暴食


「アカデミーでは教えんのですか。プレサンスさん」

自他ともに認める平凡なアオキの自宅、シンプルな部屋には、彼が何より良しとする普通とは言えない雰囲気が漂い始めようとしていた。アオキは座っていたソファ――プレサンスを招くことになり急いで買ったのだ――を立ち上がって、一歩、二歩。招いた相手、もとい想い人のもとへと歩み寄りながら問うけれど。

「えっと……?」

アオキが近づいて来るのに気が付いたプレサンスが向き直った。小さな手に収めているのは、先ほど彼に譲られたばかりのいくつかのテラピースだ。その顔には「アオキさんはどうしたのかな」と心底不思議そうに書いてある。アオキはじわじわと興奮が沸き上がるのを感じながらも、一方心の中で少しプレサンスを憐れんでもいた。

「顔見知りであっても男の家に軽率に上がるもんじゃないということです」
「それってどういう」
「……やはりですか。すべてを察しました。自分はプレサンスさんに男だと思われていないことも、あなたがこれから何をされるかわからんのだということも」
「わ、わかんないですよー全然!いきなりどうしちゃったんですか」

プレサンスはどうにか応えながらも、ノココッチに「へびにらみ」をお見舞いされた気分だった。よく見知った目の前のアオキが実は別人なのではないかと思ってしまう。彼が言いそうにない言葉に、取りそうにない行動に、驚いて体が動かない。今日ここに来たお目当てのテラピースを譲ってもらったあとしばらく世間話をしていた折、そろそろ帰ろうかなと思った矢先にそんなことを言われては。今のってどういう意味?なんでアオキさん、近づいて来てるの?それに、「何をされるか」って――?疑問だけがプレサンスの頭の中にアプリのプッシュ通知みたいに浮かんで、消えずにグルグル巡っている。

同時にプレサンスは、初めて本能に警告されているのを感じた。帰った方が良い?だってアオキさんとこれ以上いたら、危ないかもしれない……でも具体的に何がと考えられるほど、プレサンスは生憎まだ大人ではなかった。



友達っていうのとは違う。けど、まあまあ仲良しの大人のひと。プレサンスの中でのアオキの位置付けはそんなところだ。

視察のあと、2人は初めて会ったジムテストのときのように食事をともにするようになっていた。ごく緩い繋がりだったのだ、連絡先を交換する前までは。相手がいるかどうかはフラリとチャンプルタウンあたりへ行ってみてのお楽しみで、出くわせば並んで一緒に(99%プレサンスが話して1%アオキが応えるといういびつなバランスをおかずにして)、いないなら一人で食す。プレサンスは両親やアカデミーの先生、同級生たちとも違う世界に生きるアオキが、少ない口数の合間で垣間見せてくれるあれこれを感じ取るのが楽しいのだ。ちょっとした社会科見学気分、とでもいおうか。彼の方から話しかけてくる場面は圧倒的に少なくても、プレサンスが例えば「チルタリスの羽根のお手入れってどうしてますか?この間育て始めたコがシャンプーとっても苦手みたいで、できたらあんまり使いたくないなって思うんですけど。でも綺麗好きな種族じゃないですか、ストレス溜めちゃったらかわいそうだし」とか訊けばちゃんと的確に答えてくれるのもすごい。それに現金な話だが、アオキについて行けば目新しく美味しいものに出会えることもまた、背伸びがしたい年頃のプレサンスには嬉しい(断っておくが、アオキにご馳走してもらったのはジムテストの日が最初で最後だ。「私、自分の分はたくさん稼いだLPあるので!」と伝えておいたら、アオキは「……わかりました」と尊重してくれた。プレサンスは彼が不承不承そう言ったことを未だに知らないけれど)。アカデミーで教わることまた違うあれこれへの好奇心を満たしてくれる人生の先輩、と言っても良さそうだ。ただ、それだけ。年上として尊敬はできても、愛しているという意味での好きとは違う。異性として意識したことなんてちっとも無かった。

一方、アオキは逆だった。プレサンスと出会う前なら一人でも美味かった宝食堂の食事が、知り合ってからというもの、むぐむぐと料理を頬張る彼女の姿が無いだけで何かがどうも足りないと思ってしまう。その昔パルデアの古本屋を賑わせたとされる本によれば、この地方の各地にはひでんスパイスなるものが眠っているというけれど、ともに食せば飯をなお美味くしてくれて、それでいてときに「刺激が強すぎる」プレサンスは、アオキにとってはまさしくそうだった。3度のバトルと、それ以上に重ねた食事を共にする機会の中で、心に強く、強く焼き付いていた彼女への思い。いつしか、プレサンスがいなければ満たされないことをはっきり自覚してしまったのだ。

知り合ってしばらくの間、アオキはプレサンスのためにも深く関わるな、と自らを戒しめていた。誘い合わせず連絡先も把握せず、偶然行き会ったときだけ相伴にあずかってから店の前で解散。絶対に、アカデミーの寮の門限に間に合うように。自分の立場とか世間体とかの前に、彼女が年上の男と何やら個人的に親しくしているらしいと噂が立ち、それを聞き付けて注がれる好奇の目に彼女が晒され傷付けられぬように。男としてではなく大人として、自分よりもプレサンスの未来を思えばこそ、そうして適度に距離を保ち続けるべきだった。

それなのに、どうしてアオキの口は勝手に動いてプレサンスを食事に誘い、彼の手は連絡先をほとんど押し付ける形で渡してしまったのか。どんどんプレサンスに病みつきになっていくのを、止められなかった。彼女と逢える期待、それから塩むすびは、タスクを捌いて挑戦者を下す何よりの原動力になった。その2つを思い浮かべてさえいれば、下から数えた方が早い営業成績をお上に静かに詰められたって、普段にまして平気の平左でいられた。そして退勤後は、プレサンスがぱあっと顔を輝かせながら「アオキさーん!こっち空いてますよぉ」と大きく手を振り呼び掛けてくれる日であってほしいと、店に赴く道すがら鼓動を高鳴らせて願ったものだ。あの、親の鳥ポケモンが巣に帰って来たのが嬉しくてさえずる雛を思わせるなんとも可愛らしい様子。「アカデミーで何々があったんです」とか「誰それとこんなことをしました」とか、軽やかに語る声で癒されながら、重要な接待相手の前でも愛想笑いの一つも浮かべないのに、好物を前にしたときに負けないほど緩みそうになるくらいだ。

ただ……パルデア中を駆け巡り飛び回って、自分の知らないうちに、どこのバンバドロの骨とも知れない相手にも輝きと眩しさをきっとプレサンスは惜しみなく振りまいてやまないのだろう。そう考えるだけでアオキは怖かった。いつ、それに惹き付けられた誰かに食われてしまうことか。彼女の反応や振舞いから、自分のような年上を意識していないのはとっくに解ってしまっていた。アカデミーの同級生か、これからジムテストで出会う奴か?

そんな不安を拭うには――その誰かに自分がなってしまえ。許されない意志を固めて実行に移してしまうしかないと、彼の中の何かに煽られて。

すると同じころ、決定的なきっかけが舞い降りたのだ。プレサンスが「テラピースってどうしてあんなに手に入らないのかなあ、レイドバトルしてもいつも多くて2つか3つだし。ウェーニバルのテラスタイプを変えてあげたいのに」と零すから「よろしければ自分の家でいくつかどうですか。持て余してるんで」――こう言ったときに舌なめずりを押さえるのがどれだけ大変だったことか――と誘えば、プレサンスはいとも簡単に食いついていそいそとやって来た。アオキが輝くものの陰に後ろ暗い何かを隠していたなんて、夢にも思わずに。



「あの、わっ、私帰ります!お茶ごちそうさまでしたテラスピース要らないですさよならっ」
「!」

そのままいざ、食ってしまおうとしたけれど。アオキの思惑に感付いたか。分けてやった輝きのかけらを床にパッと放り出し、ソファの脇に置いてあった荷物を掴むが早いか、プレサンスは逃げ出すホルビーのごとく玄関へと駆け出した。「まきびし」みたいに彼の足元に転がるそれに、アオキは今の自分の状況と重ねてしまいそうになる。

直視したくなくて、プレサンスを逃がしたくなくて、テラスピースを踏まないようにしながらアオキはすかさず彼女を追いかけ始める。プレサンスは廊下で一瞬立ち止まって左右をキョロキョロと見回してから、玄関口へとまた急ごうとしていた。この事態に驚いたせいで出入口を見失いかけているのかもしれない。

しかし、ここはプレサンスにとっては初めて訪れる家でもアオキには勝手知ったる自宅。構造は言うまでもなく知り尽くしている。おまけにこの家はパルデアの多くの家とは違って土足で上がってはいけないカントー式玄関にしていて、家に上がる前に靴を脱ぎ履きするようになっているからそこで多少は足止めがかなうはずだ。そうしたことによって生じる隙という名の「おいかぜ」に乗って、アオキはプレサンスよりもずっと大きな歩幅で彼女に迫る。あと1メートル、50センチ、たやすいことだ。

「きゃっ」

靴を突っ掛けたままでも良いからプレサンスはとりあえず先に外に出なくてはというつもりだったらしい。だがそんな状態の彼女が玄関の鍵を開けてドアノブに右手を伸ばしもう少しで届く寸前、アオキはウォーグルが獲物を捕らえるときのようにプレサンスの左手首をしかと捕えたのだ。彼女は「いや!離して!」とジタバタともがいて、力を振り絞って逃げ道に続くドアへまた近寄ろうとする。けれど、捕食者となったアオキが魔の手を緩めようとはしないせいで、プレサンスのつま先は宙を蹴るばかりだ。

「男に力で勝てるとでも。無駄なことを」

その様子をチラと見たアオキが低い声でボソリと呟くと、プレサンスが「ひ」と微かに息を漏らす。同時に体も震え出していた。見知った相手の豹変ぶりがそうさせたのか。彼はプレサンスを連れて玄関口から遠ざかり始める。今度の行先は寝室だ。手持ちを出して応戦されたり、誰かに連絡を取られたりしないように奪い取られたカバン、脱げ落ちて転がった靴……何より、プレサンスの気持ちを置き去りにしたまま。

アオキにとっては幸いで、プレサンスにとっては不幸なことに、部屋のドアは開け放したままだった。まずは彼女がベッドの上に倒れ込む形になるようにすかさず押すなり、アオキはその上から覆いかぶさって彼女をうつ伏せにさせた。プレサンスのくぐもった悲鳴ごと押しつぶす勢いで。彼女は唯一動かせる足をばたつかせて抵抗するが、アオキはそこの間に自分の足を差し込んで開かせ意味をなさないようにしてやった。

それでもあの手この手で起き上がろうと、プレサンスはなおも諦めない。体と同じように震えている小さな声で「離してください」「いたい、です」と訴えかけてもくる。それでもアオキは聞き入れるつもりは無くて、このお転婆をどう大人しくさせたものかを考える方が忙しかった。逃がすわけにはいかない、いつものように長考する余裕は無い、状況が許さない……するとそのとき、ふとアオキの頭に名案が降って湧いた。このメスを早く喰らってしまいたいという欲と本能が、既に彼を乗っ取っていたのだ。

まずはマットレスを押して上体を起こし自分を跳ね除けようとしているプレサンスの右手首、お次に左手首の順で掴み、アオキはその両手首を左手だけで拘束した。男の掌ならたやすく纏められるほどに細いのだ、難しくはない。込められた力にプレサンスが苦痛混じりの吐息を漏らす。振り払おうとしてはいても、その力は明らかに先ほどより弱まっていた。それを良いことに、アオキは少し手間取りつつも、右手だけで外したベルトを使ってプレサンスの手首を後ろ手に縛り上げていく。一番内側のベルト穴に通したあと、抜けないようにすれば……。

――ついにプレサンスは、アオキの鳥籠に囚われてしまったのだ。



(サンプルは以上です。続きはC103にて頒布予定の作品にてお楽しみください。)



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