ch1.黒髪の兄弟 22


アリサは、迷うこともなくスエ族の村に辿り着いた。ルカから剥ぎ取った浅葱色のローブでその姿をスッポリと隠しているため、自分がまさか血塗れた暗殺者であるとは、村の人たちには気付かれないだろう。そうアリサは考えていた。

しかし、アリサが思っていたのとは違い、すぐに余所者だとバレる機会は訪れた。
村の入り口付近で佇んでいた青年が、何かに気付いたようにアリサに向かって駆けて来たのだ。彼はルカが村を出る直前に、重苦しい気持ちで話をしていた青年、シリルだった。
急に居なくなったルカを心配して律儀にも待っていたシリルだったが、その事情を知らないアリサは、どうしてあの男はこっちに来るのだと思いながら、内心で舌打ちするしかなかった。

「少年! さっきは急に飛び出したりして、どうしたんだ?」

背中に立派な弓を背負ったシリルはアリサに駆け寄ってくるなり、彼女に声を掛ける。

……少年? なんだコイツ、誰かとアタシを間違ってるのか?
そこまで考えて、アリサはふと気付く。急に村を飛び出した少年……、もしかしなくても、ルカじゃないだろうか。
そして、こうして声を掛けてきたということは、この青年はルカと見知った関係なのだろう。

コイツが、ルカが<RED LUNA>の存在を口外した相手、ルカの任務のターゲットなのだろうか?アリサは慎重に思考する。疑わしきは罰せず。皆殺しなんて、アタシの性に合わない。まだハッキリとターゲットの判断がつかない状況に、アリサは肩をすくめた。
何にせよ、ここで村人に正体がバレて警戒されては面倒だ。そう判断したアリサは、思い切ったように自らフードを取り去る。

闇夜の中、何となくではあるが赤髪と分かる頭髪が現れる。青年が見知っているであろうルカよりも、10cmくらい低い背丈。そして、微かに血に濡れた女性の顔が青年を見上げて、困ったように微笑んだ。おそらくこの夜闇の中では、アリサの顔に付着した血痕は相手に気付かれないだろう、そうアリサは確信していた。

あまりにも予想外の展開に、シリルが驚きに目を見開く。

「――貴方は?それに、そのローブは一体……?」

シリルが警戒しながら、しかしどこか戸惑ったように口を開くのを見て、やはりコイツは楽勝だとアリサは内心で呟く。

さてどうしたものか。そう思案しながら、アリサは小さく肩をすくめた。
この場合、矛盾だらけの嘘を並べ立てるしか、穏便に状況を打破する手立てが見つからないと悟ったアリサは、覚悟を決めて口を開く。

「すみません。私は訳あって身を隠しながら旅をしている者ですが、この近くの山で知り合った少年から衣服を譲って頂くことを条件として、この村の方への伝言を預かって参りました。
しかし、少年はとても急いでいたらしく、まともに伝言を聞き取れなかったので……困っているのです。"俺の事をよく知っている人"に伝えてくれと言われたのは分かったのですが、心当たりはございませんか?」

演じるのは、どこか弱々しくも礼儀正しい、しっかりしていそうな女性。それが他人から好意を得るのに一番効果的だと、アリサは知っていた。
この完璧に演じられた女役者が、実はローブの下で白刃を研ぎ澄ませている危険な女剣士になど、お人よしのシリルには見えるもはずも無かった。
アリサの事情を聞いて安心したように破顔した青年に、無用心な野郎だとアリサは内心呆れていた。


「そうでしたか、ご苦労様です。伝言の相手が分からなくて、お困りなんですね? それなら、ルイドという者の事でしょう。少年はルイドの家に厄介になっているらしいですから……。
僕でよければ案内しますよ。もっとも、僕はルイドの家には入れないので、送るだけになるとは思いますが」

なんて良い奴なんだ、願っても無い。ただ、ご苦労様などとは随分と失礼な言い方だけどね。アリサは冷えきった気持ちを上塗りするかのごとく、表面上で穏やかな温かい微笑を浮かべ、ゆっくりと頭を下げた。

「すみません、お願いします」

案内をしようと歩み始めた青年の後ろに付いて、同じように歩き出したアリサはニヤリと笑みを浮かべた。しかしその余裕の表情とは裏腹に、事態が思うように進んでいることに油断などせず、彼女はむしろ更なる緊張感を募らせる。アリサはローブの下で剣の柄にそっと触れた。







同刻、アリサがシリルと歩いている頃。彼女たちの居るスエ族の村から遠く離れた平地のベースキャンプに、男の怒声が響いた。

「デニス! どういうことだ!」

怒声をあげたのはアルフォンソだった。その彼の目の前には、空になった酒瓶を握ったまま頭を抑える中年の男が居る。中年の男は、アルフォンソに対して鬱陶しそうに眉間にシワを寄せる。

「あーあーうっせぇよ。頭に響くから黙れってーの」


このやりとりの数分前、満身創痍といった様子で息を荒くするアルフォンソが、組織の現拠点であるベースキャンプへと帰還した。彼は帰還してすぐに<RED LUNA>のリーダーの居るキャンプに駆け込み、アリサの任務報告の真意を尋ねた。鬼気迫るような雰囲気を醸し出すアルフォンソに向かって、リーダーである中年の男、デニスは陽気に言い放った。

「おう、俺からの命令だ。何か文句あるのかよ? あー?」

酔っ払ったような赤みが差した顔で笑うデニスに、アルフォンソが激昂したのは言うまでも無い。

「どうして行かせたんだ!? ルカがアリサにボコられてたらどうするんだよ! 今すぐ俺は、あっちに戻るからな!」

必死な様子で怒鳴り散らすアルフォンソを前に、デニスは鼻で笑い飛ばした。

「いーや、ダメだね。お前には違う任務が溜まってるんだ、そっち優先させてもらうぜえ? 副リーダー兼、第一幹部のアルフォンソ君よお」


そして、話は上の会話に戻る。

「デニス! どういうことだ!」
「あーあーうっせぇよ。頭に響くから黙れってーの」

激昂するアルフォンソ、酔いからくる頭痛を抑えて不機嫌なリーダーのデニス。

「正直に言ってくれ。何でデニスは、アリサを庇う? ルカの所に行って来いだなんて命令、本当はアリサにしてないんだろ?」
「はっ、俺は<RED LUNA>のリーダーなんでね。仲間を庇うのは当たり前だろうが」

まさかここまで正直に言われるとは思っていなかったアルフォンソは、怒りやら何やらで真っ赤になったままの顔で、言葉に詰まってしまった。そんなアルフォンソが何か言うより早く、デニスが続け様に口を開く。

「つーかよお、今回の件はむしろ、お前がアリサに感謝すべきかもしれないぜ?」

ニヤリと楽し気に笑うデニスに、アルフォンソは怪訝そうに眉間にシワを寄せた。

「……どういうことなんだ?」

尋ねるアルフォンソに、デニスは微かに苦笑を浮かべた。

「果たしてルカが、人殺しなんざ出来るかが問題だよなぁ」

その瞬間、場の空気が凍った。

「デニス……アンタ、ルカにそういう任務回した事が、ないとか言うのか?」

アルフォンソは驚きに目を見開いて、震える声でデニスに尋ねた。

「おう、言っちゃうぜ? 構成員ルカ=モンテサントに人殺しを強要したことなんて、俺は一度もねぇ」

アルフォンソは固まった。3年もこの組織に居て、殺しの1つもしたことが無い奴なんて居るものなのか? 考えようとするも、思考回路が上手く回らず、アルフォンソは固まり続ける。そんなアルフォンソの様子を見て、デニスは肩をすくめた。

「さっき言ったろうが。俺は<RED LUNA>のリーダーだから、仲間を庇って当たり前だ。小さい頃から普通に育ってきた人間に、殺しの任務なんて回さねぇよ。
まっ、でもルカが<RED LUNA>の事を、他人に漏らしたってのは大問題だからな。ルールはルールだ。アル、お前がルカに対して命令した任務は、間違っちゃあいない。
だが、人殺しが出来ない……つまり、ルールを破った後の任務が出来ないルカは、<RED LUNA>を裏切るしか方法が無いわけだろ?」

最後まで聞き、アルフォンソはすっかり興奮の熱が冷めた頭で考えた。考えてみればこの3年間、任務で走り回る俺に代わってルカの側には居たのは、ルカの師匠であるアリサだった気がする。彼女は、今のルカのことを俺より良く知っているのだろう。そう考えた瞬間、アルフォンソは切なさで胸が苦しくなるのを感じた。

「……じゃあデニス。お前は、裏切り者にしかならないだろうルカを殺すために、アリサがルカの元へ向かう事を黙認したのか?」

アルフォンソが落ち込む自身の気持ちを奮い立たせるかのようにデニスを睨み上げて言えば、デニスは深くため息をついた。

「ちょっとは落ち着いて聞いてろよ、このブラコン。
まず勘違いしてるようだから言っておくが、アリサにルカを殺す気なんてねぇよ。……師弟愛っつーの? よく分かんねぇが、アリサはアレでも、弟子であるルカのことを大事にしてんだよ。――いや、まあな。毎日ボロ雑巾の如く、殴られ蹴られしてるルカを見るお前の心配する気持ちも分かるんだがなぁ……」

ブツブツと呟くデニスに、アルフォンソは納得いかないような顔をしているものの、とりあえずは黙って聞いているようだった。その様子を確認して、デニスは続ける。

「アリサは多分、ルカが任務放棄して組織を抜けようとすると察したんだろうよ。で、組織を抜けたルカが、本格的に裏切り者として俺たちに殺されることになるのを未然に、なんとか防ごうとしてアッチに向かったんじゃねえかな……っと、これは俺の勝手な推測だけどな。
……ま、だから俺が命令してアリサを送ったとかどうとか関係なく、お前は今回、アリサに感謝する事になるかもなってことだよ。アル、分かったか?」

返事もせずに俯いてしまったアルフォンソの表情は、デニスには分からなかった。それを見て苦笑を浮かべたはずのデニスの表情が、その一瞬後には、冷えきった無表情に変わっていた。

「とにかく、今回こんな裏切り行為に近い失敗を犯したルカには、どんな形ででもペナルティを受けてもらう。
……ルカがアリサに愛のムチ喰らって半殺しにされようが、情が移った相手を目の前で殺されようが、今回ばかりは自業自得ってやつだ」

デニスがそこまで言った後、話し合いは終わった。ようやく静まり返った夜のベースキャンプで、燃え盛る炎のように興奮していたアルフォンソは元気をなくしてしまい、大人しくなっていた。

そんなアルフォンソの肩をデニスは励ますように軽く叩き、何を言うでもなく半分ほど飲んでいる途中の酒瓶を拾い上げて右手に持つ。立ち尽くすアルフォンソを残したままキャンプを出て、デニスは外の空気を深く吸い込んだ。

「あー、平和平和……っと」

ぐい、と一気に瓶の残りを口に含むと、ふとデニスには、その酒を見て思い出すことがあった。
この酒は昨日、先程まで話の中心だった人物であるルカに、片道3時間以上かかる都市まで買いに行かせた酒だった。なかなかに、良い味をしている。そう判断してデニスは微笑んだ。

ルカが帰ってきたら、また買いに行かせてやるのもいいな。……いや、アリサの愛のムチが、一体どの程度なのかも問題だが。そんな事をのんびり考えていると、デニスは背後から、良く知る人物に声を掛けられた。

「リーダー、どうやら帝国軍に<RED LUNA>の存在がバレたようです」

振り返れば、そこにはアルフォンソではなく、眼鏡をかけた茶髪ボブの賢そうな少年が立っていた。リック=レジナルド=マッケンジー。<RED LUNA>の情報収集を担当している、いわゆる天才だ。

「あー、今は任務外の扱いで報告してくれ。許可する。……せっかくの上手い酒が、台無しになるからな」
陽気にデニスが言うと、リックは呆れたように肩をすくめた。しかし、そんなリックの様子にも全く気にかけず、デニスは再び酒をあおった。

「――ああ、何だっけ?とうとう帝国の奴らに俺たちのこと、バレちまったってか?
アイツらも気付くのが遅いねえ……。奴らより先に、レジスタンスの奴らにバレるんじゃねぇかと心配になっちまったよ。……なぁ?」

笑いながらデニスがリックに同意を求めると、リックは左手で眼鏡をかけなおしながら、得意気に笑った。

「当たり前だろう。俺の情報操作が、たかが帝国ごときのインテリになぞ、負けるはずがないのだよ。
……ところでデニス、存在がバレてしまったのでは最早、<RED LUNA>の存在を世間から隠す必要も無いのではないか?」
「まぁ、そうなるわなぁ?……で、何が言いたいんだ、お前は」

デニスが愉しげにニヤリと笑うとリックも同じようにニヤリと笑って、口を開いた。

「構成員であるルカ=モンテサントの昨夜の裏切り行為は、この瞬間から白紙に戻ったということだ。……つまり、ルカに対する制裁も何も、必要なくなるのではないか? と、そう思っただけなのだよ」
しばらくキョトンとした後、デニスは酒を噴き出して爆笑した。

「結局、てめぇまでルカを庇おうと必死なワケだなぁ?」

そう言われ、リックは馬鹿にするように鼻を鳴らした。

「……そんなんじゃないのだよ。ただ、アルには借りがある。アルの情けない叫び声が聞こえたから、良い情報をイの一番で報告に来てやっただけだ」

自分を、引きこもっていた場所から連れ出してくれた男。その男の弟であり、数少ない友人であるルカ。2人の兄弟の顔を思い浮かべながら、リックは苦笑していた。

「おーおー、そうかいそうかい。じゃあ、アルにもさっさと教えてやんねぇとなぁ?」

デニスが笑いながらそう言った声が、明るく淋しげな夜の空気を震わせた。






そして、そのデニスの笑い声が響いていた同時刻。静まり返った夜の森の小道で、ルカが目覚めた。ジクジクとえぐられるように痛む左肩を抑え、彼は立ち上がる。

「……行かなきゃ。」
そう呟いて、ルカは村へと駆ける。アリサが居ない、ルイドのローブが無いことに気付いてから、ルカが走り出すまでの時間は10秒と無かった。

―アタシが、代わりに殺してやる―

ルカは気を失う直前に、アリサがそう言っていたのを覚えていた。
手遅れになる前に、行かなければならない。アリサにルイドたちが殺される前に、彼らを、なんとかして助けなければならない。だが、ルカがそう決心する度に、アリサにえぐられた肩の傷は激しく痛みと熱を主張してくるのだった。

それでも、ルカはその全てを意識の外に追いやって、走った。あの優しい親子には何の罪もない。ルイドたちを、どうしても死なせたくない。その思いだけが、アリサに恐怖を植え付けられてもなお、ルカの足を動かしていた。




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