七草


もうそろそろ、だね。キッチンに立つカブは、鍋の中をしばし見つめたあと一人頷いた。中身はじっくりと時間をかけて炊いたお粥。これからここに具材である春の七草を入れて七草粥を作るため、ポケモンにわざを繰り出すよう指示を飛ばすタイミングを計るのと同じように「そのとき」を見逃すまいとしていたのだ。七草粥を毎年作るようになって十数年が経ったけれど、今年は特に力が入っていた気がする。年下の愛妻に初めて自分の故郷の味を振る舞うとあっては(作ったのはカレーではないけれど)リザードン級のものを出したいから。

いよいよ最後の仕上げにかかる。まず塩を少々入れて味を調える。次に傍の容器から、既に下ごしらえを済ませた具材、もとい春の七草を全て鍋に入れ軽く混ぜる。七草はセットになったものを近所のマーケットで買ったのだ。最近はこのガラル地方にも、遠くホウエン地方やカントー地方などの食材を取り扱う店が増えてきている。地元で買うよりはどうしても割高とはいえ、これまでは取り寄せるのにも結構労力が掛かっていたからありがたい。

「よし」

うん、我ながら今年もなかなかだな。プレサンスも喜んでくれるだろうか。味見をしたあと、カブは期待を込めながら鍋の中身を椀によそった。紅蓮の炎を連想させる朱塗りの食器二つに、米の白と具材の緑というコントラストはよく映える。カブにとってはお馴染みの、プレサンスにとっては新鮮な香りが、キッチンからダイニングへと広がっていく。

「お待ちどうさまプレサンス。出来上がったよ」
「はーい!これがナナクサガユっていうのね。美味しそう、ポリッジに似てる」

リビングでカブの試合の録画を見ていた妻は、夫に呼び掛けられるやテレビの電源を切り、いそいそとダイニングにやって来て席に着いた。ガラルで生まれ育った彼女は、この地方の似た料理を生まれて初めて出された粥に重ね、大きな青い目をキラキラさせる。

「ホウエンやカントー、それからジョウトやシンオウでも、これを今日食べると一年間病気やケガをせずに過ごせると言われているんだ。年末年始のパーティーでご馳走をたくさん食べて疲れた胃を休めるためでもあるんだよ」
「なるほどねー。確かにお腹に優しそうな感じする」

感心したように自分の話に聞き入るプレサンスに、こみ上げる愛おしさ。カブは目を細めて愛妻を見つめたあと、一緒に「いただきます」と唱えてから各々スプーンを手に取った。

「カブ、これ美味しいっ!ありがとう」
「それはよかった。ぼくもプレサンスが美味しそうに食べてくれて嬉しいよ」

実際、プレサンスの言葉はウソではないのだろう。顔を綻ばせながらスプーンを口元に運んでいる彼女のペースは、最初の一口目から全く落ちていないから。

――するとその時、夫婦の団らんに闖入者が現れた。

「まるやくで」

マルヤクデが、いつの間にかプレサンスの近くに寄って来た。しかも、興味津津といった眼差しで彼女を、もっといえばお椀を見上げている。

珍しいな、とカブは驚いた。家の中では手持ちをモンスターボールから出してやっているが、いつもならこうして食事中に姿を見せることも、人間の料理に反応を示すこともないのに。

実はガラルにやって来た最初の年に、カブはふと思い立って手持ち全員にスプーン一杯ほど七草粥を与えてみたことがある。ただ、大体「好きでも嫌いでもない」といったふうでそれ以上は欲しがらなかったし、マルヤクデに至っては見向きもしなかった。なので無理に出す必要もないと判断して、自分が食べる分量だけを作っていたのだ。

「ちょうだいって言いたいのかな?」
「プレサンスが美味しそうに食べているからね、興味が出たのかもしれない」
「じゃあそれなら」

プレサンスはスプーンを持つ手を休め、相変わらずじっと見ているマルヤクデをしばし見つめ返していたが、いいことを思いついた、とばかりに席を起った。カブがどうするつもりだろう、と見守る中、彼女は食器棚からもう一本スプーンを取り出して戻ると、それで粥を一さじ掬って。

「はい、マルヤクデもどうぞー。美味しいよ」
「♪」
「ねっ」
「……」

いわゆる「はい、あーん」というあれを、プレサンスはマルヤクデにしたのだ。

微笑ましいといえば微笑ましい光景だ。マルヤクデは体を揺らしている。あれはご機嫌なときの仕草だ。気に入ってくれたならいいんだ……。

いや、だが。カブはその様子を見ながら、心の中で嫉妬の炎がくすぶり始めたのを認めないわけにはいかなかった。スプーンをギュウと握りしめる。羨ましい。さっきのあれ、ぼくだってしてほしい。いや、いい大人がみっともない。

「ぼくもまだしてもらったことがないのに、マルヤクデに先を越されちゃったね……あ」

しまった。カブの顔は椀に負けないくらい赤くなる。心の中でせき止めておくつもりだった言葉がうっかり出てしまった。年甲斐もない、と笑われてしまうのでは――と、
でも、聞こえてきたのは嘲笑う声ではなかった。そして代わりに目の前に差し出されたのは、これまた新しいスプーンに載せられた一さじ。

「なんだ、カブもしてほしかったの!じゃあはい、あーんして」
「え……いいのかな」
「いいの!カブってシャイだから、思ってることとかどうしたいとか、なかなか言ってくれなくて私正直よくわかんないことあった……けど、今みたく言ってくれたのすごく嬉しいなって」

視界の隅に、マルヤクデがその間にのそのそとダイニングから去って行くのが見えた。あとはお二人で、ということか。

「はいどうぞ、カブ」

プレサンスが、スプーンをそっとカブの口元へ運んでくれている。まだ拭いきれない照れくささなんてどこかへ押しやってしまえばいい。彼は大きく口を開けて、ありがたく迎えることにした。



目次へ戻る
章一覧ページへ戻る
トップページへ戻る


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -