トレジャーハント・sideB


藍色の学び舎にチャイムが響き渡った。パルデア地方から招かれている特別講師の授業が終わった合図だ。抑揚も愛想も無い、ボソボソとした声が時折聞こえる程度のこの1コマは、始まって10分足らずで寝落ちする生徒が続出していた。ただ一人、スグリを除いては。

「ご清聴ありがとうございました。では失礼」
「ありがとうございました!」
「「「ありがとうございましたー……」」」

アオキとか名乗ったその講師は、元から丸まっている背中を更に丸め、申し訳程度にペコリと礼のような動作を見せる。そして、多くの生徒たちのおざなりな挨拶を気にするふうでもなく、プロジェクターの電源を落とし、持ち物をくたびれた鞄にさっさとしまうなり、風のように教室から去って行った。

「ふぁ……つまんなすぎて寝ちまったよ」
「表情死んでね? あのアオキって先生。もっとこう、にこやかにやってくれよなっつー感じ」
「それ。てかマイク使ってんのに声小さすぎだし雑談も全然無いし」
「やっぱ座学って退屈〜バトル学受けたかったのにな」

好き勝手に感想を言い合いながら、生徒たちは寮やホームルームなど、めいめいの目的地に歩き出していく。特別講師の授業は選択必修となっているが、人気があると抽選になる。そしてこのクラスは、パルデアのアカデミーでバトル学を担当する講師の授業が第一希望だったものの、選外となった生徒たちが振り分けられた先。希望が叶わなかったばかりか、実技授業の多いこの学園ではあまり馴染みの無い講義形式だったことに加え講師の一本調子ぶりも相まって、お世辞にも好評とは言えなさそうだ。

でも……俺は、つまんなかったとは思わねっけど。スグリは周りの声に心の中で反論した。アオキの講義のテーマは「タイプの使い分けについて」。彼は「わけあって、立場と状況に応じてノーマルタイプとひこうタイプを使い分けています」と授業の最初に自己紹介をしていたが、手持ちの顔触れを色々と変えてきたスグリにとっては参考になる話ばかりだったからだ(あと、髪型が似ていることに少しだけ親近感が湧いてもいた)。

ペチャクチャと喋る一群の後ろに付いて、スグリも一人教室を後にする。残って駄弁るつもりらしい数人からの視線を背中に感じながら。少し前の彼の苛烈な言動の印象がぬぐえないらしい、恐れや敬遠混じりのそれ。過去に周りにしでかしてしまったあれこれは無かったことにはできない、時間をかけてなんとかしていくほかはない。全員に許してもらえるなんて虫の好いことは考えていないけれど、それでも。



プレサンスとの出会い、「鬼さま」をめぐる真実と彼女との間に生まれた葛藤。吐くほど鍛えてブルべリーグチャンピオンに上り詰めるもその座をプレサンスに明け渡したあと、エリアゼロの奥底で見付けた「秘宝」。故郷と家族と、遠路はるばる訪ねてきてくれたプレサンスの友人たちが毒されてしまった奇妙な騒動――スグリを大きく変えた諸々の出来事の余波も落ち着き、そして、彼の中で折り合いが付いた感情が、いつしかプレサンスへの好意になってしばらく経つ今、スグリは大忙しだった。自ら望んで除名してもらったブルベリーグに一からまた挑みたいが、勉強もまた大事だし、休学中の遅れを取り戻し追い付くためにできることはなんでもしなくてはいけないから。(アカマツのノートはスグリのそれと似たり寄ったりだったので)タロの言葉に甘えて彼女の去年のノートを貸してもらったり、もちろん自分でも授業中は講師の一言一句を聞き逃すまいと集中したり。そんな時間の終わった今は、エネルギーを脳がただただ欲しているのを感じる。チョコレートとサイコソーダでは補えそうもない渇きだ。

というわけで、今から向かうのは食堂。今日はこの間、リーグ部の部室でプレサンスと取り付けた約束の日でもある。アカデミーでしか取れない必修の単位をほぼ取り終えているプレサンスは、その余裕を活かしてそれなりの頻度でブルーベリー学園と自分の学校との間を行き来するようになっていた。2校は単位互換制度も設けているので、それぞれの学校に留学して取った単位も認められるのだ。

「今度来たときの昼ご飯さ、プレサンスも良かったら一緒に食堂で食べるべ?」
「うん! 使いたいとは思ってたけどブルレクこなすの楽しすぎて、結局ずーっとテラリウムドーム籠ってお腹空いても食堂戻らずにサンドウィッチ作って済ませてたし。そういえばさ、やっぱりイッシュでも最後に載せるパンって飛んでどっかいっちゃうんだね」
「わやー、パンってそもそも飛ぶもんだったか」
「いっ今の忘れてそうだよありえないしそんなの! ぶ……ブルーベリーの食堂、久々。よく考えたらこっち来て初めてスグリと会ったとき、カキツバタさんに食堂デート誘われて行ったんだけどあれ以来」
「デート!?」

思いがけずサンドウィッチ作りが下手なのを知られてしまい、それを誤魔化そうとプレサンスはとっさにとある思い出を引き合いに出した。だが自分以外の男の名前(それもよりによってカキツバタ!)、おまけに「デート」という言葉まで飛び出したものだから、スグリはそこに思わず反応してしまう。あのときプレサンスとカキツバタが隣同士の席にいたの、そんな誘い方してたからだったべ? ねーちゃんも言ってたけど本当に油断ならないやつ。一方、そんな彼の胸の内を知らないプレサンスは「ゼイユも『デートって何!?』って訊いてきたんだよ、同じとこ気になるのやっぱ姉弟なんだねー」とおかしそうに笑ってから、「オモテ祭りではりんご飴スグリのおごりだったし、今度は私の番ね。結構どうぐプリンターに使っちゃったけどまたBPたっぷり貯めとく」と提案してきた。

しかし。そこでスグリは「次も俺が出すから」と返した。「でもなんかもらいっぱなしで悪いじゃん」とプレサンスに遠慮されても、どうにかこうにか――いつかの口下手ぶりが嘘のように――「誘ったの俺からだし」とか、あれこれ色々な理由を挙げ「そこまで言うなら」と彼女に首を縦に振らせた。そうまでしてランチを一緒に食べるだけでなく、そのBPまで出すことを納得させたのにはとあるわけがあるのだ。

学校という閉ざされた空間の中では、その学校ならではのブームが時々起こるもの。サバンナエリアのどこかに祀られている激辛大明神像にチョリソー詰め合わせを供えて手持ちポケモンの火力が上がるようにする、とか。そんなこともいつからか始まり、注目され真似され支持され、やがて下火になってゆくのが大方のお約束と決まっている。

ただ、あのボリュームの学園ポテトを、自分から誘って(当然その分のBPも声をかけた方持ちで)好きな相手と自分の二人以外、誰にもつまみ食いされずにシェアして食べ切れば公認カップル成立――ブルレクに無くて、成し遂げたところで1BPぽっちも獲得できないそんなことだけは、想い人のいる学生たちにとって絶好のチャンス。だからこそ、いつまでも廃れはしないのだ。

「スグも早いとこプレサンスと浮いた話のひとつくらいある仲になりなさいって。この間ペパーにパルデア組にそういうの無いのか探り入れといてあげたけど、なんとかドンにみんなで乗ったときすっごい浮いたって話しかしてなかったからチャンスよ!」

スグリの頭の中にふと響くのは、今日プレサンスを誘ったそもそものきっかけになったゼイユの言葉。「くだらない」と切り捨てていただろう、あのときまでなら。でも、今は。姉にプレサンスへの淡い想いを見透かされていたのは癪だけれど、彼女との仲を進展させたいのは確かなのだ。

「ねーちゃんに世話焼かれてやっとこさプレサンスと話せた林間学校のときの俺とはもう違うべ、これからは自力でもっとプレサンスと仲良くなるからほっといて」
「ふーん。2−3のナゲハシとかいう野球部のコと、それからあの頭フワ男もプレサンスのこと学園ポテト二人っきりシェアに誘おうとしてた、ってお邪魔虫出現注意報教えようと思ったけど余計なお世話だったかしら」
「! それ本当?」
「やっぱり、あんたそういう情報疎いと思ってた。ネリネとあたしのブルべリ情報網に感謝しなさいよー、プレサンスはパルデアに丁度帰るとこだからって断ってたみたいだけど次は案外乗っちゃったりして」
「うう……そうなったら嫌だ」
「いっちょまえに色気付いたスグが気にしないわけないわよね? ね?」
「気にはなる、けど『いっちょまえに』とかの部分要らねっから! うざい」
「なんですってー!?  まっ、とにかくそういうわけでお面取り戻し隊改め、プレサンスとカップル成立し隊ここに結成だかんね!」

女子は大体恋バナというものが大好きらしい。どうせねーちゃん、その話で誰かと盛り上がりたいだけだよな。弟の恋路をやたらと乗り気で応援する姉の魂胆は、きょうだいだから良く解る。けれど、それに反発している間に、影がちらつき出していたライバルたちに譲ってやることになってしまったら……そんなこと、させない。そうした気持ちに急き立てられるように、スグリは気が付けばあっという間に食堂に着いていた。



こうして目的地に足を踏み入れると、スグリは半分近く席が埋まっている中からでもすぐにプレサンスを見付け出した。同じタイミングでプレサンスも彼の方を向き「スグリこっち取っといてるよー!」と手を振ってくれる。その傍らには鬼さま……片手にサンドウィッチを持つオーガポンもボールから出されていて、ご主人を真似るみたく「ぽにっ」と鳴いてみせる(食堂では小柄なポケモンを1匹だけなら出して構わないことになっているのを、プレサンスは誰かから聞いたようだ)。いじっていたスマホのカバーは、前にスグリが贈ったもの。あれプレサンス使ってくれてんのか、わや嬉しいな。俺も次に帰省したときこそスマホロトム買ってもらって、連絡先聞いて、そんでカバーはもちろんプレサンスとお揃いのやつ付けんだ……目の前の光景とこれからの想像に、スグリの顔が緩みかけた――寸前。プレサンスの隣にいるアオキの姿と、おまけにその直後にできたての学園ポテトが二人の前に置かれたのを見たとあっては、スグリはそんな表情を引っ込めるほかなかった。

先ほどとはうってかわって眉根を寄せながら、スグリはプレサンスとアオキのもとへつかつかと歩み寄っていく。なんでアオキさん、席ほかにもたくさんあんのにちゃっかりプレサンスの横にいんだ? そりゃあパルデアの人同士知り合いだからなんとなく、ってなっただけかもしれねっけどさ。しかも学園ポテト頼んでる、俺が先にプレサンスと一緒に食べようって誘ったのに。スグリは「待たせちまってごめん、プレサンス」と声をかけながら勢いよく椅子を引いて座る。ガタン、と思いのほか大きな音が立った。オーガポンが目をパチクリしながら、手にしたサンドウィッチにパクリとかぶりつく。

白と青が基調の制服の群れの中に混じる黒一色のアオキは、ひときわ目立っている。色のことだけでなく、この空間に大人がいるという点でも。ブルーベリー学園は、生徒の自主性を重んじる校風だ。言い換えれば教職員は最低限しか干渉しないとも言える。また、教職員と生徒それぞれの過ごすエリアはきっちり線引きがなされてもいて、両者が顔を合わせる教室と職員室を除けば、教職員が部活の部室とか食堂とかを訪れることはほとんどない。シアノ校長がたまに気まぐれでぶらりとやって来ることがある程度で。

「……」

周りの生徒たちもチラチラと目線をやりつつ訝しげ。留学生ブルべリーグチャンピオンと、見慣れないポケモンが隣にいるとなればなおさらだ。だが、当のアオキはどこ吹く風と言わんばかり。もくもくと学園定食を食べることの方が大事なのだろう。うどんを勢いよくズゾゾと啜ったかと思えば、ジェリービーンズを箸休めとばかりに数粒ポイポイと口に放り込み、そんな繰り返しであっという間に皿はからっぽになった。

「アオキさん相変わらずたくさん食べますねー、ビレッジサンドも食べてきたってさっき言ってたのにすごい」
「出張先で食べるものはなんでも美味いんでいくらでも口に入ります。そしてプレサンスさんと食えばなお美味い。というわけで、プレサンスさんもご一緒に学園ポテトいかがでしょうか?」
「すみません実は友達とこれから食べる約束あって。あ、こらモモワロウってば! 今日はオーガポンの番だよ。次は出してあげるから戻ってね」

ポテトのつまみ食いを企んだらしいモモワロウがいつの間にかボールから出て来たが、プレサンスに諭され、オーガポンにも険しい顔で「がお!」と叱られ、渋々といったふうにボールへ戻っていく。だがそんなやり取りのさなか、小さな声でアオキが「アポありでしたか。ボリュームの多いポテトを一緒に食べてプレサンスさんと過ごす時間を引き延ばしたかったんですが」としごく残念そうな顔で呟いたのを、スグリは聞き逃さなかった。

まさか、アオキさんもプレサンスのこと……スグリにそんな考えが思い浮かぶがすぐに打ち消した。さすがに無いべ、何歳も離れてんだから。でも一方で、あのプレサンスのことだから大人だって夢中にさせちまうんだろうな、という的中してほしくない予感もしてしまうのは何故だろう。

それはさておき、二人だけでシェアするという計画はあえなく潰えてしまった。あのとき「プレサンスと俺だけで」ってちゃんと言っとくんだった、とスグリは後悔しつつ、BPを払って学園ポテトをオーダーして待ち時間をプレサンスと話して潰すことにした。お腹がいっぱいになったらしく、うつらうつらし始めたオーガポンをボールに戻したプレサンスがアオキに向き直る。そんなふうにプレサンスがちょっとの間自分以外を見ることさえ、スグリには癪だった。

「そうだアオキさん。この子、友達のスグリです。合同の林間学校で知り合って」

プレサンスの様子からして、アオキとは既に何度か会ったことがあるようだ。バトルもしただろうし、それに何より聞捨てならないのが「相変わらず」とプレサンスが言ったことだ。つまり、二人は自分より先に何度か食事を一緒に摂っていたということではないか。ズルい。俺より先にプレサンスと。スグリはここではっきりとアオキに対抗意識を持ったけれど、外部の大人なので一応は挨拶くらいすることにして押さえ付けた。プレサンスの前で、下手なところは見せたくない。

「どう、も」
「ああ……どうも。先ほどお会いしましたね」
「二人とも実は知り合いだったり?」
「さっき取った授業の先生」
「へー、アオキさんの講義ってどんな感じ? 私タイミング合わなくて受けたこと無いんだ」
「タイプの使い分けについてです。プレサンスさんがご希望でしたらいつでもマンツーマンで対応します」
「……」

食堂が混み始めたのと、学園ポテトは量が多くて出されるまでに時間がかかる分、スグリはプレサンスの左横に座るアオキと嫌でも接しなくてはならなかったが、その時間が長くなるにつれこの講師に段々と腹を立てつつあった。

何せ、アオキはことあるごとにスグリの発言に食い気味に被せて来る。自分とプレサンスの距離の近さを暗にアピールするかのように。例えば、どうやって知り合ったのかを訊いたらこんな調子なのだ。

「自分とプレサンスさんはジムテストのときに宝食堂で出会ったんです」
「タカラショクドウ?」
「ホウエン地方のお料理とか出るの」
「そして、自分とプレサンスさんの行きつけでもあります」

何だこの人、大人げねえ。役に立つ授業をしてくれても、ジムリーダーと四天王を兼ねるほど実力があったって、それはそれ、これはこれだ。そこへお待ちかね、スグリが頼んだ学園ポテトが運ばれてきた。

「……奇遇ですね。自分もプレサンスさんと学園ポテトをいただこうとしていたところです」
「俺が先にプレサンス誘ったんだべ? 邪魔しないでくれっかなあ」

――ライバルよりもっと一歩でもプレサンスに近付こうとする思いがそうさせたか。山盛りの学園ポテトのトレー二つが、左からも右からも彼女の目の前にずずいっと差し出される。入れ物がぶつかり合って立てた音は、プレサンスという宝物をめぐって争い合う「トレジャーハンター」たちの鞘当のそれだった。



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