよこした。

こうして報告は予想以上にあっけなく終わった、けど。……何なんだ、この差。思わず心の中で突っ込みながら図鑑を受け取った手に力がこもる。そりゃあ最初は短く終わらせたいって思ってたのは確かだ。ましてや博士に口説かれたいわけでも全くない(この点だけは大いに強調させてもらう)。

でも、プレサンスにかけた時間はほとんど口説くのに使って人を待たせておきながら、オレへのコメントはあれだけ?ものの1分いくかどうかってどういうことだよ。そもそもこっちは1か月に1度の定例報告のためにわざわざ時間を割いて来てるんですよ、そのこと忘れてるんじゃないでしょうね?

プレサンスを口説かれたことと、こんな適当な扱いをされたこととでまた腹が立ってきた。ひとまず何か言ってやらなきゃ収まりがつきそうにない、だから……決めた。ここでひとつ牽制と抗議といこう。息を大きく吸い込んで口を開く。エレベーター前の鞘当、ラッサンブレ・サリューエだ。

「随分な差ですね」
「何がかな」

図鑑をカバンにしまいながら、音のしないゴングを冷たい声で思いっきり鳴らした。博士の目がオレに向く。浮かんでる光は妙に冷たいけど負けるもんか。

「オレへの態度とプレサンスへの態度の差のことですよ」

そう言えば博士は薄く笑った。

「そう?可愛い子と同性とだったら言うまでもないよねー。特にそれがかたや大好きな子、かたや恋敵っていうんだったらなおさら……おや、ひょっとして嫉妬かい?でもあいにくボクはその手の趣味はないんだよ、ごめんねー」
「寝言は寝て言ってくださいよ。ああそうだいいこと教えてあげましょうか、プレサンスは相手によって態度を変える奴が嫌いなんですよ。知らなかったでしょ?」
「へえー……それは初耳だなあ。よく知ってるんだねプレサンスのこと」

わざとこの人が知らなさそうなことを教えて、オレのほうが優位なんだ、って示してみれば―――プラターヌ博士は、顔を見たら口元は上がってるけど目が笑ってない。きっと顔に出してないだけで内心は悔しいはずだ。よしチャンスだ、一気に畳み掛けてやる。

「まあそうですね、伊達にゆりかごに入ってた時から隣同士レベルの幼馴染ってわけじゃありませんし。近い位置で過ごしてきた分お互いのことはよく解ってますから。今までもそうだし、今もこれから先もずっとプレサンスに一番近いのはオレなのに変わりはありませんよ」
「んーそれは羨ましいなあ……仲よきことは美しきかな、ってね」

そうだろ羨ましいだろ?ビシッと言ってやって、よし、決まった!――そう確信しながらガッツポーズをするところを思い浮かべたときだった。

「と言うとでも思ったかい。それは過去と仮定の話に過ぎないじゃないか」
「え……」

決まったと思ったのに。何が言いたいんだ?博士に目を向ければ、話の主導権を奪われた。

「確かにキミとプレサンスが一緒に近くで歩んできた時間は短いものじゃないだろうね。でもあの子は、まあキミもそうだろうけど、これから色々な世界や人のことを見聞きして変わってきたしこれからもそうなっていくはずなんだ。決めつけはよくないと思うけどなあ」
「な……」

オレは思わず言葉に詰まった。そんなこと、考えたこともなかったから。

プレサンスはずっとオレと仲が良くて、今はまだ幼馴染から抜け出せないけど、いつかバトルで勝ったら想いを打ち明けて(だってプレサンスの方が実力で言えばオレよりもっと上で、勝てたことないのに告白するなんてカッコ悪いだろ!)結ばれて……そんな風に行くはずだって今の今まで思ってた。そうなるだろう、ならないわけないって思って疑ったことなんかなかった。

でもそれは根拠も何も無い、漠然とした考えだって突きつけられたに等しくて。そんなのは嫌だ。でも。悔しいけど冷静に考えてみれば、オレが思い描いてる通りにいく保証なんかないのも確かだ。

プレサンスやオレは、変わっていくんだろうか。本当に?どんなふうに?言い返す言葉を見つけようとしながら、でも動揺してできない。博士はそれを見透かしたみたいに言葉を続ける。

「キミはプレサンスの幼馴染っていう立場に胡坐をかいているね。そして自分の立ち位置が変わるはずがないと思い込んでそこから動こうとしていない。でも人の心、というかそれに限らず全ては変わっていくものさ、望むと望まざるとにかかわらず。プレサンスの心はキミがその立場にぶらさがっている間に離れていってしまうかもしれないよ。まあ、そのうち解るさ」

博士はそう言うとまたちょっと笑ってオレを見た。大人って何かといえば「そのうち解る」みたいに言うよなあ、自分も解ってないことあるくせに。だけど、なんでか妙に説得力のある言葉に圧倒されて、言い返したくても太刀打ちできそうなことが言えない。というかこの人本当にさっきまでプレサンスにデレデレしてた人なのか?なんだか混乱してきた……。

すると、博士は隙ありとばかりに追い打ちをかけてきた。

「その証拠を見せてあげようか」
「証拠?……というかこっち来ないでくれませんか」
「まあまあそう言わずに、えーと」

博士は白衣のポケットから出した端末を操作しながらこっちに近づいてきていた。距離を取りながらでも不思議に思う。「証拠」って一体なんだ……?

「あったあった!ほらご覧よー、ねっ」

少ししてそれを表示できたみたいで、ディスプレイを押し付けるように見せてくるから仕方なしに覗き込んだ。博士の浮かべてる嫌なニヤニヤ笑いは見なかったことにして。

で、何が写ってたかっていうと―――ニコニコしながらケーキを頬張ってるプレサンスだった。やっぱり可愛い。でも。

「これが何だっていうんですか?」

甘いもの好きなことくらいとっくに知ってるって、ただしガトーショコラ以外は。博士にとっては大発見なのかもしれないけどね。

それにしてもやっぱり何してても可愛い……じゃない!目を見開いてもまだ足りない。今までありえないって信じてた光景をまざまざと見せつけられたんだ、無理もない。だって。

「あいつ、ガトーショコラだけは一生克服できないって言ってたのに……」

画面の中のプレサンスは、大好物の甘いものの中でも子供のころからこれだけは苦手なはずだったケーキを頬張ってたんだ。しかも嫌そうな顔をしてるふうには見えないから、気に入ったってことなのか……?

驚きを隠せないでいると、博士はイヤなニヤニヤ笑いのまま続ける。

「苦手だって言って躊躇ってたんだけど、一口だけどうだいってボクが勧めたんだ。そしたら克服できたみたいでね、それはまた美味しそうに食べてくれたんだよ!あの可愛さったらなかったなー、でもボクはどんなにプレサンスごと食べちゃいたかったか!特にガトーショコラのクリームが口元に付いたところ見て理性を抑えるのが大変……」
「やかましい!というか盗撮だろこれ!!」

衝撃とかなんでこんな写真撮ってるんだとかプレサンスのことをヘンな目で見るなとか。とにかく言いたいことがありすぎる、だけど舌が回るのが追いつかない。色々こみあげてきたものを込めて半分というかほとんど八つ当たりみたいに叫んだけど、博士は憎たらしいことに軽くあしらってくる。

「なんだい人聞きが悪いなー。じゃあどうしてプレサンスはこっちを見て笑ってるんだい?盗撮した写真でこんなカメラ目線になるわけがないだろう?」
「いや……それは」
「種明かしをするとね、このケーキを作ったパティシエにお客さんの喜んでる顔を見せてあげたい、って言ったら撮らせてくれたってわけ……それで、ともかくこれで解ってくれたかな?」

ふざけるな、その写真絶対パティシエの人に見せてないだろ。それに解るもんか。舌はまだ上手く回らないけど、かといって何も言わないのは負けを認めた気がするから「何がですか」って訊けば。

「過去のプレサンスを知ってるのはキミ。でも今のあの子を知ってる上に似合うのはボクであってキミじゃないってことさ、幼馴染君」

解ってますって。博士が話す一秒ごとに自分の中で決意が固まっていくのがそれはもうよく。ライバルが多くたってこの人にだけは負けたくないし負けられないって。

……上等だ。

「言ってくれるじゃないですか。でもあとで吠え面かくあなたを見るのが楽しみですねキザ博士。確かにあの子が変わってってるのは認めますよ。でもまだプレサンスが誰を好きかなんてことは決まったわけじゃない。調子に乗らないでほしいですね」
「その言葉、キザ博士の部分以外そっくりそのままお返しさせてもらうよ」

博士の方をキッと見ればまた視線がかち合った。それを跳ね返すように目をやりながら口を開くと、博士の口も動き出して。

「「だって、最後にプレサンスが選ぶのは」」

ああ、なんでこんなところでこの人とシンクロする羽目になるんだ。そう思いながら続きを言うのも同時だった。

「オレですからね」
「ボクに決まってるからね」

火花は見えないけど、バチリっていう音は確かに聞こえた。



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