いつかきっと(中)


「みらいよち」は、どうしてこんな時に限ってミスらなかったのだろう。ボロボロの体に鞭打って飛ぶバタフリーに導かれて土砂降りの鍛錬平原に足を踏み入れ、開けたところで周りを見回して……。

「何たること!」

目の前の惨状にセイボリーは息を呑んだ。崖の近く、落ちて来たのだろう岩の下に、プレサンスがいるのを見つけたのだ。

いや、いるというより、正確に言えばその下敷きになって倒れていた。全身ずぶ濡れ泥まみれ、何より頭からはおびただしい出血が見られ、顔はもうすぐ白に変わりそうな青さ。ダイマックスバンドやところどころ破れた道着にも血が滲んでいるし、かたわらの水たまりは流れた血のせいかおかしな色に染まっているではないか。辺りには濡れた地面と血の臭いが混じり合った独特のそれが漂っている。周りでは、ここらに棲息するポケモンたちがどこか落ち着かない様子で行ったり来たりしながら低い唸り声を上げているが、原因はこの臭いのようだ。

持ち物の状態も負けず劣らずひどい。傍らにはプレサンスのスマホの粉々になった残骸が散らばっている。キョダイマックスバタフリーがプリントされたスマホケースを付けたスマホは真っ二つ、もはや使い物にならないことは明らかだった。バタフリー以外の彼女の手持ちが入ったネットボール4つがカタカタと動いているが、その全部にヒビが走っている。中に収まっているポケモンたちも主人の危機を察知して、まずはどうにかボールの外へ出ようとしているのにかなわずにいる。ボールのスイッチも落石の衝撃だとかで故障したのかもしれない。

なるほど。バタフリーもこの事故に見舞われたが、ボールから出されていたのもありこの中では唯一どうにか動くことができた。そして誰かをとにかく呼ばなくてはと考えて行動を始め、最初に見つけたのがワタクシだったということでしょう……セイボリーは前後の状況と経緯をそう推測した。掘り出しオヤジなる人物が鍛錬平原側の慣らしの洞穴の出入り口にいつもいたはず、あの方にすればよかったでしょうに、とも一瞬考える。だがそういえば、彼とその妻で掘り出しマダムとか称する女性、それからマスタードが数日前に何やら話している横を通り過ぎたが、掘り出し夫婦が「今度息子たちに会う用事があってガラル本土に少しの間帰ることになった」だとか言っていたのを思い出した。それが、よりにもよって今日だったのだ。

「ふり……ぃ……」

誰かを呼ぶために振り絞っていた力がとうとう尽きたらしい。プレサンスのバタフリーがくずおれた。それでも、その直前にヨロヨロと彼女のもとへ近寄り、見るも無残な状態になってしまっている翅を目一杯広げ、トレーナーの上に覆いかぶさるようにして。翅が水を弾く鱗粉に守られているのを活かして、吹き付ける雨風から彼女を守るつもりのようだ。バタフリーを指して「この子とはずっと一緒」とプレサンスがいつか話していたけれど、ポケモンもまたその思いは同じということなのだろう。

それはともかく、かくなる上は。まずセイボリーはユニフォームのポケットからスマホを取り出し、テレキネシスでもって疑似ハンズフリー状態にしてからミツバの番号に発信した(彼のスマホにはロトムが入っていない。確かに便利だろうが、自分のエキスパートタイプの弱点を突くポケモンに頼るのが癪なのだ)。「誰かが怪我したり事故に遭ったりしたのを見たら、すぐにあたしに連絡しとくれ」と、入門した初日に教えられている。マスター道場は規律第一だとかの言葉があまり似合わないところだが、こういったことが起きた時の決まりはちゃんとあるのだ。そしてもし怪我の具合が、プレサンスの今の状態のように道場で消毒をしてバンドエイドでも貼れば大丈夫、とは言えそうにないものだったら、レスキューを呼びガラル本土へ搬送してもらう手はずになっているという。

「もし、ミセスおかみ!ダイ至急レスキューを鍛錬平原まで要請願うっ」
“セイボリーちゃん?どうしたの、何があったんだい!?”
「プレサンスが落石に巻き込まれたので彼女のバタフリーがワタクシに助けを求めてきまして!出血がひどい、このままでは哀れゴーストタイプの仲間入りです!!」
“! わかった、通話切らないでこのままにするんだよ!”

やはりそこは元経営者というべきか、ミツバはこの事態を受けすぐさま動き出した。電話口の向こうでは、パタパタという足音と彼女がマスタードを呼ぶ声がする。リビングに駆け込み、セイボリーから伝え聞いたことを夫に報せているようだ。

「フンヌ、ゥ」

一方、セイボリーは無意識のうちに岩に手を置いていた。どかそうと試みていたのだ。助けなくては人として最低だからとか、レスキューの到着を待てずにいたとか、そういう気持ちが自分を突き動かしているわけではないことはなんとなく解る。だが、この状況は深く考える猶予を与えてはくれない。百歩譲って他の門下生ならまだしも、なぜ嫌いなプレサンスのためにエレガントとはとても言えない姿を晒し、労力を割かなくてはいけないのか……そんな理由を考える前に体が勝手に動き始めていた。彼女を助けろ、という「さいみんじゅつ」を、何者かにいつの間にか掛けられていたかのように。

ただ、もしそうなら「あなたは岩を押し退けることができる」だとかの暗示も一緒に掛けておいてほしかったところだ。プレサンスの上に降って来たそれは、どれだけ力を込めて動かそうとしてもビクともしない。ようやく後ろから追い付いたヤドランもアシストパワー、もとい手助けしてくれているけれど、とても1人と1匹では手に負えそうにない。修行を適度に、ではなく適当にしてきたツケだというのか?

その間にも雨脚は強まり、プレサンスの顔はますます血の気を失っていくばかり。彼女のバタフリーだってこのままでは消耗していく一方だ。血の臭いに昂ったのか、ケンタロスの数匹が勢い余って小競り合いを始め、辺りには雨音だけでなく、彼らのツノがぶつかり合う音まで加わっていた。

セイボリーは濡れミネズミになって、次第に雑になっていく命令を口にしつつ手にありったけの力を込める。「動きなさいな、動くのです、動けっ!」メガネのレンズや帽子の上に浮かせているボールに、後から後から雨粒が伝い落ちる。シルクハットにも少しずつ雨水が染み、帽子に覆われている箇所の髪まで湿り気を帯びつつあった。

「く……ワタクシは、っ、いつかきっとプレサンスを見返さぬこと、には……!エスパーパワーで、あなたにブッ飛んでいただかぬ、ことにはッ!!〜〜〜〜……」

独り言は加速してやまない。ジャボも水を吸い、首回りにズッシリ重く食い込む。だが、そうなるだけの時間が過ぎたというのに、岩はまだプレサンスの上に居座ったまま。目にもの見せてやるはずの相手の命がもしも尽きたら、彼女に“不戦勝”できるし、その記録はずっと更新され続けるだろう。

けれど、そうなったとして全く嬉しくなどないというのに。いつかきっと「そんな体たらくなら置いていく」などと言い放ったプレサンスに追い付き、打ち負かしてやらないことには――。



……「いつかきっと」。そのときどうしてかセイボリーの頭に、その言葉がフラッシュバックしてきた。どこかで聞き覚えがある。そうだ、ジムトレーナーを外されたあの日にプレサンスに言われたことだ。思い出に、それも一番忌まわしいものに浸っている場合ではないのに、振り払おうとしてもまだ続く。



確か、そう、「そのすっごーい能力もいつかきっと何かの役に立つって」と……。



「ハッ!!!!」

そこでセイボリーは我に返った。プレサンスの言っていた「いつか」がまさしく今だということ。そして「そのすっごーい能力」、つまりテレキネシスが役立てられなくてはならない、ということに思い至ったのだ。現にスマホを浮かせているように、岩だって同じようにそうしてどこぞへ除けてしまえばいい!状況が状況だし、いくらリスペクトする相手がド忘れで知られるポケモンだからといって、こんな時にまで真似をしなくても!これも先日のバトルのあとに「いくら好きだからって頭の回転までヤドンの移動速度とオソロにしなくても」などと皮肉られた通りだ。ただその理屈で行くと(まさしくこれも皮肉なことに)彼女だっていわタイプに後れを取るむしタイプを好んでいるからといって、自分も岩のせいでこんな災難に遭っているではないか……。

ともあれ、そんな思いは速やかにどこぞへテレポートさせておいた。ヤドランを見れば、この状況でもやはり緊迫感などちっともない表情のまま。けれど、セイボリーの視線を受け止め、しっかりコクリと頷き返してくれたからには。やるしかない。

「ではまいりますよヤドラン。1、2の……3!」

テレキネシスを使う対象の質量がどれだけあろうとも、超能力者とエスパータイプのポケモンのエスパーパワーの前では「軽い」もの。セイボリーと相棒が力、それからタイミングを合わせて岩に向かって念じれば、それは途端にフワッと浮き上がった。まるで実はただの張りぼてだったかのようだ。次はどこか邪魔にならない地点へこの岩を移動させてしまうだけ。幸いすぐ近くには開けた場所がある。そこへ落とした岩はぬかるみに突っ込み、ビチャッと耳障りな音を立てて着地した。

「キャン!」
「ンモォー」

草むらから顔を覗かせ成り行きを見ていたヨーテリーとミルタンクが慌てて飛び退く。セイボリーは靴下に跳ねた泥がジワジワと染みてくる感触を不快に感じたが、ともかくこれでプレサンスを岩というくびきから逃れさせることはできた。少しばかり安堵の混じった息を吐き彼女を見下ろす。

「まったく……ハァ、世話の焼ける……!」

これでひとまずは、レスキューの到着をここで待つばかり……だがそう考えた矢先。

“……ちゃん!セイボリーちゃん!!あたしの声聞こえてるかい!?”

ミツバの声がスマホから聞こえて来た。無我夢中になっていたので忘れかけていたが、まだ通話中だったのだ。セイボリーは応答しようとしたが、息を整えるのがやっとでとても話せない。

“今レスキューが島に向かってるけど、鍛錬平原に霧が出てて着陸に手間取るかもって!”
「なんと!?」

一難去ってまた一難とはこのことだ。岩を相手に奮闘しているうちに雨は上がっていたが、今度はいつの間にか濃い霧がこのエリアに立ち込めていた。確かにこれではすぐには着けないだろう。

空から飛んで来るレスキューの着陸場所は、視界も天候も良く、かつ広くて障害物が少なく地面が固い平坦なところでなくては。その点今の鍛錬平原では不向き、砂地が多い海沿いのエリアや、開けていない洞窟や集中の森など論外。なれば……セイボリーは頭をメタグロス、あるいはフーディンのごとくフル回転させて考え付いた。

「一礼野原や清涼湿原は晴れでしたよね、ミセスおかみ!?」
“うん、特に清涼湿原はピーカンだよ!でもなんでそんなこと”
「ワタクシの超・すごい能力でもって岩は除けました!ので、お次は着陸がしやすい清涼湿原までプレサンスを迅速にエスコートいたします、よってレスキューにはそちらへ回るよう伝達願う!失礼!」

ミツバが何か言いかけていたようだったが、セイボリーにもう答える余裕は無かった。ヤドランに感謝してからボールに収め、シルクハットの上にいつも通り浮かせる。それから、プレサンスと彼女のボールとスマホの残骸(細かい部品まで拾い集めてはいられなかったので、本体の一部だけだが)、最後にバタフリーと自分のスマホも浮かせた。

しっかり意識を集中させたら、深呼吸を一つ――いつもテレポートの前に唱えている言葉を口に出し始めた。

「セイボリー……」

いつものテレポートよりもパーフェクトにしてみせる、という決意を込め、ほとんど叫ぶように。

「キョダイ・テレポートっ!!!!!」

そうして勢い良く走り始めたものの、たちまち息が上がって苦しくなってきた。だが止まるわけにはいかない。道に落ちていたヨロイこうせきが蹴飛ばされ、何度かバウンドして草むらに消えて行く。脇腹がキリキリと痛んで永遠に治まりそうにないほどだ。集中の森に差し掛かる。生い茂るガラナツのえだの先がセイボリーの手や顔を掠めて、いくつか擦り傷や切り傷ができたし、枝に絡まった髪の毛が何本か抜け微かな痛みが走った。木々の間を滑空してきたエモンガとあわや正面衝突しそうになったが、すんでのところで避ける。体を滝のように流れ落ちて行くのは、いつしか雨から汗へと変わっていた。この間ヨクバリスの大群に貪り尽くされたはずのダイキノコが、再びニョッキリと群生している地点を過ぎる。とはいえ、今はキノコ狩りを楽しんでいる場合などではない。

そうしてどれだけ走っただろう。何度も足がもつれて転びそうになりながらも、セイボリーはプレサンスを連れてとうとう清涼湿原に辿り着いた。首元にレスキューのシンボルマークを着けたアーマーガアがいる。ミツバはレスキューにこのエリアへ来るよう、ちゃんと伝えてくれたのだ。

「あの子ですっ、お願いします!」

ミツバがそう言いながら示す方、つまりセイボリーのもとへ、ストレッチャーや医療機器類を携えたレスキュー隊員たちとハピナスが急ぎ駆け寄る。その後方には、いつもの飄々とした雰囲気ではないマスタードと、珍しいことにハイドもいて事態を見守っていた。他の門下生たちも事故のことを聞き付けたようで、心配そうな面持ちで集まっている。何ができるでもないのは解っていても、仲間が危ないとあってはそうせずにいられなかったのだろう。そこへ大怪我を負ったプレサンスと、彼女とその諸々を汗みずくになって必死の形相で運んできたセイボリーの姿にみな一様に驚いていたが、彼はなりふり構ってはいられなかったのだ。

やがてレスキュー隊へプレサンスとバタフリー、それから彼女の手持ちの入ったボールが引き継がれ、応急処置のあと搬送の準備が整った。ストレッチャーに載せられた一人と一匹、それからハピナスに託されたネットボール4つが、レスキューアーマーガアタクシーの機内へと運び込まれる。

「フゥ……フゥ……シショー!あとをっ、何卒……頼みます……」
「うむ。セイボリーよ、よくぞプレサンスを救ってくれた!あとはワシが引き受けよう」

付き添うことになったマスタードがそう答えて最後に乗り込むと、すぐに機体のドアがロックされたという表示が出た。直後に機体は急上昇を始め、みるみるうちに小さくなっていく。

するとそのとき不思議なことに、セイボリーは息も絶え絶えだったというのに、レスキューアーマーガアタクシーに、いや、プレサンスに向かってこう叫んでいたのだ。

「っ、許しませんよプレサンス!ここでゴーストタイプの仲間入りを果たしてエスパータイプの天敵になるなど!帰ってこない、などっ」

その時点でレスキューはかなり地上から離れていたし、そもそもプレサンスは意識を失っていたし、耳に届くはずがないのは知っていても、それだけはどうしても伝えずにいられなくて。

――だが、その直後。

「セ、セイボリー君!しっかりするッス!」
「おい大丈夫カ!?」

呼び掛ける声が聞こえたが、セイボリーは意識が遠のいていくのを感じていた。そして体力も気力もとうとう限界を迎え、その場にバッタリと昏倒してしまった。



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