ch1.黒髪の兄弟 17
しばらくして、突然アルフォンソの耳に聞き覚えのある笑い声が飛び込んできた。
好戦的でどこか楽しげな、彼がよく聞いたことのある不気味な赤髪の女剣士の笑い声だった。アルフォンソは一気に体が冷え固まるのを感じた。
しまった、アイツがいたのか。そうアルフォンソが後悔した時には、何もかもが手遅れだった。
「久しぶり、アル。残念ながらリーダーは泥酔してるね」
どこか楽しそうでいて、怒りさえ含んでいそうな声。知り合いでなければ女の声と判断できないかもしれないくらい声は低い。その声の主の存在に、アルフォンソは電話の向こうからは見えないであろう苦々しい表情を浮かべて答える。
「……アリサ。どうしてお前が、デニスと一緒に居るんだ」
「ああ、さっき来たばかりだっつの。任務報告に来てただけなんだけど、携帯電話握ったままデニスが寝てたから出てみたのさ」
聞いて、アルフォンソは舌打ちしそうになるのを必死に堪えた。電話の向こうの人間、彼女の名前はアリサ=トウドウ。赤いショートの髪で、男勝りな性格、好戦的。そして暴力的な肉食獣のような、そんな人間。
彼女は、ルカが<RED LUNA>に入って間もない頃からのルカの教育係、師匠であった。
「……そうか」
アルフォンソは、それだけ言うと相手の反応を待った。もしかしたら、さっきのルカの報告は聞かれていないかもしれない。そんな期待が一瞬浮かんだが、アリサの答えはあっさりとアルフォンソの期待を否定した。
「本当に、すごい偶然だねえ? 思わぬ弟子の失態が聞けたわ。やっぱり師匠としては、弟子の様子は気になるものでさ。ま、アルにも弟子が出来れば分かるかもね。
……いやーしかしねぇ、驚いたわ。まさかルカが、そんならしくない失敗をおかすなんてね」
笑ってはいる、しかし完全に怒気を含んだそのアリサの笑い声。完全に、絶対に知られてはいけなかった相手に報告を聞かれたとアルフォンソはぎくりとした。
どうしたものか、とアルフォンソはさらに唇を強く噛む。電話先の相手はその様子を知ってか知らずか、ますます愉快そうに言葉を紡ぐ。
「あぁ、アル。何かリーダーがこっちで言ってるんだけどね、アンタはそのまま引き上げろってさ。代わりにアタシがそっちに向かう事になったから。これリーダー命令ね、分かった?」
「は? ちょっと待て、嘘をつくんじゃない。お前今、リーダー……デニスは泥酔したって言ってただろ!?」
アリサに必死に反論するアルフォンスに、アリサの機嫌は一気に悪くなった。
「うるさい。リーダーからの命令だっつってんだろ、文句あるなら直接こっちに確認取りに帰って来いクソ野郎。……以上がリーダーからの伝言だけど、了解したか? アルフォンソ=ウリッセ=モンテサント」
このクソ女!
きっと電話の向こうで勝ち誇った笑みを浮かべているであろう彼女を想像しつつ、アルフォンソは内心で彼女を激しく罵った。そして、最早こちらからはどうしようもない事態に、半ば投げやりに叫ぶように応答する。
「……ああ、了解したさ! だが、もし嘘だったら覚悟しておけよ。お前の心臓、めった刺しにして家畜のエサにしてやるからな。
それから、ルカはまだ任務途中なんだから、絶対に手を出すなよ。副リーダー命令だ!」
アルフォンソが脅すように付け足すと、電話の向こうでアリサが大笑いする。やがて、それがいったん落ち着くと、再びドスの効いた声で彼女が牙をむく。
「やってみろよ、ブラコン野郎。第一、前々から弱虫男がアタシの弟子に関わるなって言ってるだろ。アンタが甘いから、ルカがそんな、らしかぬ失敗をするんだろうが。
ま、その御蔭でルカに殺しを1つ経験させられるんだから、感謝もしてるけどね。弟思いのお兄さん?」
ここで、ついカッとなってしまうのがアルフォンソの悪いところだった。
「俺はアイツの任務に一切関与していない。ルカの失敗は俺のせいでなく、お前の教育が甘かったんじゃないのか?」
売り言葉に買い言葉。言ってから、アルフォンソは慌てて口を閉ざした。乗せられた?いや、俺が考えなしに発言してしまったのがいけなかった。
「へえ、言ってくれるじゃん? アタシの教育が不十分だった、そう副リーダーは仰るワケですねえ」
ここで一息置いたアリサに対して、ルカの身を案じるアルフォンソとしては謝罪すべきだったのだが、どうも喉がつっかえたように彼の口からは何も言葉は出てこなかった。
「……オッケーオッケー、よーく分かったさ。ああ、早くリーダーの命令が本当かどうか確かめに来たほうがいいね。早くしないと、アンタの弟が不慮の事故で殺されちゃうかもよ?」
不慮の事故で死ぬ。ではなく、不慮の事故で殺されるって言ってる時点でおかしいだろう。アルフォンソが言いかけるも、アリサの言葉には続きがあった。
「アタシの足の速さ知ってるでしょ?きっと3時間もあればそっち着くなぁ……って聞いてる? アルー?」
返事もしないまま、一方的にアルフォンは電話を切ってポケットに突っ込んだ。アルフォンソの額に噴出する嫌な汗。かなり危ない状況だった、何も知らないで残してきたルカの身が。まさか、こんなことになるなんて。アリサを挑発するなんて、俺は馬鹿じゃないのか。彼女の牙が向くのは、全てルカだというのに。
アルフォンソは自身を責めながら全速力で走る。<RED LUNA>の現在の滞在ベースキャンプまで半日くらいはかかる道のりを、アルフォンソは駆けた。
一刻も早くリーダーに先程のアリサから伝わった連絡の真偽の確認を取り、ルカの元へ戻る必要があった。
「てめえ、悪い女だなあ」
呆れたように笑うのは泥酔して寝ていたはずのデニスだった。アリサは思い切りデニスを睨みつけた。酔ってる振りしてまで、自分とアルフォンソの喧嘩が見たかったのか、なんて悪趣味なヤツだ。アリサは内心でデニスに毒付く。
「アンタもだ、デニス。アンタには借りもあるし感謝してるけど、ルカの事は別問題。どういうつもりで今回の任務にアルなんかを付けたのか知らないけど、二度とルカを甘やかすような事をするな」
「おーおー言うねー? お前が昨日、昼間からルカを痛めつけるから、万一のことを考えたまでさ。将来有望な若者を、身内と雑魚に潰されちゃたまんねえわー」
大げさにショックを受けたように振舞うデニスに、アリサの額には青筋が浮かぶ。
「それこそ勘違いだ。アタシはルカを痛めつけていない。厳しい訓練はルカが自分から望んだ事だし、第一、その程度の疲労で雑魚に殺されるようじゃ、要らないだろうが」
それだけ言うと、アリサは自身の報告もせずに不機嫌にキャンプを去った。僅かに強調された「要らない」の一言に、無意識のうちに力がこもっていたのをアリサは知らない。一人残されたデニスは、やれやれ、というように肩をすくめる。
必要とされなくなることを、何より恐れている彼女。
「淋しい奴じゃねえの……なあ?」
誰に問うわけでもなく、デニスの独り言が淋しく響いた。
遠く離れた地、スエ族の村。
ちょうどその頃、バグウェル家の手伝いとして水を汲みに出ていたルカは、大きく一つのくしゃみをした。同時に、背筋に走る壮絶な悪寒に思わずルカは顔をしかめる。嫌な予感がする? いやいや、これ以上どんな災難が起こるというのか。すぐさま何かを否定するように、ルカは小さく頭を振った。
「風邪……ひいたかなぁ」
何も知らない若者は、目の前の問題にのみ頭を抱える。
早く、ルイドたちを殺さなきゃならない。そう考えながらルカが見つめる先には、仲良く談笑するルイド親子の姿。
姿を消したアルフォンソの心理も、分からないままだ。もしかしたら俺はアル兄……副リーダーに見放されたのかもしれない。
再び浮かんできた嫌な考えを振り払うように、ルカはもう一度、頭を振った。必要とされなくなる前に、任務を遂行して早く帰ろう。そう思いながら、桶に汲んだ水に映る自分の顔をルカは覗いてみると、そこにはひどく情けない自分の顔が浮かんでいた。
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