卒業


窓の外に見えるのは、講義棟とツタの絡まる講堂に図書館、中庭には同級生との記念写真の撮影に忙しい学生たち、彼らが呼んだのだろうアーマーガアタクシーが近づいて来る様子。そして、ずっと奥に見えるはナックルスタジアムの塔だ。

その主であるキバナは、壁を背にしたプレサンスを囲い込むかのように、彼女の顔の横に両肘をついて顔を近づけていた。いつものヘアバンドにパーカーとハーフパンツというカジュアルな服装ではなく、最新のパターンのスーツの上からアカデミックドレスを纏った、学位授与式に学生総代として出席するに相応しい出で立ちで。

「ん……」

唇が重ねられて、ややあって離れて行く。

「こういうことは研究室ではナシって約束だったでしょ?キバナ君。飛び級で、しかも首席で卒業するあなたがそんなに悪い子だったなんて。ナックルユニバーシティ始まって以来の大スキャンダルになっちゃうわ」

嬉しい、けどね。そんな心のうちが声になる一歩手前で踏み留まりながら、プレサンスは窘めた。でもその声には、眼差しには、目の前の教え子にして秘密の恋人を愛おしく思う気持ちがどうしても溶けてしまう。

「解ってますって、プレサンス教授」
「本当に?」
「本当ですよ」

クスクスと笑うプレサンスに、キバナもつられて同じ表情になった。垂れ目のまなじりが下がって、バトル中に闘志を燃やしている時の目とは正反対だ。

これがたとえばムードあるバーからの帰り道、家に着くまで待てなくて唇だけでも先に重ねたかったから少し路地裏に入って……というシチュエーションだったら“映えた”だろうか。

でも生憎、周りに広がる光景と二人のムードはとても不釣り合いだった。ペーパーレスの進んでいくこのご時世なのに、まだ電子化されていないからノートパソコンの横に積み上がった諸々の資料の山。そろそろ漂白が必要だと思ってはいるけれど先延ばしにしてばかりいるマグ。その横には、ナックルユニバーシティの校章が金で箔押しされた、まだ真新しい学位記――プレサンスとキバナがいるこの部屋は、彼女の研究室なのだ。

宝物庫をジムチャレンジの場にするのが、ドラゴンジムの開設以来の伝統だった。加えてもう一つの伝統として、ジムリーダーはナックルユニバーシティで宝物庫に収められたものの修復や保存について学ばなくてはならない、というものもある。そのために入学したこの学び舎での経験は、彼に様々なものをもたらしてくれた。知識も、それだけでなく愛しい人も。

「……“卒業”なんだよな。長かった」
「そうよ。おめでとう」

キバナは噛みしめるように、本当にそうなのかと念押しをするように問いかけてきたあと、ポツリと零す。プレサンスは彼の口にした「卒業」に込められた意味をちゃんと理解しながら、真っ直ぐ彼の方を見て頷き返した。大学生からの卒業の日でもあるが、秘密の恋人同士からの卒業ということなのだと。

「プレサンス教授、オレにしとけばいいんですよ」

発端は、プレサンスがこれまで数年間付き合っていた相手に別れを切り出されたことだった。彼女は顔に出していないつもりだったし明かす気もなかったけれど、落ち込みは隠しおおせずにいた。

そこへ文献を借りるため研究室を訪れてきたキバナは、いつもの様子と違うことに気が付き「どうしたんですか」と訊ねたのだ。プレサンスはうっかり素直に「彼氏と別れた」と答えたので、理知的だが隙が無いと思っていたプレサンスがふと弱いところを見せたことに、キバナは無意識のうちにグッと来て、アプローチが口をついて出たのだ。
(ただ、その日が間の悪いことに丁度4月1日だったのもあってプレサンスには本気にされず「シュートシティの時計塔の文字盤がデジタル表示に変わるっていうのと同じくらい冴えてるジョークね」と返されたけれど)。

とはいえ、教授と学生という立場上、色々と気を遣わなくてはいけないことは多かった。デートは言うまでもなく、対面しても周りに特別な関係だと感付かれかねない振舞いはしない、SNSでの匂わせはもってのほか。そういう取り決めをして気を付けてきたのだ。これまでにしてきた恋人らしいことといえば、個人的なメッセージのやり取りぐらい。

プレサンスは大学教授である以上学生と交際していることが発覚したらきっと問題視されるし、キバナだってその頃スポンサーにお堅い銀行が加わったばかりだったのでイメージ的に好ましくない。何より、在学中から指導教官と付き合っていると知られたら、学業を疎かにしていると思われかねないし、彼が卒業してから大っぴらにしようということになっていた。

だからこそ、キバナは早く彼女と過ごせるようになりたいという思いもあり、ジムリーダー業の傍ら猛勉強を重ね、1年で卒業することに成功したのだ。幸いそのおかげか、メディアに嗅ぎ付けられもせずSNSを賑わすこともなく、今日を迎えられた。

「卒業のお祝いディナーのお店、取ってあるわ。」
「サンキュー。それで……」

中庭のざわめきはまだまだ鎮まりそうにない。なのに、耳元で囁かれたからという以上に、キバナの声はプレサンスによく聞こえた。

「ディナーの後に来てくれるんだよな?オレの家」
「……!」

もう、キバナはプレサンスに敬語を使うのを止めることにした。これからは教授と学生ではなくなるのだから。その声色は、既に教え子から「卒業した」一人の雄のそれだった。プレサンスはその声に中てられて、咄嗟に返事をすることもできなかった。でも、言葉を口にする代わりに、顔を赤らめながらキバナの手をそっと撫でたのは、つまり、そういうことだ。



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