めぐみ


プレサンスの故郷、フキヨセシティへと続いている青い空を、数羽のアオガラスが横切っていく。このターフタウンの名物である地上絵の周りに生い茂る草は、穏やかに吹く風にそよいでいる。なだらかな丘のそこかしこにはウールーたちの姿。のんびり草を食んだり、仲間と競争でもしているのか転がったり、思い思いに過ごしている。お目付け役のワンパチはというと、お役目をしばし休むことに決めたらしく、日なたで仰向けになって伸びていた。

「いくよ、せーの」

そんなのどかな町の一角、チョロネコの額ほどの畑で、トマトシザーのパチンという音が立つ。プレサンスの娘が生まれて初めて自分で育てたトマトが実り、収穫の真っ最中なのだ。

プレサンスは自分の手を添えてやりながら、我が子の小さなプクプクした手を見る。子供用サイズのものを買ってやったとはいえ、シザーの握り手は娘の手にはまだ少しばかり余っている。でも、じきにちょうどいいくらいの大きさになって、それでもってあっという間にこれが小さく見えちゃうようになるのかなあ……と想像して。

「ふー。とれたぁ!おかあちゃんありがとっ」
「どういたしまして。これで何のお料理にしようか」
「トマトシチューね、ピーマンたくさんはいっとるのがいい」

母が差し出したカゴに最後の一つを入れ、トマトシザーを片付ける。娘はそうしたあと、一仕事終えたからか一丁前に安堵の息を吐いた。最初の一つを収穫したときは、恐る恐る、といったふうに茎にハサミを入れたまではいいが、なかなかその先へ進めずにいたけれど。「パチンしたらいたいじゃろうなあ」と、トマトの茎が痛がらないか心配していたのだ。

「あたしもなにかそだてたい!」

発端は娘がそう言い出したことだった。ごっこ遊びの延長のようなことがしたいのだろうと思っていたら、どうやら本気だったらしく何度もせがむのだ。そこで、プレサンスと夫であるヤローは、家の近くの一角を与えてやることにした。

それからというもの、娘は子供用シャベルで自分の畑を整え種を蒔き、朝は眠いとぐずる日もあったけれど愛用のジョウロで水をやった。父に倣って、多分「農業は粘り腰なんじゃあ!」と言いたかったのだろうが微妙に間違えて「のーぎょうは、ねばねばこやしなんじゃあ」などと唱えつつ。午後も幼稚園から帰るやいなや、母か父を引っ張って雑草抜きと肥料やりに飛んで行き……そんな毎日の積み重ねがまさしく実った、というわけだ。生ったものは形は不揃いだし、ココガラに啄まれたものもある(ただし娘はそれほど気にしておらず、反応は「ココガラもきにいったんかなあ?」とあっけらかんとしたものだった)。

けれども、そんな点だって、親の贔屓目かもしれないが霞んでしまうほど素晴らしい色つやだ。プレサンスが手にしているカゴの中でコロンと転がったトマトは、どれも目に眩しいほどの赤色だったから。

「まっかなウールーみたいじゃ。コロコロしとる」
「ほんとだねえ、真っ赤なウールーなんてマグノリア博士もビックリしちゃう大発見かも……そうだ、そろそろ今日もお迎え行く?おとうちゃんの」
「いってくるーっ」
「こら!ちょっと待ってー!」

ヤローの試合を観るのも、それから畑で農作業に励む彼を迎えに行くのも、娘にとっては楽しみの一つ。パアッと顔を輝かせて答えるや、手を繋ごうと差し出しかけた母を置いて次の瞬間には猛ダッシュを始めた。

このエネルギーは一体どこから沸くのやら。その背中に呼び掛けながらプレサンスも走り出す。仕事を通してそこそこ体力がある方だと自分では思っているが、子供の瞬発力に勝てるかどうかはまた別の話だ。軽いものとはいえカゴを置いてくればよかったが、娘を追いかけるのを優先してしまい結局持ったまま。我が子がせっかく丹精したものが入っている以上、道端に放り出すわけにもいかないから。いつもならもちろんちゃんと手を繋ぐが、この辺りは車やトラクターだとかは入れない幅の道だし、近くて見通しもいいから見失う心配もなさそう、本当に良かった、と心の底から安心しながら。

キュウリ畑の角を右に、牧草地の柵沿いにまっすぐに。そうやって進んでいけば、大きな麦わら帽子と広い背中の、大好きなひとの後ろ姿がそこにある。

「おーい!おとーちゃーん!」

父に呼び掛け一直線に近付いていく娘は、さながらひた走るワンパチのよう。元気よく大地を蹴っている長靴に泥が何度か跳ねた。父のお気に入りのゴム長とは、年季とサイズだけが違うもの――何せ足のサイズの成長が早くて、数か月でもう履けなくなるのもザラ、現にこの前新調したばかり――だ。娘はサインの代わりに、身近にいるポケモンたちと地上絵を真似た絵をペンキで描いていたが、今しがたそれには茶色が塗り重ねられたことだろう。絵を完成させるが早いか、我が子はワンパチたちに「みて、みんなのことおえかきしたんじゃ」と自慢して回っていた。ワンパチは喜んで尻尾をブンブン振ったし、ウールーたちは嬉しそうに跳ねたが、一方アマージョだけは「これが私ですって?ウソでしょ?」と言いたげに眉をほんの少し吊り上げたのだった。

娘のよく日に焼けた肌を汗が伝っている。子供用の日焼け止めはもちろん塗ってやっているが、それでもこんがりと日焼けしている。一番お気に入りの遊びが、ワンパチやウールーとの鬼ごっこや駆けっこというせいもあるだろう。他にも、規格に合わないので商品としては売れない花を使って何かを作ることや、父のたくましい腕にぶら下がってブランコをすることも好きなのだ。

ヤローが声に気が付いた。ニコニコしながらゆっくりのんびり、我が子のもとへ歩み寄る。加速する娘はどんどん距離を詰めていき、やがて。

「おとうちゃんっ!」
「やぁ、お迎えありがとう」

勢いよく飛び付かれたって、ヤローは当然よろけることもなく受け止め、そのまま抱っこしてやっている。娘はきゃあきゃあと歓声を上げて大喜びだ。

いいなあ、私も抱っこしてほしい……結婚式の時以来で照れくさいけど今度やってほしいって言ってみようかな?追い付いたプレサンスは少しばかり羨ましさも覚えつつ、息を整えて夫と娘のもとへ近寄った。



ヤローが家業の関係で一ヶ月ほど滞在した、イッシュ地方はフキヨセシティの農家。そこの家の娘であるプレサンスは、彼と出会って間もなく惹かれ合うようになった。滞在期間が終わりを告げた後は、海を隔てた超遠距離恋愛になったけれど、それぞれジムリーダーとしての務めや家業の手伝いなどの合間を縫って連絡をマメに取り合い、少し長い休みが取れたらお互いを訪ね合ってこの恋を実らせたのだ。

「作物の芽はなかなか出んこともあるのになあ。プレサンスさんへの想いは気が付けば一瞬で大きく育ってしまって、その……うーん、ぼくにはちょっとそういう気取ったのは似合わなかったわ。上手いこと言えんけども、これからもずっと、ぼくといてくれんじゃろうか」

トマトに負けないほど顔を真っ赤にしつつも贈られたそんな言葉と、ヤローの大きな手のひらに載せて差し出された指輪。それを受け取ったプレサンスは、これを機にガラル地方に移り住んだ。この地で授かった娘もすくすくと育っていて、今年で4歳。今まで作った擦り傷切り傷青タンの数は、ターフタウン中の子供たちが束になってもかなわないほど多いだろうし、子供が罹る病気は一通りやった。

けれど、それ以外は健康そのもの。アレルギーもなければ風邪も滅多にひかない。その他特にプレサンスにとっての密かな自慢は、野菜の好き嫌いを全くしないこと。大好物がタルップルの皮のチップス、そして何より両親の作った野菜だから、ピーマンでもにんじんでも喜んで平らげてくれる。娘についての困りごとといえば、毎日泥んこになるので洗濯とシャンプーが楽ではないことぐらいだ。

プレサンス自身も農家育ちだし、故郷であるフキヨセシティも農業が盛んな街。そういった共通点があり、ヤローの親族やターフタウンの人々も温かく迎えてくれたとはいえ、それでも違う土地だから何かと慣れないこともある。それでもこうして根を下ろすことができているのは、やはり家族のおかげだ。

カゴを一旦路肩に置いて、プレサンスはヤローに近寄る。

「ヤローさん、お疲れ様」
「プレサンスさんもお疲れさん」

相手を労う言葉を掛け合い、夫婦はギュッと抱き合う。働いた後の汗の臭いがするけれど、不快に思ったことなんてない。大好きな相手が一日頑張ったしるしだ、むしろ心地いいくらい。

加えてプレサンスが何より好きなのは、この体制のまま彼に頭をポンポンと優しく触れられること。ほら、大きく、暖かく、柔らかい掌。その感触といったら、顔はにやけて目がトロッとなってしまうくらいなのだ。

「おとうちゃんとおかあちゃん、らぶらぶーっ!」

知識をどこで仕入れて来るのやら、最近娘は両親のそんな光景を冷やかすようになっていた。

そして、ひとしきり抱き合った後。プレサンスが再びカゴを持ち上げた矢先、ヤローは「それ、ぼくが持つわ」と一言。妻の手から軽々持ち上げ、ヒョイと肩に乗せた。嫌々そうするのでもなく、ごく自然に。

「いつもありがとう」
「なんの。これしき軽い軽い」

気は優しくて力持ち、が服を着ているかのような彼に、プレサンスは毎日惚れ直さずにいられないのだ。

「おとうちゃん、そのトマトあたしがそだてたやつなんじゃ」
「なるほどなあ。だから美味しそうなのがたくさんできたんじゃな」
「でしょ!おうちついたらうでブランコしてねっ」
「ええよ」

そうして、親子そろって帰り道を歩き始めてからしばらくのち。娘がこんなことを言い出した。

「きょうねえ、ようちえんで“おおきくなったらなりたいもの”のおはなししたんだわ」
「何になりたい?」
「たくさんある!まずね、ぼくそうロールになったらダイマックスしてな、おとうちゃんにころがしてもらう」
「あはは、ぼくが転がすんかい。こりゃあ手強くなりそうだ」

子供ならではの無邪気な発想に、プレサンスたちは揃って吹き出した。娘は「おおきくなったら」というのを「ダイマックスをした時のように物理的に大きくなったら」という意味で受け取ったらしい。

1つ350sもある牧草ロールは、ヤローにとっては軽いものだが娘にとっては十分危険だ。小さい子供はただでさえじっとしていないもの、ほんの数秒目を離した隙に何か――しかも何故か大抵それは、その時親が一番してほしくなかったこと――ををしでかすのにかけては天才的とも言える。

その上、我が子は外を駆け回るのが大好き。ヤローが牧草ロールを転がしているところへ不用意に近づいて、下敷きになったり巻き込まれたりしてはただでは済まない。プレサンスもヤローもそんな悲劇を招かないよう、相当神経を遣ってことあるごとに言い聞かせてきたし、その甲斐あってか娘もちゃんと言い付けを守っている。特に、いつもは穏やかで優しい父が真剣な顔で「いいかい、ぼくが牧草ロールを転がしとるときでも、そうしとらんときにも、とにかく絶対にあれのそばに来たらだめじゃ。ぺしゃんこになってしまって、二度とワンパチと駆けっこしたり、おやつを食べたりもできんようになるから」と話すので、その迫力のおかげかもしれない。

ただ、その反動か娘は牧草ロールに妙に憧れめいたものを抱くようになったようなのだ。大人が子供に「大きくなったら何になる?」と訊く時は、何かの職業を答えるものと想定しているだろう。とはいっても大体はその思惑通りにいくはずもなく、前チャンピオンのダンデや現チャンピオンのユウリなど実在の人物(ダンデやユウリ「みたいに」ではなく「ぼくダンデになる!」「あたしユウリになりたいの」と言い出す子は、ガラルのどの幼稚園にも必ずいるものだ)、ポケモン、果ては生き物ではない何かの名前を挙げることがままあるけれど、娘がそうなりたいというのも似たような心理なのだろう。

「なりたいのね、それだけじゃないんじゃ。ルリナしゃんみたくモデルしゃんもなってみたいし……あ、おいちゃんのおよめさんにもなりたい!」
「うん?」
「ヤローさん、顔が」

そこでヤローの表情が一瞬で変わり、プレサンスは少し面食らった。モデル云々、のところまではニコニコ顔で聞いていたのに、「およめさん」の5文字を耳にしただけでこの反応とは。

「こないだおはなでつくったゆびわあるじゃろ、おいちゃんがこんどきたらあげるの。それで、ケッコンしてくだしゃいっていう」
「ちょっと待った。モデルはいいけども、まだお嫁に行くのは早すぎると思うんだな」
「えー!」

ごく真剣な顔で首を横に振る夫と、ちょっと不満気な声を上げる娘と。プレサンスは二人のやり取りがおかしいやら愛おしいやらで、思わず吹き出さずにはいられなかった。

娘の言う「おいちゃん」とはヤローの弟を指している。初対面の頃から彼にはとても懐いており、言葉が出てくるようになってからは、花で作った指輪を差し出し「ケッコンして!」と“逆プロポーズ”までするようになった。だが「父親になって初めて解ったわ。娘が誰かと結婚するって言い出すってのは、複雑なものなんじゃなあ。例えその相手が自分の弟でも」――ヤローは、娘を寝かし付けたあとの夫婦の晩酌で、時々プレサンスにそう語るのだ。あのマッシブな身体を縮め、訥々と語る彼を思い出し、プレサンスはクスッとした。だって、大事な人が娘を大事に思っている証拠に他ならないのだから。

「そうだ!あとねえ、なりたいのもういっこあるんだわ」
「「ん?」」

思い返しているところへ娘の声がして、プレサンスとヤローは全く同じタイミングでそちらを向いた。我が子の中では、まだ将来のことの話題は終わっていなかったらしい。両親の視線をいっぱいに受け、彼女は。

「あたしね、おとうちゃんやおかあちゃんみたく、おいしいおやさいやきれいなおはな、たくさんつくるひとになるんじゃ!」
「「……そう、かぁ」」

また、声が重なった。ジーンと来るとはこういうことだろうか。ヤローもプレサンスも、やっぱり同時にそんな感想が口をついて出たあと、最愛の相手の方を見る。

「プレサンスさんが何だか嬉しそうじゃから、ぼくも同じ気持ちになってくるわあ」
「ふふ、そう?実は私もなんだけどねっ」

自分で言った言葉にシンクロするように、ヤローが微笑みをプレサンスに向ける。大地がくれる実りという恵みが入ったカゴを抱え、首に掛けたタオルで汗を拭きながら。

「おとうちゃんおかあちゃん、なんかええことあったの?」

そして、夫との間に天から授かった、この愛しい子という恵み。

「もちろん。たーくさんあるんじゃ」
「そうだよ、二人に巡り会えて、恵まれて……これまでもこれからも毎日ずーっとね!」

トマトと同じくらい赤々とした夕陽に照らされて、背丈はバラバラでもお揃いの麦わら帽子を被った影法師三つは、ターフタウンの道を仲良くのんびりと歩いて家路に着くのだった。



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