Re”star”t~ぼくの、わたしの、ねがいぼし


窓辺に吊り下げられている、チリーンを模したガラス製の風鈴。その透明な胴体を通して光るは、えんとつやまの頂上よりももっと高い位置に流れる天の川。開け放した窓から、温泉の湧いている町らしく少し硫黄の臭いが溶けた夜風が吹き込む。それに揺れた風鈴は、種族の名前と同じ響きの澄んだ音色を奏でた――ガラルに渡ってからは、ほとんど耳にする機会が無くなっていたそれを。

そして、風鈴の音色のあとに続いて立つ音は。

「じゃ、あなたの……メジャークラスのジムリーダーとしての再出発を祝って。乾杯」
「乾杯」

ウェルカムドリンクとして用意されていた、地元酒造自慢の焼酎をなみなみと注いであるグラスの鳴る音。続けて、カブとプレサンスの声が重なる乾杯の音頭だった。

二人はクイッと杯を空ける。プレサンスの喉を、独特の風味がじんわりと焼きながら流れ落ちて行く。それを味わったあと、彼女は杯をテーブルの上に置き夫の横顔をそっと見る。

「……」
「どうしたんだい?プレサンス」
「んー……なんかね、思ったの。変わったものがあれば変わっていくものもあるし。でも変わらないけど変わったものも、けどやっぱり変わってないものもあるんだなーって」
「というと?」

妻の言葉を、当然ながらカブは不思議そうに受け止めた。

「今日知ったけど、散々こき使ってくれてたくせにお給料はオニスズメの涙だった元職場が倒産してて、シーキンセツも今じゃポケモンのための保護区になってたっていうんだから。ガラルで過ごしてると全然話入ってこなかったし、そういうの気にしてるヒマも無かったし。あのあくどいダイキンセツホールディングスのことだからまだてっきりしぶとく生きてるとばっかり……クスノキちゃんやツガちゃん、どうしてるかしら」
「元同期で同僚とは聞いているけれど、他の男の名前を出されるのは複雑だよ」
「ごめんごめん。もしかして妬いた?」
「うん」

プレサンスの口から他の男の名前が出て、カブは途端に面白くなくなり嫉妬の炎を燃やしそうになった。ただそれも、今度は彼女がお詫びの気持ちも込めてお酌をし返せば、たちまち「鎮火」するのだけれど。

「あと、変わったのってそういうことだけじゃなくて。カブ自身もね」
「ぼくが?」
「そうよ。第一さっきみたいに私に先にお酌なんかしてくれずに自分の分だけ真っ先に手酌するなり煽ってたでしょ昔は。でもって大体私の分はほっとんど残ってなかったんだから。まさしく典型的ホウエン男児ここにあり!って感じで」
「レディーファーストを叩き込んでくれたポプラさんのおかげだね……ともかくその節は、気が利かなくてすまなかった」
「ようやく気付いた?」
「反省しているよ」
「じゃあ許してあげるー、なんてね」

普段はキリリとした表情を緩め、謝るかのように軽く頭を下げたカブ。ふとした時に、不意にヘニャリと柔らかくなる。彼のそんな、変わらない表情の動きがプレサンスは好きだ。それを見られたことに加えて、焼酎のもたらす酔いのおかげか、彼女はにわかにおしゃべりになった。

「それにそもそも、前だったらそもそもああいうことも言い出さなかったはずだし、きっと私を誘うとか思いつかずにほっぽって一人ホウエンに行ってると思うけど。それをこうして声かけてくれたっていうのがさ。すごく嬉しい」

ローテーブルにお茶請けとして置かれているフエンせんべいの包装は、ガラルに発つことが決まったあの頃のパッケージのままだ。きっと味もそうに違いない。見るでもなく見遣ってから、プレサンスはぽつぽつと振り返った。

「ああいうこと」……そもそも、夫婦のふるさとであるこのホウエンの地を久方ぶりに踏んだのは、あの「無敵のダンデ」との勝負を終えた数日後にカブがしてきた提案がきっかけだった。

確かに、あのバトルにカブは敗れた。とはいえ、若き覇者との忘れがたき一戦に夫は何やら大いに得るものがあったらしい。思い詰めていたような表情をしていることが多かった彼は、その晩家に帰るなり、憑き物が落ちたような顔で、照れながらプレサンスに言ったのだ(夕食の支度中だった彼女は、あまりにも驚いたので危うく嫁入り道具に持って来た皿を落とすところだった)。

「プレサンス。ぼくはこれからの再出発のために、いまいちど原点に立ち返って、ホウエンを巡りたいと思うんだ。ぼくらの、出発点に。それで、その……一緒にまたついてきて、くれるかい」

そんなこんなで、カブとプレサンスはジムチャレンジのオフシーズンにホウエン地方を巡ろうということにして、まずはこのフエンタウンの温泉宿に投宿したのだった。


前もっての相談も無く、ある日突然「ガラル地方のポケモンリーグにジムリーダーとして招かれた、可能性を試したいから応じることに決めて正式に承諾の返事をした」とカブに言われたのは、もう十数年前。プレサンスが彼と結婚して数年後のことだった。

かくして慌ただしく準備を終えて渡った、初めてのことだらけの初めて踏む地で。夫は結果が出ずに思い詰めて、迷走して、「あれで炎のスターとか笑わせるよ。遠くから来て敗けっぱなしとはご苦労なこったな」「あの暑苦しいのも大概にすればいいのに」などと容赦ない声を浴びせられて。誰より誰かに勝ちたいのに、自分に勝てなくて。

プレサンスもプレサンスで悩まされた。焦った。
力になりたいという思いと、そうなれない歯がゆさ。夫ならいつかきっと抜け出せるはずという考えと、その「いつか」が見えない焦り。それに、パパラッチに「カブ選手が連戦連敗中ですが奥様の今のお気持ちは!」などと、無神経極まりない突撃インタビューに何度苛立ったことか。

それでも、カブがここで終わるトレーナーではないのをプレサンスはもちろん解っていた。遠い異境の地で、目に見えて不調の真っ只中にある夫とギクシャクしても、彼を信じ続けた。青天の霹靂の決断だったとはいえ、愛した人の決断を見届けたいと思ったから、離れるつもりもなかったのだ。

「あっそうだ短冊だけど。何書くかあなたは決めた?」

プレサンスはふと存在を思い出したそれを、カブの目の前に示してペンと一緒に渡した。

星の形をした、赤や黄色の短冊。これもガラルに移り住んでからは久しく触れる機会の無かった七夕のサービスだとかで、仲居によればこの時期の客室に置いてあり、玄関先の笹に自由に飾れるという。とはいえまずは温泉に浸かりたかったし豪華な夕食を楽しみたかったし更に一杯やりたかったし、後でもいいよね、ということになったのだ。

「いざこうして前にすると……うーん」

短冊を見下ろし、何を書くか腕組みをして悩み始めたカブ。その腕はやっぱりいつ見ても引き締まっていて、そしていつもプレサンスをドキドキさせてやまないのだ。

それにしても。今はお互いお揃いの浴衣を着ているのに、夫はどうしてこんなにも色っぽいのだろう。アルコールのせいだけではなく、プレサンスの体は火照る。カブの体には、まだ負ったばかりの火傷の痕が見え隠れしている。この温泉は火傷に効くっていうし、効果が少しでもあればいいな。プレサンスはペンのキャップを開けてそう願いながら、これも短冊に書こうかと思いつつ、でも他にも思い浮かぶことをつらつら述べて行く。

「願い事、かぁ。私は久々にビードロやポロックも作りたいし、あとコンテスト見て、ミナモデパートやカイナ市場でショッピング!ジムのみんなへのお土産たくさん買わなきゃ。それにバトルハウスってとこも気になるから行きたいの、久しぶりにタッグバトルもしたいわ」

そこまで言ったところで、プレサンスはこれは願い事と言うよりこれからしたいことだと気が付いた。ねがいぼしかジラーチか、願う相手はどうあれ短冊に書くようなことじゃないわ……そこまで考えた時だった。

「プレサンス。いいかな、聞いてほしいことがあるんだ」
「なぁに?どうしたの改まっちゃって」
「短冊に書くよりもこれだけは。願うよりもぼくが自分で叶えたいしきみにも伝えたいと思って」

すると、そこにはプレサンスに向き直り、背筋をいつも以上にシャキッと伸ばし――そして、顔をきっと酔いではなく、他の何かで赤く染めたカブがいた。ペンのキャップはもう閉じてあるし、短冊は白紙のまま。何やら唐突に改まった雰囲気になったけれど、プレサンスは彼に応えるように自分も姿勢を正して、次の言葉を待つ。カブが大事な何かを言い出すときには、いつも大体こうなのだ。

「プレサンス。きみもさっき言っていたように、確かに変わったもの、変わっていくものもある。だけど、変わっていないものもある……ぼくにとってのそれは、プレサンス、修行を死ぬまで続けようという思い、そしてこれからもきみと一緒にいたいという気持ちだ。もしもあの伝説みたいに、天の川を隔てて離れ離れにされたなら。泳いででも、熱さで干上がらせてでも、きみのもとに帰って来る。本当にありがとう」
「どういたしまして。こっちこそありがとう、私だって同じ気持ちよ」
「カブっちゃったね!」
「さむっ」
「寒いなら……」
「ん」

カブの手が、負ったのはずっと昔なのに一番重いから痕がまだ薄っすら残る掌を向けて、プレサンスの腰のあたりへ意味深にスッと回される。解るのだ。それだけ一緒に年を重ねてきたから。そしてこれからもそれは「変わらない」。

「それで。どーするつもりなの、女房燃え上がらせちゃって」
「わかるね?」
「もう」

熱視線を交わし合って、カブとプレサンスは囁き合う。答えになっていないようだけれど、彼らにとってはなっているのだ。妙に艶めかしい動きでしなだれかかった妻も、それに火を点けられたけれどまずは受け止めた夫も、体がとても熱い。お互いのとくせいが一緒に「ほのおのからだ」になったかのように。



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