ニャースだニャースだとおっしゃいますが


ポータウンに居たんじゃ滅多に拝めないおてんとさんの光と、開け放した窓から吹き込んでくる湿っぽさのかけらもないからっとした風。ハウオリの外れにある嫁さん――プレサンスの家は今日も快適だ。こんなにいい陽気、昼寝日和じゃないならなんだってのかねえ。仕事中でも迷わず交番からトンズラこいて本日の業務は終了しましたおやすみなさい、ってなるとこだ…冗談冗談、思わず大あくびも出ちまうってもんだろ。
まあ、それはそれとしてよ。
「ふにゃぉぉぉん」
なんでおじさんにちっとも似合わねえ声なんか出てくるんだか――おまけに人間のそれじゃねえ、ニャースの鳴き声が。
「でしょ?だからクチナシさんてばさあ…で…なんだよ?信じられる?」
「みゃーご」
…でもって、おれはどうしてまたプレサンスん家でプレサンスの口から、他でもないおれの愚痴を真正面ならぬ真上から聞かされてるんだかなあ。プレサンスは(まったく器用なもんだ)色々文句をブー垂れながら、右手ではおれの耳掃除、左手ではニャース飼いがよくやるように喉の下を撫でてくる。それがその、妙にヨクてよ。道理で交番のあいつらやおれのペルシアンもプレサンスに撫でて欲しがるワケだ。
「やっぱりそう思うでしょ?ね?」
「…ぬにゃ」
「うんうん、解ってくれて嬉しいよニャース。クチナシさんとは大違いっ」
誰がなんだって?口が利けたらそう言っただろうよ。気持ちがいいんで自然と目が細くなる寸前、窓に反射して見えたおれの姿が――誰がどっからどう見ようが人間じゃなく、ぐでんと仰向けになったカントーのニャースでなけりゃなあ。


結論から言えばおれは、嫁さんの実家にいるニャースになっちまったんだ。マジで。確かにニャースは気に入ってるよ。でもだからって自分もなりたいと思ってはねえんだがなあ。あくまで、あいつらの人のこと気にしないで生きてるところをいいと思ってるんであって。
なんでこうなった?これで原因が判るなら世話ねえよと思いながら、ゴロゴロ喉を鳴らす音に隠して小さく唸ってみる。
もちろんつい昨日までは普通に人間だったのよ。嫁さんとのゴタゴタはあったが、それでもいつも通り寝て起きたらこのありさまってね。目ぇ覚ましゃ目に映るもん全部デカく見えるわ、普段なら耳につかねえ音までやたらよく聞こえるわ。クセで掻いた頭も、いつも撫でてやってるニャースの毛並みとおんなじ手触りがする上に、よくよく見ればおれん家じゃなく嫁さん家にいるときたもんだからますますワケが解らねえ。おまわりさん兼しまキングやらされてるって重労働と、それから昨日の一件のせいでとうとうおかしくなっちまったかと思ったよ。
そしてトドメに、キョロキョロしてるときに見上げた窓に映ったおれのすがたは、まごうことなきカントーのニャースのそれで。なもんで、いろんな意味で柄にもなくビビって反射的にフシャ―!とか威嚇しちまった。そしたらそこにムスッとした顔のプレサンスが入ってきて「ニャース、ちょっと抱っこさせて」とかなんとか言いながら、おれを抱き上げてベッドの上に腰掛けて今に至る、と。
もう一度、本当に、どうして、こうなった。守り神さんから罰とやらでもくらったか?でもこれはねえよな。どやされることしでかした覚えもなけりゃ、いくらカプの罰だって、ヒトをポケモンに変える能力持ってるなんざ聞かねえしよ。
「まったく!クチナシさんってばああだからこうで、それで…」
「もにゃあーん」
くそ、これは反則だっての。耳掃除を終わらせたプレサンスが今度は顎の下を撫でてきて、それもまたイイもんだからデレッとなっちゃうって。そういや昨日の『感動ニャース動画』でもこういうシーンあったよな、あの撫でられてたニャースも今みたいな極楽味わったのかね…。
「だよねー、クチナシさん、どうせ私よりポケチューブ視てる方がいいんでしょ…」
訂正する、今の状況は極楽に見せかけた地獄だ。昔、NO.836が岩に変装してるとこの写真を頼んでもないってのに見せられたことがあったが、アイツの変装より遥かにすげえ。嫁さんに面と向かって愚痴零されるって、初めて知ったが地味に堪えるねえ。あられやすなあらしで地味にチクチクダメージ受けてるような感じってのか。プレサンスはまさかおれ本人(今は「本ニャース」だけどな)を前にしてるとは夢にも思っちゃいねえんだろう。昔「落ち込んだりイライラした時は、ニャースを抱っこしながら色々話しかけるとスッキリするんだ」って話してたし、おれも解るっちゃ解るけどよ。

「プレサンス?入るわよ」
「んー…」
そこに救世主…もといプレサンスのママさんが断ってから部屋に入って来た。嫁の愚痴もひとまずそこで止まって、おれは「しめつける」から解放された。助かった、ママさん様様…そう思いながら見上げれば、今は隠し切れない心配が顔に浮かんでる。最初の顔合わせ以来、のんびりゆったり構えた大らかなひとだって印象だったんだが。
…無理もねえか。嫁に出した娘が、半年経つかどうかって時期なのに突然里帰り。親御さんにしちゃ流石に気が気じゃねえはずだ。何か言おうにもこんな状態じゃなあ。仰向けの状態から戻って、もどかしさを鎮めようとしたら体が勝手に顔を洗い始めたもんで、そうしながら耳を澄ませてみた。
「よく眠れた?」
「…少しは」
「よかった。隣いいかしら」
「うん…」
ママさんは何かの皿を載せたトレーを窓際の日陰に置いてから、プレサンスの横に腰掛ける。
「びっくりしたわ。夜中にいきなりムスッとした顔で来たから。クチナシさんも心配してるんじゃない?」
「し、してない。クチナシさんはどーせニャースの方が私より好きだもん」
そこでプレサンスは言葉を切った。ママさんもそこはやっぱり解ってるんだろう、無理に促す気はないのか何も言わない。おれだけが落ち着かずに顔を洗いに洗いまくって、伸びて丸まって忙しない。いつもと逆だな。
「クチナシさん、ね」
「うん」
すると十数分かそれくらいして、プレサンスがぽつぽつ話し出す。
「おまわりさんって、夜勤とかあるからあんまり帰って来れないし…しまキングだから、その関係もあるし。特に最近は何だか忙しそうで…それは解ってた。けど」
けど、何だ?ニャースらしくこの状況を何にも気にしてません、ってフリして顔を洗い続ける。だがプレサンスの震える声が、人間よりもよく聞こえる耳と、身体がニャースのサイズになったせいで、鼓膜で止まらずに全身に突き刺さるように感じる。目線が低くなった分、項垂れてる嫁さんの顔も下から見える――悲し気に歪んでる表情まで。
「けど。寂しく、て」
「そうだったのね」
「…昨日だって、久々に帰って来てくれたから、私、お気に入りの動画見てるとこに話しかけない方がいいって、知ってたのに…でも、ヒック、でもっ」
とうとうそこで、プレサンスが泣き出した。ママさんがそっと肩を抱く。おれも駆け寄って、慰めようとして、謝ろうとして…できなかった。いや近寄ろうとはしたんだ、だってのに涙が小判に落ちて反射的に飛びのいちまった。クソ、小判が濡れるくらいどうってことねえだろ…!しかも口から出てくるのだって、人間の言葉じゃなく「ぬにゃあご」なんて何の役にも立ちやしねえ鳴き声だけ。
「構ってほしくてね、結婚半年がもうすぐだから、ローリングドリーマーの予約取れなかったし、あのお店みたくはいかなくても…いつもより豪華なご飯作るから、何がいいって訊いてるのに、ニャースの動画視て私の方見てくれないし、テキトーな返事ばっかするし…それで頭に血が上っちゃった」
「あらあら」
そうだ。半年。もうそんな経ってたのか。年取ると時の流れが速くなるとは言うけどねえ…おれ、一体何やってんだ。動画なんていつでも見れるもんに気ぃ取られて、プレサンスの気持ち踏みにじって泣かしちまって。アイツに流させていい涙は嬉し涙だけにするって、決めたんじゃねえのかよ。小判に落ちた涙を擦りつけて吸わせたが、ついでに頭もマットレスにぶつけちまいたい気分だった。
最近、ポケチューブっつう動画サイトの、ニャース専門の動画チャンネル『感動ニャース動画』にハマったんだ。どっかのあんちゃんが、一言たりとも喋らずにひたすら野生のニャースと戯れるってだけの内容なんだが、これがまた面白えの。
で、昨日はそれに夢中になってるとこにプレサンスが色々話しかけてきた。まるっきり無視はしちゃいねえ。ただ正直、おまわりさん稼業に加えて、ここんとこ大試練に挑戦するしまめぐりのあんちゃんねえちゃんの相手することが続いたもんで、久々の休みくらい寛ぎたいってのはあった。動画をじっくり視ながらプレサンスの方は向かずに返事してたんだ。どうしても画面の中、スズネのこみちで降って来る紅葉にじゃれるニャースに意識がいっちまって、生返事になってたのは覚えてる。
したらプレサンスは「ねえクチナシさんてば!ちゃんと聞いてって言ってるじゃん!」ってスネ始めちゃってさ。
――そこまではまだ可愛いやつだなと思いながら「わかったわかった」ってひとまず言っといて、そっから「これ視終わったらちゃんと聞くからよ」って続けたんだわ。つっけんどんにピシャッとやったつもりはなかったんだが。
「わかってないじゃん全然!そうやっていい加減な返事しないでよ!」
「そう怒るなって、おれも寛ぎたいの」
そっから雲行きが怪しくなって、言い合いになって…で、プレサンスは「あーもういい実家に帰るからっ!クチナシさんなんかそんなに好きなんだからニャースになっちゃえば!」だと。おれが止める間もなく鞄にあれこれ突っ込んで、次の瞬間には玄関ドアがバタン。こうして嫁さんはポータウンにさよならバイバイしました…って寸法だ。なんでそのとき追っかけなかったんだ、って?プレサンスはヒートアップしてるとこに機嫌取ろうとすると却って怒るタイプだからよ。それに、おれとは違って感情の起伏が激しめなのは承知の上で結婚したし、そうやって小さい“爆発”を起こしても何十分か後にはケロッとした顔になって「さっきはごめん!」って謝ってくるから、おれもそれを受け入れて。それがいつものパターンだから、今回もそうだろうとばかり思ってた――動画にまだ続きがあって見入ってたってのと、実家に帰るって宣言した分行き先は判ってることだし心配要らねえなって気持ちも、あるっちゃあるが。
「話してくれてありがと。ママもパパといーっぱい喧嘩したの思い出したわ」
「ホント?ウソでしょあんな仲いいのに。信じられないけど」
「それを乗り越えたからこそ、プレサンスが見てる仲良しのママとパパがいるのよ。喧嘩をすればするほど、却って後からパパが大事に、大好きに思えて仕方がなくなったの。不思議なものよね…まあほとんどママが勝ったけど」
ママさんはサラッとそう言ってから、プレサンスに語りかけ始める。
「喧嘩はね、色んな考え方があるし、そうなる理由やどういう状況だったかにもよるでしょうけど…その相手が好きで大事だからそうしちゃうんじゃないかって、ママは思ってるわ。プレサンスはどう?もしクチナシさんが好きじゃなかったら、構ってほしくて色々言うと思う?」
「………」
「せっかく永遠の愛を誓い合ったひとなのに、ほんの少しでそれを取り下げちゃうって、とてももったいないんじゃないかしら。愛はかたちを変えて続いていくもの、そう簡単に壊れはしない。夫婦喧嘩はニャースも食べないっていうけど」
「ママったら、それを言うならガーディも食べないでしょ」
「あら?そうだったかしら。とにかく少なくともママは気に掛けるし、プレサンスとあなたが選んだクチナシさんを信じるわ」
クスッと笑ってみせたママさんに、つられたのかプレサンスも同じ表情になった。そうだ、ポータウンにしまめぐりで来たプレサンスが、ヤングースに「無事でよかったねえ」って笑いかけててよ。それが土砂降りのあの町におてんとさんが昇ったみたいな明るさで、おれはそこに惚れて…なのに、おれは翳らせたばっかりか、危うくこの顔をそばで見られなくなっちまうとこだったんだな。そんなこと、想像しただけでも耐えられねえ。
「ママ…ありがと」
「ふふ、どういたしまして」
そこに玄関のチャイムが鳴る。ママさんは「ようやく来たわ、パパからのお土産の宅配便」って嬉しそうに部屋を出てって、部屋にいるのはまたプレサンスとおれだけになった。そっとおれを抱き寄せて、プレサンスはまたポツポツ呟き始める。
「…やっぱり私、クチナシさんのこと好きなんだ。あんなこと言っちゃったけど、でも。謝るしかない…よね。うん…謝んないと、だよね」
「ごろろ」
「ん、もう…くすぐったい、でしょ。でもありがと」
おれこそ、ごめんな。言葉には出せなくても、せめて気持ちは表したくて額を擦り付ければプレサンスが泣き笑いした。ついでにザラついてる舌で、プレサンスが零した涙も舐め取って――クソ、早いとこ人間に戻らねえと。どうしたらいい……何だ?目の前、が…急に暗く、な………




「ふぁ…」
夢、か?あれは夢だったんだな。飛び起きて、プレサンスが持ち込んできた姿見覗き込めば、そこにはまごうことなき人間のおれのすがたがはっきり映ってた。
元に戻れて万々歳。帰りを悠長に待っちゃいられるか。さっさとパジャマ脱いでまともな服に着替えて、ヒゲ剃って髪梳かして、プレサンス迎えに行くんだ。古巣――国際警察にいた頃――緊急招集がかかって本部に呼ばれた時だって、こんぐらいの速さじゃなかったな。そう思いながら、ライドギアを引っ掴んで玄関を飛び出してリザードンを呼び出す。混みあってるらしくなかなか到着しねえ。もどかしい、メレメレに今すぐすっ飛んでいきたいってのに…。
「!」
したら、こっちに向かって近付いてくるリザードンが。乗ってる影は、遠目にも見間違えるはずない、プレサンスだった。その直後に飛んできたリザードンには「悪ぃ、間違えちゃったよ」ってお引き取り願って(ただでさえ苦手な雨が降ってる地点に呼び出されたのに間違いってことで機嫌悪くしたのか、鼻から炎出して引き返してった)、プレサンスが着地しそうなとこに走り寄る。
「ただいま」
「ごめんな」
そしてお互いその四文字を言いあったあと、しばらくそのまんま、傘も差さないで雨の中抱き合った。まだ何だかんだポータウンに居座ってるスカル団のあんちゃんたちが、物陰から口笛を吹くのも今この時だけは止めないことにして。



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