イレギュラー


定時退勤を決め、いつものように宝食堂へ。昨日もそうだったから今日も……とはいかなかった。残務が溜まってしまったので少し残業したし、行き付けは設備点検が行われるので休業だったから。おまけに、真っすぐ帰宅しないでセルクルタウンへ寄るなんて、アオキのプライベートでは初めてのことでもあった。

そもそもアオキはルーチンが好きだ。いつも通り、変わらないことが好ましい。変化はときに刺激にもなるけれど、強すぎるそれは願い下げだと敬遠して今まできた。仕事でもそう、頼むメニューもそう。それを良しとしていたはずだったけれど。

「プレサンスさんは自分を“イレギュラー“にしてしまう。なのに、それも悪くないと思っている……」

帰路、靴底と歩道のコンクリートの舗装がお互いを少しずつすり減らし合う。他でもない自分自身に対する驚きの混じった呟きを、人通りの少なくなった道に放った。そしてその行方を気に掛けもしないまま、アオキは左手に目をやる。崩れないよう偏らないようにと大事に捧げ持つ手提げ箱は、ムクロジのマーク入り。一方、右手にぶら下げた黒いビジネスバッグ――あるときお上に「アオキ、その鞄は何年ものなのですか?」と(暗に「手入れするか買い替えるかなさい」と伝えるために)訊かれたこともあるくらいの――だけが、いつも通り。

9歳ゆえスマホロトムを与えられていないポピーは除いて、ポケモンリーグ職員、それからジムリーダー同士は仕事上の必要から全員連絡先を交換している。アオキはそうして把握していたカエデの連絡先に連絡を入れ、彼女の店で最近人気の商品を確保してもらい、受け取った帰りなのだ。

付き合い始めたばかりの恋人であるプレサンスと、この間まだまだぎこちない雰囲気のなか通話をしたとき。「ムクロジのタマンチュラの顔の形した新作クッキー、手作りだから一つ一つ顔が違うのとっても可愛いんですよ。けどなかなか買えないねって友達と話してるんです」――残業の終わり間際、彼女のそんな話が急に思い出されて、叶えてやりたくてたまらなくなったというそれだけで。アオキは、自分を突き動かしたこの感情は「からげんき」とはきっと違うものだという確信があった。予想外に増えたというか自分で増やしたこの重みさえ、プレサンスを思うなら軽く感じる。

おまけに、アオキはこれまで飲食店では当然自分の分、それも好みのものだけしか頼まなかった。なのにプレサンスを思い浮かべるが早いか、電話口でカエデに「二ついただきたいんですが」と言っていた。自分もプレサンスの好むものを知りたい、分かち合いたいという気持ちで。果たしてカエデは“丁度良かった、ご用意できますよ〜“と快諾してくれたので、アオキはこれ幸いとすぐにLPで決済しておき、退勤後は宝食堂ではなくムクロジへと受け取りに赴いた。そして「またお願いしますね〜、アオキさん」と、猫背に優しい声をかけられながら店を後にしたのだった。

大人の同僚二人は、アオキが職場に出張の土産を買って来るタイプではないのをとっくに知っている。ポピーには、オモダカの命令のもと買っている……というか遣わされることもあるが。お上の「味は美味しく見た目は可愛く、しかしポピーが虫歯にならず栄養があるお菓子」という基準をクリアするものを指定され、しかも人気なので数時間並ばされたっけ。同僚の説教を寝て聞き流し、やる気の無さを指摘されても反省一つせず、その通りだと開き直ったのに。

広い場所でそらとぶタクシーを拾って乗り込む。アオキは一旦クッキーの箱をそっと置き、スマホロトムを引っ張り出すや鞄は適当に放ってから安全ベルトを着用した。運転手が「んじゃ出しますね」と告げると、イキリンコたちが宵の空へと飛びあがり機体が浮いた。その間にも、アオキはいそいそとプレサンスの番号をスマホロトムで呼び出して発信する。長考するまでもなく、声が聞きたいと思い立ったのだ。

「どうも、プレサンスさん。突然すみません」
「もしもしアオキさん! こんばんはー電話くれて嬉しいですっ」
「この間話していたムクロジの菓子、買えましたんで。ついては今度お持ちしたいんですが、次に会える日を伺いたいと」
「やった超嬉しい〜、スケジュール確認しますね。私は〇日と、あと×日かなあ」
「なるほど。自分は……」

喜びに弾むプレサンスの声に釣られるみたいに、アオキもいつもの仏頂面が緩んで仕方ない。スケジュール調整もこちらから先に持ち掛けて、彼女との時間を確保しなくては。取引先からのアポ取を「それはまた追々」と答えるに留めておき、具体的に決めないでのらりくらりとやり過ごす手は使いたくないから。

「では、△日にまた」
「はーい」

――イレギュラーは、望んで起こすものなら悪くない。アオキはそう考えながら、デートの約束を取り付けた日を素早くスケジュールアプリへ登録した。



目次へ戻る
章一覧ページへ戻る
トップページへ戻る


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -