ch1.黒髪の兄弟 41




「貴様の仲間というのは、ルカのことか。アイツなら既に村の外の平原に居るだろう、さっさと連れて帰ればいい」

ガロンの物言いに、アリサは眉をひそめた。一構成員でしかないルカの名前を、ガロンが知っているのは何故だ?
いや、それよりも大人しくしておけと命令したはずのルカが村を出て、平原にいるなんてことは有り得るのだろうか?
そうすると、ガロンは出会った明らかに自分よりも弱い敵、ルカを見逃したことになるのか?

アリサは混乱してきた思考回路に思い切って蓋を閉め、自分が今すべき最適な判断を考える。

「アタシはアタシで上の命令に従う。バグウェル家を確認して、ルカが居なけりゃ探すまでだね」

最適な判断は、やはり自分の判断に従うのみだ。そう考えたアリサがガロンに冷たい殺気を向けながら言い放つと、ガロンはニヤリと笑って喉の奥で低く笑った。

「好きにするが良い。俺は貴様には興味が無い。そして、上からは貴様らの組織を潰せという命も受けていない。俺の気が変わらないうちに、さっさと見てくるがいいさ」

警戒しながら、アリサはガロンからゆっくりと距離をとる。
以前から個人的に敵として面識のあったガロンとアリサの実力は五分五分で、だからこそ油断すれば命取りにもなる。だが、闘り合えばお互いに無傷では済まないことも暗黙の了解だった。
ふと、鋭利な相手の凶器である剣先を見てアリサは唇を噛み締めた。赤黒い何かが付着している、何かの血だ。いや、誰かの血である可能性が高い。

アリサの物言いたげな視線を感じたのだろう、ガロンは刃にこべり付いた血液を指でなぞる。

「言っておくが、ルカのじゃない。スエ族の少年だ」

この男は既にルイドを殺しているのかと理解すると、アリサはルカの様子がますます気になった。明らかに容易く殺せるだろうルカは見逃した、だがルイドは殺したというのだろうか。何とも違和感のある話だ。

バグウェル家のドアを後ろ手に掴み、少し汗ばんだ手でドアの取っ手を掴むと、アリサは不適に微笑んで白髪の男、ガロンを鼻で笑った。

「……聞いてねえよ、バーカ」

そう一言だけ発し、アリサは素早くドアに引き寄せられるように中に転がり込んだ。家に入ると素早くドアを閉めてしゃがみこみ、しばらく動かずにじっとしていたが、アリサにはガロンの動く気配が感じれられなかった。

一安心すると同時に、ふと左手でかろうじて握っていた携帯電話が通話状態になっていることを思い出した。あとで掛け直さなければと思い、とりあえずアリサは電源ボタンを押して携帯を懐の深くにしまいこむ。

「……どうされました?」

少しばかり緊張したような女性の声が聞こえ、アリサはハッと振り返った。そこにはアリサの荒々しい帰宅に驚いている夫人の表情があり、アリサは苦笑を浮かべて誤魔化した。そして、屋外への警戒心は全く緩めないまま立ち上がると、アリサは静かに夫人に歩み寄った。

「女神様を蘇らせる力を持つのは、アンタたちなのか?」

そう尋ねると、夫人は虚を衝かれたようにしばらく口をポカンと開けた後、やがて何かに納得したような笑みを浮かべた。

「そのような力は、持ち合わせていませんわ。ですが、先程の貴女の言葉で、今の状況が何となく掴めました。女神様は殺され、女神様に近い血筋であった私とルイドが狙われているのですね?」

アリサは、この夫人は察しの良すぎる女性なのだと改めて実感する。目の前の賢人にどう対応してよいのかと困惑するアリサは、夫人の笑みに対して、一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「帝国の暗殺部隊が、アンタらを殺そうとして近くに居る。アタシには何もしてやれそうに無いが、何かあるなら……言って欲しい」

困惑したアリサは、気が付けばそう口が動いてしまっていた。この夫人ならば死を理解でき、パニックにはならないだろうという妙な信頼があったのかもしれない。

案の定、夫人は少し青ざめたような表情になっただけで、泣き叫んだりはしなかった。その様子を見て、アリサの表情には影が差す。自分の実力ならガロンと死闘になってでも、もしかすると助けてやれるかもしれないという事実を隠していることが、アリサには少し後ろめたかった。

そんなアリサの様子を追い詰められている夫人には流石に観察する余裕も無かったのか、夫人は伏し目がちに震える声を発した。

「すみませんが、息子のルイドだけでもお願いしたいのです。あの子は今、ルカ君と一緒に裏から出てしばらく行った所の平原で狩りをしているはずなので、どうにか助けてやって欲しいのです」

平原。やはり、ガロンの言った事は間違いなどではないようだとアリサは奥歯を噛み締めた。そうなると、既にルイドは死んでいるということになるだろう。

「ああ、ルイドは任せな。他には?」

だが、アリサは即座に出任せを答えていた。それは、ルイドの死を黙っている方が、もう死んでしまう夫人にとっては幸せなのだろうというアリサなりの配慮以外の何物でもなかった。

「本当に、ありがとうございます。あとは、女神様から授かった大切なパイプを安全な場所へ持ち出して頂きたいのです」

そう言って夫人がチラリと目を向けた先には、白い布で丁寧に包まれた聖なるパイプがあった。アリサはそれを視線で追うと、夫人に向かって無言で強く頷いた。アリサの反応を見た夫人は安心したように破顔し、アリサに深々と頭を下げると、パイプに向かって方向転換した。

ゆっくりと歩いて聖なるパイプへと向かった夫人が、パイプに巻かれていた布をスルスルと外しながら裏口のドアを開けた。

そこからの夫人の行動は不思議なことに、至って日常的な行動の一つ一つのはずなのに、まるでスローモーションで優雅な舞いなどをみているかのように流動的で、どこか神秘的なものだった。

バグウェル夫人は色を失って見える白っぽい唇にパイプの吹き口を近づけると、静かにそのパイプを吹いた。
青とも緑とも黒ともいえる不思議な色の煙がフワリと流れ、集落の裏の森の中へと霧散していく。
煙が輝きをもって空間に漂い、夫人の色を失った表情に少しの血色が取り戻されていた。一通り吹いた後、夫人はパイプを口から放し、再び色を失い始めた表情で艶やかな吐息を漏らすと、元のようにパイプに布を丁寧に巻き始めた。

一体なぜ夫人はパイプを吹いたのか、あの神秘的な光景は何なのか。
そんな疑問が残ったが、アリサはただ呆然とその様子を見守っていることしか出来なかった。夫人はアリサに向き直り、引きつったような微笑を浮かべると、聖なるパイプをアリサに静かに差し出した。

「感謝いたしますわ、優しく美しい剣士様」

その言葉に、アリサは胸がしめつけられるような感覚を覚える。悲しいはずはない、きっと悔しいんだろう。何がって、自分でもよく分からないけれど。アリサは内心で自問自答をし、パイプを受け取ると、初めて夫人に精一杯の誠意を込めて、笑みを返した。

「一宿一飯の礼と、私と私の弟子が迷惑をかけてしまったことを、深くお詫び申し上げます」

笑みを交わした一瞬の後、アリサは裏口から静かに出て行った。

裏口を出てすぐの場所にガロンが両目を閉じて立っていたことにアリサは少し驚いたが、相手に自分に対する敵意が無いことを感じ取ると、ガロンを睨み上げてその前を挑発的に通り過ぎようとした。
その瞬間、ガロンが両目を閉じたままで、アリサに声をかける。

「アルフォンソは元気か」

その声は今までの嘲笑交じりの調子ではなく、真面目なものだった。アリサは一瞬、ぐっと息が詰まるような錯覚を覚える。

「アンタ、アルフォンソやルカを随分と馴れ馴れしく呼ぶけどさ、知り合いかよ?」

本当は、少しの確信があって聞いたことだ。だが、ガロンは無表情でいるばかりだった。しばらくアリサはガロンの返事を待っていたが、ガロンは反応する様子を全く見せないまま無言を貫く。

やがて、薄く目を開けたガロンは無言で抜刀すると、アリサに背を向けてバグウェル家の裏口のドアを掴んだ。

「アルフォンソに、ラウロを追うのは諦めろと伝えておけ。柄でもないことは止めて大人しくしておけ、とな」

それだけをアリサに言い置くと、ガロンは裏口のドアを静かに締め切った。

アリサはしばらくその場から動かなかったが、やがて、深い溜め息を吐いて平原へと走り始めた。





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