いつかきっと(前)


舞っていた風が止んだ。轟いていた鳴き声がフェイドアウトしていく。ビシュウウ、という音を立て閃光を放ちながら、プレサンスとセイボリーそれぞれのポケモンたちが元の大きさへと戻った。バトルが決着を見てダイマックスが解除されたのだ。

「勝負アリ!ヤドラン戦闘不能、よってプレサンスの勝チ!」
「やったぁ〜!バタフリーやっぱり最高っ」

審判役を務める門下生がジャッジを下すや、プレサンスは満面の笑みを浮かべて拳を天に突き上げた。勝利の喜びに浸るかのように、彼女のバタフリーも軽やかにトレーナーのもとへ舞い戻るとその手に触れる。ハイ・ファイブのつもりだろうか。

一方、バトルコートの反対側ではまさしく正反対の光景が繰り広げられていた。セイボリーのヤドランは、バトルコートの地面に顔から無様に倒れ込み、ドスンと鈍い音がする。その時立った微かな土埃が風に乗って彼の靴を少し汚した。二重の意味で「土を付けられた」わけだ。

「お戻りなさい、ヤドラン。よくやりました」

そこに歩み寄ったセイボリーは労いの言葉を掛けるが、自分の声が震えていることを認めざるを得なかった。それに目の前の手持ちには聞こえていないだろう。何せ、プレサンスのバタフリーのキョダイコワクの追加効果のせいでねむり状態にされ、大いびきをかいているからだ。テレキネシスでもって人差し指の上にモンスターボールを浮かべ、ヤドランに向けてかざせば、相棒はボールから出た赤い光線に包まれその中へと吸い込まれていった。

……アリ・エーヌ。セイボリーは唇をギリリと噛む。ショックのせいで、シルクハットの周りの他のボールまで落ちた。修行は自分なりに十分したはずだ。今度こそはプレサンスに一泡吹かせてやるつもりでバトルを申し込んだのに、忌々しいキョダイコワクにまたしてもしてやられるなど。彼が専門とするエスパータイプは、もともとむしタイプを苦手としている。とはいえ他の手持ちはともかく、どくタイプも持つヤドランがむしタイプにああも遅れを取ろうとは。一体、ワタクシに何が足りないと……?そう思うと、悔しくてならなかった。

「今度こそはって言ってたけど、また私が勝っちゃったー。ごめんね」
「ぐ……」

すると、セイボリーの近くにプレサンスの声がした。いつの間にか近寄ってきていたのだ。その方向を見ればフフン、といったふうに勝ち誇る彼女の姿。「ごめんね」などとは言ったが、言葉とは裏腹に微塵もそう思ってなどいないだろうことは、読心術を使えないセイボリーにもはっきり解っていた。

勝つ度に(つまりいつも)今のような表情を毎回毎回浮かべるが、いつ見ても何と嫌味なこと!ワタクシのエレガントな眼に映してよいものではないというのに――そう思いつつも、セイボリーはどうにか平静を装って「得るものはありました……お付き合いいただきどうも」とだけ返し、バトルコートを立ち去ろうとした。自分の不甲斐無さ以上に、プレサンスの様子にそんな憤りを覚えながら。

「で。いつ見せてくれるの?修行の成果っていうのは」
「……」
「秘伝のヨロイはこのままじゃ私のものかもねー」

背後から投げかけられるトゲのある声。これも、まただ。黙ってさえいればお人形のようなのに、プレサンスは気が強く、そして度を越した皮肉屋なのだ。まるで皮肉だけを集めた辞書が、やたらと優れたルックスとそれなりのバトルセンスを得てしまったかのように。

聞きたくなどない。テレポートしてしまいたい。でも、セイボリーにはそれがかなわない。

「言っとくけどむしタイプは進化が早いんだから。でもってむしタイプ使いもね」
「……あなた一体何を仰りたいので?」
「ウケるー!いくら好きだからって頭の回転までヤドンの移動速度とオソロにしなくてよくない?そんな体たらくなら置いてく、ってことだけど」
「おのれ言わせておけば!!」
「きゃーこわーい、テレキネシスで浮かされちゃーう」

自分のみならずヤドンのことまで侮辱され、セイボリーは今度こそエレガントさをかなぐり捨てて怒り出した。しかしプレサンスは芝居がかった悲鳴を上げたあと、ケタケタ笑いながらコソクムシと張り合えるほどの速さで彼のそばを離れ、成り行きを見ていた審判役のもとへ駆け寄った。

「審判ありがと。はーお腹ペコペコ!戻ろっか」
「ウム、それにしても腹も減ったが喉も乾いたゾ」
「自販機欲しいなあ。エネココアとか贅沢言わないからさ、最低限おいしいみずとかミックスオレとかだけの。でもって安く買えたらサイコーなんだけど。今度おかみさんにそういうの置いてくれないかみんなで相談してみない?何人かで言ったら考えてもらえるかも」

審判役とプレサンスはそんなことを話しながら、連れ立って道場へと戻って行く。彼も最初の頃こそ、彼女とセイボリーが一触即発の雰囲気になると仲裁してくれていた。だが、もはや最近では2人の険悪ぶりには慣れっこになっていて、首を突っ込むのは止した方がいいことを学習しているし、セイボリーもそんなことは望んでいないので、件の門下生を責めるつもりは無かった。

そろそろ夕食の時間だ。セイボリーがプレサンスの背中を心行くまでキッと睨みつけてやりつつ、十分な距離が空くまで待っていると。

「アラート!アラート!コノ間ノ大雨デヨロイ島ノ地盤ニ緩ミガ見ラレルロ!特ニ鍛錬平原デハ土砂災害ニ要注意ロ!」

ユニフォームのボトムのポケットに入れたスマホから、突然ロトムを模した音声が流れてきた。これはハイドがこの前開発したばかりのアプリの機能だ。門下生全員のスマホにインストールされているもので、まだ試作品ではあるがこの島の天候や、どの時期にどのポケモンが繁殖期を迎えた影響で気が立っているからどこそこで見かけたら注意するように、といったことを警告してくれるらしい。

――ワタクシが、みらいよちも使えたなら。セイボリーは耳障りだとばかりにスマホの音量をゼロにした。テクノロジーに易々とエスパーパワーを凌駕され、しかも曲がりなりにも超能力者である自分がそんなものに頼っている……プレサンスの姿が視界に無いことを確認したのち、彼はますます悔しさと苛立ちを募らせながら(腹のサッチムシがエレガントではない鳴き声を上げるものだからそれもあって)もっと早歩きになりバトルコートを去ると、出入口のドアのカギをしっかり閉めた。

食堂に足を踏み入れれば、当番で担っている配膳を務める他の門下生たちが、ちょうどセイボリーの分をよそったところだった。自らもあれこれ準備をしつつ配膳係に指示をしていたミツバが「おかえりセイボリーちゃん、ほら席に着いて」と迎える。プレサンスや先ほど審判をした者も含め、当番ではない者は既にみな各自の席に座っていた。

セイボリーは、プレサンスの位置を一瞥して確かめ――彼女から一番遠い席を迷わず選んだ。別に、プレサンスの隣に収まりたいなんて全く思ってはいない。セイボリーは同じ列の、彼女から一番遠い席を、この道場の門を叩いた日からずっと定位置にしていた。そうすれば、食事の最中にいけ好かない相手の顔を見てしまう機会を減らせるからだ。



セイボリーは、プレサンスを嫌っている。テーブルの対面で食事をするのも御免だし、彼女の名前を口にしたくないので、面と向かっても「あなた」と呼び掛けるくらいには。何故ならプレサンスは、セイボリーを落ちこぼれ扱いする親族たちとは別のベクトルで彼のプライドをサイコブレイクしてくるからだ。プレサンスが愛してやまないのが(セイボリーからしてみれば、だが)エレガントさのかけらも無いというのにエスパータイプを手玉に取るむしタイプだから、というせいもある。

「プレサンスちんは、むしタイプが心から好きなのねん。ただ、それは良いとして、トレーナーが弱気だと大好きなむしポケモンまで弱く見られるかもって考えて、皮肉屋キャラで強気に振舞おうって思ってるみたいだけど、それは本当の強さじゃないのね……あと、相手へのリスペクトに欠けるところがあるのも心配だねー」

いつか立ち聞きしたマスタードとミツバの会話の中で、師匠はそう案じていた。セイボリーは食事をしつつ、プレサンスと危うく目が合いそうになったので視線を逸らし、何となくそのことを思い出す。

だが同時に、セイボリーがジムトレーナーを外されることになった最後のジムバトルのあと、プレサンスが浴びせかけてきた言葉のほうがいっそう強く思い出されるのは何故だろう。食器の音や「ドレッシング取ってー」だとか「今日の修行はどうだった、ああだった」だとかの周りの賑やかな会話は、彼女があの日言ったことを掻き消してはくれない。

プレサンスとセイボリーには、因縁がある。彼がエスパージムのジムトレーナーとして最後に受けて立ったバトルで、プレサンスはセイボリーを完膚なきまでに叩きのめしたのだ。色々な意味で。

実はちょうどあの日の前日、セイボリーは「次にもう一度対戦相手にテレキネシスを使ったら、今度こそジムトレーナーを外す」という最後通牒を突き付けられていた。敗けた腹いせのその行為はもちろん問題視され、最初の数度だけは口頭での厳重注意だけで済まされてきた。

だが、そうしてしまう回数を重ねるうちに、やがて「エスパージムのジムトレーナー、超能力をチャレンジャーに使う!監督不行き届きか!?」などといった悪評が、ネットニュースやSNSを通じて拡散されるようになっていた。ポケモンバトルが興行として成立しているこのガラル地方においては、所属するトレーナーの素行が原因でジムのイメージに傷が付くなど死活問題。いくら今はマイナークラスとはいえ、今後メジャークラスに昇格した際のスポンサー集めなどにも影響するのだから……エスパージムを背負って立つはずだったセイボリーも、耳にタタッコができそうなほど聞かされてきたことだ。

しかしそれにもかかわらず、セイボリーはまたも自分を抑えきれずにプレサンスをテレキネシスで浮かせてしまった。そして、エスパージムには挑戦者がジムを後にする際、ジムトレーナーたちが全員で見送る習慣があるが、そのときに彼女はこう言ってきたのだ。

「何さっきのやつありえない。SNSでも噂なんだよ、あんたが勝てないのって“そーいうとこ”なんだろうねって。バトルに負ける前に自分に敗けてるじゃん?まあそのすっごーい能力もいつかきっと何かの役に立つって!応援してるからー」

……皮肉交じりのそんなことを、ありったけの侮蔑の気持ちを込めた眼差しでセイボリーを見ながら。

バトルにも、プレサンスの言う通り自分にも敗けた。最後通牒通り、彼女が帰ってから改めてジムトレーナーを外すと言い渡され、とうとうエスパージムにも居場所は無くなった。肩を落として家路に着いたあの日の惨めさは、きっと誰にも解るまい。ヤドンがマスター道場のチラシをどこからか拾って来てくれていなかったら、心のバランスを崩していたかもしれなかった。

しかし、セイボリーにとっての不幸はそれだけでは終わらなかった。

「おゲェッ!?」
「あのときのサイコ野郎?!」

二度と会わない人だったら良かったのに。何だってプレサンスと、しかも今度は同じ門下生として再会する羽目になってしまったのだろう。

ヨロイじま駅に降り立った時、セイボリーは近くの砂浜に見えるガラルヤドンの姿に胸を躍らせながら再起を誓っていた。すると、そこへ響いてきたのは「着いたよーバタフリー!頑張ろうねっ」「ふりぃ!」という声。聞き覚えがある、まさか、いいえそんなことは……セイボリーが恐る恐る横を見れば、やっぱりそこには誰あろうあのプレサンス。帽子の周りに浮かせているモンスターボールが、いつもの位置より高く浮いた。古いマンガのキャラクターが驚いて跳び上がるときのように。プレサンスもプレサンスで、セイボリーに気が付くや、整った顔に心底嫌そうな表情を浮かべた。

「最悪っ、なんでよりによって」
「それはワタクシのセリフですよレディ虫唾ランニング!念のため訊いておきますが、まさかマスター道場に入門するなんて仰いませんよね?素通りして観光オンリーでお帰りになるに決まってますよね!?」
「何なのその虫唾何とかって。私にはプレサンスってかわいーい名前があるんだから!てか、ヒトの計画決めつけないでよね。観光じゃなくてマスター道場に入門するために来たんだけど?」
「ああ、あああ……なんということ!ア!!リ!!!エーヌ!!!!」
「うるっさいなあ、私のバタフリーがビックリしちゃってかわいそうでしょ!そうだ、あんたジムトレーナークビになったみたいじゃん?どう?強くなれた?それとも何、あれ以来バトルの実力じゃなくてヒトのこと変なあだ名で呼ぶ能力ばっか重点的に伸ばしてたの?」

駅にいる人々に遠巻きにされてもお構いなしに、二人は互いを指さし合って、罵り合って。少ししてやって来たミツバに引き離されるまで、その「場外乱闘」は続いたのだった。

“おっとっとそうだ、実はセイボリちんと同じ日の同じ時間に到着することになった子もいてね。むしタイプ使いで、名前は……それは、え〜と……めんごめんごド忘れしちった!とにかくミツバちんが2人まとめて迎えに行くから、もし約束の時間より早めに到着してもしばらく駅で待っててちょ。せっかくだしバトルしてても良いよん!じゃ、そんなカンジでよろぴくねー”

2人を迫力で大人しくさせたミツバに率いられ、道場へ向かう短い道のりで、セイボリーは島に到着する前にしていたマスタードとの電話を思い出して内心で嘆いた。シショ―よ、何故あの時肝心なことをド忘れに、もといお忘れになったのですか……だが、もはやどうにもならなかった。

そんなこんなで、プレサンスとセイボリーは図らずも同期となったわけだが、彼女は先輩格の門下生たちに対しては多少礼節をもって接している。彼らもプレサンスの皮肉屋ぶりに触れた最初の頃こそ驚いていたようだったが、今ではもう「あの子はああいうキャラなんだ」というふうに大抵受け流すようになっていた。修行を積んできた分、精神的に成熟しているためだろうか。

ただ、プレサンスはことセイボリーに対してだけは特に辛辣だった。同時に入門したことや、なまじ以前彼を打ち負かした経験があることに加えて、エキスパートタイプの相性で有利なこともあってか、セイボリーを下に見ているフシがあるのだ。

まず、セイボリーの名前を面と向かって呼ばず「ねえ」とか「ちょっと」とか呼びかける。ミツバや他の門下生に窘められても改めるふうでもない。おまけに、少し前にプレサンスのバタフリーはダイスープを飲んでキョダイマックスができるようになり、彼女はセイボリーにとってますます目障りな存在になっていた。

一方、セイボリーもセイボリーだ。ジムトレーナーを外されるに至ったバトルでプレサンスが自分を破ったということを、負けず嫌いの彼はいまだ完全に直視できないでいる。そういう処分を受けた原因がそもそもは自分の行状の積み重ねにあるのに、彼女さえ挑んでこなかったら、と考えてしまう。そのくせエレガントに振舞おうとしつつも、プレサンスの皮肉を受け流せるだけのキャパシティーはまだ無い。だから、セイボリーはその物言いに腹を立てては、3パーセントどころではないフルパワーで勝負を挑むも、返り討ちに遭った挙句、自信を付けた彼女にまた何か言われて……という、嫌なループに陥っていたのだ。

“カントー地方出身、背番号826。これまでジョウト地方、イッシュ地方、カロス地方のむしタイプ使いのジムリーダーのもとを渡り歩いて修業を積み、カロスリーグとガラルリーグの交流事業の一環で推薦を受けジムチャレンジに参加。むしタイプの進化の速さに置いていかれないように、トレーナーも日々これ修行!最大の憧れはシンオウ地方のむしタイプ使いの四天王。マスター道場で更に腕を磨いて、ゆくゆくはこのガラル地方にむしタイプの魅力を拡散する“バズるインセクト・インフルエンサー”なジムリーダーになることを目指している“

――ダイスープを掬っていると、あるときプレサンスに「参考にして良いよー」と押し付けられた(そしてもちろんすぐに処分した)リーグカードの裏面の内容が、ふと脳裏に蘇ってくる。

忌々しい。セイボリーは思わず苦虫をかみ潰したような顔になって、ダイキノコの欠片を飲み込んだ。



翌日、ヨロイじまは鍛錬平原を除いて晴れ渡っていた。絶好の修行日和だ。門下生たちも三々五々、各々のメニューをこなすために島の各所へ散らばっている。

そんな中、セイボリーはお得意のテレポート……もといランニングで、鍋底砂漠に辿り着いたところだ。最近、彼は修行場所にここを選ぶことが多くなっていた。島のかなり奥まったところにある分、他の門下生もほとんど足を延ばさないから静かだし、ジャマも入りにくい。そのおかげで集中できるし、心なしかエスパーパワーも増幅しているような気がするのだ(ちなみに他の門下生は、なんだかんだ言ってやはり道場から距離の近いワークアウトの海や、清涼湿原を選ぶことが多い。それから、チャレンジビーチはマスタードとミツバの定番デートスポットなので、何となく避けておこうという暗黙の了解があった)。マスタードは、別に誰がどこで修行をしようと、各自が選ぶ場所が偏ろうと一切口出しなどしない。時々それとなく「この島のこと、みんなには色々知っといてほしいねー」と促すぐらいで。

ただ、セイボリーにとっての問題はいくつかあった。鍋底砂漠にあくタイプやむしタイプが出現することに加えて、プレサンスの大のお気に入りの場所がここからほど近い鍛錬平原ということだ。彼女が他の門下生と「どこの修行場所が好きか」という話題で盛り上がっているのが聞こえて来たときに(セイボリーには理解が及ばなかったが)、プレサンスは「やっぱ鍛錬平原!ストライクが飛んでヘラクロスがノシノシ歩いてる横でやるのが最高なわけ。お天気次第だけどハッサムやシュバルゴにイワパレスまでいるんだよ!カイロスがいないのが残念だけど」なんて嬉しそうに話していたし。ちなみに、続けて「ロトムじてんしゃ持ってたらなあ。ハニカームじまにダイマックスしたビークインがいるって噂でしょ、会ってみたいしあわよくばゲットもしちゃいたい」とも言っていた。全くもってむしタイプバカというべきだろうか。

ともかく、この鍋底砂漠に至るには必ず鍛錬平原を通らなくてはいけないが、プレサンスの視線に捕まって「次こそは期待してるからねー」だとかの皮肉を言われたくない。そんな窮屈な思いをしながら、ここを目指さなくてはいけないのは嫌だった。

そんなことを考えつつ適当に、ではなく適度にメニューをこなし、セイボリーは休憩を取ろうと岩陰に腰を下ろした。ヤドランもトコトコと彼の後ろに付いて歩き、その横に収まる。

「……ふぅ」

持って来たおいしいみずをヤドランにも分け与えてやったあと、セイボリーも飲んでから一息吐く。体を動かした疲れからか、瞼が下りそうになる。だがこれではいけない、とハッとする。寝ているヒマなどあるものですか、第一そうしていてはまたあの夢を見てしまう、修行をしていた方がマシでしょう。かぶりを振って自分に発破を掛けた。

セイボリーは昔から、時々悪夢を見る。内容は決まっていつも同じで、自分を否定する声を延々聞かされるというもの。「テレキネシスしか使えない落ちこぼれ」「輝かしき我が一族の恥」と、親族が声を揃えて嘲るのだ。そして、プレサンスと知り合って以来、何故かそこには彼女まで現れるようになって……「ワタクシだっていつかはきっと」と言い返したいのに、「かなしばり」でもお見舞いされたかのように口を動かせないまま、目が覚める。

夢の内容が少し頭を過るだけで、体が、それだけでなく浮かせているモンスターボールも、シンクロするかのように小刻みに震える。気が付けばじっとりと滲み始めていた汗の原因は、きっとこの一帯の気温のせいではないはずだ。

「やーん」
「あ……」

そこでふと、微かな振動を感じて我に返る。ヤドランがセイボリーの顔をじっと覗き込んでいた。心配そうな表情ではなく、いつもの呆けたような顔で。けれど、彼にとっては相棒のそんな様子が何よりの救いなのだ。セイボリーは珍しく毒気の無い穏やかな笑みを浮かべて、リスペクトする相手を撫でてやる。

「ありがとうございます、ヤドラン。ええそうですとも今にプレサンスなぞポンッ!ですよ。あんな腹立たしい顔をいつまで浮かべていられるか見もので……ん?あれは」

鍛錬平原の方向をキッと睨んでやったのと同時に、砂漠に影が差した。時々ここでも見かけるウルガモスか、と思ったが、もう一度見て違うと判った。プレサンスのバタフリーだ。ガラル本土のワイルドエリアとは違って、この島に野生のバタフリーは棲息していない。それに、色違いの個体だからピンクがかった翅と手足に緑の複眼を持っているし、何より何度かバトルの時に対峙してきたので、嫌でも彼女の手持ちだと判るのだ。

セイボリーは顔をしかめ、何故ホワイここに、それに動きがストレンジ、と訝った。バタフリーがここに姿を見せたせいだけではない。どうしてか風も吹いていないのによろめいていて羽ばたき方が妙なばかりか、そんな状態なのに一直線にこちらへ近付こうとしているからだ。敵情視察?それとも、文字通りむしタイプらしくお邪魔虫になってやろうとでも?……そう考えを巡らせていると。

「ヒャア!な、何です」

動転したセイボリーは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。バタフリーが彼のユニフォームシャツの裾を引っ張り始めたのだ。

「ふりぃぃ!」
「これお止しなさい引っ張るのではありません、いくらワタクシのエレガントな着こなしが羨ましいからといって!第一このシャツインスタイルを整えるのに毎朝何分掛けていると」

苦手なむしタイプ(それも嫌っている相手のエースときている!)にこれほどの至近距離で纏わりつかれ、おまけに服まで乱そうとされては黙ってはいられない。止めるように数度言っても聞かない――まるでいつかの誰かのように――。ポケモンはトレーナーに似るもの、そしてこのバタフリーはやはりあのプレサンスの手持ちゆえ、理解力が無いのでワタクシの言うことが解らないのでは?セイボリーはそう考え「次にしたらポンッ!ですよ」と警告したし、もちろんテレキネシスで何度か自分のそばからバタフリーを引き剥がしてやった。

「ふりぃ……」

バタフリーは疲労困憊といったふうだ。だが、それでも止めようとしない。必死に鳴き声を上げながら、諦めない。しきりにセイボリーの顔、それからとある方向を交互に見ながら、その視線の向く先と同じ方向にシャツを引っ張っている。その仕草は、まるで「こっちに来て」と言っているかのようだ。とうとうシャツの裾がユニフォームパンツからはみ出てしまった。

そのとき突然、セイボリーの頭にひらめくことがあった。バタフリーが指し示すあの方向、確か鍛錬平原では……昨日、土砂災害の注意報が出ていた。そして、プレサンスはそこがお気に入りの場所……セイボリーの背中を一筋伝い落ちた汗は、砂漠の乾燥でも干上がらない。先ほどのように例の悪夢を思い出したせいというわけでもない。彼は段々と解りつつあった。

「この子、キャタピーだったころからずうっと一緒なんだ。何があっても私のそばから離れないし、私も離れないよ」

聞いてもいないのにプレサンスは折に触れてそう豪語しているし、実際寝るときや食事の時間以外は常にボールから出して連れ歩いている。だというのに、何故彼女と別行動を取ってここにいる?

……もしや、焦っている?セイボリーは尋常ではないバタフリーの様子に、言わんとすることを推測して訊ねた。何故か、独りでに声が震えて。

「あれに……いえ、プレサンスに何かあったと。そう伝えに来たのですかあなたは」

するとバタフリーはその通り、とばかりにぴょこぴょこ跳ねた。改めて見れば、いつもしっかり手入れされている翅を怪我してひどい有様だ。先ほど飛び方がおかしかったのはこれのせいでは……やはりだ。やはり、バタフリーは、プレサンスにけしかけられて邪魔をしに来たわけではなく、彼女に何かあって助けを求めに来たに違いない。

「プレサンスのもとに案内なさい!今すぐ!」

ワタクシ以外の誰かをお呼びなさいな、と追い払うことなど、理由はなんとも説明のしようがないが、何故だかそのときだけは頭に浮かんでこなかった。

その言葉に頷いたバタフリーは、すぐさまセイボリーの数メートル前を先導するかのように飛び始めた。よろめきながらもふらつきながらも、主人のもとを目指して懸命に。それを追ってセイボリーも、大幅に遅れてヤドランも、慣らしの洞穴をテレポート、またテレポート。もといバタフリーを追って疾駆しながら、彼はいつもなら決して願わないはずのことを願った。ああ今回ばかりはどうか外れてください、ワタクシのみらいよち――!と。

「プレサンス!」

なのに。辿り着いた鍛錬平原で、セイボリーはその願いが届かなかったことを思い知る羽目になってしまった。



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