ch1.黒髪の兄弟 40




全力疾走で村に駆けつけたアリサの目の前には、数時間前と何ら変わりの無い平穏な集落があった。アリサは安堵の息を吐く。この様子では、まだルイドやルイドの母親は殺されていないのだろうと思ったのだ。
だが、村のどこに帝国の手の者が潜んでいるのか分からないというこの状況で、決して緊張は緩めてはならないとすぐに自戒する。

ふと、シリルとかいう青年を盗賊と共に残してきてしまったことを思いだし、今更ながらにアリサは親切だった青年の身が心配になってきた。とりあえず最優先すべきはバグウェル親子の身の安全、ひいては女神を復活させることだろうと思ったアリサは、シリルのことは保留することにした。

さっとバグウェル家の方向へと足を向けたところで、再びアリサは何かに気付いたように小さく声を漏らして、何事かを考え込み始めた。

アリサは、今自分がやろうとしていること、すなわち女神を復活させようとすることは全く任務外の内容であり、少しばかり自分勝手で軽率な行動かもしれないと気付いたのだった。デニスからの命令はR生物化する女神を殺すことであり、もうそれは果たしたのだから、これ以上の接触はすべきではないのかもしれない。

アリサはデニスに連絡すべきだろうと判断し、自身の懐を探り始めた。
ポケットの深くに仕舞い込んでいた自分の携帯電話を取り出すと、バグウェル家へと足を急がせながらも、慣れた手つきでリーダーへと繋がる番号を入力していく。珍しくワンコールで、しかも至って真面目な声で相手が応じたことに、アリサは驚いた。

「ああ、何だアリサ! どうしたよ!?」

リーダーであるデニスが噛み付くように尋ねかけてきたため、アリサは向こうは向こうで何か大変なことが起こったのだろうと悟る。

「失礼いたします、報告です。R生物化したホワイトバッファローウーマンは討伐しましたが、途中で帝国の暗殺部隊の襲撃を受けましたが回避しました。……あと、どうやらスエ族の者の中に女神を蘇らせる力のある者たちが居るそうで、暗殺部隊の隊長・ガロンが狙っているようです。これから女神を蘇らせるために動くべきか帰還すべきか、今後の指示をお願いします」

アリサが簡潔に言い終えると、間髪入れずにデニスは答える。

「引き上げに決まってんだろ! 帝国の暗殺部隊の隊長なんかと闘れば、流石のお前さんでも無事じゃあ済まないだろうが。第一、人間に女神を蘇らせる能力なんてあるわけねえ、明らかなガセだ。ルカとアリサはさっさと引き上げて戻れ! 以上だ、俺は忙しいからアルフォンソに取り次ぐぞ!」
向こうでは何があったというのか、あのデニスが慌てるような事態が起きているのかと驚き、アリサは了解の意を伝えることも出来ずに呆然としたまま、アルフォンソの落ち着いた声がデニスのマシンガンに続いた。

「アリサ、そっちはどうなってる?」

「どうもこうも、ややこしい事態ですね。命令通りに素直に引き上げますから問題はないです。……それより、そっちは何が起こってるんです?」

ルイドの家がアリサの視界に映り始めた。急くようにアリサが尋ねると、
アルフォンソの乾いた笑い声が聞こえた。

「帝国からのサイバー攻撃だ。リックとデニス……リーダーが二人で相手して何とか凌いだが、今は逆襲の準備をしているらしい」

設備も劣悪なベースキャンプで、よくも国家からの情報攻撃を凌げたものだとアリサは感心した。普段は全くもって駄目な酒飲みだが、ここぞという時には優秀な指導者になるデニスの指令と、情報機器の扱いに関しては類稀なる才能を発揮するリックが揃って出来る芸当だと思う。

だからといって、明らかに不利な状態で逆襲の準備をする意味が分からない。そういう意図をアルフォンソに伝えると、電話先の彼は困ったように言った。

「なんか、折角だから壊せるモンは壊しとこうってさ。アリサ、他に質問が無いなら、ルカが心配だから代わってほしいんだが」

やばい、帝国の暗殺部隊が狙ってる家主の家で寝かしつけてるなんて言ったら大騒ぎするぞ、このブラコン野郎。アリサはそう思って、急いで電話を切ろうとする。

その瞬間、アリサの背筋を酷く冷たい寒気が掠めた。
アリサは一瞬、まるで死の直前のような、そんな嫌な予感を肌で感じた。それは数々の死線をくぐってきた彼女だからこそ反応できた予感であり、アリサは素早く左足をワザと滑らせて自分の体勢を大きく崩した。

勢いよく滑らせた左足のせいで右足のバランスも崩れ、瞬間的にしゃがみこむ体勢になった。アリサの胴体が先程まであった高い位置には銀色の一閃、鋭い剣の軌道が走った。剣で空間を裂いたような音を聴覚で確認した瞬間、アリサは右足を軸に滑ったために伸びきっている左足を、大きく回転させて周囲の敵に足払いをかける。
そのアリサの動きに反応したように、襲撃者の影がアリサから素早く離れた。

両足にしっかりと力を込めて立ち上がり、アリサは奇襲を仕掛けてきた相手を眼前に捉えた。

「帝国の暗殺部隊ってさ、奇襲が大好きなんだねえ? まぁ情けないことに、失敗ばっかだけどさ」

余裕の笑みを浮かべてアリサが言うと、彼女の目に映る白髪の男・ガロンも愉快そうに笑みを浮かべた。

「……たしか、貴様は帝国の殺人人形だったか。今は<RED LUNA>とかいう組織に所属しているそうだな」

ガロンの言葉に、アリサは無言を貫いた。アリサの無表情と無反応を全く意に介さず、ガロンは調子を変えることなく続けた。

「哀れな人形だ、廃棄されても戦場を求めているのか? それなら無駄に戦いを好む、野蛮なレジスタンスにでも所属した方が良かったんじゃないのか?」

「アタシは人形じゃねえっつってんだろうがよ、しつけえんだよクソ野郎どもが。さっさとどけよ、アンタはバグウェル親子を殺しに来たんだろ? アタシはアタシの仲間を連れて、ここからさっさと消えたいんだよ。邪魔しないから、アタシの邪魔もするな」

苛立ったようにアリサが手短に反応すると、ガロンは愉快そうな笑みをますます深めた。嘲笑とも取れるその笑みに、アリサの苛立ちは増幅する一方だった。






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