砂糖細工の鎖(完)


「なんて言うとでも思った?やっぱり今のはナシ」

前言を撤回してそう告げれば、ほんの束の間の安堵をいともたやすく砕かれた少女の目はますます絶望に染まって。自分の言葉に合わせて容易に揺れ動く瞳に支配欲が満たされてゾクゾクする。

(ああたまらない、そんなカオしたってそそるだけなのにね)

自分を解放するという待ちわびた言葉を翻されてプレサンスは唇を噛んだ。慕った相手に裏切られたことも相まってその整った顔にひどく打ちひしがれ傷ついた表情を浮かべている。どんな表情だって可愛いものだけどこのままでは唇が切れてしまうから止めさせないと、とプラターヌはそれを見やり…
と、そこではたと「その部分」の変化に気が付いた。腰にばっかり目が行っていたけど―おや、これは絶対間違いないね。確証を得た彼はこれでどうだとばかりにとびきり意地悪く、そしていやらしく囁いた。

「胸大きくなったよねー?前よりも服が持ち上がってる。やっぱり成長期だからかな?」
「!そんなこと、ない…です…」

プレサンスは一瞬はっと息をのんですぐさま否と言う。しかしプラターヌがそう言った途端に頬が目に見えてカッと赤らんできた。それに消え入りそうな語尾と遅れた反応を彼は見逃さない。伊達に幼いころからプレサンスを見ていないのだから。

「そんなことない?図星でしょ」
「ですからっ!本当にそんなことな」
「嘘つかないの。プレサンスは嘘ついてる時に本当のこと言われたらちょっと反応が遅れるし最後まではっきり言えなくなるって、僕はちゃんと知ってるんだからね…?やっぱり成長したでしょ。きっと触り心地いいんだろうなあ」
「そんな、そんなこと」
からかうように言えば、そう否定しながらも上げる声は上ずってもう悲鳴に近い。
「あるよ。よく見てるだろう?プレサンスの体も癖もね」
「やだ…やだあ…」
耳にも目にも刻まれる痕を残さない辱めを聞きたくなくて耳を塞ぎかける仕草も、手首を掴まれて阻まれてしまう。
「恥ずかしい?」
「さ、さっきからずっとそう言って…」
「でも感謝して欲しいな、君のことをちゃんと気にかけて見てるって証拠なんだからさ。あっほらうつむいちゃダメ、かわいい顔もっと見せてよー」
「きゃっ」

恥ずかしさのあまり顔は下を向きかけていた。これ以上プラターヌの声も目線も認識したくなどなかったのだ。が、顎を持ち上げられて鏡の方を向くように強いられてしまう。それに映るプレサンスの顔はもうマトマの実に間違えられそうなほど真っ赤だ。癖も知り尽くされて、ごまかそうとしても先回りされてどんどん袋小路に追い詰められてしまって―。

そこでついに、彼女の我慢は限界に達した。

「そ、それ以上続けるなら人に言いますからっ!」

プレサンスはプラターヌの方を向いてそう叫んだ。もう嫌だ、こんな屈辱を受けていたことを何故誰にも言おうとしなかったのだろう。今更ながら少女は自分の愚かさが嫌になってきた。自分の言葉で気づくなんておかしいけれど、一人で悩まずに誰かに告発すればよかった。

思えば土台おかしな話だった。こんな卑劣な行為の何が体調を見ることになるというのか。最初に「チェック」をしてあげると言われた時に何も疑わずに乗ってしまったのがそもそもの間違いだった。その時にいわば"前例゙ができてしまったからだ。
それからというもの、断ろうとしても「好意を無下にするなんていつの間にそんな悪い子になったのかな」と強い調子で言われたら、今まで優しく話を聞いていてくれていた彼が豹変するのが本当に怖くてもう否と言うことはできなくなって。そうしてそのままずるずると続いてしまった。話を聞いてくれる時は穏やかだから「チェック」をする気配などおくびにも出さない。だから毎回報告の度に話だけをして帰るはずが引き留められて。
ショックだった。いや、恥ずかしい、怖い、どうしてあの優しかった博士が、誰か助けて――そう叫びたかった。でも体に残らないぶん誰に、どう言えばいいのかさえ分からない。録音をすればいいかと思っても、始める前にカバンの中身を見られるからそういった類のものは取り上げられてしまって。だから為す術もなく、現実逃避にもほどがあるけれど、自分は悪い夢でも見たのだ、ゲンガーにでも操られたのだと思い込もうとしたことさえあった。でも決めた、もう目は覚めた。今度こそこんな苦痛から抜け出すのだ―


だが。

「構わないよ。でも君はそれでいいのかな?」
「え…」

プレサンスの叫びに対するプラターヌの返答はごく落ち着いたものだった。自分がしていることを告発すると言われているのに、言わないでくれと慌てふためくのを予想していたのに、なぜそんな反応が返ってくるのだろう。しかも私はそれでいいのか、って?どういう意味…?予想もしなかった展開に戸惑う。しかしそれをよそに彼はそのまま顔を耳元に近付けてきた。そしてそのさらに奥へ言葉を送らんとするかのように話を続ける。

「君はカロスでも指折りの名家のお嬢様である以前に、親御さんにとっては大切な大切な娘なんだ。だからなるべく外の風に当てないでいたいんだっておっしゃっていたよ。世間は綺麗なものばかりじゃないからその心配はごもっともだよね。なのに今みたいなことをされているって知ったら、ご両親はこの先ますます君を社会に出したがらなくなるだろうなと思ってさー。君は過保護なご両親やあらゆることがガチガチに決まった環境が嫌で嫌で仕方がなかったから旅に出られて色々なことを自分で決められるのが嬉しいって言っていただろう?なのに、ようやく手に入れた自由の素晴らしさをみすみす手放すのかい?」
「!」

痛いところを指摘されたプレサンスは言葉に詰まった。
プラターヌの言う通りだ。このことを公表すれば彼が何らかの制裁を受けるのは間違いない。そして自分もこの行為から解放されるだろう。

でもそれは彼女にとって旅を続けることを、もっといえばあれほど焦がれた自由を自ら投げ出すのと同じだった。博士たるプラターヌが仲立ちをしたからこそ両親も自分を送り出したのだ。しかしもし娘がそんな目に遭っていたと知れば、一度は考えを変えたけれど心配して旅を止めるように言ってくるかもしれない…いや、言われるどころかまた屋敷に連れ戻されるのは目に見えている。そしてそうなればこの先、また屋敷での変わり映えのない毎日に逆戻りだ。旅を再開できる可能性は――限りなく、ゼロに近い。
そんなのは嫌だ、ハリマロンともゼニガメとももっと一緒に冒険をしたいのに。ようやく失敗ばかりだったポフレを少しはうまく作れるようになって喜んでもらえるようになったのに。バトルに勝った時に喜ぶ顔をこの先ももっと見たいのに。初めて外の世界へ踏み出した経験を分かち合った仲間をそんな形で失うなんて嫌だ、未来を奪われるなんて嫌だ―

「もどりたく、ない…あんながんじがらめのところに戻るなんて、嫌…」

プレサンスはかぶりを振って訴える。家を離れて旅で自由を手に入れるはずだったのに、なぜこんな目に遭うのだろう。結局自分は自分を支配する何かから逃れられないのか。今までは家の、そして次はこのひとの。自分の境遇を呪う少女はただただ悲嘆の深淵へ沈んでいきながらそう思った。

「いいかいプレサンス。僕はね、何も君を閉じ込めてどうこうしようなんて思ってないんだよ。ただ」

近くにいるはずなのに遠くでプラターヌの声がする。一旦彼は言葉を切り。そしてまた一息に言った。

「君は今まで欲しいものは何でも手に入れてきただたろうね。でも、何かが欲しいなら何かを払う。それがあんなにも憧れていたこの【世の中】の約束事なんだ。汚いと思う?でもそこへ踏み出す以上守れないとねー?僕はそれも教えてあげたいんだよ。2つも、はだめ。2つに1つだよ。僕の言うことを聞いて旅を続けるか、それが嫌なら僕を告発して旅に出る大義名分を失うか…どうするの?どうしたいの?」
「…」
「答えて、黙ってちゃ分からないよ。僕の言うこと聞く?」

答は、…。心底愉快そうに投げられるその言葉に、しかし悔しさで体を震わせながら頷くことしかできない。はい、と言わなかったのは自尊心をいたく傷つけられても言葉まで従いたくないという最後のプライドの表れだったのかもしれないと、頭の片隅でぼんやりと考えながら。

「ん、その返事が聞きたかったんだ。良い子だねー!…それじゃあ、これからも僕の言うことちゃーんと聞けるね?」

コクリ―プレサンスはまた無言で首を縦に振り思った。
自分はプラターヌ博士という鎖に縛られてしまったのだ、それも砂糖でできたような甘くてずるい鎖に。砕こうと思えば砕いて逃げることはできるはずなのに。それは優しいのにしっかりと自分をからめ捕りそして――じわじわと毒して離さない。

首を振った動きに合わせて、とうとう涙が頬を伝い始めた。でもそれは細い透明な一筋を作って白磁の肌を濡らすと、そのまま重力に従い―そして、すぐにカーペットに染みこんで消えていった。



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