ch1.黒髪の兄弟 25




走り始めてすぐに、突然ルカが倒れた。当たり前といえば当たり前だ、そう思いながらアリサは舌打ちして立ち止まった。急に立ち止まったアリサの足元を中心に、砂嵐が起きたかのように激しく砂埃が宙を舞う。

ルカを置いていく事も出来るが、この村の異変が何か分からない以上は離れるべきではないだろう。一瞬の後にそう判断したアリサは、自分より10cmは体の大きいルカを彼女の華奢な体つきからは想像できないほどの力で、一気にひょいと自分の肩に担ぎ上げ、その状態で再び駆け出した。大地を思い切り蹴り、全速力でルイドの悲鳴が聞こえた方向へと走る。

やがてアリサは悲鳴の音源となる場所を見つけ、急ブレーキで砂埃を起こさないようにするため、速度を落とし始める。アリサがゆっくりと足を止めた場所は村の入り口で、何かに怯えるように体を震わせ、腰を抜かすルイドの姿が目に入った。その隣には、真っ青な顔で立ち尽くす夫人もいる。その他、バグウェル親子を囲むようにして、ちらほらと数人の村人達が入り口に集まっているようだった。

その中心に居るのはバグウェル親子だけでなく、白い衣装を纏った女性が居た。ウェーブがかかったふんわりとした髪、豊満な胸、露出された美しい首筋。伏し目がちの長い睫の女性。あまりの色っぽさに、同性であるはずのアリサですら息を呑んだ。

ふとアリサが女性の足元に目をやれば、黒コゲになった何かがあった。それが焼け焦げた人骨だと彼女が判断するのに、そう時間はかからなかった。アリサは無理やり人垣を押しのけて、バグウェル親子のもとへと押し進んだ。

「何があった?」

夫人に問えば、びくりと体を一瞬震わせた後、驚いたように夫人はアリサの姿を目に留めてから、担がれて気を失っている様子のルカの存在に息を呑んだ。その様子を見て、アリサは苦笑を浮かべた。

「ルカは無事さ。……まあ、ちょっとアレな状態だけどね。
誤解の無いように言っとくけど、アタシがアンタ達を狙う理由は無くなった。だから今更、殺そうとかしやしないさ」

アリサがおどけたように笑って言うと、夫人は納得のいかない顔で眉間にシワを寄せた。

「ま、とりあえずこの状況だ。一体どうなってるか、教えてくれないか?」

アリサが問うと、夫人は依然として青い顔のまま、その震える口を開いた。


「……突然現れた女性に、触れようとした男性の方が、雷に打たれて死に絶えました」

成る程、それを間近で見てしまっただろうバグウェル親子と、ただならぬルイドの悲鳴を聞きつけてやってきた村人達が集まっている状況か。そう判断してから、次にアリサは、問いかけるような目線を白い美女に投げかけた。美女は伏し目がちの目線を静かに上げ、アリサと視線を合わせる。

「その者は、私に邪な気持ちでもって触れようとしました。よって、罰を与えただけのこと……。私は聖なる存在、貴方たち人間が、女神と呼ぶ存在なのです」

白い女性は不思議と、か細くも通る声で言葉を発していた。それを聞いた瞬間、アリサは担いでいたルカを静かに地に横たえた。そして白い女性の言葉に戸惑う村人達をよそに、アリサは一歩前に進み出ると、女性の前で恭しく肩膝をついた。突然の部外者の存在と、その部外者の突然の行動に村人達は更に驚き、戸惑う声が一気に広がる。

そんな周りの様子など見えていないかのように、アリサは頭を下げたまま目を閉じ、ゆっくりとその口を開く。

「私ども愚かな人間風情が犯してしまった軽率な行為を、深く謝罪いたします、女神様。……失礼ながら、貴女様ほどの御方が、何故このような場所まで御足労なされたのかお聞きしたいのです」


アリサが頭を下げたままで言うと、白い女神は微笑んだ。

「貴方達の組織のことは、我ら神獣の中でもよく知られておりますよ、アリサ=トウドウ。我が部族の者に代わり、進み出てくれたことに感謝いたします」

我が部族、そう女神は言った。ということは、この女神は、この村の部族の者たちの守り神ということだろう。アリサはチラリと村人を見やり、溜め息を吐きたくなった。

神への信仰心を忘れてしまった部族の成れの果て、か。女神というのも虚しい存在だと、アリサは目の前の美女に同情する。
そんなアリサの心情を察したのか、女神は悲しげに微笑んでいた。

「さて、質問に答えましょう。……私が彼らの元へやってきた理由というのは他でもなく、この村の問題を解決するためなのです。
飢饉のこと。"神の遣い"を名乗った悪しき帝国の者の策略にかかり、一人の少年が、悲しくもあのような悪しき存在に捧げられてしまいそうになっていたこと。そして、少年に対する村人の罪悪感による疎外……。私は、スエ族のことなら何でも知っております」

言われて、村人達が緊張で体をこわばらせるのが雰囲気で分かった。R生物が飛来した時のことを詳しく知らないアリサは、意味が分からないといったように怪訝な表情を浮かべた。
アリサの隣で座り込んでいたルイドが、深く俯いた。そんなルイドの様子を見て、白い女神は少しだけ口調をキツいものに変える。


「よろしいですか。
貴方方スエ族の者が、たとえ悪しき帝国の者に騙されたとはいえ……冷静さを欠き、仲間であるはずの心優しき少年を、生贄として悪しき生物に捧げようとした事実は消し去る事が出来ない大罪なのです。
貴方方スエ族は太古から、勇敢な戦士の部族としての誇りを抱いていたはずでしょう。自分達の過ちをよく恥じなさい」

白い女神が厳しく言うと、スエ族の者達は皆一様に顔をゆがめた。

所詮、人間は女神や神様やらには、逆らう事など出来ない生き物だ。いつだって過ちや失敗を犯すたびに、彼らに説かれて生きていく。女神の言葉から大体の状況を理解したアリサは、少し疲れた表情を浮かべた。
世界を支配する帝国の手が、こんな偏狭の地にまで伸びている。
その事実が、帝国に反感を持つアリサにはどうしようもなく腹立たしかった。

「今回の事件で、ルイドは深く傷つきました。しかし、外部の者ではありますが、この女性の仲間であるルカという青年の優しさによって、その傷は癒えつつあるのです。時間が解決してくれる問題なのかどうか、自分達でしっかりと考えて行動しなさい」

女神はそう言うと閉ざしていた目をゆっくりと開けて、次です、と呟く。

「私は、常に貴方方草原の民である、勇敢なスエ族と共に存在していました。
いつしか私の存在は貴方方には忘れられていきましたが、私は常に貴方方を見守ってこれたのです。しかし、今、私には終わりの時が近付いています……」

そこまで言って、女神は少し俯いた。一瞬の後、群集にどよめきが走った。

「どういうことでございますか」

顔色も落ち着いたバグウェル夫人が心配そうに女神に尋ねると、やはり美しく、どこか儚いような微笑を浮かべ、女神は夫人を見つめた。

「先日、貴方方を欺いた"神の遣い"と名乗る帝国の者により、私の体内に悪しき物質が埋め込まれました。……やがて私は、この姿を醜いものに変え、見境なく人間達を襲い始めるの化物と化すのです。
残された少しの時間、私はスエ族の者達が生まれ持っているはずの勇敢な心と、誇りを思い出してほしかった。……そして何より、コレを渡しておきたかったのです」

女神はそう言うと、大事そうに胸の前で持っていた包みを、丁寧に夫人へと渡した。受け取る側である夫人もまた丁寧に受け取った包みの中には、1つのパイプがあった。

「それは聖なるパイプ。地上と天上、生者と死者をつなぐものなのです。悪しき者にそのパイプを渡してはなりません。……お願い致します」

「分かりましたわ、女神様。貴方様への感謝一生胸に抱きて、我らスエ族は歩んで行きますわ」

夫人と女神が微笑みあう様は、まるでアリサに女神同士の対話を思わせた。

微笑む白い女神の姿が突然、温かい光に包まれ始めたかと思った瞬間、アリサを含めた全員の視界一面に、一気に真っ白な閃光が走った。その場に居合わせた全員が眩しさに思わず目をつぶった後、しばらくして目を開けた者達が見たものは、はるか遠くへ駆けて行く白いバッファローの姿だった。


そして、その後ろ姿に見惚れる村人達の耳に飛び込んできた騒音。何かが思い切り、駆けて来る足音のような爆音、地鳴り。

その音の正体をいち早く確認した村人の誰かが、嬉々として叫んだ。

「おい、アレを見ろ! バッファローの大群だ!」

久しぶりの獲物が、村から少ししか離れていないところで黒い大群をなしていたのがアリサにも分かった。

「女神様からの恵みだ!」

「白いバッファローの女神様!」

ある者は雄叫びを、ある者は歓喜の声を上げ、飢えた村人達が武器を片手に走り去って行く。

「……ルイド、行こうぜ?」

呆然とその様子を座り込んだまま見ていたルイドに、手を差し伸べて、ぎこちなく笑いかけてきた青年がいた。

「シリル……っ!」

その青年の姿を捉えたルイドの目に、大粒の涙がたまる。ルイドは笑って頷くと、シリルと仲良く狩りに向かう者達の中に混じり、駆けていった。


その様子を後ろから見ていた夫人も同じように、涙を浮かべていた。彼女の手の中には、女神からの贈り物が納まっている。そんな夫人に近付き、アリサはちょっと悪いんだけど……。と、言い辛そうに夫人に呼びかけた。

「悪いんだけど……ルカの手当てがしたいから、どこか良い場所を教えてくれないか?」

横たわるルカを再び担ぐと、アリサは夫人にそう問いかけた。夫人は少し考えた後、自身の握る聖なるパイプを一瞬見て、肩をすくめた。

「それならば、ウチにおいでくださいな」

普通、自分に刃を向けた相手を易々と家に上げられるか? そう驚きつつも、アリサはそのありがたい申し出に、素直に感謝の意を述べた。




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