いつだってライバル


自分でも驚いたことに、最近オレは道に迷うことが減っていた。家族やソニアが知ったら腰を抜かすかな。ただ、いつでもというわけではない。オレ付きのリーグスタッフになったプレサンスくんとの約束があるかどうか――ここのところ少し意識するようになっていた相手との時間に、迷って遅れたくはない。そう思うと、何故だか足が自然と正しい方向に向かっているのだから不思議だ。もちろん、リザードンの道案内の能力が上がっているおかげでもあるけれどな。
ここはローズタワーの中、マクロコスモスのオフィスフロアにある会議室の一つだ。委員長の厚意で、リーグ関係の打ち合わせをしたり取材に応じたりする時に使わせてもらうことがある。予め話は付いていたから、オレが到着したらエントランスにいたスタッフがすぐにここへ案内してくれた。
大きな窓から見下ろすシュートシティは、今日もやはり賑わっている。薄雲の隙間から少し差し込んできた明るい日差しが、丁度飛んで来たそらをとぶタクシーのアーマーガアの翼に反射する。空から地上へと目線を移せば、ゆったりと回る観覧車と順番待ちの列を作る人々、発着するモノレール、そして何よりシュートスタジアム。スタジアムのコートでは、大勢のスタッフたちやポケジョブで手伝いに来たのだろうポケモンたちが動き回っていた。昨日はサイトウとルリナのエキシビションマッチが開催されたから、その修繕や整備に忙しくしているようだ。
……さて、プレサンスくんはそろそろ来るだろうか。スタジアムから今度は街の人混みに目を凝らすが、彼女らしき人は見当たらない。リーグスタッフのユニフォームで来ても見分ける自信はあるんだが、それとももうタワーの中に入ったのか?
――来た!やっぱりそうだな。聞こえて来た廊下を歩いて来る足音の主を間違えはしないさ。そしてややあって、ノックの音と待ち侘びた声。
「失礼します」
プレサンスくんが、やはりリーグスタッフのユニフォームシャツに身を包んで現れた。
「よう。来てくれてサンキューだ、プレサンスくん」
「あれっダンデさん!お早いですね」
「誘っておいて待たせてはなんだからな」
今日プレサンスくんをここへ呼び出したのは、キバナとのエキシビションマッチの打ち合わせに同席してもらうためだった。いつもならスマホのビデオ通話で事足りるが、あいにくオレが使っている端末の具合が悪くなったから対面でしようということになったんだ。そこで「もし今日、手が空いているなら今後のためにもどうだろう」と彼女を誘ったというわけさ。
ドアを閉めたプレサンスくんが近寄って来てくれることさえ、嬉しくて勝手に頬が緩んでしまう。落ち着け、あまりニヤけても不審がられるじゃないか。現に彼女も不思議そうにしているし。
「何かいいことでもありました?」
「あ、いや……ところでプレサンスくんも昨日の一戦は視ているよな?」
「もちろんです!キョダイシンゲキとキョダイガンジンのぶつかり合い本当にすごかったですよね、テレビで視てたのに拳も水しぶきも飛んで来るんじゃないかって思っちゃうくらい気迫があって」
「そうだよな。オレもあの様子を思い出しながらシュートスタジアムをここから見ていたら、昨日のバトルを観ることができてよかったと思ったんだ。そしてオレも負けないほどの、チャンピオンの名に恥じない戦いにしなくてはなと決意した。エキシビションは特に、トーナメント戦以上にアピールして魅せるために行われる……挑戦者を挑戦に、観客を応援に、スポンサーを支援に、それに推薦者を推薦に。そうやって、ガラルのあらゆる人々をジムチャレンジへと駆り立てる入口は素晴らしいものにしなくてはならない。それがこの地方のチャンピオンと最強のジムリーダーが共に果たすべき使命だと……おっと、済まない。一人で熱くなりすぎた」
「いえいえ。ダンデさんは本当にガラルのトレーナーのことをよく考えていらっしゃるんですね」
「ありがとう。だがオレ一人の力だけで実現できることではない。だからこそ綿密な打合せが要るし、リーグスタッフであるキミの力を貸して欲しいんだ」
「はい!」
オレが長々と話していた最中にも、感心した様子で(自惚れかもしれないがそう思いたかった)聞き入っていたプレサンスくんは、今度は笑って頷いてくれた。彼女に同調するようにオレも笑い返して、心の中で思う。
素敵だ。彼女のこのひたむきさ、一生懸命さに接する度、オレは胸の高鳴りを覚える。バトルの時とは違うそれを。なんでも、プレサンスくんは委員長の秘書のようになりたいと憧れているらしく、そのためにも色々なことを経験したいのだとか。オレとの初対面での自己紹介の時にも「バリバリ仕事ができる人になりたいので、どんなことも全力で頑張りますっ」と言っていた。正直に言えば、オレが委員長との打ち合わせに遅れた時に秘書が見せる怖さだけは真似てほしくないけれどな……。
するとそこへまた、軽いノックの音がして。
「よう」
「キバナか」
「悪い、宝物庫の用事で時間が押した……ん?そこのスタッフは」
入って来たキバナが、プレサンスくんに目を留めた。
「紹介がまだだったな。オレ付きのリーグスタッフになったプレサンスくんという。今日は今後の経験のために来てもらっている」
「そうか」
「プレサンスと申します。どうぞよろしくお願い……」
すると、プレサンスくんがそう言う最中に、キバナは何かに気が付いたかのようなハッとした表情を浮かべた。それからズンズン彼女の近くに歩み寄って。
「待てよ、オマエって」
「はい?」
「どこかで会ってるよな」
オレもプレサンスくんも、もしかしたら今頭の上にクエスチョンマークが浮かんでいるかもしれない。一方キバナはといえば、首を捻りつつお馴染みスマホロトムを操作している。しかしそこに手掛かりはなかったのか何度かスワイプしたあと手を止めた。かと思えば、今度はプレサンスくんを何も言わずに穴のあくほどじっと見つめている。バトルの時の、目が吊り上がった状態で。
「キバナさん?何か……」
彼女が恐る恐るといったふうに訊ねる。どこかで会った?他人の空似というやつじゃないのか。そもそも彼女は生まれこそガラルだが、子供の頃イッシュに引っ越してからそこで暮らした期間のほうが長いと言っていた。リーグスタッフに転職して久しぶりにガラルに戻って来てそう経たないというのに、いつ接点が……ところでキバナ、オレも他人のことは言えないが、上背がある男にそんな険しい目をされたら相手は怖がるだろう?というより、プレサンスくんをあまりジロジロ見ないでくれないか――そう言いかけた矢先、キバナに「先制」された。
「思い出した、オマエ小さい頃隣に住んでたプレサンスだろ!覚えてねえか?オレさまのこと」
「え……あーっ!うそキバナちゃん久しぶり!」
「マジ何年ぶりだろうなプレサンスと会うの。ただ“ちゃん”付けはナシだぞ。いくらあの頃はああ呼んでたとはいえ」
「ごめん、ううんごめんなさい。リーグスタッフは選手のことさん付けで呼ばなきゃいけなかったんでしたよね」
「いいって、他のスタッフがいないなら普通にですます抜きで呼び捨して」
「なあプレサンスくん、キバナと知り合いだったのか?」
……何だこの空間は、どういうことなんだ。目の前の二人はオレを置いて盛り上がりかけていた。純粋に二人の関係が気になったのもある、だがそれ以上にプレサンスくんとキバナの間に割って入りたくて、お互いをそんなに親しそうに呼び合う光景をこれ以上目にしたくなくて訊ねた。
「知り合いというか幼馴染な」
「よく一緒に遊んだけど、引っ越してからもう十何年も連絡を取ってなかったんです。なのにまさかまた会うなんて、二重の意味でびっくりですよ」
「二重の意味というと?プレサンスくん」
オレはもっと彼女に意識を向けてほしくて名前を呼びながら訊いた。何故なら今度は、彼女がキバナのことを目を丸くしながら見ていたからだ。大勢の観客の前に立ち、メディアやSNSを通して誰かに見られることには慣れているはずのキバナも「どうした?」と訝しげだ。
「こうして会ったのもですけど、私ずっとキバナちゃ……じゃなくてキバナのこと、女の子だと思ってた、から……」
「え?」
「おいおい」
「だ、だってもちろんキバナちゃ……キバナの名前は聞いてるしバトル動画だってたくさん視たんですよ?だけど名前に聞き覚えはあっても、小さかった時のお隣の子と名前が同じだけの別の人だと思ってた!だってお人形みたいだったキバナとジムリーダーのキバナが全然結び付かなくて。特にほらおままごとの時、私の持ってたフリフリドレス着ておもちゃのティアラ着けたら本当にお姫様みたいだったでしょ」
「そんなこともあったな。でも恥ずかしいからあんまり言いふらすなよ?」
「しないってば。まあ、だから」
プレサンスくんは、いったんそこで言葉を切って。そしてその続きを、少し照れたように告げたんだ。
「……カッコよくなったんだなー、って。そういう意味」
「ま、まあな。当然だろ?」
「プレサンスくん、キバナ。思い出話に花が咲いているところに悪いが、そろそろ今日の本題に入らせてもらうぜ」
話はまだまだ続きそうだったが、気が付けばオレの口は勝手にそう切り出していた。バトルの最中に次の一手を閃いた時、考えるよりも先に口が動いてパートナーたちに指示を出している時のように。


数時間後。
「じゃ、ここはそういう感じってことで」
「ああ」
打ち合わせはこれで終わりだ。と同時に、キバナがオレの右隣の椅子にまた目をやった。まるで、そうするのを続ければそこに座っていたプレサンスくんが戻って来るのを期待しているかのように。
だが、プレサンスくんはもうここにはいない。2時間くらい前に一旦休憩を入れようということになって、プレサンスくんはコーヒーブレイクの準備をしてくれたが、それを済ませたあと帰ってもらったからだ。「よろしいのですか?」と戸惑っていたし、オレの都合で振り回してしまったのは本当に悪いと思っている。だが、キバナの目にこれ以上彼女を映させたくないという気持ちに突き動かされて。プレサンスくんもこのあとキバナと話の続きがしたそうだったから、そうはさせたくないという気持ちを抑えきれなくて。引っ越してから連絡を取り合っていなかったとプレサンスくんは話していたし、今の連絡先だって知らないようだが、できる限り、キバナと引き離しておくに越したことはないと考えてしまった。偶然再会して盛り上がり、その後やがて……という話なんてありふれているじゃないか。
何となく解りかけている……これが嫉妬という気持ちだ、と。オレは今、キバナに対してポケモンバトル以外でも、つまりプレサンスくんを巡る勝負でも勝ちたいという思いをはっきり感じていた。片やチャンピオンとチャンピオン付きのスタッフ。片や、久々に再会した幼馴染同士。物理的な距離だけならオレが有利だ。しかし、小さい頃を数年だけとはいえ共に過ごしたその安心感という、オレにもどうしたって覆せないハンデがある。それにプレサンスくんがオレ付きのスタッフを務める以上、今後も彼女とキバナが顔を合わせる可能性はあるわけだ。
大体オレはまだ、彼女とは「プレサンスくん」「ダンデさん」としか呼び合えない間柄だ。先ほどの二人のように親しく話し合えるほどじゃない。だというのに、キバナは易々と、オレの目の前でそれを超えてみせてしまった――。
「やべえな、プレサンスのやつ……ああもストレートに言ってくれるなよな。オレさまそういうのに弱いんだって」
「……」
思わず漏れたらしいキバナの独り言すら癪で、軽く唇を噛んだ。長年のライバルのことはよく解っているさ、手の内も何もかも。そして今の言葉からして、アイツもプレサンスくんのことを意識したのだろうことは疑いようがない。
第一、キバナもキバナだ。プレサンスくんを思い出しているのか、緩んだ横顔。ルックスに関する褒め言葉なんて飽きるほど浴びて来ただろう?それを思い出して満足していればいいじゃないか。まさかプレサンスくんにまた言われたいと思っていないよな?
「じゃあな、今日はこれで」
「ああ。……そういえば」
「何だよ?」
「プレサンスくんを来週ロンド・ロゼのグリルに誘ったんだ。同じ街にあるとはいえ、迷わないようにしないとな」
本当は、まだOKをもらうどころか、誘いを掛けてすらいないのに。だがそれは当然伏せて、さり気なく呟いた。
チャンピオンとジムリーダーは、バトルの実力者であると同時に、観る者を楽しませる才覚も求められる。チャンピオンに就任して日が浅い頃「ハッタリも場を盛り上げるには必要なんだ」と周りから教わった。ただ、オレの肌には合わないと思ったから聞くだけ聞いておいてバトルの時にも利かせたことはなかったが、あの教えが今になって活きてくるとはな。
「……そうか」
さすがはオレのライバルというべきか。こちらの思惑に気が付いたんだろう。窓越しにキバナと目が合って――映ったアイツの目が、普段の垂れ目から変化していく様子が映る。喩えれば、宝を奪おうと企む者を見据えるドラゴンのそれのように。
「チャンプ様は新人スタッフにお熱か」
「その通り」
「偶然だなあ。オレさまは、その新人スタッフと幼馴染から違う関係になるのも悪くないとたった今思ったところなのよ」
オレたちの間に、何とも言えない張り詰めた緊張感が走るのを感じる。そのあと少しして振り返ってライバルに相対すれば、アイツもオレの視線を真っすぐ受けながら立っていた。
「キバナ。オレは今日、プレサンスくんという譲れないものがもう一つ増えた」
「感謝するぜ、上等だ。勝ち取る目標がもう一つ増えた方が燃えるからな」
薄雲はいつの間にか消え去って、燃えるような太陽の光が部屋いっぱいに差し込んできた。だが、その温度とオレたちのやり取りの、さて、どちらが熱かっただろう。



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