独染欲


ガラル地方でも指折りの大都会シュートシティの雑踏は、色々なものを受け入れてできている。ある時、とある事情から追い詰められ、電話ボックスに身を隠してやり過ごすことを思い立った男であろうと。また別のある日に、アイドルデビューを果たしたもののCDが8枚しか売れず、現実に打ちのめされた女であろうと。加えてこの街は、どんな思惑を持つ者たちであれ拒まない。だから。
“チャンピオンとビート選手がシュートシティ一緒に歩いてた! #チャンピオンを追っかけ隊 #チャンピオン #プレサンス #ビート #908”“10分くらい前にシュートシティ678番地のオムスターバックスで908とプレサンス見かけたんで追跡生配信予定!チャンネル登録よろ #ジムリーダーをウォッチし隊 #突撃ガラルのスター”
……そんな情報をSNSでやり取りしつつ、どこかの誰かより一つでも多くの「いいね!」を稼ごうと街中をウロウロしている人々さえも。そんな彼らは誰もみな、目も意識も揃ってスマホの画面に釘付け――そのせいで、お目当てのその二人が今居るカフェが、裏道に入ったすぐ傍にあるというのにちっとも気が付きはしないのだ。まるで、フェアリータイプの不思議な力のいたずらで、あるものだけを見えなくするベールに目が覆われてしまったかのように。
「……が、……それでね……ビートくんの……」
対面の席に掛けたプレサンスは、いつにも増して楽しそうだ。自分たち以外に誰もいない店内(今日は貸し切りにしてもらっている)を、彼女が「この間スポンサーさんからチョコレートビュッフェに招待されて、サイトウちゃんと一緒に心行くまで食べた」とか「カレーを作る時、ゴリランダーがスティックで叩いて、中身のしっかり詰まった質のいいきのみだけを選り分けてくれる」とか、他愛もないことを喋る声が満たしている。
一方ビートは頬杖をつき、プレサンスの話を聞くでもなく聞きながら店内を見回す。飽きたからではなくて、照れて彼女をまっすぐ見ることができないからだ。灯されているアンティークのランプは、お茶の時間を迎えようとしているこのシュートシティにあって、アラベスクタウンの様子を思わせるほの暗さ。けれども、気分が落ち込むようなそれではなく、どこか安らげる雰囲気を漂わせている。この店ご自慢のケーキを食べ進めるにも差しさわりはないし、何よりありがたいことに、赤みが差しっぱなしのビートの顔をちょうどよく隠してくれていた。
この喫茶店は、勧めてきたポプラが十代のころから贔屓にしているという店だ。マスターが選り抜いた紅茶と、ガラルだけでなくカロス地方、イッシュ地方の田舎に伝わる伝統のスイーツだけで勝負してこの道何十年になるらしい。
「このお店素敵だよね。ポプラさんに大感謝!雰囲気よくてケーキもすごく美味しいし、それに……はぁー、見てよホント可愛いマホイップって!ねっビートくん」
「あいにくぼくはあのバアさんの切り札だったポケモンをいまだに可愛いらしいとは思えませんけれどね」
「またそういうこと言ってー。可愛いものは可愛いでしょっ」
ここで「プレサンスのほうが可愛らしいですよ」とかなんとか、劇のセリフのように言えばプレサンスは喜ぶだろうか……と一瞬思ったが、芝居の役柄ならまだしもぼくのキャラじゃない、と引っ込めておいた。
ガラルは紅茶の国。そんなイメージを他の地方の人々にはよく持たれるが、最近はイッシュ地方発のコーヒーチェーンであるオムスターバックスが若者を中心に人気を集めていて、紅茶の人気は昔ほどでもなくなっている。そうでなくとも流行り廃りの激しいこの街で、紅茶と菓子だけで少なくとも70年は続いている証拠――もといマホイップたちの姿を、プレサンスは目を輝かせて見つめる。ほの暗い店内に灯りが二つ増えたかのようだ。
注がれる視線を気にすることもなく、マホイップたちは勝手気ままに振舞っている。リボンデコレーションの個体とキャラメルミックスの個体は、ビートとプレサンスの席から一番離れたあたりで追いかけっこに興じている。空いているテーブルや椅子の脚の間を静かにポテポテ動いていて、なかなか器用だ。カウンターの上にいるミルキィミントの個体は、二人が店のドアを潜った時から既に年代物のレジスターに寄り掛かってうたた寝をしていた。「マホミルが姿を見せたパティスリーは大繁盛が約束される」らしいが、昔やって来たマホミルたちが居つき、その子孫に当たる個体が今でもこの店で可愛がられているのだろう。だとしたら、この街でこのご時世にこの立地、そして無愛想な接客でも長らく続いてきたのも頷ける。実際、この店の菓子は素晴らしかった。ビートは甘いものが好きでも嫌いでもないがなかなかだと思ったし、プレサンスは「美味しい!美味しい!」と平らげていた(ポプラより二回りほど年下の女主人は無愛想ながら、客の反応に嬉しさを隠せなかったとみえる。先払いの勘定を受け取り、空になった皿を下げたかと思えば入れ替わりに「サービスだよ」と、モモンのみ入りクッキーの載った皿を押し付けるように置いて、バックヤードへ引っ込んでいった)。
ただ、ビートとしては二重の意味で癪だった。横目でマホイップたちを一瞥するだけに留めて、カップに注がれた茶の水面を覗き込む。エキスパートタイプのポケモンではあるけれど、マホイップは苦手だ。自分にピンクとクイズを叩き込んだ、頭の上がらない相手を思い出させられるから。今日は更に苦手になった、というより、気に食わなくなった。プレサンスに熱心に見つめてもらっているからだ。
紅茶は相変わらず香り高い。ティーセットは、ヤバチャやポットデスが宿っているのと同じ模様のもの。だがよくあるブルーではなく、ピンクとパープルの混ざり合ったような色合い。いつかポプラが言っていたことには、この色のものはとても珍しいらしく、彼女も同じものを持っているが最も大事なお客のある日にだけ使うことにしているとか。そんな色と模様のカップを取り上げ、ビートはお茶を一口含む。まろやかなアールグレイが、喋り過ぎたからではなく緊張で渇きかけだった喉を潤してくれた。
デートの機会に恵まれなかったので遅くなってはしまったが、チャンピオンとなったプレサンスがビートに想いを告げて来たのは、数か月前のことだ。エリートのぼくの隣に在るべきはガラルの新たな王者のみ、そう考えた彼は「まあ、いいですよ」と受け入れることにした。別に「堂々としてるビートくんがかっこいいなって、ファイナルトーナメントのときからずっと思ってて……それでその、お付き合い、してくれませんか、っ」――顔をピンクに染めてそう告げて来たところが可愛いからOKしたとか、そんなことは、ある。
まったく!ぼくもだいぶ「ピンク」に染められましたね。ビートは自分の変わりようを振り返り少し笑ったが、同時にそれがポプラの影響によるものでもあるのを思い出してしまう。そもそも今日だって。彼とプレサンスが初めてのデートの約束をしたことを、ポプラがどこからか嗅ぎ付けた。そして(それとなく、しかしもちろん有無を言わさず)「この店なんかどうだい」と言うので一応は訪れたわけだが、彼女が勧めるだけはあるように思った。そのあたり、やはり「染められて」いるということか。
それはそれとして。そもそもあのバアさんはいつ、ぼくがプレサンスと恋仲になったのを知った?お茶を啜り、クッキーを口にしてビートは一人訝る。ぼく経由で漏れたなんてことはありえない。知られでもしたら、絶対にジムトレーナーと一緒になってティータイムの話題にするに違いないはずだから黙っていたし、そんな素振りも見せた記憶はないのに……。
「ねえ、ビートくん?聞いてる?」
「ええもちろん」
プレサンスの声がして目が合う。ビートが反応すれば、その顔はぱあっと輝かんばかりになって「ねえねえ、これ見て」と、スマホロトムを彼の方へ寄越してくる。バトルコートに立つときは凛としているのに、二人きりのときはこんな表情をするんだ……可愛らしい。どうです、プレサンスがこういう面を見せるのはぼくだけなのですよ。ガラルに何万といるはずの彼女のファンに向かって、そう言い放ってやる様子を思い描くだけでなんともいい気分だ。ビートは促されるまま画面に目を落とす。
「これ、うちのお庭でこの前咲いたばっかりなの」
「ふうん。なかなか綺麗ですね」
「ありがとっ!アスターっていうお花なんだ」
写っていたのは、手入れが行き届いた庭の一角。日当たりのいいそこにはピンク色の大輪の花が咲き、横にはスボミーが2匹寄り添ってニコニコしている。彼が幼少期を送った施設にとりあえず、という感じで作られていた庭の、花壇などない寒々しい雰囲気とはまるで違う。花を愛でる趣味は持ち合わせていないビートだが、これだけは美しいと感じる。恋人が頑張って咲かせたからだろうか――ああ、プレサンスがそこで話を終わらせてくれればよかったのに。
「これね、ヤローさんから買ったお花の種から育てたの」
「は?」
花を見て和んでいた気持ちは、それこそ一瞬で散った。顔が引きつり始めるが、プレサンスは「ビートくんに見てほしくてね、ピンクのお花が咲く種類を選んでもらって、上手に綺麗に咲かせるにはどんなことに気を付けてどうお手入れしたらいいかたくさん訊いたんだ」とか「チャンピオンなり立てのころは、取材とかでなかなかハロンタウンに帰れなかったんだけど、最近はちょっと落ち着いたからようやく育てる時間が取れて」とかなんとか言っている。ビートの眉間にシワが寄ったが、きっと目に入っていないだろう。
落ち着くんだ。エリートたるぼくが、これしきのことで……拳をギュウと握りしめてやり過ごそうとするビート。だが、そろそろ限界だ。だって今はデートのはずなのに、プレサンスはぼくのことを好きなはずなのに。なのになぜ、他の男の名前が出るんだ?――しかも、今日彼女が言及した他の異性はヤローだけではないのだ。
無意識のうちにビートの手はシュガーポットの蓋を取り上げていた。砂糖一さじ、もう一さじ、まだまだ足りないもう一さじ。面白くない気分を砂糖に混ぜて、ティーカップの中で溶かし去ってしまいたいという思いに突き動かされたのだ。とはいえ思惑通りにはいかなかった。そのまま中身を口に含めば、今度は甘さのせいで思い切り顔を顰める羽目になったけれど。
「どしたの、ヘンな顔しちゃって」
プレサンスは自分こそその遠因だということにちっとも気が付いてはいないようだ。ビートの様子を面白がりつつ、呑気にそう訊くだけだった。




「ルリナさんとキバナさんに、今日のお洋服の相談乗ってもらったの。二人ともファッションのこと詳しいでしょ、キバナさんには男の子から見てどう思うかとか、ルリナさんにはコーディネートのこととか訊いたの」とか。「今日のチークね、【Pinkish Punkish by N&M】の新作カラーなんだよ。ほらさっき通ったそこの角の看板にも広告出てたでしょ、ネズさんとマリィが一緒にプロデュースしたコスメブランドのやつ。男の人も女の人も一緒に使えるやつだからいつか私もビートくんと一緒に使いたいな」とか。先ほどまでプレサンスが口にしていた色々な話題に出た、男性ジムリーダーたちの名前。だが、自分以外の男の名前を、プレサンスが呼んでいる。それがこんなにも嫌なことだったなんて、ビートは思いもしていなかった。
ひょっとして、プレサンスはぼくにジェラシーを覚えさせたくて、わざとほかの男の名前を出している?……いえ、考えられない。ビートは目の前のプレサンスの様子から推察した。「どうしたの、そんなに見て。照れちゃうよー」と、嬉しそうに言った彼女に、照れているのはこっちだと言い返したいが「別に何も」と素っ気なく答えて思う。
成り行きで劇団も兼ねたジムのジムリーダーを務めるようになってそれなりになる。その分何が演技でいつが素か、ということを少しずつ見抜けるようになっているという自負はあった。「女は女優なんです、生まれた瞬間から最期の息を吐くまでね」ジムトレーナーのコトはいつか悪戯っぽくそう話していたし、彼女たちの年の功にはまだ勝てないが……バトル中でも考えていることがモロに顔に出る、そんな素直すぎるプレサンスに駆け引きや演技なんて芸当はできないはずだ。結論付けたビートは今日の本題に入るのにかこつけて、その考えを打ち切ることにした。
「それでは。マホミルとアメざいくを出してください」
「はーいっ」
マホミルを進化させる。それが今日の最大の目的だ。「4番道路で捕まえてから、マホミルをずーっとどのフレーバーのコにしようか迷ってたんだけど、ビートくんと一緒にピンクの子にしたいの、ミルキィルビーの。フェアリータイプのこと詳しいよね?教えてくれたらなって」と頼られたら。「当然です、ぼくはエリートでありフェアリータイプのジムリーダーですよ?エキスパートタイプのことぐらい知り尽くしています。まあ、ほかならぬチャンピオンであるあなたが望むのなら教えてあげてもいいですよ」……つまり彼なりの「イエス」を答える以外、選択肢があっただろうか?例えマホイップが苦手だったとしても、だ。
「進化させるには、進化させたいフレーバーに対応したアメざいくをマホミルに持たせ、リザードンポーズを取るわけですけど」
「リザードンポーズなら小っちゃい頃からホップと一緒にたくさん練習してたし得意だよ!あとね、このハートアメざいくはカブさんがくれたの。スポンサーからもらったけど、ぼくは甘いものは苦手だから役立ててほしいって」
「……そうですか」
「それに旅に出る前ね、ダンデさんが一度だけだけど直々にリザードンポーズ教えてくれたこともあるんだよ。手の角度はこうだぞとか、身体の傾け方はこれぐらいだとか、手取り足取り」
「っ……」
「しかも回転しすぎてよろけちゃったら、ダンデさんが支えてくれたんだー。贅沢な経験だったよ」
アメざいくを手に入れたいきさつを明かし、思い出に浸るプレサンスは、ビートが相槌を打つのを放棄して唇を噛んだことに気が付かない。また男の名前を耳にしてしまい、苛立つ恋人。その心に(性質の悪いことに意図しないまま)、ジェラシーのもと一袋をこれでもかとまぶし、お次にそのままモヤモヤでカラメリゼしていきながら、彼女は得意げに続ける。
「自分で言うのも何だけど割と年季入ってると思うよ、リザードンポーズ!やってみせよっか?」
「結構です。今そうする必要がありますか。マホミルをボールから出して進化させる時だけあの構えを取ればいいでしょう、意味もないパフォーマンスを頼んだ覚えなどないのですが」
「え……うん、そうだね」
ビートはピシャリと跳ね除けつつ(続けようとしたのを遮られたプレサンスの、ちょっと戸惑う顔も可愛らしいなと思いはしたが)、むしゃくしゃした気分が心を染めていくのをはっきり感じていた。だって、男の名前が今度は三人分も彼女の口から出てきたのだ。エリートは嫉妬なんてしないんだ、と自分に言い聞かせて「小さい頃のきみはどんな子だったのですか」だとか訊く手もあっただろう。だが、あいにくビートのキャパシティはまだそこまでなかった。しかも、手取り足取り、よろけた時に支えられた、とプレサンスが言っていたからには、ダンデは彼女に触れたことがあるのだ。プレサンスの恋人になったこのぼくを差し置いて……!
「そもそもアメざいくを誰からもらっただとか、プレサンスが誰と一緒にリザードンポーズをしたり誰からどう教わっただとかなんて、進化にはどうでもいいことでしょう。何故ぼくがそんなことを聞かされなくてはいけないんです?」
まっすぐすぎるにしたって程度というものがある。何故プレサンスときたら一々「誰それから何々をしてもらって」などと馬鹿正直に明かすのか!それも男の名前ばかり出して!嫌だ、嫌だ、嫌だ!
ビートの嫉妬心は一秒ごとに燃え上がるばかりだが、そんな内心を口に出す余裕も最早失くしていた。そして彼の様子がいつもと違うことに、遅まきながらプレサンスも気が付き始めたところらしかった。「どうしよう」と思い切り顔に描いてある。気まずくなりつつあった場の雰囲気を変えようと考えたのか、彼女はこんな誘いをかけてきた――最後の最後で、彼を爆発させてしまうとは全く予想しないで。
「そ、そうだ!マクワさんから教えてもらったんだけど、来月ホテルイオニアのティールームでアフタヌーンティーを出すんだって。テーマがピンクだから、次のデートで……」
「いい加減にしてください!」
「ひゃっ」
とうとう、ビートは我慢の限界を迎えてしまった。プレサンスが驚く。眠っていたミルキィミントのマホイップが、ビクッと飛び起きるのが視界の隅に映る。何事かと飛んで来た女主人が「ポプラさんの紹介とはいえ、ちょいと静かに頼むよあんたたち」と苦言を呈して引っ込むが、ビートはもう止められそうになかった。
「何なんですかプレサンス、さっきから男の名前を出してああだこうだ!そんな話を聞かされるためのデートなんかしなかった方がマシですよ!」
「……」
怒りに任せてそこまで一息で言ってのけ、肩で息をする。プレサンスは最初こそ何が何だかという顔だったが、彼の言葉に受けたショックは後から来たようだ。大きな目には徐々にジワジワと涙が溜まっていく。数秒経ち、滴が零れそうになる寸前で、さっきまで正面から見ていた彼から顔を背け。「ぐす、っ、」ややあって、とうとうしゃくり上げながら椅子から立ち上がり荷物を持つが早いか、ギィィと音を立てて閉まるドアの向こうへと姿を消してしまった。
「……はぁ。って、ブリムオン?どうしたんですか」
やってしまった。プレサンスを泣かすつもりなんかなかったんだ。追いかけたほうがいいのか?いや、でも。感情的に思いをぶつけてしまったし、それにそもそもぼくは悪くなくて、……もしもキョダイテンバツをくらったら、こうなるのだろうか。頭に浮かんでは消える様々な考えを整理したいのに、混乱のせいでままならない。そこへブリムオンが勝手にボールから出てきた。かと思えば、ポケじゃらしにじゃれるときほどの強さではないが、ビートの背中を叩くではないか。
「ボールに戻ってください、ほら……」
促してもブリムオンは、イヤイヤと言わんばかりのリアクション。ビートはボールを彼女の前にかざそうとしていたが、寸前で止めた。見上げてくるブリムオンの、凄まじい剣幕に面食らってしまったからだ。ローズから与えられ、まだミブリムだったときからずっと一緒にいるが、ビートの指示に逆らったばかりか、こんな態度を見せるのは初めてだ。しかも今度は、触手を動かして何かをしきりに指し示すかのような仕草まで――一体なんだ?少し考えを巡らし、言わんとすることに思い当たった。触手が向いているのは、プレサンスが泣きながら歩き去って行った方向だ。つまり。
「早く追って、謝ってきなさいと?」
訊ねられたブリムオンは、人語が話せたなら「そうそう!」と言ったのだろうか。もしもこれが人間だったなら反発していたかもしれないが、一番の相棒に背中を押されたからには、不思議とすんなりと聞き入れてしまうものだ。
会計はもう済ませてあるから、ブリムオンが大人しくボールに収まったが早いか、ビートは店を飛び出した。表通りの眩しさと騒がしさ、人通りの多さは裏道のそれとは比べ物にならない。今どこにいるのか、とプレサンスに連絡を取ったほうがいい。この広いシュートシティで手がかりもなしに闇雲に探し回るなんて愚の骨頂……そのことに思い至るよりも先に、彼女を探そうとしていた。
「なんかプレサンスが泣きながらロンド・ロゼの方走って行くの見た奴がいるってSNSで言ってんだけど!」
「マジ?行こうぜ、撮ったらいいね稼ぎまくれんじゃね」そんな話をする二人組を追い越して。「さっきすれ違ったのってビートかなあ?」と噂する通行人とすれ違って。ビートはシュートシティをひた走った。プレサンスのことだ、今頃取り囲まれているはずだからざわめきのする方を目指して。息が苦しい?エリートにあるまじき行動?そんなのぼく自身が一番解っている!でも。プレサンスを好きな男としてのぼくは、こうしないわけにはいかないんだ――!
「プレサンス!」
見つけた。それらしき人の壁を掻き分けて、掻き分けて。ビートはとうとうプレサンスに追い付いた。「うそ、なんで」と口走る彼女。その目は腫れているし、せっかくのピンクのメイクも崩れて散々だ。だがそれを汚いとは思わない。
「え、ビート来たんだけど」「プレサンスとどういう関係?」「付き合ってるに決まってんじゃん」「でもケンカしてるくない?あの雰囲気ってさあ」ギャラリーは二人を取り囲んでスマホを向け、好き勝手にああだこうだ言ってくれている。
……なかなかどうして、いいステージじゃありませんか。ビートはフッと笑う。彼は大勢の視線を浴びている方が、却って肝が据わるタイプなのだ。きっと今から披露する光景は野次馬に撮影され、SNSでガラル中に拡散されるはず。大いに利用してやればいい。プレサンスが自分のものだと、ガラル中に知らしめてやる絶好の機会と思えばいい。ギャラリーのどよめきや、向けられているスマホからひっきりなしに立つシャッター音というBGMに負けないよう、声を張り上げて。
「プレサンス!きみはぼくの恋人でしょう?」
「そう、だけどっ……じゃなくてそうだった!」
「何故過去形にするんです、勝手に別れたことにしたつもりですか!ぼくはそんなつもりはありませんよ!」
「だって、うぅ……」
「ぼくの方を見てください、ほら」
「メイク溶けてブサイクになっちゃったもん、ビートくんに見られたくないの!好きな人の前では可愛くいたいのっ、やぁだ!離して!はーなーしーてー!」
「離しません」
ビートとしては軽く握っているが、プレサンスは全力でほどこうとしてもかなわないらしい。背丈は変わらなかったはずが、いつの間にか力の差はこんなに付いてしまっていたのか。少し痛がっていたようなので、そっと緩めてやりつつ「……さきほどは、その。傷つけてしまって、すみません」と謝ってから。
「しょ、正直に言って…っ、嫉妬しました。デートだというのに他の男の名前を出すなんて!プレサンスが他の奴の名前を呼ぶのさえ嫌で仕方がなかったんです……それに、きみの周りのピンクにまつわるものに他の男が関わっているのも気に入らなかった!」
「そう、だったんだ。いきなり怒るからびっくりしたけど……じゃあこれからはビートくんといる時には言わないように、します」
「そうしてください。それと!いいですか。次こそはマホミルを進化させるとして……プレサンスをピンクに染めていいのはただ一人ぼくだけです。約束してください、この先ぼく以外の男にピンクに染められはしないと。イエス以外の返事は聞きませんからね」
「……は、い!」
プレサンスは、いつもの明るさを取り戻した。そして衆人環視の中、飛び込んできた彼女をビートはもちろんひしっと抱き止めた。冷やかす声と、嘆きの声がそこかしこから上がる。「お幸せにー!」「オレのプレサンスちゃんが〜っ!」とか、実に様々好き勝手に。
そんな中二人の顔は、ピンクでも、ブルーでも、ペパーミントでも、その他の色でもなく。ただただ、ひたすらに、もはやほとんどピンクを通り越し、真っ赤に染まっていた。



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