新春恋情鞘当絵巻 逢瀬算段波乱之帖(四ノ巻)


その後プラターヌ、ズミ、マーシュも追いついて参拝を済ませ。一行は社殿から邪魔にならない辺りへ移動しようとしていた。次はどこへ行こうかという声が誰かからともなく上がりそうな雰囲気になりつつある。ザクロがお参りの時にプレサンスの腕が離れてしまったことを残念に思いながら彼女の方を見た時だった。
「あ、あの!すみません!」
「はい」
その声とともにザクロのもとに彼よりもう少し年下らしい少年が進み出て来て緊張気味に言った。
「ザクロさんですよね、ショウヨウのジムリーダーの!俺大ファンなんです、あの、よかったら握手お願いできませんか」
こういったことはジムリーダーともなればそれなりにある。加えてザクロは若者たちのファッションリーダー的存在でもあるから、こうして握手なりを求められる機会は少なくなかった。
「もちろんです」
「やった、ありがとうございます!」
だから今回もいつも通りに手を差し出して応じれば少年はとても嬉しそうだった。だが。
「じゃあ私サインもらっちゃおーっと!」
「おい次に声かけようとしたの俺なんだぞ抜かすなよ!」
「お、押さないでください」
有名人たちに周囲はもちろん気づいてはいたが、あまりに豪華な面々でかえって遠巻きにしていたのだ。
しかし少年の行動が引き金になって、ギャラリーがこの際だとばかりに堰を切ったように我も我もと近づき始めた。
まずあっという間にザクロが取り囲まれた。サインをせがむ者、自分も握手を頼もうと近寄って来る者。彼の周りには瞬く間に人垣が出来上がった。
いや、ザクロ目当ての人垣に押されて散った他の4人も。
「ズミ様ぁ!やーんやっぱ超カッコいい!」
「プラターヌ博士、私たちとお茶しませんかあ?」
「きゃーマーシュ様ご本人だわ!」
ファンに押されて囲まれて。彼らはあれよあれよという間に見事に分断されてしまった。
そしてもちろんプレサンスも例外ではなかった。現チャンピオンのカルムに耳目が移ってから短くないが彼女も曲がりなりにも先代のチャンピオンなのだから―が。
「プレサンスさんっすよね?チャンピオン時代から思ってたんだけど超カワイーっすよねしかも今日着物着ちゃって可愛さ100割増しのとこにお近づきになれるとかこれも恋愛にご利益あるとかいう神社のおかげっすかね、あっこれからヒマ?ヒマっすよね、俺とダベりません?」
「えっと…」
先ほどからプレサンスは縁結びの神社に訪れる女性目当てらしい軟派そうな青年に捕まってしまって困っていた。彼は強く手を握り実に馴れ馴れしく話しかけてくる。その上これがマシンガントークというものか口を挟む隙すら見えない。
チャンピオン時代にもファンにこういったことをされたことは幾度かあった。最初のうちこそ戸惑ったけれど、そのうち上手くかわすことも覚えたのだが。しかしブランクがあったせいか咄嗟に逃れられず先ほどからずっとこの調子だ。さすがにプレサンスもどうしようとオロオロし始めた時だった。
不意に誰かがくい、と腕を引いて青年から彼女を解放した。誰だろうと見ればそこには。
「ズミさん?」
プレサンスは驚いた。彼も囲まれていたのにいつの間に人垣をかき分けて来たらしい。だが彼はプレサンスの呼び掛けに答える代わりに相手に無言で、しかし迫力のこもった一瞥をくれてやった。青年はたちまちそれに気圧されたように凍りついたが、ズミは意に介さずに彼女に向き直り。
「ここで立ち止まっては通行人の邪魔になります。離れますよ」
それだけ言うと、あまりの迫力に思わず道を譲った人々の間を縫って人ごみからの脱出を果たしたのだった―事態に目を白黒させているプレサンスの手をしっかりと握って。

「…ん、ズミさんってば!あの、もうちょっとゆっくり歩きませんか」
「!」
プレサンスの声で無意識に早く動かしていた足が止まる。
我に返ったズミは周囲を見渡した。人気がほとんどない。ざわめきが遠くなって、少し遠くに先ほどまでいた社殿が見える。どうやら手を引くまま人ごみから遠ざかっていたようだった。
「あ…ああ、早く人ごみから抜け出したいとばかり考えていたものですから。強引に手を引いてしまってすみません」
「それは大丈夫です。ありがとうございます助かりました、ああいうこと久々だったからびっくりして動けなくて。だけどマーシュさんたちと離れ離れになっちゃいましたね…どうしましょう」
「ひとまずホロキャスターで連絡を入れて落ち着いた頃に落ち合いましょう。今から戻っても余計にあの場に混乱を招くでしょう」
心配そうな顔で他の3人を案じる彼女にそう答えれば、頷いて巾着からホロキャスターを取り出した。ズミも友人2人宛てのホロメールを送ろうとしながら、しかし脳内は大混乱を起こしていた。

何をしているのだ、わたしは。ズミは内心でひどく驚いていた。これまでの行動が、自分のしたことだとは信じられなかったからだ。
今日の自分はどうかしている。端末を操作しながらそう思わずにはいられなかった。振り返ってみれば、まず手をつなごうとか言い出したかと思えば睨み合いを繰り広げ。そして次はザクロに意趣返しを企むわ、今度はプラターヌはともかく友人2人までも置いてプレサンスだけを連れ出すわ。
言い訳になるが、普段なら絶対にするはずのない行動だ。しかし口が、体が勝手に動いていたのだ。想い人が無遠慮に触られているのが人垣の間から見えた瞬間、我を忘れて人ごみをかき分け彼女の手を引いていたのだ――プラターヌ(に加えて、ザクロと先ほどの青年も含まれるが)への嫉妬に突き動かされて。
ズミはとりわけプラターヌが気に入らなかった。色男だとか言われているらしいが、前々からその噂通りプレサンスを口説いているとも聞いている。彼女がチャンピオンだった時は四天王という立場上近くにいることができたのに、カルムに敗れて一トレーナーに戻り遠くなってしまって。
今プレサンスは、バトルの腕をより磨くのは勿論、プラターヌが託したポケモン図鑑のデータの更なる収集にも励んでいる。彼女はチャンピオンの座を退く際に「原点に立ち返ってもっとポケモンのことを知りたい」と話していた。そしてその言葉通り、プラターヌのアドバイスも受けつつ再びカロスを巡っている。ズミは自分とは反対に、プラターヌが図鑑を口実にプレサンスにより近づいているのだと思うと実に腹立たしかった。だから居合わせた時に、大人気なくも思わず睨んでしまったのだ。
それにザクロだって侮れない。彼もプレサンスが好きだと薄々感付いてはいたが、さほど恋愛に積極的ではない方だろうからとどこかで高を括っていた。しかしどうやったのかは知らないが腕など組んで。おまけに先ほどの青年のような輩だって、隙あらばプレサンスに近づこうとしている。プレサンスを巡る恋敵は自分が思っている以上に多いな――ズミがそんなことを思いながらホロメールの送信を済ませたところに。
「はい、どうぞ」
「これは?」
「博士の番号です。連絡してあげたらきっと喜びますよ」
ズミが送信を終えたタイミングを見計らっていたらしいプレサンスが、何を思ったか自分のホロキャスターをズミに寄越してきた。彼が何だろうと見れば、それはプラターヌのホロナンバーを表示している状態で、そしてプレサンスは何故かニコニコしている。
だが当然ズミは困惑して訊いた。
「何故わたしに?」
今日初対面を果たした相手――それも恋敵でもある――から連絡があっても、プラターヌが喜ぶとは到底思えない。なのに、何故?
だがプレサンスはというと、ホロキャスターを差し出したまま今度はちょっと困った顔で口を開く。
「あの…私ズミさんがどんな人でも受け入れますし応援しますから。今は確かに恥ずかしいのかもしれないけど諦めないでください、きっといつか伝わるはずですよ。だから勇気出してください、ね?」
「な…一体何の話ですか」
恥ずかしい?受け入れる?諦めないで?一体彼女は何を言っている?ズミは全くわけが解らずに訊き返した。
しかし眉を寄せるズミを見たプレサンスは、不思議そうに言った――いや、とんでもない爆弾を放った。

「だって好きなんですよね?博士のこと」
「…は?」
ズミは呆然となった。頭になんとか鞭打って働かせようとするけれど、あまりの展開にその回転はひどく鈍い。
好き。誰が誰を?わたしがプレサンスを、ということならもちろんその通りだ。しかし彼女は何と言った?自分が、よりによってあの研究者を―?
そんなことがあるものか!あってたまるか。しかし打ち消したくても言葉が出てこない。衝撃に口をほとんど塞がれてしまったかのようで、短く聞き返すのが精一杯だ。だがプレサンスの話は続く。
「さっきマーシュさんが言ってたんです。博士とズミさんは今日運命の出会いを果たして、それで一目惚れしたけど禁断の愛だからお互い踏み出せずにいて」
「…何と?」
「だからザクロさんと私が腕を組んでお手本を見せれば、ズミさんと博士の仲が盛り上がるって言われて」
「な…」
「それでズミさんが博士に連絡したら喜ぶかなって思ったんですよ。あ、そういえば誰かに話したら恋が叶わなくなっちゃうって言ってたっけ…とにかくだから見つめ合ってたんですよね?私も聞いたことはありますよ、そういう人たちがいるって。そりゃあズミさんがそうだとは思ってなかったから結構驚きましたよ、でも言っちゃったお詫びっていうのもなんですけど私応援しますからね」
「…」
段々とだが状況が飲み込めてきた。整理すると、どうやらマーシュがプレサンスに自分とプラターヌが恋に落ちた、などというとんでもない嘘を教えたのがそもそもの原因で。それを彼女は信じてしまったと――謎が解けた、道理であの時自分とプラターヌを見るマーシュがなんだか楽しそうだったわけだ!
しかし吹き込む方も吹き込む方だが、信じる方も信じる方だ。そしてザクロがプレサンスと腕を組んでいた理由も判った。彼もある意味、マーシュの悪戯の被害者だということか。それならば今度の食事会のメニューをザクロの苦手なシュカの実尽くしにすることは撤回しよう、それはやりすぎだ――もっとも、意趣返しを企んだ相手が想いを譲らないと決めたことをズミは知る由もなかったが。

ズミはそこまで考えることができる位に回復してからどうにか言った。
「あなたはマーシュにかつがれたんですよ…いいですか、わたしがプラターヌ博士に恋などするわけがありません」
そうきっぱりと言えばプレサンスは驚いたようで。
「ええっ!好きになったわけじゃないんですか?あんなに見つめ合ってたじゃないですか、だから仲よくなったのかなって思ったのに」
「それは…ですからとにかく違います、信じないでくださいそして忘れてください!よろしいですね?」
「え…はい、分かりました」
そう強く言えば、プレサンスは半信半疑という顔をしながらもコクリと頷いた。ひとまずは信じてもらえたか、ズミは胸をなでおろす。
だが同時にどっと疲れてきた。人のいないところへ来ていて良かった。もし誰かに聞かれていたら、絶対にあらぬ噂を立てられていたに違いない。まあ、あれだけ見つめ合い…というか睨み合いを繰り広げていたのを、仲が良いと勘違いをするなどプレサンスらしいといえばらしいが。大体男同士が見つめ合って恋に落ちるなど、一体どこの三文耽美小説の筋書きですか、あなたを巡って睨み合っていたのです――と言えたらいいのに。でも、とんだ誤解が解けたはいいが今度は疲れのせいでズミは言葉が出てこなかったのだ。

ぐぅ。
「あ」
不意にプレサンスの胃袋が鳴いた。
「えへへ、お腹鳴っちゃった…なんだかお腹がすいてきましたね」
「そうですか…」
「そういえばさっきすぐそこにコイキング焼きの屋台があるの見えたんです。丁度いいですね、買ってきまーす!」
また先ほどのようなことになったら、とズミが制止する前に元気よく駆け出していく背中。ほどなくして今度はファンに見つからなかったか、コイキング焼きを両手に戻ってきたプレサンスはもう1匹の方を彼によこしてきた。
「はい、ズミさんもどうぞ。なんだか疲れてるみたいですけどそういう時には甘いものですよ!もし食欲なくても半分なら」
「…が」
「え?何かおっしゃいました?」
「いえ…何も。いただきます」

結局コイキング焼きを受け取ってしまった。ただ食べたかったからというより、彼女の好意を無にするのもなんだと思ったからで…いやもういい、言い訳はそこまでにしておこう。
疲れさせたのは誰です、全く。ズミはそう心の中で呟いた――でも。こうして近くにいられるなら、この天真爛漫さに振り回されるのもいい。そう思ってしまうなんて、これが惚れた弱みというものか。ああ、自分は本当に彼女に参っている。
この…痴れ者、が。ほの温かいコイキング焼きを食んで、他でもない自身を静かに罵倒する言葉と一緒に胃袋の中へ押し込んだ。



目次へ戻る
章一覧ページへ戻る
トップページへ戻る


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -