スイートハートにスイートハートを(前)


時刻は7時を少し回った。『ちょっぴり不思議の街』ことクノエシティに差していた陽も落ちて少し経ったころだ。
そんな街に2人の姿が現れた。少し険のある雰囲気をまとう長身の青年と、10代後半だがその割に小柄な少女のペア――四天王の一人であるズミと彼の妹プレサンスだ。面差しが似た美形揃いの彼らの金髪に2月の半ばの冷気がまとわりつく。
「うー寒っ、手袋してても寒いっ!」
寒いのが苦手なプレサンスは手袋をした手をこすり合わせながら言った。
「今日は雪が降るらしいから無理もないだろうな」
「まあねえ…それにしてもお兄ちゃん耳の付け根ちょっと赤いけど痛くない?私の耳あて貸したげるって言ったのに」
「気遣いには感謝する。だが生憎わたしの趣味ではないので」
「そっかなあ?似合うと思うよ、耳にあたるとこがイチゴの形になってるあれとか、あとこの間買ったヒメグマの形になってるのとか。水の四天王ズミ、実は可愛いもの好きだった!意外性あって良くない?」
「…プレサンス。妹でなければ怒っているからな」
「ごめんなさーい」
兄が眼を少しばかり吊り上げてお調子者の妹を窘めれば、彼の眼の形とは違うそれに悪戯っぽい光を浮かべて軽く舌を出して見せた。それに少し笑ってしまうあたり自分も妹に甘いところがあるのかもしれないとズミは思う。
兄妹である彼らはもちろんある程度は似ている。だが全く違うのは目の形だ。プレサンスは大粒のアーモンドのような目、ズミは三白眼と呼ばれる鋭い目。正真正銘同じ両親から生まれたけれどそこだけはDNAが気まぐれを起こしたか。ヒトの遺伝について習った時はそう思ったものだ。
「それにしてもマーシュとザクロさんのお料理楽しみだね。『食事会』ではいつも作る側だから作ってもらう側になるの初めてだし」
「確かに。新鮮な気分だな」
そんなことを話しつつ街の中心を進んでいけば、見知った大木――クノエシティのポケモンジムに近づいてきた。普段なら正面玄関から入るのだが、今日の挑戦者を受け付ける時間が過ぎて施錠されているので裏口に回る。このジムは外見からしても可愛らしい。エキスパートタイプと同じ、さながらおとぎ話に出てくるフェアリーたちのすみかのようだ。そうだ、これをモデルに次はブッシュ・ド・ノエルを作りたいな、いろんなフェアリータイプのポケモンの飴細工で飾ったりして…そう思ってしまうのはパティシエールという職業柄だろうか。プレサンスはそう考えながら、教えられてあったオートロックのパスコードを入力した兄に続いて弾むようにその中へ足を踏み入れた。寒いから早く屋内へ入りたいということもあるし、鼻をくすぐり食欲をそそるスパイスの香りがしてくるからというのもある。だが何よりこの先に最愛の人たちがいるとなれば、なおさら早く会いたいではないか。

カロスは自由を愛する地だ。だからジムの運営に関してもそうで『ジムの内装から何から、余程バトルに支障が出そうだということにもならない限りは責任者の好きにして構わない』――規則の文ではもっとお堅い言葉が使われているが、簡単に表現すればそういうことになっている。
そんなわけで各地のジムはリーダーたちの趣味嗜好が存分に反映されていた。自分で撮影した写真の展示あり、はたまたサイコパワーに満ちた不思議空間ありと様々だ。そしてクノエジムも同じく、ファンシーな外見に見合ったお茶会のできる部屋や天蓋つきベッドのある部屋が主の好み通りに整えられているのだ。そして自由であるということは、そういったように内装はもとよりそこで何をしようとほとんど勝手―つまり台所を設えようと会食を開こうと、何ら責められはしないということも意味していた。
「こんばんは」
「こんばんはー、来ましたよー」
ワープパネルをいくつか踏み越えて目的のダイニングルームにたどり着いた兄妹は、改めて来訪を告げる声を上げた。
「こんばんは。お待ちしていましたよズミさん、プレサンスさん」
「ザクロさん!」
まず姿を現したのはザクロだった。引き締まった長身に浅黒い肌といういかにも屋外が似合いそうな彼だが、この女性的な空間にいながらそれでいて不思議と違和感がない。中性的な顔立ちと、紐をきっちりと結んだエプロンとがそう感じさせるのだろうか。
するとその姿を見るや、プレサンスはぱっと顔を輝かせてその方へ駆け寄って。
「会いたかったですー!」
「ええ、私もですよ」
心の底から嬉しくてたまらないという歓声を上げるや、ぎゅうと音のしそうな抱擁を交わす。迎えるザクロも口調こそいつものように静かだが、その声は喜びに溢れていた。外の冷気をたちまち吹き飛ばすよなしばしの熱い抱擁に気が済んだか、やがて2人は。
「…では」
「ん」
そのやり取りを合図にザクロは長身をかがめ、プレサンスは爪先立ちになりたくましい彼の肩に腕を回して、再会を喜び合う口づけを交わし始めた。ちゅ、ちゅ、という音が何度も立つ。
『この地が愛するは、自由それに加えて忘れちゃいけない、何より愛そのもの』――昔そんな歌が流行ったような、そうでなかったような。ズミはそれはいいとして、と一瞬の懐古を押しやる。カロスの男女は恋人同士になればこんな風に人目をはばからず愛の交歓を始めるものだ。周りもそれを咎めはしない。そのあたり自分も妹も友人も根っからのカロス育ちというわけだ。だがしかしいつものことながらどうにも複雑だ…とその様子を何とも言えない気分で眺めていると。
「おばんやす、ズミはん」
パタパタという足音がしたと思えば、このジムの主であり今日の主催でもあるマーシュがダイニングの奥からやって来て出迎えた。今日はいつもの振袖姿ではなく千鳥格子が襟元と裾のフリルにあしらわれた紫のワンピースの上に白いエプロンといういでたちで、髪もハーフアップにまとめていた。
「こんばんはマーシュ。お招きありがとうございます。…」
「来てくれはってうれしゅうおす…プレサンスはんたち相変わらずお熱いことやわあ。せやけどなんやらご機嫌さん斜めと違います?『お兄ちゃん』」
「いえ…そのような」
マーシュは友人たちが会うなり「お取込み中」になることをとうに見越している。だからこういう時だけは親友であってもあえてプレサンスに声をかけないのだ。
しかしマーシュは愉快そうに笑うけれど、一方でズミの眉間は彼の内心を見事に表して…いや、叫んでいた。
違うのだ、不機嫌になっているなどそのようなわけが…だが口では否定するけれどやはり内心は複雑だった。自分は世に言うシスターコンプレックスだのそういう類の者では断じてない。だから妹を取られて悔しいだとかそういったことを思っているのではない…ただ、小さい時から後ろにくっついて歩いてきた妹がこう、友人と恋人同士になるというのは何とも不思議だからであって…おそらく、いやきっとそれだけのはずなのだ。
「お2人さん、もう気い済みましてん?」
顔はにこやかに、だが声には少しばかりトゲを仕込んで。気が短い方ではなかったと記憶しているマーシュがザクロとプレサンスの世界に割って入る。その時まで、ズミは心の奥底にある妹の恋人にして自分の友人への微かな嫉妬心を意識しないまま、いかんともしがたい複雑さについて内心で弁解していたのだった。

かくして恋人たちの甘い再会はひとまずお開きと相成り、ダイニングルームにようやく全員が揃った。
この部屋も他の部屋と同じくマーシュのこだわりが行き届いている。磨き込まれたマホガニーブラウンの猫脚テーブルに人数分の白いランチョンマットが敷かれていて、それはよくよく見ればペロッパフとシュシュプの姿を象ったレース付きだ。質のいいシルバーもグラスももちろん人数分揃えられている。テーブルと同じ素材で作られた、これも猫脚の椅子を引く音が立つ。
しかしいつもと違うのは、座っているのがズミとプレサンスで、反対にマーシュとザクロが立っているところだ。椅子の位置を少し調整していたプレサンスが落ち着くのを見計らって主催が口火を切った。
「さて、と。ズミはんもプレサンスはんも今日はようお越しやす。いつも美味しいお料理とお菓子、ほんまにおおきになあ」
そうお礼を述べた彼女――もう声にトゲは無い――に続き、今度はザクロが口を開く。
「今日は私たちがおもてなしさせていただきます。お2人の腕には及ばないでしょうがいつも『食事会』でご馳走になっていますので、その感謝を込めてマーシュさんと私なりのお礼をしたいと思いました」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます!」

『食事会』――ここに集う彼らは月に1度、読んで字のごとくの集まりを持っていた。
四天王にして伝説のシェフとも噂されるズミと、彼の妹にして若き天才パティシエールの称号を恣にするプレサンス。そんな兄妹が、ザクロとマーシュを招いて自慢のコースを振る舞うのだ。始まったころは特に名前もない時間だった。けれどいつしか誰ともなく至極シンプルな名前を付け、そして最初からそういう名前だったかのようにそれは定着したのだった。
ところでそんな集まりは今日――バレンタイン・デイのそれは一味違うものになる予定だった。いつもの主催がゲストに、ゲストが主催に交代するというわけだ。だから会場もいつもならミアレシティにある兄妹の自宅を使うが、今日はクノエジムに移ったのである。
「お野菜のカレーをこさえたんはうち。で、お菓子はザクロはんがこさえたんよ」
「はい、私はブラウニーを焼いてみました。フルーツやクリームも用意してありますので、お好みで添えてお召し上がりください…その前に」
何かを思い出したらしくザクロはそこで言葉を切る。そして一旦踵を返してキッチンのカウンターからシャンパンのボトルを持ってくると器用に栓を抜いた。ポン、という軽い音とともにコルクが抜けた瓶の中身を各々のグラスに注ぎながら少し照れくさそうに言う。
「やはりズミさんとプレサンスさんはすごいですね、話をしながらでも手際よく手を動かせるのですから。私は話すのに意識を集中させて今うっかりお酒を注ぎそびれてしまうところでした」
「ふふ、私ザクロさんのそういうところも含めて全部大好き」
「プレサンスさん…!私もプレサンスさんのそんな優しさが大好きですよ」
「ほんと?嬉しい!」
「…」
「お2人さんのおかげで暖房要らんかもしれませんなあ…で、何に乾杯しましょ?」
ザクロの賞賛の言葉に少し頬を緩めかけたが、再び惚気だした恋人たちに閉口してしまった。しかしマーシュの声に引き戻されたか、最後に自分の分を注ぎ終えたザクロがグラスを胸の高さに持ち上げたので、彼女が軌道修正を図ってくれたことにズミは心から感謝しながら乾杯の言葉を待った。
「あ、では…バレンタインの日に、そしてズミさんとプレサンスさんへの感謝をこめて。乾杯!」
「「「乾杯」」」

声とともにグラスが合わさる涼やかな音が、愉しい時間の始まりを告げた。



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