新春恋情鞘当絵巻 逢瀬算段波乱之帖(三ノ巻)


――わたしは起きながら夢を見ているのでしょうか。だとしたら、これがいつか聞いた白昼夢というもの…?境内を進みながらザクロは声に出さずに自問した。
「人すごいですねえ」
「そうですね」
プレサンスの一声一声がとても近い。よく通る声は声が飛び交う雑踏の中でも心地よく鼓膜を撫ぜる。
そうです、これはやはり夢に違いありません。彼は先ほどの問いに自答した――だって意中の相手がこんなに近くにいてしかも腕まで組んでいるなんて、夢でなくてなんだというのだろう?

ザクロはプラターヌとズミが鞘当を演じている間に一抜けを果たしていた。だが今に至るまでの展開がめまぐるしすぎてまだ完全には受け入れられていないままだ。やはり、これは夢…もう何度目になるかという問答を心の中で繰り返した。でももう分かっているのだ、これは嬉しい現実だ。プレサンスの存在を五感で認識してとうに分かっているのに夢のようで。微かに香ってくるシャンプーの香り。見下ろすと自然と目に入る白いうなじに妙に視線が吸い寄せられてやまない。前方不注意ですよ、と内心で自分を叱りながらこれまでのことを半ば夢心地で振り返る。

今日レンリ神社へ来たそもそものきっかけはマーシュがズミと自分に送ったホロメールだった。彼女は『プレサンスはん今度初めて着物着てレンリ神社行く言うてはるからうちが着付けするんよ。もーっと綺麗にならはるやろから見に来はらない?』と言っていた。これまでプレサンスに会う機会にほとんど恵まれていなかったから、その言葉に誘われてせめて一目見たくなったのだ。
はたして腕を掴まれたりされたけれど人ごみを乗り越えてきて良かった、と心から思った。プレサンスに久々に会うことができたことはもちろん、着物姿は本当に美しかったから。
しかしよかったのはそこまでだった。一緒に来たズミは、なぜかそこにいたプラターヌと何やら近付くのも恐ろしくなるような雰囲気で激しく火花を散らし始めてしまって。彼らもプレサンスを好いているという噂だし(自分もそうだが)きっと彼女を巡ってのことなのだろうが、ザクロはものの見事に出遅れてしまった。プレサンスと行動を共にしたいとは彼とて思ってはいたのだけれど。
しかしこれからどうしましょうか、とふと考えた。ズミとプラターヌの睨み合いは終わりそうにない。でもここは歩道だ、決着を見るのを待って溜まるのでは後から後から人が通るのだし通行の妨げになってしまう。それにプレサンスとマーシュになんだか申し訳なくなってきたのだ。折角今日のために着飾って、そしてそれを手伝ったのだから早く色々見て回りたいだろうにと。
少し考えてから、こういう時は意見を訊いてみるのが一番だと思い至った。同行者がいる以上自分1人で決められることではないのだし。できることなら私もプレサンスさんと…いいえ贅沢を言ってはいけません、こうして会うことがかなっただけでも幸せだと思わなくては…でも私もズミさんやプラターヌ博士のように積極的になることができたなら――ザクロは悶々としながら、面白いショーでも見ているかのように楽しそうなマーシュと、自分を巡る争いが繰り広げられているのだとは夢にも思わず2人を不思議そうに眺めているプレサンスにそっと尋ねてみた。
「これからどうしましょうか…あのお2人のこともそうですし」
「仲良さそうでいいですね。でも博士とズミさんが仲良しだったなんて初耳です」
プレサンスは事態をまるで飲み込んでいないようでのんびりと言う。マーシュはほんまにこの子お鈍さんなんやから、という表情を浮かべつつもどこか楽しそうだが、彼の問いかけには思案する様子を見せながら口を開いた。
「そやねえ、…」
だがそこまで答えかけて何かを思いついたらしい、途端に大きな瞳に悪戯っぽい光が宿る。プレサンスは特にどうとも思っていないらしく続きを話し出すのを待っているが、ザクロはマーシュのその表情を目にして直感した。あれは何か企んでいる時の顔ですね…浅くはない付き合いだ、彼女が浮かべる表情の意味することは言葉を聞かずとも大体分かる。何を言い出すかと思っていると。
「どうしたんですか?」
「プレサンスはんちょおお耳貸して、大事なお話があるんよ。あとザクロはん堪忍な、すこぉし下がっとって」
「はーい」
「…?分かりました」
気にはなるが、そう言われたからには少し離れるほかない。マーシュは軽く詫びた後ザクロが少し後ろへ下がるのを見届けるや、何やらプレサンスに耳打ちを始めた。囁く方の顔は何だかキラキラしていて、それを受ける方はふんふんと頷いた、かと思えば次の瞬間には目を丸くしていて。あまりジロジロと見るのも良くないとは分かっているけれど、その動きの変化を鼓動を高鳴らせていちいち目で追ってしまう。
思えばプレサンスを好きになったのは表情が豊かだからだ。ザクロはその反対で決してそれが豊かではない方だと自覚している。人は自分にないものを求めるというそうだが、それは少なくとも彼にとっては本当だった。
きっかけはジムに挑戦してきたときのことだ。自分の力だけであの高さを登って。そして頂上に着いた時に見せた、到着した直後こそ苦しそうに息を切らしながらもすぐに心の底からの達成感にあふれ晴れやかになった顔の美しかったこと…つい今しがた見たことのようにはっきりと覚えている。そしてその時こそがプレサンスを恋い慕うようになった瞬間だということも。
回想しながら内緒話が終わるのを待つ。下がっているように言われたし聞き耳を立てるのも趣味が悪いのでしないが何を話しているのだろう。視界の端に映るズミとプラターヌの睨み合いはまだ続いている――と。

「ザクロさん、ザクロさん」
「!?は、はい。どうされましたか」
プレサンスがいつの間に近くにいたものだから一瞬驚いた。「大事なお話」は終わったようだ。名前を呼ばれて返事をすると。

「腕、組みましょう!」

「…え?」
「だからあ腕!組みましょうってばー」
プレサンスは名案でしょう、と言わんばかりの顔でそう提案してきた。
しかし突然の誘いに彼は驚くばかりだ。目が点になってはいないだろうか。
「私は構いませんがどうしてですか」
確かに彼女は意中の相手。嬉しくないわけではないのだが、何分突然のことで理由も分からないので尋ねてみる。
「えっとー」
「待って、わけは言わんよし」
しかし耳打ちを終えてからは何も言わずにやり取りを見ていたマーシュが口を挟んできた。いつもより強い調子で言う彼女の言葉にはなんだか迫力があって。
「あっそうだった!と、とにかくいいじゃないですかー、ね?」
「は、はあ」
プレサンスは理由を答えずに急かすばかり。マーシュの相変わらず何かを企んでいる様子も気になる。
けれど、早く早くと言うプレサンスの勢いに負けて腕を差し出せばそのまま組まれて。そしてぐいぐいと前に引っ張られて歩き出さざるを得なくなったその寸前、何故かその場に残り視線だけ送ってくるマーシュの方を振り返った。どういうことですか、と尋ねる意味も込めて。
すると目が合った彼女は、いつもの作った笑顔ではない顔をしてウインクを投げてきた。声を聴いたわけではないけれど、その瞳は『おきばりやす』と言っていた…と思う。
そこで分かった。浅い付き合いではないのだ。もしかして、私とプレサンスさんを2人きりにさせてくださろうとして…?ありがとうございます。友人のエールに答えるように彼も感謝を込めて頷き返すと、そのまま参道を歩き始めた。
――そして、今に至るというわけだ。

「思ってたより広いんだな。コイン投げるところまで結構あるのか」
「沢山人が来るようになったから敷地広げたんだって。ちょっと前にニュースで言ってたわ」
そんな会話をしながら前を行く同年代と思しき前のカップルに続いて進む。プレサンスが腕を組んできた瞬間から今まで心臓は跳ねどおしだ。振りほどくわけにもいかないのでそのまま組み続けているけれど。もし手をつないでいたらいつも指先に付いているチョークのせいでせっかくの晴れ着を汚して大変だろうしこれでいいのかもしれないとも思った。だが、そういえばよくよく思い返せば出かける前に念入りに手を洗ったのだ。自分の頭がこんなにぼんやりしていたとは。いくら恋煩いの相手がそばにいるからといって。
しかしザクロは困っていた。降ってわいた幸運のおかげでこうして隣に収まったはいいけれど…話題がうまく見つけられないのだ。プレサンスが時折今日はけっこう暖かいですねとか漏らす言葉に相槌を打つくらいしかできない。彼女は沈黙が気にならないらしいが、気まずい。何か気の利いた言葉が口からぽんぽん飛び出てくれればいいのに。しかし元からそう饒舌ではないし、第一プレサンスとこんなふうに1対1で話すことなど今日までほぼ無いに等しかったではないか。それなのになぜ?もしかしてプレサンスさんも実は私のことが…そう考えたが自惚れは良くない、と即座に打ち消した。

さて、自分のあれこれはいいとして。話題に使えそうなプレサンスについての記憶を懸命に掘り起こそうとする。彼女について知っているのはアサメタウン出身で、プラターヌ博士に選ばれた図鑑所有者の1人にして先代のチャンピオンで、マーシュと彼女のプロデュースする服に憧れていて、だからその影響でフェアリータイプが好きで…あとは…。チャンピオン就任中は趣味だとか好きな食べ物のことだとかもインタビューで言っていたし見た記憶もはっきりとある。なのに、こう緊張しては思い出せることも思い出せそうにない。頭の中は今にも破裂しそうだ。何も言わないのでは気まずいのは分かっている。でも見つからない。何か、何か言うことは――その時あるものが目に入った。
「ニンフィアのチャームがこの神社の名物だそうですよ」
遠くにある看板に書いてある内容を見て傍らの少女に伝える。頭1つ、いや2つ分くらい抜けているザクロには人ごみの中でも遠くを見るなど造作もないことだ。案の定フェアリータイプが好きなプレサンスは目を輝かせて食いついてきた。
「そんなのあるんだ、欲しいなあ。どこにあるんですか?」
「ここから右手の…ただこのあたりからはわりと遠いですね。お参りを済ませてから行くのが良さそうですが」
「そうですよね、せっかくもうちょっとなんだし。それにしても背が高いっていいですねえ」
「ふふ、そうですか」
本当に羨ましそうに言われてこそばゆく思っていると。プレサンスはふと思い出したように話し出した。
「…でも思えば、今までこうしてお話しすることってなかったですよね。シャトーでバトルできないかなあってお誘いしても会えなくて」
「そうですね…はい。せっかく案内状を頂いても、あいにく大会や外せない用事と重なってしまうことが多かったのです。ままならないものです」
誘いに否と返さなくてはならない歯がゆさをもう何度味わったか。遠くないのに会えない残念さを。
今まではそのことを言う機会もなければそもそもの距離も遠かった。――でも、今年こそは。ザクロはプレサンスに会ってもう一度思った。やはり、私はプレサンスさんが好きなのです。豊かな表情を誰より傍で見たいのです。友人のおかげで新しい年の初めから幸先は悪くない。何より背中を押してもらったからには、負けられない。
「今年こそは沢山バトルできたらいいですね」
「はい、今年こそはお相手いただきたいもので…ああ、お参りする場所に着きましたよ」
話しているうちに社殿の前に近づいていた。巾着といったか、口を絞る小さなハンドバッグから財布を取り出しながらプレサンスは何をお願いしますか、と訊いてきた。
「望むことはひとつ。欲張るのはいけないことですから。私の願いはあらゆる壁を乗り越えることです。バトルでもスポーツでも」
―それから特にプレサンスさんとの間にある高い壁を…とは、どうにも気恥ずかしくてついぞ口には出せなかったけれど。
マーシュさん、背中を押してくれてありがとうございます。そしてプラターヌ博士とズミさん、あなた方もプレサンスさんが好きなのですよね。でも博士はもとよりズミさん、友人のあなたであってもプレサンスさんへのこの想いを譲ることだけはできそうには――いいえ、譲りません。今日、そう決めたのです。
恋心をはっきり自覚しながら投げたコインが賽銭箱に吸い込まれていくのを、静かな誓いをかけながら見送った。



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