花の守り人


パルデア地方が誇るアカデミーは全てが一流だ。教師陣も、設備も。そしてその環境が優秀な者を惹き付け、やがて芽吹いた彼・彼女らの才能が大輪の花を咲かせるのは当然のことで。

「本当に本当におめでとうございますですよ、プレサンスくん」
「ありがとうございますー、でもハッサク先生やみなさんのご指導があったからですっ」
「ずいぶんと大人な対応を。プレサンスくんの豊かな才能が成し遂げたことでしょうに」

放課後の美術室。整頓された本棚には、ハッサクの旧知であるコルサはもちろんのこと、各地で活躍するアーチストたち――例えばアローラ地方のフェアリータイプ使いや、イッシュ地方のむしタイプ使いのジムリーダーとか――の作品集が並ぶ。壁に飾られた絵や制作途中の像に絡むのは油絵具の匂い。そして、そこに交じり合っていたお喋りの声や、窓辺のベストポジションに陣取って転寝をし続けているフカマルの寝息が少しずつ溶け去って、一人また一人、寮の自室あるいは自宅へと帰っていく時間。今日も最後まで残って制作と片付けを終えたプレサンスを呼び止め、ハッサクは先日彼女が成し遂げた快挙について賞賛の言葉を興奮気味に掛けていた。この教え子は、パルデアで最も伝統と権威ある美術展で、初めての応募にして史上最年少で特選に輝き、殿堂バッジを授与されたばかりなのだ。

「あの美術展は、ご存知の通り美術一筋数十年の大人でも佳作を獲得することさえ大変難しい。満場一致で特選に決まったのはコルさんの『投げやりのキマワリ』以来二人目ですが、しかしアカデミー在学中の学生が選出されるのは初めてですよ。これぞ竜は一寸にして昇天の気あり、あるいは藍より出でて藍より青しと言うべきか! 更にこれを見てください、あの『芸術のより道』に『プレサンスくんという若き才能を新たに迎えたパルデア美術界の未来は、テラスタルがごとく輝かしいものと信ずる』と審査委員長じきじきの講評まで……ああなんと素晴らしい、っ……う゛ぉぉぉ゛ーん!!!」
「フカ!?」
「ハッサク先生ったら私より感激してる。あららフカマル先輩びっくりして起きちゃいましたよー?」
「そ、それは申し訳ない……ですがっ!! 小生どうして感涙せずにお゛れましょうかぁぁ」

自分の担当する科目に邁進し、才能の花をどんどん大きく咲かせつつある教え子。美術特待生としてプレサンスが転入してきてしばらく、ハッサクは純粋に才能あふれる生徒として彼女を評価していたのだ。見守り導く師として。

――だというのに今となっては。プレサンスに対して「ある感情」が芽生えてしまって以来、どうしたことだろう。そして、彼女が自分の……。

「私なんてまだまだですし、あんなすごい賞をもらえたなんてまだ信じられないな。特に納得のいく色合いがどうしても出なくて何度も相談した箇所ありましたよねー、あれだってこの間の先生や、あとコルサさんのお話にヒントをいただいたおかげで描けたんですから」
「……」

まただ。感激の波が段々と引いていくのと入れ替わりに。

いつからだったでしょう? プレサンスくんの目が(キャンバスや静物画のモデルならまだしも)異性の方を少し見やっているのを目撃するだけで嫌でたまらなくなったのは。プレサンスくんの口が他の男の名――たとえコルさんであっても――を紡ぐのを聞く度癪に障るようになったのは。ハッサクはそんな自問自答を続けそうになったが、そこで目の前のプレサンスとの話に集中しようと話題を変えることにした。

「いやはや、プレサンスくんは才能に加えて、そのひたむきさや向上心というまた何よりの宝をいくつもお持ちですね。きみは探さずとも既にその手の中に全て収めているのやもしれませんですよ」
「ありがとうございまーす。でも私の宝探しはまだまだ続くったら続くんです! 探したいもの、じゃなくて探したい人がいるので」
「……そうなのですか?」

「探したい人」という言葉に反応しかけたが、ハッサクは何気なく相槌を打つような調子で訊ねる(その間にフカマルの瞼はまたトロンとし始めていた)。プレサンスは一瞬迷うような素振りを見せつつも「実はあの……ハッサク先生なら言っても良いかな」と呟いたあと、こう続けた。

「親に引き合わされるよりも先に、許嫁の方を見つけ出したいって思ってるんです」

その顔には、キラキラとした乙女の初々しさがあっという間に描き出されていく。ハッサクの胸をどれほど焦がしてやまない「傑作」だとも知らないで。

「実は私の一族ってなんというかちょっと変わってて、掟やしきたりみたいなのがもう笑っちゃうくらい何十個もあるんです。それで長老に……まあそれって祖母なんですけど『長であるわたくしが許すまでは、しきたりに基づいてそのお相手の顔も名前も教えません。プレサンスも来るべき時の来る前にゆめゆめ知ってはなりませんよ』ってきつーく言われてて」
「それはなんとまた古風な」
「ぶっちゃけ時代遅れですよねー。もし顔を合わせる前に知ったら一族全員不幸になるなんて言うけどそんなのありえないのに。だけどとにかく、そんなに隠されるからこそかえって気になっちゃうし、そのいつかなんて待ってらんないじゃないですか」
「……いかにも。そんな“宝”であればこそ、見つけ出したいと熱望するのが人の性でしょうね」
「それで、何とか知りたくて祖母や親戚の話をこっそり立ち聞きするとかしてようやく掴めたのが、美術の素晴らしい才能がある方みたいだっていうことぐらいなんです。だから私も美術を頑張ってたらその分いつか繋がりができてー、知らされる前にそのひとが誰なのか自分で解き明かせるかもしれませんし」

うっとり遠くを見つめて「どこにいるどんな人なんだろー。私の描いた作品すごいねって言ってもらえるかな?」と独り言つプレサンス。ハッサクはそれを見守るのを装って何も言わず、しかし内心で一人彼女に問いかける。

プレサンスくん。きみはどんな顔をするのでしょうか。そのまなざしを受けるべき相手はいずことも知れないどこか彼方ではなく、目の前にいるのです。 
そう、きみの祖母上と小生の父が、これまた一族同士の盟約に則り取り決めたその相手こそが……誰あろう小生なのですよ、と明かしたなら。



ハッサクは解っている。自分が解っているフリをしているということを。プレサンスが婚約者に逢いたがっているのは、ただ純粋な好奇心に突き動かされてのこと。その昔、アカデミーに寮一棟を寄贈したと記録があるほどの一族に生まれたばかりに。恋の「こ」の字も知らぬうちから決められた相手がいるのを当たり前だと思わされてしまっていて、恋心との区別がまだ付けられていないゆえだと……本当は、プレサンスに好かれていることに、歓喜のあまり感激が止まらなくなりそうなほどだというのに。

「長々引き留めて失礼しました。それではプレサンスくんまた今度」「はーい、さようならハッサク先生」 そんな挨拶を交わした後、プレサンスは先祖の建てた女子寮へと帰っていく。その横顔をハッサクは遠く美術室の窓から見送っていた。「校内でのスマホ通話や動画の視聴は控えめのボリュームですること」というのは、自主自律を重んじるアカデミーの数少ない、そして近年加わったばかりの校則だ。とはいえ、プレサンスはそれを今ばかりは忘れてスマホロトム(ちなみにケースは色とりどりのリボン柄だ)での通話に夢中のようだった。歩きつつガゼットも使いこなすというのは、新しいテクノロジーにすぐ馴染む若者の成せることなのかもしれない。

1秒ごとに笑い、2秒して憤っても、3秒経てばまた笑顔。それはまさしく花の咲くよな……プレサンスの移ろう表情はハッサクの目に眩しく映る。もしも真正面から見たのなら、直視できたかどうか。

ときにプレサンスくん、ずいぶん楽しそうで何よりです。ですがその相手はもしやとは思いますが異性ではないでしょうね?小生というものがありながら……。

胸の奥、届きはしない言葉を、教え導く者としての意識でもって塗り潰して。フカマルをボールへ戻し、最後の仕上げとばかりに思いを封じるように美術室を施錠して、ハッサクは帰路に就きつつ考える。歩きスマホは危険ですし、周りにも十分注意を払うようにと、次に会ったら伝えなくては。

そう、決して、画面の向こうにいる誰かが羨ましいなどというわけではなく。



発端は数か月前のことだった。プレサンスを憎からず思っていることを、薄々自覚し始めた時期でもあった気がする。

「今……なんと」
「で、ですから。かの一族のご令嬢たるプレサンス様ならば釣り合いが取れ申し分ないと長が仰せなのです」

「学校には来るな」と告げてあるというのに、なお性懲りもなく再び姿を見せた親族の女性。今度は何を言い出すやらと思えば、なんと「ハッサク様に相応しいご縁談が纏まりました。長も先方もたいそうお喜びで、我らが一族にとりこの上ないお話です」などと、ハッサクの意向もお構いなしにつらつら述べているではないか。

それを右から左へ流しつつ、ハッサクは感激を覚えたときとは正反対の、全くの無表情のまま親族に相対していた。今度は外堀を埋める手段に出るつもりですか、我が父ながらなんと諦めの悪い。チリが面接で追い返してくれるので、さすがに学習してリーグの方には寄り付かなくなったが、そうなるとやはりアカデミーを訪れて小生に接触を図ろうとするのは必然。いよいよクラベル校長にも改めて話を通し受付スタッフにも頼んで、この親戚を出入り禁止にする措置に踏み切るべきか……。

そう考えながら、相手にするつもりは無いのだと示すため踵を返しかける。だが、そこで彼女が告げてきた「プレサンス」という名前に、ハッサクは思わず足を止め振り向いてしまっていた(彼の反応は親戚の意表を突いたらしく、彼女が驚いたらしいその間に撒くことができたのは幸運だった)。

廊下を早足で突き進んで職員室へと駆け込む。この部屋があるのは職員証あるいは学生証が無ければ入れないエリアだ、ここまで来れば親戚も今日は諦めて引き上げるだろう。ちょうど次の授業のためにこれから出て行くらしいキハダが「押忍! ハッサク先生も早歩きトレーニングを?」と訊ねてきた。「まあそんなところです」などと誤魔化して、グラウンドへと駆け出して行く(その後ろから「キハダ先生、廊下は歩いて移動してください!」と注意するタイムの声がしたが果たして届いていたかは怪しい)キハダを見送ったのち。ハッサクは自分のデスクに辿り着き、先ほど聞かされた衝撃の事実に様々な意味で鼓動を高鳴らせていた。

気持ちが、揺れている。家を飛び出して以来、家を継ぐ話をしに来るあの女性をまともに取り合いそうになってしまったのは初めてだ。この間ハルトに話して固まったばかりだったはずの「教師という天職を続ける」という決意が、率直に言えば――プレサンスのような若者なら「ぶっちゃけ」という表現になるのだろうが――ほんの少しとはいえ揺らいでいるのを感じたのだ。

気が付けば憎からず思っていた相手が、婚約者になる? それはつまり、師という立場ならば許されないことでも、例えば絵筆を取るプレサンスくんのあの華奢な手を、愛情を込めて握ることはもちろん、あの左手の薬指に夫婦のあかしを輝かせることができるという意味でもあるわけで。ハッサクはその光景をしばし思い浮かべ、年甲斐もなく顔を赤らめてしまった。

そんなことを考えたのは、親戚が姿を見せる直前に、教え子たちが連れだってパルデア十景を巡ろうという話をしていたのを耳にしたばかりだったのも要因だろうか。プレサンスは、スター団の中心的存在だったメロコやビワとも仲良くなり(プレサンスが転入してきたのは団がらみの一連のことが解決を見たあとなので、彼女は以前からいた学生とは違い先入観を持っていないのだろうとハッサクは推測しているが)、今度三人でセルクルタウンのオリーブ大農園へ行くのだと聞いたときは「天候に恵まれると良いですね」と笑顔ですんなり言えた。何かしらインスピレーションを得たらしい彼女らが、後日和気あいあいと合作に励む様子も誇らしかった。

……それに引き換え。美術部員全員(つまり男子生徒も一緒)で、ハッコウシティの夜景を見に赴くとなったときはどうだ。「夜となったら昼以上に気を付けて行ってくださいですよ」と注意を促した直後に「プレサンスちゃん、迷ってもぼくがエスコートしてあげるから!あとツーショも撮ろうね」などと誘いかけていた男子生徒がいたのだ。あのときは、あの彼だけ期待外れの景色を見て落胆してしまえばいい、といつの間にか願っていた――。




あれから、それなりに長い時間が経った。プレサンスの才能は枯れることもなく、だからハッサクはその分惹き付けられていく。それでも彼は悩んで、悩んで、悩みぬいて結論を出した。

やはり小生は教職を全うする。後悔は無い。プレサンスくんを大事に想う気持ちはきっと変わらずとも、同時にその決断をするということは彼女を娶らないということも指す。いかに想い想われども、小生はプレサンスくんにとっての「宝」などであってはならない。その逆はあり得ても……と。

婚約の破棄は、ゆくゆくは伝えなくてはならない。面罵でも何でも甘んじて受けるつもりだ(父や親族が急かすのもかわしつつ、先方には「プレサンスくんにはどうか学校生活をのびのびと楽しんでほしいのです。小生との話を進めるのは卒業後からでも遅くはないはずですよ」などと伝えれば「うちのプレサンスのことをそこまで考えてくださるなんて」とむしろ喜ばれたが)。この学び舎をいつの日か彼女が巣立っていくまで、その花が、才が、枯れることのないよう。芸術の道を雑念無く軽い足取りで歩んでほしい。

とはいえ。そういう決断をしたからといって、プレサンスと男子生徒が親しく接しているのをこれからは全く気にしないということにはならない。

だから、例えばある日の授業後には。

「きみ。すみませんがこの彫像を準備室まで運ぶのを手伝ってくださいですよ」
「ん……いいぜ。じゃあまたあとでなプレサンス」

チャイムが鳴って間もなく。マフィティフの被毛そっくりの色の長い髪をした男子生徒が、椅子から立ち上がるやプレサンスのもとへ近づこうとした。どうやら、彼とプレサンスの距離は最近縮まりつつあるらしい。

そこへハッサクはそんな相手に用があるのを装って、プレサンスに話しかけようとした前に割って入った。次は数学の授業に出る彼女が名残惜し気な吐息を漏らす。けれど、ハッサクはそれが聞こえなかったフリをしながら件の男子生徒を伴い遠ざかりつつ、思いを新たにするのだ。

花開いた才能が、これからも咲き誇り続けるよう「手入れ」は欠かさない。そしてそのためには、プレサンスという美しい花を荒らしたり摘み取ったりしかねないような悪い「むしタイプ」――主に、近寄る異性――から遠ざけてやる者……そう、いわば花の守り人であろうと。



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