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ホテルイオニア、右側の棟。近付いていくにつれて、ロビーの様子がガラスのドア越しによく見えてきたけど思わず顔を顰めた。だって、これでもかってくらいにギュウギュウ詰め。着飾ってヘアもメイクもバッチリって女の子たちが、スマホロトムで自撮りしたりペチャクチャ喋ったりしながら、今か今かって感じで待ってるんだもん。

そんな中を、重いスタイリストバッグ提げた私は、このホテルにはドアマンがいないから自力でドア開けて、まずはフロントを目指さなきゃなんだけど。

「あのね、ワタシのおきにいりのマクワ様の……でね……が……!」
「……ってとこ……ほんと……そういうとこだよマクワ様……かわいくてたまらないわぁ……くう……」

ホテルのスタッフさんたちも、誘導や整理に大わらわ。他の関係なさそうなお客さんたちも何事かって感じで見てる。受付が始まるまであとまだ2時間以上もあるっていうのに、もうこんなに来てるなんて。それとも何、ひょっとしてここにいる人たちの時計だけ一斉に故障してそれくらい進んじゃったとかなの?よそ見してた一人が、私のバッグにぶつかって(大事な仕事道具が入ってるのに!しかもちゃんと向こうが謝らなかったどころか睨まれたから余計にイライラする)、一応会釈はしながら「マクワはあなたみたいなコがファンなのヤだと思うけど?」って私が心の中で毒づく間にも、耳障りな話は止むはずもなくて。

「……でもってさらに……負けたらロッカールーム引きこもっちゃうとか、もうムリなんなの尊いんだけど……なのにマクワってすごすぎ……それで……」
「ね?そう思うでしょ……どうしてマクワ君ってああも……はー、好き!……今日のカルトクイズで全問正解したら……ハグしてもらえて……」
「寝る時もマクワさんが夢に出て来てくれますようにって……でしょ……素晴らしくて……」

語るコたちの目はキラキラしてる。あーあ、マクワったらすっかり人気者になっちゃって。ほんっと(私には負けるけど)、ここにいる人みんなマクワのこと好きすぎるでしょ……。

でも当たり前か。これからこのホテルのティールームで開かれるのは、ファンミはファンミでも、初めて開くホワイトデーのプレミアムファンミだもんね。マクワの握手会やサイン会に十回以上参加してる人達とか、キルクススタジアムの一番ランクの高い観客席を年間でリザーブしてるサポーターの皆様をご招待しての……つまりマクワのガチ勢の中のガチ勢ばっかりなんだから、気合い入ったカッコで来てても、彼について語る言葉に一々熱がこもりまくってても何の不思議もない。マクワにもうすぐ会えるんだ、っていう興奮が渦巻いてるのをヒシヒシ感じる。

そのせいかはわからないけど、なんだか暑いくらい。キルクスタウンに降り積もってる雪を全部……って言ったらさすがに大袈裟だろうけど、この棟の玄関口横がお気に入りみたいでよくそこにいるユキハミも、すぐ近くの広場で寒いのに頑張ってるアイスクリーム屋さんのアイスクリームも、この分じゃ溶けちゃいそうな気さえする。着込んできたのに完全に逆効果。バイウールーの毛を織り込んだこのコート、街中ではちょうどいいくらいなのに……そう思いながらボタンを全部外したあと、ようやく手の空いてるホテルのスタッフさんを見つけて「ファンミ運営関係者ですが」って伝えた。



控え室代わりに用意してもらってる部屋に駆け込めば、もう他のスタッフの皆は忙しく立ち働いてる真っ最中だった。隅にまとめて寄せてあるファンミ招待者へのお土産袋の中身をチェックしてたり、イエッサンに何か取ってもらってたり。挨拶しながらぶつからないように気を付けて奥へ進んでいけば、ようやくマクワの姿が見えてきた。さっきまでのイライラは、マクワのセキタンザンのキョダイフンセキに潰してもらうのをイメージして、と……よし。

「おはようございまーす!」

幼馴染とはいえ、仕事の場での挨拶はフランクにならないようにしてるから「おはよー」とは言わない。

「おはようございます、プレサンス。あなたが遅れるなんて珍しい」

マクワは私が声掛ける直前まで、スタッフの一人と一緒にタブレット端末を覗き込みながら何か話してた。でもそれが丁度終わったみたいで、スタッフは私と入れ違いに離れて行く。ラッキー。スタイリング中も独り占めできるのは解ってるけど、その時間がちょっとでも伸びるから。しかも、操作してたタブレット端末を置いて私の方を向いたマクワは、スタイリストの私が今到着したからにはスタイリングする前。髪は立ち上げてないし、いつものサングラスも掛けてない――つまり、今の彼はファンが見たことがなくて、私だけが見てる素顔の彼。真正面から見つめられて顔が赤くなる。

「ごめんなさい!いつかこの日に使いたいって言ってたアクセのブランドとの調整ギリギリまで難航して……ジャン!ほらこれ」
「!これは」
「前にここのブランドの使いたいって言ってたでしょ、頑張ってみちゃった」

今日予定よりも遅れちゃったのはこのせい。全く、あのブランドのプレスお高くとまっててやりづらいったら……でも。

「本当にありがとうございます、プレサンスのおかげでまた一つ念願が叶いました」
「いいってこと。じゃ、早速取り掛かっちゃお」

こっちこそありがとうだよ。綻んだ顔の彼に私も笑顔を返しながら心の中で言った。マクワが私にだけ笑ってくれるんだから、そんな苦労なんか吹っ飛ぶもんね。

えーと、必要なものはまずスタイリング剤でしょ、それから……下に置いたバッグから、必要なものをあれこれ手に取って立ち上がる。その時、さっきマクワが横に置いたタブレットの画面が目に入った。今日の進行次第を映してあって、タイトルは【3.14〜ホワイトデー・プレミアムティーパーティー】、文字は彼の目の色と同じだった。

今日は3月14日、ホワイトデー。ガラル地方には元々そんな名前の日なんてない。元はカントー地方かどこか、とにかく遠くの地方の風習で、あっちじゃバレンタインは女の子が好きな相手にチョコを贈る、でもってホワイトデーは対になる日というか、そのお礼をあげるとか何とか……このこともマクワから教えてもらった。ホープだって注目され始めて、凍えそうになりながらもマクワの入り待ちや出待ちするコたちがちらほら出てきて、ファンミを開く回数を重ねるにつれて段々キャパの大きいとこ使うようになって、それにつれて手持ちを鍛えることだけじゃなくファンサの研究にも力を入れるようになった……そんなころだっけ。何かでホワイトデーのことを知ったみたいで、マクワはこんなことも話してた。

「ゆくゆくは3月14日に、ごく少人数のゲストをお招きしてプレミアムファンイベントを開きたいんです。感謝を丁寧に伝えるいい機会が無いものかとずっと考えていたんですよ、ファンミーティングにも多くのファンの方に来てもらえるようになってきたことはとてもありがたいですし嬉しいんですが、その分今度は感謝の気持ちを一人一人にじっくり伝える時間もなくなってきましたから。それにキルクスタウンは雪が降り積もっていますし、雪……白……つまり、ホワイトデーと銘打つイベントを開くのにこれ以上ないほど似合う街でもありますから」

地毛の白と、毛先の染めた金。そんなツートンカラーのマクワの髪は、羨ましいくらいサラサラしてて傷みも無い。だからスタイリスト泣かせなんだけど、そんな気持ち見せないようにスタイリングしていきながら、あれこれ思い出す――さっきロビーの人だかりに顔を顰めたワケは、面白くなかったから。っていうか、嫉妬してる。あんなにマクワに夢中になってる人達が大勢いるんだ……って、改めて目の当たりにしたから。

私とマクワは幼馴染同士。私は今、彼付きのスタイリスト兼メイクなんだけど、小さい頃から彼のことが好き。私のママもスタイリストやってて、メロンおばさま(私は単に「おばさま」って呼ばせてもらってる)とは長い付き合いで、メディアの取材を受ける時はスタイリストに必ず私のママを指名してくれてるの。で、ママは私を、おばさまはマクワを撮影スタジオにそれぞれ一緒に連れて来て「ママたちのお仕事が終わるまで、子ども同士邪魔にならないように隅っこで遊んでなさい」って引き合わされたころからの付き合い。

その時から、私はマクワのことずっと好き。おばさまのスパルタ特訓を受ける合間に「いわタイプは無骨だなどとみんな言いますが、ぼくはそんなイメージをスタイリッシュな戦い方でもって塗り替えてみせたいんです」って熱く夢を語る横顔が素敵。マクワがおばさまとジムを継ぐの継がないので大喧嘩したときは、一晩電話で彼の愚痴に付き合った。これまで出たマクワの写真集3冊や、レアリーグカードの撮影のときのスタイリストも務めたことが自慢。ファンクラブを作るって彼の口から直接聞いた日は、もちろん即申し込んだのにフタを開けてみればおばさまに先を越されてて、取った会員番号が結局2になったことが今でもかなり悔しい。それくらい、マクワが好き。

「どう?前の打ちあわせ通りこれでいく?」
「いえ、プレサンスの借りて来てくれたこのアクセサリーをぜひ中心に据えたいので……Cプランだといっそう映えそうですから、これにIプランのボトムを組み合わせたいですね」
「オッケー」

いつものヘアセットも終わって、簡単にメイクもして。これで横に置いてあるサングラスさえ掛ければいつものマクワ。いよいよ私が関わる準備の中では最後の段階。事前の打ち合わせでいくつか決めておいた衣装プランのうちから、どれに決めるかを一緒に考える――マクワがファンの前に姿を見せる時間の始まりが、裏を返せば私が彼といられる時間の終わりが近づいてきつつあるんだってこと、意識しないようにして。よかった、着けてみればアクセサリーは彼にすごくよく似合ってる。

「それにしてもこれ、よく貸してもらえましたね。あのブランドのプレスは、こう言っては何ですが変わり者でやりづらいとキバナさんからも聞いていましたから。ダメで元々のつもりでいたんですがまさか実現するとは」
「私のママのコネもあってのものだけどね。そうだ、今日さ、懐かしい夢見たんだ」

自分の苦労が報われたんだ、って弾む気持ちと、親の話が出たのもあって、何気なくそんな話を持ち出した。

「どんな夢だったんです?」
「私とスタジオの隅で遊んでなさいって言われたら『ぼくママがいいの!』って大泣きしながら、メロンおばさまの後追っかけようとしてたとこ」
「……やめてください、母の話は」
「!……ご、ごめんね」
「いえ……」

途端に、マクワと私の周りの雰囲気が冷え込むような気がして……やばい。やっちゃった、地雷踏んだ。あれ以来顔も合わせてないって言ってたのに、おばさまの名前出したらこうなるに決まってるでしょ私!

しかも、彼は腰掛けてた椅子から立ち上がってノシノシどこかに歩いて行っちゃう。あっちって確か彼専用の着替えスペースに取っておいたところだよね、衣装に着替えるつもり?でも持ってってないし……え?そう思ってたらマクワがこっちに戻って来た。なんでだろ。しかも何か持って。なんだろ。

「プレサンス、今日はこれをあなたに」
「へ……何これ?」

キョトンとしてると、マクワはフフッと笑った。バトルの時とかに余裕っぽさを演出するために浮かべてる笑いじゃない、自然に出た感じの。

「何って、バレンタインのお返しですよ。プレサンスもくれたでしょう?」
「くれるの?私にも?」
「もちろんです。ファンのみなさん、スタッフのみなさん、……そして昔からそばで支えてくれるプレサンスがいてくれるから、ぼくは輝ける。いつも本当にありがとうございます」
「ビックリしたー、さっきのあれで怒らせちゃったかなって思ってたとこだった!」
「あれしきで怒るぼくではありませんよ、ただ、少し、その……母の名前が出たので動揺してしまいまして、ぼくとしたことがすみません。それで雰囲気を変えようと」
「そ、そうだったんだ。改めて言われると照れるね、でもありがと!」

……可愛く見えてますようにって、ニッコリしてみせながら受け取ったけど。正直、すごいジレンマ。だって嬉しいけどこれ、さっきチラッと見かけた今日配るお土産と同じブランドだよね。あのついでに買った、とか……?それにそのプレゼントをくれた手で、これからファンというか、私からしてみればライバルと一人一人しっかり握手するんでしょ?カルトクイズで全問正解した人がいたらハグすることになってるから、その手を私じゃない誰かの背中に回すんでしょ?

……その手、私だって独り占めしたいんだよ。ねえお願い、みんなにその手を伸ばさないで、触らせないで……せっかくマクワがくれたものなのにそう思う自分がイヤで、ダブルの意味で落ち込みそう。

「マクワさん、メイク終わりましたか?進行の最終チェックいきますのでお願いしまーす!」
「はい。それではプレサンス、行ってきます」
「うん。頑張ってね」

……マクワが、遠くなっていく。歓声を上げて迎えるゲストの目に、彼はいっそう素敵に映るはず。私から離れて他のスタッフと話し込み始めた広い背中を追いかけたくて、でもそんなことできないって、じっと堪える。

腕を奮って大好きな人を輝かせるお手伝いができる、ガラル中の人達に「マクワってこんなに素敵なんだから!」って知らしめることができる、こんなにスタイリスト冥利に尽きることってある?

……でも。その輝きに魅せられてファンが……ライバルが、増えていく。マクワのこと好きな一人として、こんなに嫌なことってある?幼馴染でスタッフの私は、多分どの異性よりも近くで見守れる。けど、その分身近すぎてマクワに意識してはもらえない。「応援してくれるみんなの一人」には、なれても。「みんなとは違うたった一人」には、なれないのかなあ。キルクスタウンの街中で吐いてたら白く染まって消えていく溜息も、ここでなら色も付かずに空調に流されてどこかにいっちゃうだけ。

いつの間にか、時計はファンミが始まる本番5分前を指してた。これで一応私の仕事は一段落。これから衣装替えがあと何回かあるから、その時に軽くメイク直すくらいかな。

スタイリングに集中してたら気が付かなかったけど、手が空いたらなんだか無性に甘いものが食べたくなってきた。この際だから片付けちゃえ、って思いながらマクワからもらった箱の包みを破る。中身はホワイトトリュフチョコが6つだった。一つ摘まみ上げれば、窓の外にちらつく雪が地面に舞い落ちて溶けるみたく、トリュフから散った粉糖が部屋のカーペットの繊維の隙間に消えて行く。それを見送って、口に放り込んだけど。

「変なの」

口の中に風味が溶け残ったまま、私は思わず呟いた――だって、ねえ、マクワ。ホワイトチョコって、こんなにほろ苦いものだったっけ。



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