砂糖細工の鎖(中)


帰ろうと思ったところに投げかけられたプラターヌの声。注がれる視線。実体などないはずなのに、それに捉えられたかのように動けない。ああ、まさかまた…プレサンスはビクリと体を震わせ不安げに彼を見つめ返す。その揺れる視線を受け止めた彼はまた口を開いて言った―少女が一番聞きたくなかったその言葉を。

「帰る前に今日も『体調チェック』してあげるからおいで」

それを聞いたプレサンスの表情がみるみる変わっていく。先ほどまで旅の様子について声を弾ませて話していた時の瞳の輝きはもうどこかへ消え去って、その代わりに怯え一色に染まった。しかしそれに気が付いていながら察していないふりをして、幼子の機嫌を取るような声色でプラターヌは問う。

「どうしたの、嫌だった?気分が乗らないかな?」
「あの、ごめんなさい今日は」
そう断ろうとしたけれど。

「プレサンス」
「…い、え。あの、お願いします」

最初こそその声は柔らかかった。しかし次第に低く、そして有無を言わさない響きを含むようになったそれに気圧されて首をふるふると横に振って答える。その反応を待ってそうか、じゃあこっちにおいでと促すと、プレサンスは一瞬の間をおいて彼のもとへ歩み寄ってきた。――ひどく怯えた表情を浮かべたまま。
一方プラターヌはというと、口元だけはさながら上弦の月のよう。それはこれから始まる愉悦のときが楽しみでならないと、何より饒舌に彼の心中を語っていた。
自身の近くへ来たプレサンスの華奢な肩に手を伸ばす。そして二の腕から肘、さらにその下へと滑らせていく。それと同時に少女がだんだんと身体を震わせ始めているのが分かった。男に触れさせずに育てられてきたからだろう。「それ」を始めてそれなりになるのに、相変わらず初心な反応だ。

(尤もそれも可愛いんだけどね)

その様子に思わず息だけで笑いながら最後に手を腰に回すとそのまま自室へと歩み出す。少女の足取りは重かったが、半ば引っ張るようにして。

『体調チェック』プラターヌはプレサンスが研究所を訪れる度そう称する行為をしている。しかし彼はあくまで研究者であって医者ではないから医療行為などできるはずもない。

では何をするのかといえば…それは「チェック」に名を借りた、性質の悪い悪戯だった。


ガチャリ。ドアノブを押し開けて部屋へ入る。研究で多忙な彼は数年前に研究所の一角に簡素な部屋を作り、そこをミアレ近郊のアパルトマンの一室にある自宅の代わりとするようになっていた。最初のころこそ簡易ベッドや小さなキッチンなど最低限の設備があるだけの簡素なものだった。しかしより多忙になっていくにつれいつしか自宅へ帰ることも少なくなり、この部屋が実質的に自室替わりになった。そこでさらにシャワー室やクロゼットや姿見なども揃えたのだ。
続いて電気のスイッチを入れると室内が照らされた。さらに部屋の中へ歩を進めると彼はプレサンスの腰から回していた手を放し、でも取り上げたカバンとまなざしだけは離さないままごく軽い調子で促した。

「さ、いつも通りカノチェを外して鏡の前に立って。あと下を向いたらだめだよー、可愛い顔もっと見てたいからね」

指示をしながらもカバンを勝手に開けてホロキャスターのスイッチを切られた。今日こそは断ろうと思っていたのに。震えながら、しかし拒むこともできず。鏡の方へ進みたくなんてないのに、お願いもうしないで、どうか許して、とすがるようにプレサンスは彼の方を見る。

が、優しげな―あくまで「優しげ」であって「優しい」のではない―それでいて否と言うことを許さない無言の圧力を込めて向けられる微笑に勝つことはできず。逡巡しながらも彼女は体をどうにか鏡の方へ運ぶしかなかった。できることといえばせめてもの抵抗としてカノチェをごくゆっくり、ゆっくりと取り去りこれまた同じくらい時間をかけて置くことぐらい。少しでも時間稼ぎをしようと試みたのだ。自分がプラターヌの言う通りにしなくてはこの状態から抜け出せないことは知っていても。もういいよ、って言ってくれないの…?それでも彼がしびれを切らすそぶりは全くない。

どうか、どうか早く終わってくれますように―そう願いながら鏡の前にしぶしぶ立つと同時に、それは始まった。

プレサンスに続いてプラターヌがその後ろに立つ。すると彼の視線が、鏡越しに服を見透かしボディラインをなぞるように眺め始めた。

今日着ている服も仕立てが良い。多すぎない上品なレースに襟元を縁どられたアイボリーのブラウスに黒いスカート、同じ色のニーソックスにストラップパンプス。ファッションにはこだわらない分詳しくない彼にも一目で良いものと分かる一揃いだ。彼女の一家はメゾン・ド・ポルテとは異なり、昔からの上得意だけを相手に商売を続ける老舗オートクチュールの服を愛用していると聞いている。だからこそデザインは一見すればよくあるティーン向けのものでも、シャツのレースがとても繊細なものだったりとそのあたりの既製品とは違う風格を感じさせた。

さて、服の品評はそこまでにして。プラターヌはまずくびれた腰に目を留めた。トップスの裾をスカートの中へ入れているから余計に際立つ腰の細さを眼福とばかりにしばし眺める。そして次にすらりと長い手足、きゅっと締まった足首まで。黒いニーソックスと質のいい日焼け止めのおかげで白くなめらかな足のコントラストも存分に堪能しながら視線を離さない。プラターヌの視線が体の上を滑る度、プレサンスの緊張は募っていくばかりだった。

姿見は長身のプラターヌの全身を写してしまうほど大きい。だから後ろに立った彼が、その年代の少女としては割に背が高いほうでもプレサンスの姿を頭からつま先まで見ることなどわけもなかった。
加えて彼は観察ならぬ姦察をただ無言で続けるには飽き足らない。

「相変わらず腰細いねー。今にも折れてしまいそうで心配なくらいだよ」
「っ…」

見られるだけならまだましだった。「体調チェック」を少しでも名前に偽りのないものとするつもりか、身体のことについてもあれやこれやと述べいっそう羞恥心を煽るのだ。それにこうしている間は俯くことも目をつぶることも許されない。プレサンスにできるのはただ彼の要求する通り、人形のようにまっすぐ前を見つめることだけだった。時折鏡を通して視線が合えば意地悪な笑みがそこにあって。

「あ、あの…こんなこと、何の意味があるんですか」
「前から言っているだろう?体調チェックだって。僕は親御さんから君を預かっている立場なんだ、もしものことがあっては会わせる顔が無いからね」

この行為の意味を尋ねてもそう答えられるだけ。静かな辱めはいつ終わるとも知れない。かつては淡い想いを寄せていた相手が「男」として一方的で邪な視線を自分に注いでいる。これを受けるのはもう何度目かになるのに、その恐怖と計り知れない悲しみも相まって、逃げ出したくても身体は震えるだけで思うように動かせない。彼女は今にも泣き出しそうな顔でそれを甘んじて受けるしかなかった。

(ホント、綺麗だから汚し甲斐があるよ)

プラターヌは心の中で感嘆の溜息を洩らしながら呟く。
幼いころからの愛らしさは成長しても変わらない。いや、むしろ今のプレサンスはもっと磨きがかかって輝かんばかり。今にも大輪の花を咲かせてかぐわしい香りを漂わそうとしている薔薇のようだ。華咲く笑顔や素直な性格は旅に出た今、いやきっとこの先も自分だけでなく多くの人々をひきつけてやまないのだろう。当然彼女に惹かれる異性だってごまんと出てくるのは間違いない。

だが。そのことを想像すればするほど、どこの誰とも知れない相手にプラターヌは憎悪さえ抱くようになった。この世は綺麗なものも多いけれどそうでないものだって同じくらい多いのだ。友人もかつてそんなことを言っていたような、気がする。
持論として子供のうちに広い世界を知るのが良いとは思っている。でも。でも。あの子にだけはそうしてもほしいけれど綺麗なままでいてほしい。そのままで自分の目の届くうちに留まってほしい。自分だけが、僕だけが知るプレサンスであってほしい。
だから彼女が自由を望んでいると知っていても、退屈だけれど安全な屋敷の中にいればそれでいいはずだと考えて。だから10歳になったら旅に出られることを教えなかったんじゃないか、なのに使用人の子のあのズミとかいう彼は余計なことをしてくれたものだ。懇願するような瞳―あれには昔から弱いのだ―で訴えられて思わず両親を説得してしまったけれど、無防備な少女は遅かれ早かれ邪な奴らに群がられて汚されてしまうに違いない。許せないんだよ、そんなこと―小さいころから宝物のように慈しんできた君を、汚らわしい手で持ち去られるなんて…待てよ。

そうだ簡単なことだ、僕がプレサンスを汚せばいいだけじゃないか―

悩むことなどなかった。天啓を受けたような気にさえなった。自分がそうすれば誰かにさらわれる心配などしなくて済むのだ。それに慕っていた相手に辱められたらあの可愛らしい顔はどんな表情を浮かべるだろう。そんな歪んだ興味も手伝って、彼はいつしかどす黒い感情を胸に秘めるようになった。
しかし汚すと一口に言っても、ただ無理矢理体を開かせるのでは安直すぎて全く面白くない。第一綺麗なままでいて欲しい存在をそんな下卑た方法で手に入れるなんて論外だ。純潔は一度奪ってしまえば終わりなのだから。自分はご馳走は何度でも楽しまないと気が済まないたちでもあるのだし。
ではどうしたものか―それを考えたときに思い付いたのが、この方法だったのだ。鏡越しならば、自分が見られている場所が嫌でも分かるだろうという目論見もあってのことだった。

「こういうことをされるのは嫌かい?」
「っ、」
「どう?されたくない?」
「博士、どう、して…ほんとに、恥ずかし…からっ…!」
「何にも照れることないよー、僕はずっと言っている通りプレサンスに何かあってはと思うからこうしているんじゃないか。なのにそんなに拒まれるなんて悲しいなあ…でもそうだね、そんなに嫌がるなら止めようか」

それを聞いて明らかに安堵したらしい。緊張した表情が緩んでほ、と小さな溜息をつくのが見て取れた。素直に簡単に人を信じてしまうのは子供のころから変わらないんだから。それも育ちのなせる業かもしれない。でもね、と彼は内心で呟く―逃がしてなんかあげないよ。



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