自覚はなく、恋心があるのみ


紅茶の残り香も消し飛ばすようなやり取りが、アラベスクスタジアムの一角に響いている。声の主はこのジムの新たなジムリーダーとなったビート、それからこの劇団付きの衣装スタッフであるプレサンスだ。

「嫌です!」
「そんな、今日採寸しなきゃお稽古に間に合わないって伝えたじゃないですかっ」
「絶対に出ませんからね!」

そこへゆっくりと、しかししっかりした足取りで歩いてきたポプラがそのやり取りを聞き付け、その方へ足を向けてみれば。

「どうしたんだいプレサンス。騒がしいね」
「あっ、失礼しましたポプラさま。ビートさんがどうしても部屋から出ないと言い張ってまして」
「なんだってまた」
「それが全然わからないんです」

すっかり困り顔のプレサンスが、ビートに控室として与えられている部屋のドアを示しながら答えた。すると、中からまた彼の声が聞こえて来て。

「思うにプレサンス、ぼくはあなたと出会ってから絶不調もまた絶不調なんです!何もかもあなたのせいだ!」
「な、何ですかそれ?全然心当たり無いんですけど……」

言い返しながらプレサンスは不思議でならなかった。本当にビートに何かした覚えは無いのだ。いくら年下の新人ジムリーダーとはいえ、そうでなくともプライドの高そうな彼の機嫌を損ねないよう彼女なりに気を遣ってきた。一度ジムチャレンジの資格を剥奪されたことはニュースになっていたから、そのことを話題にしないように気を付けるとかして。

というよりそもそも、ここのところプレサンスとビートは必要最低限の挨拶や事務的なやり取りぐらいしかしていないのだ、絶不調の理由を自分に求められるなんてプレサンスは思ってもみなかった。彼女だって最初の頃こそ、新しいジムリーダーをよく知ろうと、色々他愛のないことを話しかけた。だが、彼があまりにも無愛想でぶっきらぼうに応じるものだから、控えるようになってしまって久しくなっているのに。

それでも、ドアの向こうのビートはヒートアップしていくばかり。

「良いですか、ぼくはあなたに出くわす度顔が赤くなって仕方がない、現にこうしてドア越しに話しているだけの今だって!もしも直接顔を合わせようものならそのときこそぼくはきっとどうにかなってしまう!それに顔を突き合わせていないときでも、プレサンスのことをふと一瞬でも思うだけでもう胸がドキドキして苦しい!何をしてどんな顔でいるのか知りたくてたまらない!」
「私が悪いみたいなことになってますけど、体調管理だって大事ですよ?それじゃあ時間置きましょう。治ったら今度こそは出て来て下さいよ」
「先ほどから言っているでしょう顔を合わせたくなどないと!」

「早く出て来て」とプレサンスが言えば「何が何でも出ない」とビートが応じる。そんな押し問答はまだまだ続きそうな気配だ。通りがかった大道具と音声のスタッフが、怪訝そうな視線を向けてきていることにさえプレサンスは気が付かずにいる。



一方そんな彼らの傍らで、ポプラは困ったもんだよ、と言いたげな表情を作って成り行きを見守っている……かのように装いつつ、しかし内心ではよくニンマリせずにいられたものだと思っていた――何だい、この状況は。まるで愛の告白だ、このまま台本に取り入れさせたら喜劇が一本出来上がりそうなくらい面白くなってきたじゃあないか、とも。

確かに、ビートはプレサンスの前でだけは挙動がおかしくなるのだ。思えば、彼をアラベスクスタジアムに連れて行き、ジムトレーナ―やプレサンスも含めたスタッフと引き合わせた初対面からずっとそうだった。気が付いているのはポプラだけではない、ジムトレーナーたちやスタッフの間でも、度々「ビートさんは丸くなってきたように見えて、プレサンスといるとらしくなくなる」といった噂が囁かれてもいた。

いよいよ本格的にジムリーダー業を引き継いでいくということになってから、ポプラはビートにフェアリータイプのあれこれやクイズを朝晩叩き込むだけでなく、修行の一環として芝居の稽古もさせている。彼の生来のふてぶてしさと、のちにダンデを破ることになるチャンピオンのところへ、臆せず乱入しバトルを申し込むという豪胆さ。そんな性質は、舞台度胸を付けさせることで、ひいてはスタジアムで大勢の観客の前に立つときでもたじろがない強さへと変わっていくだろうと見込んで。

そしてそのためには当然衣装も必要になるので、ビートはプレサンスとも接することになる。だが、どうしてかその間中は目も合わせようともしないし、彼女に訊かれたことには答えこそしても素っ気なく二言三言で終わらせるのだ。そのくせ、ビートはプレサンスが自分のそばを離れると、はた目にもわかるほど彼女を目で追うし、視線が交わりそうになる寸前でフイッと逸らしてしまう。

それに、衣装を着けて行う稽古にプレサンスが客席で立ち会って、ステージでの映え具合などを確認しているときだって。舞台に立つビートは、セリフをとちりはしないものの、顔はもうほとんど赤といっていいくらいのピンクに染まる。照明とメイクで誤魔化せていると、本人は思っているのかもしれないが。

跡継ぎのそんな様子と、自分の長年の経験と勘で、ポプラはビートがプレサンスを憎からず思うようになっていること、それと彼女へのあの態度の原因は照れから避けてしまっているせいだということも見抜いていた。ある劇のセリフにあるように「恋をした男は素振りでわかる」ものだから。素直な性格でもなし、彼女のどこに惚れたのか死んでも打ち明けようとはせず、正確なことはビートのみぞ知るのだろう。けれどおおかた、これもさる劇作家が述べたように「誠の恋をするものは、みんな一目で恋をする」……早い話が一目惚れだろうということも。

実は、ポプラはビートにはある感情――恋だとか愛することだとかへの理解がまだ足りない、それを解ればよりピンクに近付くだろうにと考え、いつか目覚めることを期待していた。彼は生い立ちから言って、そんな感情をそもそも知ることも無かったはずだ。親と離されて保護施設で育ち、成長してからも強さとローズから認められることばかりを追い求めていたせいだろうか。

「穏やかなものにしか心を開かない」とされるミブリムから育てたブリムオンが手持ちにいるからには、ポケモンへの情愛はちゃんと持ち併せているはず。だが、それは良いとして、そろそろ人への愛情にも目覚めてもらわないことには、いつまで経っても人間としても役者としても幅が出ない……というのは建前だ。見込んだ後継者が誰かに想いを寄せるようになったらどうなるか見てみたい、という【いたずらごころ】を多分に含んだ好奇心こそ本音なのだ。

「ビート。あんた、プレサンスを好きになったんだろ」

ポプラはそう水を向けてみようかと考えたことも、あるといえばある。ビートは否定するだろうし、「まっすぐすぎる」そんな方法は、彼女にしてみれば実につまらないことこの上ないので口には出さないだけで。

しかし、ポプラは今確信したが、ビートはどうやら自身がプレサンスに恋をしているという自覚が全く無いようだ。恋の何たるかをまだ知らず、まっすぐだが捻くれた部分がまだ残るビートの言葉。他方捻くれていない分、その真意を読み取るのは難しいだろうプレサンスの性格。これが上手くかみ合わないのが最大の原因だ。プレサンスがイッシュ地方のポケモンミュージカルや、女優としても知られるカロス地方の前チャンピオン付きの衣装スタッフとして積み重ねてきた経験や才能は申し分ない。ただ、彼女は素直でまっすぐ。まっすぐすぎて捻くれた部分が無いのが面白みに欠けるが、そんなのが1人くらいいるのも悪くない……そう判断してスタッフに迎えたのだ。

そのときそうだ、とポプラは閃いた。たまにはプレサンスにも「役者」になってもらおうじゃないか、と。それに、ビートが自覚するまで、お節介は焼かずにいるべきかいないべきか、タイミングを見計らってきた。しかし今がそのときのはずだ。もどかしいったらありゃしない。惚れた腫れたは既に幕の上がった舞台のようなもの、違いは筋書きがあるか無いかだけ。後に引けない状況を作り出してやればいい……その時ポプラには何故だか、このままいけばビートが無意識のうちにプレサンスへの愛の告白を紡ぎ続けるだろうという予感があった。

そうと決まれば。ポプラはナックルシティでビートを見出した時と同じくらい素早く動いた。確かお誂え向きにこの辺りには、と振り返りながら壁を探り、掛かっているカーテンを除ける。すると小さな木製の扉が現れた。奇妙な小瓶の中身を飲み干して縮まなければ潜れそうにはない大きさだが、問題ない。彼女はすっと手を伸ばし、奥にあるスイッチを押した。

母から譲られたジムリーダーの座に加え、伊達に70年このジムを預かってきたわけではない。最古参のジムトレーナーさえも知らない仕掛けの存在もその操作のことも、ポプラは誰より知り尽くしている。その1つが、今ビートが籠っている部屋の音声がアラベスクスタジアム全体に響き渡るようにする、というもの。ここは劇団も兼ねている分、音響設備には他のスタジアムよりも力を入れているのは当然として、何故スタジアムの中ではなく普通の部屋にまでそんな装置があるのか。ポプラの母のそのまた母だったかが、何かの気まぐれで作ったと聞いたような……それは置いておいて。

「誰よりもプレサンスの近くにいたい、ぼくだけのものにしてしまいたいと願ってやまない!何より、あなたがぼく以外の大道具や審判の男のスタッフと接していたり他の男がプレサンスの話をしていたりするのを聞くだけで気分が悪い!ほらどうです、全部全部プレサンスが原因……え……!?」

アラベスクスタジアム中に、ビートの無自覚の告白が響き渡った。そこまで一息で言ってのけてようやく、彼は気が付いた。いや、気が付いてしまった。さっきのは、あんな言葉は、まるでぼくがプレサンスのことを、好きって言っているみたいじゃないか……!?ビートは自分の今しがたの言葉を頭の中で反芻して卒倒しそうになった。顔はもはやピンクどころでは済まない色合いになっているに違いない。途中までの勢いの良さはどこへやら、戸惑うその声は尻すぼみになってか細くなっていく。

「えーと……どういうことなんだろ」

一方、鈍感なことにプレサンスは何が何やら解らないといった顔だが、ポプラはご満悦だった。新しいブランドの紅茶を気まぐれで試してみたら思いがけず気に入った時のようにニヤッとしてしまう。さあ、次はどんな場面になるかと待ち構えた、その直後。

「ああもう!」

叫びながらビートが部屋から飛び出してきた。驚いたプレサンスは「ひゃっ」と飛び退いたが、彼は構わずそのままスタジアムの中を走っていく。

「あらあらまあまあ」

ジムトレーナーのコトが笑いながら見送る横を駆け抜け。

「いやはや、このスタジアムの音響はやっぱり良いボルね〜」

そんな明後日の方向のコメントをするボールガイを追い越して突っ走り。気恥ずかしさに突き動かされるまま、ビートは一直線にスタジアムの出入り口を目指した。とにかくここではないどこかへ行きたくて。一体誰が、劇のセリフでなく無意識の告白を大声でジムスタジアム中に知らしめたいなんて望むだろう!さっきのは十中八九あのバアさんの差し金に違いない!と思いながら。

そしてその後ろを、巻尺を手にしたプレサンスが追うが。

「ちょっとビートさんどこ行くんですか採寸まだなんですけどー!!待ってくださいよーっ!!!」

彼女は自分が告白されたことに全く気付いてはおらず、むしろ自分の仕事である衣装のほうにばかり意識が行ってしまっていると見える。

「やれやれ……でもこれだから、誰かにピンクを求めるのは止められないね」

さあ、お次はどうしてやろう?矍鑠たる魔術師は、目の前の奇跡的な喜劇を今度こそニンマリと鑑賞しつつ画策する。「真の誠の恋はいばらの道」などとも言うけれど、次はどんな手でもって、目を掛けているスタッフと後継者を接近させ、「ピンク」にしてやったものか……と。



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