彩って


カーテンや家具の黒。壁の白。そして、ところどころに少し混ざるクッションだとかの小物のピンク。そんな三色だけでまとめられている空間に、今日は明らかに違う彩りが「お邪魔して」いた。パステルカラーを纏うプレサンスだ。
「ふー、美味しい」
「……」
この空間の主であるネズは、何も言わないまま目の前のプレサンスをチラッと見る。それから、釘付けにならないようにと密かに苦労しながら目線を逸らす。いいなと思ってる相手にいきなり来られたこっちにも心の準備ってものがあるんですけどね、と心の中で呟きながら。
ただ、そうしたところで想い人の存在を掻き消してしまうことなどかなわない。耳がいいことは、ネズ自身も多いとは言えない長所の一つだと認めているが、この時ばかりは誰か何でもいいからとにかくノイズを立ててくれと願ってしまう。
紅茶はぬるめに淹れた。それに別にプレサンスはエネコ舌、つまり熱いものが苦手なわけではないはずなのに、どうしてこんなにゆっくり飲んでいるのだろう。ここにまだまだ居座りたいのだろう。現に、この前キルクスタウンのおいしんボブからの生中継番組に出ていた彼女は、熱々のステーキを二、三度フーフーと息を吹きかけ冷ましただけですぐさま口に運んだあと、美味しそうに平らげて「熱々ジューシーです!」とか言っていたくせに。
スパイクタウンは、相も変わらず静かなまま。紅茶を味わうプレサンスの吐息、その度に微かに震える空気。脳が止めろと叫んでいるのに、耳が全力で反抗して聞こうとしている。もういっそ、そこに自分でノイズを立ててしまうことにしよう。ネズは自分の分もカップを取り上げ、溜息を吐いてプレサンスに言葉を掛ける。
「確かにおれはああ言いましたけどね。だからって、どうぞ押しかけてください大歓迎ですって意味でもなかったんですよ?」


ニューアルバムも録り終わってプロモーションも一段落ついた。音楽雑誌の対談だとかも向こうしばらく入っていない。新たに加えたストリンダ―も含めた手持ちの底上げもしつつ、マリィがジムリーダーに就任してしばらくはリーグ関係の会議だとかにもひとまず付き添っていたが、彼女もそろそろ独り立ちができそうなのでその頻度を徐々に落とすようにしていた――プレサンスが、スパイクタウンはネズとマリィの家を訪ねて来たのは、そんなころだった。
「こんにちはー!もう呼ばないでくださいよ、って言われたんで来ちゃいました!」
ドアホンが鳴って、何かのセールスかと一瞬考えた。そういうものは無視しているし、通販で何か頼んでもいない。それでも何故だか足は勝手に動いて、応答してみればあっけらかんと笑うプレサンスは高らかにそう言ったのだ。
こうなるかもしれないことを、ネズは薄々わかっていた。プレサンスが自分に恋をして、そのお悩み相談をするのを実は何度か耳にしていたからだ――例えば。ダイマックス騒動のときに知り合うことになったソニアという研究者は「この際、ネズさんとこに押し掛けてアプローチしちゃえば?」と提案していた。顔馴染みのルリナも「メイクを教えてほしいっていうのを口実にしたらどうかしら。私に断られちゃったってことにしておけば、彼のことだから力になってくれるわ」とアドバイスしていた。更には妹まで「この日の午後だったらアニキ必ず家にいるけんね」とプレサンスに教えていた。
そんなビデオ通話を、シュートスタジアムのひと気のない廊下の曲がり角で、あるいは家でドア越しに(盗み聞きするつもりなど当然なかったが、何故か彼が足を向けた先々でプレサンスがそんなことを相談しているところに出くわしてしまうものだから)聞いていたからこそ、こうして出かけなかったのだ。
「もう呼ばないでくださいよ」
――あの妙な兄弟が引き起こしたダイマックス騒動が解決を見た日。ネズは確かに、プレサンスに向かってそう言った。事態に対処するため、ガラル全土を東へ西へ、北から南へ。共にそうするうちに、プレサンスがかつて挑戦者としてジムリーダーの自分を見ていた視線ではない、もっと別の想いを込めた眼差しを向けてくるようになっていたことは気が付いていた。ネズだって、その間に彼女を好ましく思うようになっていたのは事実だ。
……でも。おれが釣り合うわけないですって。ガラルでこれから一番陽の当たる道が約束されている彼女と、廃れていくばっかりの街の前ジムリーダーなんて。あの時は状況が状況だったし、プレサンスはおれを頼りになる大人みたいに思ったのかもしれませんけど、おれの本質はダメなやつなんであって幻滅されるに決まってて……そう、歳が近いんだから元チャンプの弟とかとイイ感じになればいいんです……そんな気持ちもあって、自分の気持ちに相反するあの言葉が出てしまった。でも、そのうち後悔の念が押し寄せて心が泣きそうになりながらマリィに心のうちを話したら「好いた相手にそう言うなんて接点作りづらくなるに決まっとるし!」と(モルペコも同調するように「うららぁ……」と鳴いて)、哀れみとも呆れともつかない目で見られながら言われたのはさすがに堪えた。
そんなところへ来たプレサンスを、どうして追い返せるだろう?
「それで、ご用件は」
「メイク教えてほしいんです!ネズさん教えるの上手そうなので」
「何だっておれなんです?チャンピオンともなれば腕のいいメイクが付いてるはずでしょ」
「ま、まあそうなんですけど」
ダメですか、嫌ですか。プレサンスの視線が問うている。そんなはずがない。嫌だったら、そもそも居留守でも何でも使って家に上がらせるものか。ネズは困ったふりをしながらまた口を開く。
「それにメンズのメイクとは違うはずですし、同じジムリーダーに教わるにしたってルリナあたりのほうが」
「それがその、ルリナさんには断られちゃって」
「……まあ、それなら。こっち来てください」
「やったぁ!」
ここは思惑にはまってやることにした。ネズが促すなり、先ほどの落ち込みぶりはどこへやら。ぱあっと顔を輝かせていそいそと付いて来るプレサンスに、高鳴ってしまってどうしようもない心臓の音が聞こえなければいい、と自分の部屋へ促す。ドアは開け放したままにしておいて。
「メイク道具たくさんありますねぇ」
感心したようなプレサンスの声に、思わず気持ちが高揚する。ドレッサーの周りには、きっちり並べられたメイク道具あれこれ。彼女に似合いそうな色味のものをすぐ取り出せるよう用意していたなんてことは、ないのだ。
「で、まずはですね」
できる限りゆっくり進めようと決めたのは、それだけプレサンスと一緒にいたいから。自分の手で更に美しくなっていくだろう様子を、独り占めしたいから。
そして数十分後、鏡を見つめて「わぁーきれい!ありがとうございますっ」と無邪気に喜ぶプレサンスが見つめるのは、ネズではなくて手鏡。彼女の視線の先にある鏡が羨ましくてたまらないなんて、今はとても言えない。嬉しそうに言葉を紡ぎ続けるのは、ショッキングピンク一歩手前の、濃いめのピンクに染めた唇。最後に美しく彩った唇を「どろぼう」しても“無罪放免”になる日は、まだ遠いだろうか。それとも。



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