ch1.黒髪の兄弟 32


人間とは思えない速さで疾走するアリサの耳を、彼女を取り巻く周囲の空気が真空に近い状態となって鋭く刺激する。それを全く気にした風もなく、無表情のままにアリサは走り続けた。

アリサは気配を探っている時、ホワイトバッファローウーマン……女神の気配を一瞬だけ感じた。しかし、それっきりアリサが女神の気配を感じなくなったということは、女神の体内に埋め込まれたらしいR細胞による侵食がかなり進行してしまっている、ということを示しているより他に無い。

出来れば女神のままに死なせてやりたい。その一心から、アリサは足を急がせていた。

目的としている場所に到着するまであと少しという時に、疾走するアリサに向けて突然、横から一瞬の殺気が向けられる。

それを感じた瞬間にアリサは本能的に身をよじったため、疾走していたアリサの体は急な動きの変化に耐え切れず、斜めに大きく傾いてしまう。勢いよく倒れそうになる体を支えるために、アリサはすかさず両手を上手く地面について、運良く素早い倒立前転に成功した。

カッという鋭い音がして、さっきまでアリサのすぐ後ろにあった巨木に銀色のナイフが突き刺さる。
誰からか分からないが向けられたナイフの存在を、聞こえた音だけで理解したアリサは、倒立前転の後、一息吐くこともしない間に腰の剣を一気に引き抜き、ナイフが飛んできた茂みに素早く斬りかかった。

アリサの振り下ろされた剣を避けるべく、茂みから無様に転がり出てきたのは、明るい緑色のフワフワとした長髪だった。容赦なくそれをアリサが右足で踏みつけると、踏まれた髪の痛みにギャッとわめく男の声が聞こえて、アリサは冷たい目で足元の緑色を見下ろした。


「またアンタか。男の癖に、コソコソとナイフ持ち歩いてる、帝国の雑草野郎が……」

アリサが男の髪を踏みつけたままで冷たく吐き捨てるように言えば、男は情けなく痛みに喚いた。

「ちょ、痛い痛い! 俺のフッワフワの髪が台無しになる! 頼むから止めてくれよ、アリサー!」

敵であるにもかかわらず危機感の全く無い調子でアリサに訴えかける男の呼びかけ、それに対するアリサの反応は非常に冷たいものだった。

「黙れ。帝国の姑息な雑草野郎が、気安くアタシを名前で呼ぶな」

そう告げると、アリサは右手に握っていた剣を目にも留まらぬ早業で背後へと放った。その瞬間、放った剣が何かを抉るような音と同時に、アルト音域の女性が低い悲鳴がアリサの耳に届いた。横からの次は背後からの奇襲。しかも二度とも失敗している間抜けな敵たちに、呆れたようにアリサは溜め息を吐いた。

「あっちゃー……、やっぱダメだったかあ」

暢気にそう告げる足元の男に冷たい一瞥をよこした後、アリサは左足で男の顔面に踵落しを喰らわせ、無様に呻く男を完全に無視して、すぐさま飛び退いた。
その直後、顔面を両手で覆い、アリサの踵落としの痛みに呻きながら寝そべる男の顔面のすぐ横の地面に巨大なバスターソードが容赦なく落とされ、破裂するような音を響かせて周囲の大地が大きく割れた。

「うおおおおお!? ちょ……、エンマ! 俺を殺す気か!?」

寝そべっていた緑の髪の男は鼻血と冷や汗をダラダラと流しながら、顔のすぐ横に叩きつけられたバスターソードをしっかりと握る背の高い女性に向かって叫んだ。

「あんな男女にデレデレしてるお前が悪いね。ギー、今のお前の顔、超最悪だわ……」

そう言い放つエンマと呼ばれた女性は冷たく澄んだ青い目を、呆れたように緑の髪の男に向けた。




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