ch3.水辺の大怪獣 24


さわさわと揺れる木漏れ日の隙間を見つめながら、ルカは肩をすくめた。学園の裏にある森の中で、透き通る清流の音を聞きながら寝返りを打つ。

――どこに行ったんだ、ラム。

心中で呟いてはみるものの、突然に姿をくらませた青い鳥の念波は全くもってキャッチできない。ライノとリックが頑張っている時に、唯一の仕事であった組織との通信を行えなくなったルカは、ここ数日、暇さえあれば不安から逃げるように森の中で転がっていた。

ふと見知った気配が近づいてくるのを感じ、上体を起こす。同時に、茂みからザリッと足音がして、そちらに目を向けたルカと茂みから堂々と現れたトビアスの視線が重なった。

「よぉよぉ、交渉に来てやったぜぇ」

「あぁ、忘れてた」

ニヤニヤと人を馬鹿にしたような笑みを浮かべるトビアスに、ルカは淡々と返事をした。瞬間、不機嫌そうな表情になるトビアスに内心でザマァミロと舌を出し、ルカは立ち上がった。

「確認したいんだけど、情報交換中の攻撃はアリか?」

「アリって言ってやりてぇトコだし今すぐそのへらず口に弾丸ぶっこんで川に沈めてやりてぇトコだけど、クッソ生意気なガキに対する大人の余裕として俺からの暴力はナシにしてやるよ」

「そりゃどうも。川で顔洗ってくれるなら目糞くらいは取れたかもしれないけどな」

ルカが欠伸をしながら言うと、トビアスは怒りを堪えるように肩を震わせながら、口元に笑いきれてない笑みを浮かべた。

「テメェどんだけ口汚ぇんだよ。アルフォンソの野郎……絶対ぇ、お前のそういうトコ知らねぇだろ……あぁん?」

トビアスの言葉に、ルカは肩をすくめた。正直、アルフォンソのブラコン度合の確認なんか改めてされるまでもない。一言で表すなら、まさしく盲目的だ。とはいえ、そんなことはルカにとってはどうでも良かったし、何より第三者に改めて自身の兄が自覚していない極度のコンプレックスを指摘されるなど、羞恥以外の何物でもなかった。

「交渉しに来たんだろ、アンタ。俺の私生活って言ってもな……とりあえず俺がスラングとか知ってるのは、組織の人間にアル兄には内緒で色んな夜の街とかスラムに連れて行かれてるからだ」

「へえ、組織の人間ねぇ? そういうの、何人で夜の街に行ったりすんだよ。っていうか、お前んトコの組織って女っ気ねえの?」

「それには答えられないな、俺の私生活の情報じゃない」

しれっと返すルカに、トビアスはケッとつまらなさそうに唾を吐き捨てた。

「つまんねーチビグソ野郎だぜ」

「やっぱり、俺が私生活の情報の中から組織の情報もポロッと口滑らせると思ってこういう交渉条件にしたんだな……ざまぁみろ」

「はっ、んなの当たり前だろ? 本気でお前の情報なんか貰いたい訳ねーだろーが、これだから過保護に育てられたチビグソは……」

「うっさい。で? 今度はアンタが情報出せよ」

両腕を組むルカに相対するように、トビアスは煙草を取り出して火をつける。お互い、相手を気遣う素振りなど微塵も見せようとする気配がなかった。

「へーへー。一回しか言わねぇぞ。あと俺が喋る内容は公式記録によるものばっかりだから、事実とはまた違うかもしれねえ、それだけ頭に置いとけ。帝国暗殺部隊の隊長、ガロンはお前の実の兄貴で、アルフォンソの双子の弟だ。本名はラウロ=モンテサント。んで、お前らの親父は帝国の誇る優秀な研究者の、助手だったらしい」

そこまで言って一服するトビアスにルカは初めて聞いた父の情報に目を輝かせて続きを待った。だが、長い沈黙が流れる。

「……おい、まさか続きを聞かせろって言うんじゃないだろうな?」

「は? むしろアレで終わりなのか?」

白い目を向けてくるトビアスと驚きに満ちたルカの目がぶつかり、トビアスの目が呆れたように細められた。

「ざけんな、情報量的には俺のが多いんだぜ。おら、次てめぇの番だよ。今までに恋人とか出来なかったのかよ、童貞かぁ?」

「お前がふざけんな、なんだよこの対価情報の温度差!!」

怒りに震える拳に耐えるルカに、トビアスはクックと笑った。

「おら、言えよチビグソ小僧。言わないと続きは教えねーぜ?」

「アンタ本当に意味が分からないな、こんなこと知ってどうするって……ああもう、分かったよ。恋人は出来たことないけど、村の同年代の子とは男女関係なく友達だった」

「はぁん、童貞か?」

「アンタそれが聞きたいだけだろ、そうだよ童貞だよ死ね!」

羞恥から思わず足元の砂利を蹴り飛ばしてトビアスにぶっかけるルカだったが、爆笑しながらそれを避けるトビアスには何のダメージも与えられなかったようだった。
「悪ぃ悪ぃ、そうか、やっぱ童貞かよ! あー良かった、そこまで外れてたら俺もうお前のストーカーして正体暴いちまうわ」

「どうでもいいな、アンタの話を聞かせろ」

冷たく言い放つルカに、再びトビアスが爆笑する。ルカの目が怒りで細まり始めたところで、トビアスは咳払いした。

「あーはいはい、話すっつーの。がっつくな! お前の親父は、偉大な帝国の研究者、リカード博士の助手を務めてた。優秀な助手だったと聞く。んで、リカード博士とお前の親父はある日、謎の生命遺伝子を発見した。どこから来たのかも、どうやって生きているのかも分からない、謎の生命遺伝子をな。
その遺伝子を、リカード博士とお前の親父で秘密裏に加工したのが、今のR細胞と呼ばれる物質だ。R細胞には小さな意志があり、人間の肉体を強化し成長させる作用があった。……おい、話ちゃんと理解してるか、猿小僧」

目を白黒させ始めたルカに呆れたような目を向けるトビアスに、ルカはしばらくの無言の後、ゆっくりと頷いた。

「一気に言われると混乱するから、そうやって区切って教えてくれ」

「へいへい。ここまで理解したなら、話まだ続けんぞ?」

「さっきとは違って随分と大盤振る舞いだな?」

意外そうに尋ねるルカに、トビアスはニヤッと笑い返した。

「区切ってもいいけど、知能の低い猿小僧に何回も同じこと説明すんの面倒なんだよ」

「そりゃどうも。悪かった、もう何も言わないから続けてくれ」

いい加減に低俗な口論に疲労を感じ始めたルカは額を抑えながら深い溜め息を吐いた。大人と喋っているのに、喋るだけでここまで疲れたのはデニス以外でコイツが初めてだとルカは内心で呟く。

「帝国はその作用を利用して、人間兵器を作り出す計画を考案した。その初実験として選ばれたのは当時の帝国軍で一番屈強だった兵士の息子。その息子がまだ胎児だった頃から、その実験は行われたそうだが……まるで化物のような能力を持って生まれたその兵士の息子は、起用するまでに10年以上の歳月を要したと聞く。
その時間のコストを低くすることを目指して行われた第一実験よりR細胞の密度を低くした第二実験では、ジャプ島の子供およそ1600万人が強制的に被験者となった。
さらにその後、第一、第二実験での数多くの犠牲を元に、R細胞の密度を再調整して細胞自体の意志を尊重した本格的な完成形とも呼べる第三実験、それに選ばれたのが実験を始めた当事者である学者の息子たち、テメェらモンテサントの兄弟だ」

「ちょ、ま、第二実験での犠牲者が……1600万人……!? っていうか、聞いてたら被験者は子供ばっかりじゃないか! それはホントに人間のすることなのか!!」

「んなこと知らねえよ、俺は記録を正確に読み聞かせてやってるだけだっつの。まぁガキのが教育は楽だし、伸び代も見えるし、何より体がまだ出来上がってねぇからな。つまるところ、人間兵器として育てやすいってこったろうよ。あと軍事国家に残虐って言葉はつきもんだ、強いモン勝ち、狩ったモン勝ち。綺麗ごと抜かしてんじゃねぇぞ」

「まったくもって最悪だな、でも今は、そういう世界なんだって俺も思う。……それで、俺とアル兄とガロンは、その第三実験を受けた影響でどうなってるんだ?」

「ざーんねん、これ以上は有料なんだなぁ」

ヒッヒと笑うトビアスに、ルカは胡散臭そうな目を向ける。

「……アンタ、まさか何から何までデマカセ言ってんじゃないだろうな? 胡散臭い」

「しねーよ、くだらねえ詮索すんじゃねえ。んじゃあ次は、学園生活のことでも聞くかな。来週の文化祭、てめぇのクラスどんなんだ?」

相変わらずのトビアスの温度差のありすぎる質疑応答に、ルカはとうとう頭痛を覚えて思わず頭を抱えた。

「……勘弁してくれ」

「ホラホラ、早くしねーと先生は先に帰んぞコラ。飯屋か? それとも、気になる可愛いあの子と青春ホラーハウスか?」

「あいにく今は自分のことに必死すぎて女の子に興味もてないから。チェスっていう遊び知ってるだろ、アレの喫茶店か何かするんだってさ」

参ったというようにルカが呟けば、トビアスが本日何度目になるかの爆笑を浮かべた。

「チェスか、なるほど。そりゃいい時間潰しになるじゃねえか」

「来てもいいけど俺には絶対話しかけんなよ、目障りだし耳障りだ」

絶不調に毒を吐き続けるルカに、トビアスの頬肉も思わずつられて引きつる。

「耳障りなノイズが聞こえた気がするがまぁいいだろうよ、俺は大人だから我慢してやる」

「そりゃどーも。で? 俺とアル兄とラウロ兄……じゃなくて、ガロンに、実験の影響は何かあったんだろ? それは、アル兄が二重人格なことにも関係あるんじゃないのか?」

「せっかちな野郎め……ま、正解っちゃ正解だな。最初の頃も第三実験は何の問題もなく順調に進んで行われているように見えた。が、違った。当時まだガキだったアルフォンソとラウロ、赤ん坊だったテメェに投与された、より知的に進化したR細胞は、お前たちの肉体に適合することが不可能だと判断し、必要最低限の分裂を繰り返して、お前たち自身の体内の遺伝子に干渉し、肉体と脳の至る所に働きかけ、まったく別の肉体と脳、人格を作り上げた。その結果、アルフォンソとラウロにはウリッセという金髪の男や、ガロンという白髪の男が発現した」

トビアスが淡々と語る内容の大きさに、ルカは思わず息を飲んだ。アルフォンソのそれは、二重人格などという次元の話では無かったのだ。思えば、性格はともかく外見までもが変化してしまう兄の異常を、二重人格などというまともな言葉で表せるはずもなかったのだから。

「でも、待ってくれ。アル兄は自分とウリッセを交代させたり出来るけど、ラウロ兄の方はガロンのままだ」

「そりゃー、ガロンの方は一番ひでぇ失敗作だからな」

当たり前のように言い放ったトビアスに、ルカは心が凍てつくのを感じた。そんなルカの様子など全く気にもかけず、トビアスは続ける。

「つーか、もともと人間と戦闘兵器の混合作品を作る予定だったんだよ、研究部は。それがいざ蓋を開けてみりゃーテメェらが結果だ。人格そのままに、肉体強化だけ思うままにできるような人間らしい兵器になってくれりゃ軍部も研究部も万々歳だったってのに。アルフォンソとウリッセは二心同体っつー全くの変異種だし、ラウロに至ってはガロンっていう狂人の人格に全部もってかれてやがるし。どっちにしろ失敗作だろうが、研究部は未だにアルフォンソの方を戦争起用しようとしてやがるからな。まぁアルフォンソが戻ってくりゃ、ガロンみたいな危険物は処分だろうけどよ」

トビアスのあまりの言葉に、ルカは何と答えればいいのか分からなくなった。ただ、ひどく空しいような、悲しいような、憎たらしいような感情が渦巻く。

「……最っ低だな」

やがて、ルカは静かに絞り出すような声を出す。それでもトビアスはルカを気にも留めず、話を続ける。

「最低ついでにテメェの兄貴たちの怖さ、たーくさん教えてやるよ。テメェらの親父を含め、テメェらの研究に関わった人間は全員もう死んでる。研究が順調に思われていたある日、突然に発現したウリッセとガロンが暴走しやがって、研究所を血で染めたんだよ。そっから落ち着いたアルフォンソとラウロ、あと何も実験の成果が見られなかった赤ん坊のお前を連れて、母親は研究所を抜け出し、そのまま帝国領から逃げ出した。ま、後の生活はテメェが知る通りだろうよ」

「それが事実かどうかは……今の俺には判断の出来ないことだ。だからもう十分だ、言わなくていい。それ以上のアンタの推測は、聞きたくない」

想像を遥かに凌駕した事態の重さに、思わず顔を青くしたルカが制止の声をあげるが、トビアスはそれを横目で一瞥しただけで何も反応しようともせず、再び口を開く。無表情で語り続けるその男の様に、ルカは背筋が凍るのを感じた。

「幼いアルフォンソもラウロも事件のことなんざ一切覚えてなかったってのになぁ。平和に暮らしてりゃいいものを、母親の心も知らずに、母親には出稼ぎと嘘までついてラウロがノコノコと帝国軍に入隊した。そこからが、テメェら一家の運の尽きだ。なんせ死んだと思われていた実験体サンプルが、成長して帰って来やがったんだからなぁ。軍部から研究室に引き込まれたラウロはあらゆる実験を受け、人格崩壊寸前になってガロンっつー狂人の人格に乗っ取られ、ラウロのもたらした情報から導き出されたアルフォンソの存在が帝国に狙われて……お前ら一家が住んでた村は、焼き払われた。
あ、そん時にお前らの母親はガロンに殺されたんだったっけ? んで、それを見たお前がショックで記憶喪失になったんだよなぁ」

「……不愉快だ、帰る。やっぱ、アンタの言うことはデマカセだ」

フラりと揺れそうな頭を叱咤し、ルカはしっかりとした動きで踵を返した。トビアスに背を向けた瞬間、背中に強い衝撃を感じてルカは悲鳴をあげる暇もないまま地面に転がる。無様に転がったルカを、トビアスがニヤリと笑って見下ろしていた。

「人の話は最後まで聞くもんだろうが、あぁ? デマカセかどうかは後で決めやがれ」

「分かった、正直に言う。ここまで重い話だと思ってなかったから付き合いきれない。俺、心は繊細なんだ」

吹っ切れたようにそう言って立ち上がり、服についた汚れを払い落とすルカにトビアスは唖然とした表情になるより他になかった。
「テメェ……プライドとかねぇのかよ、簡単に認めやがって」

呆れたように呟くトビアスに、ルカは小さく舌を出した。

「っていうか、こんな事実もし本当だとして、俺一人で抱え込んだら俺これからアル兄と距離置いちゃいそうだし。一人で何でも考えて無茶すりゃいいってモンじゃないからな。この間、そういうので失敗したばかりだ」

ルカが苦々しげに言うと、トビアスが訝しげな表情を見せた。

「この間の失敗? 何だ、何やらかしたんだ?」

「もういいんだ。今日はアンタと喋りたくない、俺は帰るって決めた」

それだけハッキリと口にしてトビアスに一礼、振り返ることもなくルカはしっかりとした足取りで寮へ戻るべく森の中を進んだ。

「は? ちょ……お前なぁ!! どんだけマイペースだ!?」

後ろから聞こえてくる姿の見えない叫び声の主に向かって、ルカはまた小さく舌を出した。






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