てばなさない


そらをとぶタクシーでエンジンシティに降り立つが早いか(決済は先にスマホロトム経由で済ませてある)、キバナは他の通行人の邪魔にならないよう隅へ寄った。目聡く彼を見付け「ねえあれ、もしかしてキバナさんじゃない?」などとヒソヒソやり出す者もいたが、今はプライベートだから他人のフリだ。

指をスイスイ動かして、スマホロトムのスリープ状態を解除する。まずは地図アプリを起ち上げ、目的地をGPSで表示して……あの角を右に曲がれば約束したカフェだ。現在地からほど近く、ちゃんと道も合っていることを確かめてから終了した。よく行く店ではあるけれど、念には念を入れて。

……だが本当に、今日で良いんだよな。そして夢じゃないんだよな?胸を高鳴らせるキバナが次に起動させたるはカレンダー機能だ。画面に目を凝らして、想い人であるプレサンスとの初めての約束の日時を間違えていないか、もう一度見た……大丈夫だ、今日だ、これからだ。歩き出しながら安堵の息をフウッと吐く。思いがけず大きく吐き出し過ぎたか、すれ違ったカップルが何事かとキバナの方を振り向いたが、今の彼はその視線を気にしてはいられなかった。

「モクテキチマデアト10メートルロト」

しばらく歩き角を右に曲がったら、果たして目当てのカフェの名前が書かれた看板が目に入ってくる。同時にスマホロトムからも、目的地が近いと告げるナビ音声が流れた。

緊張してるな、オレさまらしくもない。いくらプレサンスと初めて2人きりだからってなあ……ソワソワした気持ちを押さえつけるかのように、キバナはしっかりセットした髪を(大して乱れてもいないのに)撫で付ける。通りがかったブティック――自分がプロデュースしたブランドの服を着たマネキンが展示されている――のショーウィンドウに映った自分の顔には、やはり緊張が見て取れる。苦笑いしたあと、また大きく息を吸った。自分のことは自分が一番よく解っているもの。今覚えているのが、鍛えに鍛えたんだ今回こそは、という気持ちでダンデに挑んでいた頃とはまた違う類の、未知の緊張だということも。

それでも、これから逢うプレサンスの前ではいつも通りの余裕を見せていたい。生まれて初めて自分から好きになった相手とのデートだけれど、こんなこと慣れているんだというふうにスマートに振舞わなくては。緊張をどうにか紛らわしたいのと、それから想い人と過ごせる時間はいよいよ目前に迫っているのだともう一度実感したいのもあって、今度はスマホロトムの音声アシスタント機能を呼び出してみる。

「ヘイ、ロトム。プレサンスとカフェに行く約束の日は今日だよな?」
「キョウデアッテルロト」
「時間は」
「キョウノ14ジロト」
「プレサンスとの待ち合わせ時間まであと何分だ」
「アト、ヤク10プンロト」
「サンキュー」

スマホロトムはキバナの質問に一々きちんと答えてくれる。だからその流れのまま「そのカフェでプレサンスが好きそうなカフェのお勧めメニューは何だろうな」と言いそうになったけれど、そこで止めておくことにした。こればかりはロトムに訊かず、プレサンスに直接確かめるべきだ。そうすれば彼女と話す口実ができて、好みもしっかり掴めるはずだから。

店のドアには【本日貸切】という札が掛かっているが、貸切予約を入れたのはほかならぬキバナ自身だから気にせず中に入った。プレサンスには「私今日リーグ本部で打ち合わせあるんですけど遅くなっちゃうかもなので、早めに着いたらお店に先に入っててもらえませんか」と言われているから、その通りにさせてもらうことにしたのだ。四十がらみのマスターは心得ているもので、有名人であるキバナを前にしてもさして騒ぎも驚きもせず(最初に訪れたときもそうだったので、だからこそここを行きつけにしていた)「こちらへ」と、外から見えにくい席に案内してくれたあと、洒落たデザインのメニュー表を置いて下がっていく。キバナはもう頼むものを決めてあるが、プレサンスとタイミングを揃えて注文したいので、オーダーは後回しにしたいと告げておいた。

いつものキバナなら、待ち合わせ中にはやはりスマホロトムをいじって時間潰しをする。お馴染み自撮りをしてSNSに上げたり、スポンサー企業から提供された服や小物と私物との組み合わせを服を管理するアプリで考えたり。それにトレーニングのメニューや、ダンデがチャンピオンだった頃は彼とのバトル動画を見直して次の戦略を練ったりもしていたものだ。

でも、今日ばかりはそうしない。ワンパチが3匹連なってひた走るモーションのスタンプが添えられた、プレサンスからの「もうすぐ着きまーす!」というメッセージに「了解。待ってるぜ」と返してから先は。

もうすぐだ。テーブルの下に隠した手で喜びのあまりグッとガッツポーズをして、キバナは出入り口をじっと見据える。通された席の方向を、店の出入り口から見た場合をもとにしばし考えたのちポーズを取り固定して待つ――自撮りをするにあたって何度も研究して得た成果を活かし、到着したプレサンスの目に自分の横顔が一番映えるだろう角度で。ひとえに、プレサンスに格好良いと思ってもらうために。



チャンピオンにしろジムリーダーにしろ、有名人の仲間入りを果たせばガラルの多くの人々に知られることになる。そして同時に、名前と表面的なこと以外を知らない人々からも有名税とでもいうものか、良くも悪くも色々とまあ好き勝手言われるようにもなるものだ。

そして、キバナの場合は。

「ダンデに勝つとか言ってたけど多分あの顔だから女に不自由しなくて、ソッチのことに意識逝ってるから結局負けっぱだったんだろーな笑」
「雰囲気的にめちゃくちゃ遊んでるっぽくない?SNSもよくやってるしそこで女ファン漁ってそうじゃん、てか実際とっかえひっかえらしいし。ヒくわー」

……キバナ自身は全く気にしてはいないが、SNSに寄せられるコメントであれ、街に出たときにどこからか聞こえよがしに飛んでくる声であれ、大まかに言えば「女遊びが激しそう」といったことを謗ってくる声は決して小さくはないのだ。

実際、キバナが異性に人気があるのは確かだし、彼自身もそのことを自覚している。ガラル地方最強のジムリーダーたる実力を誇り、ファッショニスタで、おまけに容姿にも恵まれているとなれば、そうならないわけがない。今日は変装しているので気が付かれにくかったのだろうが、そうしないまま街に出ればたちまち歓声を上げる女性ファンに取り囲まれる。それに以前、マクロコスモスの傘下だったIT企業が放送するネット番組の企画で調べたところ、キバナのSNSアカウントのフォロワーの割合は女性7対男性3の比率だった、らしい。

おまけに私こそは、と自信のあるらしい異性が向こうからキバナにモーションを掛けてくるのもしょっちゅう。例えば、雑誌の取材を受けた際に付いたスタイリストやスポンサー企業のPR担当社員が、いつの間にかキバナの服のポケットに電話番号とSNSアカウントを書いた名刺をこっそり忍ばせていたなんてこと、一体何度あったやら。

しかし、モテるのは確かでも、実を言えばキバナは恋愛に受け身だった。プレサンスに惚れるまで、彼から誰かを好きになって一生懸命アプローチしたという経験が無いのだ。

恋愛経験自体はある。寄って来た女性たちのうち、外見だけは好みに近い数人と交際したのだ。けれど、結局そんな彼女たちとはいつも長続きしなかった。深い仲になるまでもなく相手から別れを切り出され、キバナは食い下がるでもなくあっさりと終わる。そんなことの繰り返しだった。

そもそもキバナは忙しい。多くのジムチャレンジャーがカブに勝てずに断念するとはいえ、自分の鍛錬とジムトレーナーの育成といった、ジムリーダーとしての務めを怠ることは許されない。その他にも宝物庫に関するあれこれもあるし、流行をキャッチしてファッションセンスを磨くことも必要だし、スポンサーとのやり取りにSNSの更新に取材対応も……時間はいくらあっても足りないから、それらのことを優先させるのなら恋人に割く時間はどうしても短くならざるを得ない。相手から連絡はもらっても、彼から入れないのもザラだった。

それに(プレサンスがチャレンジャーとして現れる前だが)たまに恋人と会ったときの話題が99%「ダンデに勝つためにどうするか」ということばかりだったのも原因だろう。「今度こそアイツに勝つために、まずはジュラルドンのわざをああしてだな……」云々言われても、ジムリーダーほどのバトルのエキスパートでもない相手はとても追いつけない。最初は作り笑いを浮かべつつも話を聞いていた相手も、恋愛にはおよそ関係が無い話ばかりされるし、自分のことは何も訊いてこないしで、キバナの関心が自分には向けられていないことを悟り、顔かたちだけで好きになるんじゃなかった、と冷めて去って行く。

それでも、キバナは関係を解消することになろうとも思うことは特に何も無かった。付き合ったのは気まぐれに過ぎなくて、心からその相手を好いたわけではないので傷付きようもないからだ。

でも、プレサンスだけは違う。自分から慎重に近づきたい、もっと彼女のことを知りたいと初めて思った相手なのだ。バトルのことを熱く語ってもウンザリされるどころか、詳しい者同士話の弾むことといったら。バトルの話一辺倒になっても嫌がらないどころか耳を傾けてくれるところも好きだ。キバナはいつしかそんな話題だけでは飽き足らず、プレサンス本人のことを知りたいと思うようになっていた。「控室でちょっと喋るんじゃ物足りないからな、どこか静かなところで2人だけで会えないか」と持ち掛け、今日の約束を取り付けたときは、試合中よろしく嬉しすぎて思い切り叫んでしまったくらいだ。

――だが、それに加えてもう1つ。プレサンスのとあるパーツは、キバナを魅了してやまないのだ。


しばらくして、トントントン、3回扉をノックする音が聞こえた。店内の掛け時計を見れば約束の時間ジャスト。心臓が高鳴り出す――来たな。キバナは横顔のベストポジションをキープしたまま、目線だけドアの方へやる。到着したらこの合図をするようプレサンスに伝えてあるのだ。

「いらっしゃいませ」
「キバナさーん!お待たせっ」
「よう、お出ましだなプレサンス」

1、2、3。もういいだろう。横顔を3秒プレサンスに見せたあと、キバナは何でもないふりをして軽く手を上げ挨拶した。小柄な想い人が小走りで駆けてくる様子に、自然と彼の頬は緩んでやまない。

そうだ、宝物庫でもそうだった。ちょこまかと動いては、キョロキョロと辺りを見回し、タペストリーだとかを目を丸くしてじーっと見る。プレサンスは小柄な分、ホルビーやホシガリスなど小型のポケモンの動きを思わせて、自然と目で追っては目を細めてしまうような愛らしさがあるのだ。しかも、入って来たプレサンスと目が合った――しかもニコッとされた!彼にとっては大事件だ――ことで頬の緩みは加速していくばかり。

オレさまとしたことが、ペース狂わされっぱなしだぞ?キバナは自分に呆れた。恋がオレさえも変えるのか?それもこれも全部、プレサンスが可愛いせいだ……このままだと、ニマニマとデレデレが混ざり合った、想い人の前ではとても浮かべるわけにはいかない締まらない顔になってしまいそうだ。その原因であるプレサンスに、キバナはもちろん心の中で愛を込めた八つ当たりをしてやりつつ、必死に堪えていつもの穏やかな笑みになるよう努めた。

そして数分後、注文したメニューもすぐに来た。プレサンスは早速、カップを持ち上げようとしたのだが。

「……さん?キバナさんっ。飲み物来ましたよ」
「ん」

メニュー表をどれがいいかなとなぞる手に、キバナはずっと釘付けだった。今日こそ焦がれてきたあれに触るんだ、と決意を新たにしながら一口飲んだあと、手をそっとプレサンスの方へ伸べて。

「手!あー、その。触って、いいか」
「へっ……もう触ってますけど?」
「っそ、そうだったな!」
「キバナさんって面白いですねー」

やってしまった。余裕なんてすっかりどこかに吹き飛ばされてしまっていた。本当ならこんな断りなんて入れずにごく自然に触れて「ほら、オレさまってスマホロトムよくいじってるだろ?つい癖でな、プレサンスの手もなぞりたくなって」……照れを隠してスマートにそう言うつもりだったんだが、とも思いつつ。お許しが出たので、ここは遠慮なく。

スマホロトムをよくいじる癖に託つけて、アプローチのためプレサンスの手を触る――それもまた、今日の目的だったのだ。プレサンスの手。ダンデからさえも勝利をもぎ取った、強者の手。ダイマックスさせた時に大きくなるボールなど、プレサンスの手には文字通り大いに手に余って少しよろけてさえいたのに。こんなにも、華奢で小さくて柔らかいなんて。壊してしまわないよう、そっと、優しく。

「っ」

プレサンスが微かに漏らした吐息に、キバナは背中をゾクゾクしたものが走るのを感じた。プレサンスが嫌がっても、手を離してやれる自信がもう無い。

そのままスマホをタップするかのように、プレサンスの左手薬指の付け根を何やら意味深な手付きで、トン。またあるときは、プレサンスの手の甲をスワイプするかのように、骨に沿って、ツッ。ついでにその動きに託けて、プレサンスの手をすっぽりと覆ってしまう。その時の手の動きに、ドラゴンが大口を開けて相手に噛みつくときの光景を重ねて。

「キバナさんてばー、ココア冷めちゃいますから」
「もう少しだけ。なあプレサンス、ダメか」

明るいブルーの瞳に切なげな光を浮かべて、でもまるで、引っ込めるなんて許さないからなとでもいうかのように、そっと押さえつける。

まさしく、手放すものかとばかりに。



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