いつかきっと(後)


あのあと。セイボリーは超能力をフルに使ったことの疲れや、それから思い切り雨に打たれたのもあって風邪を引き高い熱を出し、結局一週間寝込んでしまった。ただ、悪いことばかりでもなかった。それまで文字通り他の門下生たちから「浮いていた」彼だったが、あの日を境に周りの態度が軟らかくなったのを肌で感じるようになっていた。いがみ合っていたプレサンスを助けた姿に、みな心を打たれたのだ。

それから、更に時は経って。

「あの。今、ちょっといい?」

マサルと競い合ったファイナル・ラスト・アルティメット・ザ・サード――つまり最後の修行で、セイボリーはバトルコートにサイコフィールドを前もって展開しておく、という不正を働いた。マスタードからその罰として言い渡されたのは、覚悟していた道場からの追放ではなく、1人で道場のポケモンたちの世話を6カ月すること。中でもズルッグにはいつも手を焼かされるが、今日は聞き分けが良かったのでスムーズに済み、消灯まで時間に余裕ができた。そこで休憩がてら一礼野原に出て、明日の修行の計画を立てようと思い立ったのだ。遠浅の海を泳ぐホエルオーの雄大な姿や、そして目の前の砂浜でのんびりと過ごすヤドンたちの姿を見ながらそうするのも悪くない、と。プレサンスが背後からおずおずと話しかけてきたのは、その直後のことだった。

「……ドーゾ」

セイボリーはプレサンスの方を見ずに棒読みで返事をした。せっかくのプランをフイにされたことに少し機嫌を損ねて。

プレサンスは今日、医師の見込んだ期間よりずっと早くリハビリを終えて全快との診断を受け、マスター道場に戻って来たばかり。修行は早めに切り上げられ、つい1時間ほど前までは彼女の退院を祝うパーティーが開かれていた。ミツバはスープ係の門下生とともに、メインディッシュの極上ダイキノコスープを拵えたほか、マサルが集めてきたワットを元手にケータリングも頼んだ。レストランぼうはていやステーキハウスおいしんボブにバトルカフェなどなどの一番豪華なメニューのものを、テーブルに乗りきらないほどたくさん(とはいえ、門下生たちはもちろん残さず平らげたのだが)。ハイドも少しだけ顔を出し、しぼりたてモモンジュースを飲みながら「プレサンスさんが助かって良かった。あのアプリ、今度はもっと精度の良いやつ作るよ」と声を掛けていた。人が集まる場を好まず、母親の言う通り新しい門下生の出迎えにも滅多に出ないハイドだが、今回ばかりは理由が理由だったからだろう。

だが、その席でもセイボリーはプレサンスとは一言も話さずに過ごしたし、頃合いを見てポケモンの世話を口実に一抜けしたのだ。プレサンスは他の門下生に「また一緒に頑張ろうね」などと話しかけられそれに応えながらも、チラチラと自分の方へ視線を送って来ていた。そのことにはさすがに気が付いていたけれど、きっとまた何か皮肉の一つでも言いたいのに違いないと考え、セイボリーは付かず離れずの距離を取っていたのだ。

「えっと、サイコソーダ……よかったら」
「どうも」

前はハキハキ喋っていたプレサンスらしくない。事故の影響か……でも、いつかシショ―が「皮肉屋キャラで強気に振舞っている」などと彼女のことを評されていたように、あれは演技というかキャラクターの演出のためであって、今は素の口調に戻ったのかもしれません。

セイボリーはそう考えたあと、サイコソーダを何故か受け取る気になり、振り向いてプレサンスの顔を見た。今夜は満月が昇っている。人工の灯りが少ない分、この島を包む月灯りは街中のそれよりもずっと眩い。だから、照らし出された彼女の顔には、事故の前に浮かべていたあの侮るような気配がないことが読み取れるのだ。

しっかり冷えている飲み物の瓶を水滴が伝う。元を辿れば同じ水なのに、あの日の雨とは違って手のひらに心地良い。セイボリーとプレサンスは同時に栓を開けた。静かに打ち寄せる波の音に、ソーダから立ったシュワッという音が一瞬だけ割り込み、文字通りすぐに泡と消える。一口含めば、ポケモンの世話を終えた体に染み渡るのを感じた。

「色々あったんだってね、私のあれのときと、そのあとも。師匠やおかみさんから聞いた……ってか、聞き出した」

問わず語りに語り出すプレサンスだったが、セイボリーはサイコソーダを飲むのにかこつけて言葉では何も答えず、曖昧に頷き返すだけにした。テレパシーが使えたら「そうですとも、実に色々なことがありましたとも」……と言っただろうが。早くも彼の瓶は空になった。

「すっごく置いてかれてる感じする。もう何が何だか。だって、私が意識失ってる間にローズ委員長、じゃなかった前委員長はとんでもないこと起こしてたっていうし、それにまさかあのダンデが敗けるなんて。目が覚めたらジムチャレンジが終わってたこと以上にびっくり。しかも新しいチャンピオンになった……マサルっていうんだっけ、そのコがこの道場に入門したんでしょ?秘伝のヨロイも授かったとか聞いたよ」
「ええ……しばらくチャンピオンの仕事があるとかで昨日ガラル本土に帰ったばかりですので、当分ここには顔を出さないでしょうが」

サイコソーダをチビリチビリと飲みながら、プレサンスはしばらく話を続けそうな気配だ。イワンコかルガルガンの遠吠えがチャレンジロードから木霊してくる。セイボリーは相槌を打ちながら、空き瓶をテレキネシスで駅のゴミ箱へ片付けておいた。

事故の影響もあって、その直後から新しい門下生の受け入れは当面見送り。CMの放映やチラシの配布もすぐに取り止められた。メディアでも少し騒がれたようだったし、マスタードとミツバは門下生たちを不安にさせないように努めつつ、その対応に当たっている様子がうかがえた。

そして今から3ヶ月前。プレサンスが意識を取り戻して少し経ったころ。もうそろそろ良いだろう、ということで新規入門の受付を再開したところ、何かの手違いでやって来たのはマサルという少年だった。

しかし、ガラル本土の情報はこの島にあまり入って来ないので後から判ったことだが、マサルはとんでもないトレーナーだった。今となっては前ガラルポケモンリーグ委員長となったローズが引き起こした、ガラルの歴史に残る大事件を解決に導いただけではない。その上、なんとあの無敵のダンデを破りガラルの未来を変え、新たなチャンピオンの座に就いてしまったというのだから(ちなみに、プレサンスが欲しいと話していた念願の自販機は、マサルがミツバに献上したワットのおかげでつい一昨日から道場に置かれたばかりだった。このサイコソーダもきっとそこで買ったのだろう)。本気の本気を出したマスタードにまで勝利を収めたのも、秘伝のヨロイ、もといダクマを託されるのも納得の強さだ。

当初セイボリーは――振り返れば身の程知らずもいいところだが――マサルを認められずに突っかかっては、その度に完敗した。勝ちたいあまりに、ついにはあくタイプに魂を売りさえした。それでも、マスタードの導きや、マサルを始め周りと接する中での気付きなどから、今まで適当にこなしていた訓練に真剣に取り組むようになっていた。

「そっか。生の新チャンプ会ってみたかったし、秘伝のヨロイも欲しかったんだけどな。残念」

他方、プレサンスはあの事故のあと、ガラル本土はエンジンシティの病院に担ぎ込まれた。処置のおかげで命の危機はひとまず脱するも、すぐには意識が戻らなかった。その間門下生たちはみな沈んだ表情でいて、修行に身が入らずにいる者も少なくなかった。セイボリーも、彼女がむしタイプ並の生命力でもって戻って来るはずとは思っていたが、やはり集中力が下がっていたのは事実だった。

だが、3カ月前のある日の夕食時。お喋りが聞かれなくなり久しくなっていた分静かだった食堂に、ミツバのスマホの着信メロディが響き渡った。食堂にいた全員が耳をそばだてる中、すぐさま応答した彼女は何やらしばらく話し込んでいたが、通話時間が長くなるにつれ、その表情は硬いものから段々と変わっていき。

「聞いとくれみんな、プレサンスちゃん意識が戻ったって!リハビリはしばらく必要だっていうけど本当に良かったよ!」

電話を切るや、ミツバが涙ぐみながらマスタードや門下生たちにそう告げた途端、場の雰囲気は一気に明るくなった。セイボリーは安堵に少しばかり表情を緩めただけだったが、彼以外はマサルも含めてみな歓声を上げたし、抱き合って喜んでいる者もいた。やはり同じ釜の飯を食った、というか同じ鍋のスープを飲んだ仲間の無事が嬉しいのだ。セイボリーの横に座っていた男の門下生(プレサンスと事故の前に最後にしたバトルで審判を務めた彼だ)も、吉報にオイオイ男泣きをし始めた。ただそこまでは良いとして「セイボリー聞いたカ!本当にヨかったナ!!」などといきなり肩をガシッと抱いてきたものだから、セイボリーは不意を突かれて思い切りむせ返る羽目になってしまったのだった。

面会が許されるようになってからは、マスタードは希望する門下生を何人か連れ、月に一度見舞いに訪れていた。それでもセイボリーは結局手を挙げなかった。見返さなくては気が済まない相手にプレサンスだけでなくマサルも加わったので、更に修行に励みたかったのだ。

いや、理由はそれだけではなかった。実はエンジンシティには、セイボリーの親族が多く住んでいる。特にそのうちの1人など、テレパシー能力を悪用してセイボリーを侮辱する言葉を、読心術の使える者にさえも判らないように吐く、という素晴らしく素敵な素顔――もちろんこれは皮肉だ――の持ち主ときている。もし出向いたところを見つかりでもしたら「落ちこぼれめ、よくまあ一族の前に顔を出して恥ずかしくないな」などと“言われる”かもしれないのが嫌だった。幸い、件の親族のテレパシーはごく狭い範囲にしか届かない程度のもの。ガラル本土から離れたこのヨロイじまに留まってさえいれば、そんな目に遭うのを回避できるだろう……というみらいよち、もとい目論見があってのことだった。

「それで。手短に願いますよプレサンス、あなた何を仰りたいので?」

回復したのは喜ばしい。ただ、セイボリーはプレサンスの話にこれ以上付き合うつもりは無かった。彼女は何かモゴモゴ言いかけているが、声に出せずにいる。セイボリーは(これまでなら考えられないことだが)少し待ったもののしびれを切らし「ワタクシは早く休んで、明日の修行に備えたいので……では失礼」と、この場からテレポートしようと踵を返しかけた。修行のプランはプレサンスが話し掛けてきたおかげで結局立てられなかったが、ベッドで横になって考えることにして。以前のワタクシならば「蔑んでいた『すっごーい能力』に助けられたお気持ちを是非とも拝聴したい」だとか「助けてさしあげたのですからワタクシにダイ感謝なさいな」だとか言ったかもしれませんし、そもそもこうしてそれなりの長い時間彼女と接することなどなかったでしょうけれどね、と思いながら。

――しかし。意を決して口を開いたプレサンスのせいで、テレポートはダイ失敗した。

「本当にありがとう、セイボリー。あと……ごめんね、本当に。今までバカにしてきたこと謝る」
「は……!!!???」

セイボリーは我が目と耳を疑った。浮かせていたボールが全部地面に落ちる。注いでいた超能力が驚きのあまり途切れたせいだ。といっても、初めてプレサンスが(ぞんざいな「ねえ」とか「サイコ野郎」だとかの呼び方ではなく)面と向かって自分の名前を呼んだことにではない。彼女の口から、感謝と謝罪の言葉が出てきたことに仰天したのだ。

「師匠やおかみさんやみんなから聞いたけど、セイボリーがテレキネシスで岩退かして、しかも私やバタフリーたちのこと運んできてくれたんでしょ。そうしてくれなかったら、私は大事な手持ちに怪我させたまま、永遠に離れ離れになっちゃうとこだった」
「あ、あなた……あの事故でおつむがどうにかなってしまわれたのでは?というより本当にプレサンスなのですか?ははぁん、さてはゾロアが化けたのですね」

半ば現実逃避じみたことまで口走りながら、セイボリーは目を見開いたまま、曇りなきメガネのレンズを通して曇りなき眼でプレサンスをまじまじと見る。しかし何秒そうしようが、念のため背後に回って、ゾロアが姿かたちは変えることはできても隠せない尻尾があるか無いかを確かめようが(もちろん尻尾など生えていない)、目の前にいるのはまごうことなき彼女だった。

まさか。セイボリーの口が独りでにあんぐりと開く。アン・ビリーバボゥ!キョダイ・アリ・エーヌ!!頭の中ではそんな言葉がグルグル巡るばかり。今受けている衝撃といったら、先週ある女の門下生に「アイラブセイボリーTシャツ」なるものをお披露目されたときのそれにも負けていない。あれにプリントされていた珍妙な絵と、今自分が浮かべている表情は、どちらもエレガントとはとても言えないという点では張り合えるはずだ。

「何その顔。わ、私だってお礼とごめんねくらい言うし!てか頭はそもそも何もおかしくなってなんかないからね?今までも今も」

プレサンスはセイボリーの反応に少し反発したが、続けてこうも言った。気恥ずかしさはぬぐい切れなかったらしく、目を少し逸らしてはいたけれど。

「すごい能力じゃん……テレキネシスって。助けられたからって手のひら返して虫の好いこと言ってると思うだろうけど。エスパージムでのあのときは、うん、ムカついたし皮肉でああ言った。褒める気ゼロだったの。でも今はちゃんと、すごいって思ってる……から」
「!!!〜〜〜〜うぅ……グスッ」
「ちょ、ちょっとそこ泣くとこ?」

この、こみ上げてやまないものは一体。セイボリーはヤドラン柄のハンケチをポケットから取り出して目に当てた。プレサンスが初めてまるごと自分を賞賛してくれたことが、正直に言えばそう、ほんの少しどころか、嬉し涙を流しそうになるほど嬉しかったのだ。

テレキネシス。セイボリーが唯一持って生まれたけれど、彼の親族にとっては呼吸をするのと同じようにできて当たり前の、褒められることなどない能力(ちから)。親族以外に対して振るって軽蔑され、ついにはかつての居場所を失う原因を作ったそれ。自分が一応はサイキッカーであることを証明してくれる拠りどころにして、最大のコンプレックスでもあったもの。

嫌っていたプレサンスに侮蔑の眼差しではなく、認める言葉を送られる日が来るなんて……セイボリーはジーンと感慨に耽る。だから「そうだ、師匠とおかみさんには明日切り出すつもりだったけどこの際だし」とプレサンスが言い出したのをほとんど聞いていないまま、続く言葉をペラップ返しになぞった。ついでに先ほど落ちたボールも元通りに浮かせ、もうあと1つで全部揃う、というところで。

「私、来年のジムチャレンジも辞退して……道場も辞めさせてもらうことに決めたんだ」
「そうですかなるほど。ジムチャレンジも辞退して道場も……って!あなた今ホワットなんと!?」

零れる寸前だった嬉し涙が、あっという間に乾いていく。ハンケチはしまったが、先ほどとはまた違う衝撃を受け、またもボールがボトボトと落ちてしまった。

「聞いてなかった?もっかい言うけど道場もジムチャレンジも辞めるって……ケアが必要なの。特にバタフリーが」
「……あの速度でドローンに衝突されたのですからね。無理からぬことでしょう」
「知ってるんだ、原因」
「シショ―のご子息が解析したデータを拝見しましたので」

プレサンスの顔が急に曇り始める。満月に絡み付いていた薄雲はどこかへ消えていたから、その表情は嫌でもはっきり見えてしまうのだ。

「ファイアローたちを恨んでもしょうがないのは、解ってる。ポケモンの本能でそうしたんだし、そもそもの原因はどっかの誰かだし」

声は微かに震えて、小さい。波の音にさらわれてしまいそうなほど。

「たださ、正直やっぱり、なんで私のバタフリーを巻き込んだの、って思いはこの先ずっと消えないだろうなって……あの子の命が助かったのと、他の子たちも一応無事なのは良いとしても」

サイコソーダの瓶を、プレサンスはまだ持ったまま。瓶に残る水滴がポトリと一粒落ち、地面に吸い込まれて消える。それはどこか涙の流れる様子に重なった。彼女の心のうちを代弁するかのように。

「この先何年かかるかわからない、辛いリハビリが必要だって。ちゃんと……前みたくバトルできるようになるかは五分五分だって」
「……」

何がプレサンスと手持ちを襲ったのかは、セイボリーたちもあの事故のあと間もなく知った。島の各所には、ハイドが開発した件のアプリのデータ収集用に、門下生たちが手分けして小型カメラと集音器付きの装置を仕掛けてあり、その内容を解析したのだ。

それによれば全ての発端は、ヨロイじまの外から何者かがドローンを(恐らく無許可で)飛ばしてきたことだった。ところがそれが折からの突風に煽られ、鍛錬平原にあるファイアローの巣にぶつかってしまったのだ。彼らは普段からただでさえ気性の荒い部類に入るというのに、間が悪いことに繁殖期を迎えたばかりでもあり、なおさら気が立っていた。即座にお得意の蹴りを「外敵」に何発も喰らわせ、瞬く間にペシャンコにしてやっていた。

だが、そのあとが問題だった。蹴られたドローンの機体が、ボールから出されていたプレサンスのバタフリーを直撃したのだ。バタフリーは思い切り吹っ飛んで地面に叩き付けられ、それを目の当たりにした彼女は当然すぐに手持ちのもとへ駆け寄った。早く助けを呼ぼうとスマホを操作し始めたのだが、そこは崖の下。しかもそこへ、元から大雨で地盤が緩んでいたせいで、今度は岩がプレサンス目がけて落ちて来て……そんな連鎖が原因だった。ちなみに、ドローンの持ち主はいまだに特定できていない。持ち主の情報を記憶したチップを搭載することが義務付けられているのでそれがあれば判るはずだが、あの混乱のさ中に失われてしまったのだ。

「それに……ツボツボやハッサムやデンチュラやモスノウも。私が怪我したのに、何もできなかったことにすごいショック受けちゃってて。しばらくカウンセリングが必要って、ポケモンドクターに言われた。あの子たちはなんにも悪くないのに……ボールのスイッチが、落石で壊れたせいだっていうのに……」

とうとうプレサンスの目から涙が溢れ、静かに頬を伝い始めた。セイボリーはその意味をなんとなく察した。彼女は、自分がジムチャレンジを断念せざるを得なくなったことだけが悲しく悔しいのではない。それ以上に、大好きで大事な手持ちに辛い目を見せて申し訳ない、という思いからのものなのだ、と。

「……あの日、天気が悪かったんだし、鍛錬平原じゃないエリアにすればあんなことにならなかったのに。ハイドくんのアプリのアラート、ちゃんと聞くんだった……そんなこともできずに、結局一番大事な手持ちを辛い目に遭わせるとか、さ。そんなんで“バズるインセクト・インフルエンサー”なんか、目指せるわけ……ないよね。聞いてくれてありがと……じゃ、おやすみ」

ひとしきり胸の内を打ち明けて、プレサンスは満足したらしい。赤くなった目をこすりながら、セイボリーに背を向けて歩き出そうとしている。このまま道場の女子宿舎へ戻るつもりなのだろう。クシュ、と小さく洟を啜る音が、波の音とタイミングが重ならなかったので耳に届いた。

「もし。プレサンス」
「なに……わっ!?」
「!」

色々な意味で去り行こうとするこのライバルに、セイボリーは言わずにおれないことがあった。その呼びかけに足を止めないまま振り向いたプレサンスだったが、何かに躓いて転びかける。軽く握っただけだったサイコソーダの瓶は彼女の手を離れるも、地面が柔らかいのが幸いして着地しても割れることなく転がるだけだった。

他方、セイボリーはプレサンスに駆け寄り、そして咄嗟にその手を掴んで、彼女が地面に倒れ込むのを阻止してやった――つまり、初めてプレサンスに物理的に触れていた。

いつかのセイボリーなら、テレキネシスでプレサンスを少しだけ浮かび上がらせたあと、地面に降ろしていただろう。なのにそうしなかったのは、誰かに自分を認めさせるために、超能力を必要以上に誇示する必要などもう無くなっていたからだ。セイボリーは誰かを認め、加えてこれまでの自分の弱さや、してきた行いを反省し、そんな自分のこともありのまま認められるようになっているからだ。

「ディグッテター!」

のんきな鳴き声がして、プレサンスの足元に3本の金髪が生えた何かが動く様子が月光の下に見えた。それと、みるみる赤みが差し始めていた彼女の耳も。

ただ、セイボリーはその2つには全く気が付いていなかった。プレサンスを引き戻そうとしてもよろけなかったとはさすがはワタクシ、順調に筋力が付きつつある証拠、ヤドランを載せての腕立て伏せは実にハードでしたが無駄ではなかったのですね……!と、修行の成果を思わぬ場面で実感して悦に入っていたのだ。そのせいで「あ、ありがと、てかそれより手!離してくれるっ!?」と、妙に動転したプレサンスに促されるまで握りっぱなしにしてしまっていた。

「さっきのあれ何?ディグダっぽいけど髪みたいの生えてたし突然変異?」
「アローラのすがたのディグダですよ。少し前に151匹連れて上陸した方が逃がしてしまい、未だに最後の1匹が発見できずにいるとマサルが言うものですから、マックスレイドバトルに協力がてら捜索のお供もしてさしあげましたとも。それがまさかこのようなところにいたとは……って、それはともかく!」

他の地方のディグダにまつわるあれこれを話すためにこうしたのではないから。セイボリーは思い切り深呼吸した。そして、一礼野原全体に響き渡りそうなボリュームで「予知能力」を発揮した。怪我をしたプレサンスたちをエスコートしたあの日「キョダイ・テレポート!」と叫んだときのごとく。

「プレサンス!あなたのむしタイプへの大いなる愛情でもって必ずやバタフリーたちは劇的な回復を見せるでしょう!!そしていつかきっとまたこの道場へ戻ったらワタクシに完膚なきまでにクルクル転がされるべきなのです!!!一度と言わず何度でも……ワタクシの『みらいよち』ではそうなっていますので!!!!」
「な……?」
「そもそも、ワタクシを見下していたあなたの命を救うことになぜ必死になったとお思いで!?どれだけ嫌なレディであろうとも見捨てれば人道にもとるから、曲がりなりにも道場の仲間だから……などと言うとでも!プレサンスにゴーストタイプの仲間入りをされてはワタクシが上だと認めさせるという野望が叶わずワタクシ一生腹のレドームシが収まらなかったことでしょうからね!!」

夜だろうと昼だろうと、そしてすぐ近くで人間が何を叫ぼうと、ヤドンたちのマイペースぶりやゆっくりとしたムーブは変わらない。だが、プレサンスはそんな彼らの動作よりは速く、セイボリーが一息で伝えんとしたことを理解したらしかった。

「うん……セイボリー、しばらく見ない間に変わったんだね。変わってるのは元からだけどさ」
「前半部分だけ褒め言葉としていただいておきます。そして、プレサンスに謹んでお返しします」
「あははっ」
「……フッ」

短くはない付き合い(というより、腐れ縁といった方が正確だろうけれど)の中で初めて、セイボリーとプレサンスは面と向かってお互いの名前を呼び合い、相手を嘲る響きなどない笑い声を揃って上げた。

同時に、彼はあることを思い出す。親族が自分を嘲る例の悪夢は、まだ時々見てしまう。でも前に比べればずっと頻度は低くなっていたし、それに、あの中にかつては混ざっていたプレサンスの姿は、もうとっくに見えなくなっていたことを。

「早くバタフリーたちと帰って来ないと置いていきますからね?レディ・インセクト。ワタクシとヤドランたちが超・すごい進化をこれからも更に遂げ続けることは『みらいよち』済みですので!」
「ご、ご心配には及ばないけどねっ、エスパーエキスパートさん。私のかわいいむしポケモンならすぐに治って追いついて……ううん、それだけじゃなくて何度でもコテンパンにしてあげるから」

2人はどちらからともなく手を差し出し、握手を交わしながらそう言い合った。いつかきっと、次はいがみ合うのではなく、互いをリスペクトし高め合うライバルとして再会することを誓ってのものだ。セイボリーは「みらいよち」のおかげではなく、1人のポケモントレーナーとして解っていた。

ただそのとき、セイボリーにもしもあらゆる超能力が備わっていたとしても解らなかっただろうことがいくつかあった――それは、先ほど躓きそうになったところを助けられて以来、彼を見るプレサンスの顔に赤みが差したまま引きそうにないこと、そうなったそもそもの理由。そして「やだ……なんで私、セイボリーにときめいちゃってるワケ?」と、プレサンスが内心自分に戸惑いつつそう思っていた、ということだ。



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