ch3.水辺の大怪獣 17
「フェル〜っ」
木の根元で膝を抱えて座り込んでいたファリシアを見つけ、シルヴィアはフェリシアのもたれ掛かる木の背面からヒョコっと顔を覗かせた。フェリシアが僅かに顔を上げる。シルヴィアが少年の顔をのぞきこむと、フェリシアの顔は赤く色づいており、瞳は少しだけ潤んでいた。
「シルヴィアさん……」
「わぁ、名前ちゃんと初めて呼んでもらえた! 感動だよ〜」
ニコニコと話すシルヴィアを前にして、フェリシアはきゅっと噛み締めていた唇を震わせた後、再び顔を伏せた。
「ちょっと顔が見せられないです。私、今、泣いてるんで……」
無言に包まれた緑の景色の中で、背景に同化してしまいそうなシルヴィアの黄緑色の艶のある長い髪が、ふわりと揺れた。シルヴィアは何も言わずにフェリシアと反対側にちょんと座り込むと、目を閉じた。
「寂しいよね。だって、急だったもん……フェルがここに来たの」
ポツリとシルヴィアが呟くと、フェルは少し身じろぎした。
「……はい」
震えるフェリシアの声が反応を示したが、シルヴィアは目を閉じたまま安らかな表情を変えなかった。
「怖いよね、誰に頼っていいのかも分かんないし」
「……はい」
「何も分からないとこで、一人ぼっちみたいで」
「……はい」
「急に世界が、ぱって広がって」
「……そうですね」
そこで、シルヴィアはしばらく会話を切った。無言が続く。再びシルヴィアが口を開いた。
「私もフェルと同じだったよ。でも私の場合は、思い出が空っぽになっちゃってて、寂しいとは思わなかったかなぁ。気付いたらココの皆に助けられてて、成り行きでココに居るんだ。記憶喪失で、どうしようもなくなっちゃって……」
クスクスと、まるで自分のちょっとした失敗談を話すような口ぶりでシルヴィアは言った。フェリシアは驚き、言葉を一瞬だけ失う。
「え、ええ? シルヴィアさん、記憶喪失なんですか?」
動揺したように尋ねてくるフェリシアに、シルヴィアは気だるげにグデッと木にもたれ掛かった背中を少し擦り下げた。
「そうなんだよ〜。もう不安で怖くって、どうにかなっちゃうかと思ったなぁ。でもね、ルカも記憶喪失だったから気持ち分かってくれて、いっぱい励ましてもらったりね!」
「ルカ?」
どこかで聞いたようで聞き覚えのない人物の名前にフェリシアが首を傾げると、お互いに後ろ向きに座って居るはずなのに、まるでそれが見えているかのようなタイミングでシルヴィアが笑い声をあげた。
「アルさんの弟だよ〜」
「あ、思い出しました。アリサ様のお弟子さんですね! どんな方なんですか?」
急に興奮気味になったフェリシアにシルヴィアは驚きながら、そうだなぁと独り言のように呟いた。
「えっとね、ルカは……頑張り屋さんかなぁ? それで、すっごく我慢強くて、優しいよ!」
黒髪の童顔青年を想像しながらそう語るシルヴィアの顔は少しばかり紅潮していた。興奮に少しケホケホとむせたシルヴィアを心配してフェリシアがそっと振り返る。
「シルヴィアさん、大丈夫ですか……っ顔、真っ赤ですよ!? 熱出てません!?」
「ぅぇえ!? だっ、大丈夫ダイジョーブ! だよ……?」
ワタワタと両手を振るシルヴィアの顔をじっと見ていたフェリシアが、ハッとしたように口元に手を当てた。
「シルヴィアさん……もしかして、ルカさんって人のことが好きなんじゃ――」
「きゃぁあああ違う違う、違うよぉおお!!」
さらに顔を赤らめて過剰に反応するシルヴィアを見て、フェリシアもつられて顔を赤くした。
「そ、それが、う、噂の、こ、ここ、恋ゴコロですか……! 男女恋愛……やはり、外の世界は興味深いです……!」
「やっ、止めてよフェル〜! ルカ、鈍感なんだから、どうせ気付いてくれないし〜」
シルヴィアの拗ねたような口調に、フェリシアはふと抱いた疑問を口にした。
「シルヴィアさん、もしかしてルカさんと付き合いたいって考えてるんですか? 付き合うのって……キスしたり、破廉恥ですよね?」
恐々と言うフェリシアに、シルヴィアはきょとんとした表情を見せた。
「んう? そうなのかなぁ……好きですってお互いに伝えて、今よりお互いをずっと大切にしていくことが付き合うことだと思ってたから〜……」
「わわっ、そうだったんですか! すみません、どうにも狭い世界では邪な噂しか立ってなかったので、お恥ずかしい勘違いを……!!」
慌てて謝罪を口にするフェリシアに、シルヴィアは照れたように笑う。
「お詫びにもなりませんが、シルヴィアさんの折角の素敵な恋! 私に出来ることがあれば協力します!」
顔を赤くしながらガシッとシルヴィアの両手を掴むフェリシアに、シルヴィアは困惑と羞恥とで入り混じった笑みを浮かべ、僅かに頷いた。
「あ、ありがと〜。でも私、こういうのどうやっていいか分かんないし……」
シルヴィアが落ち込んだようにそう言うと、フェリシアも深く頷いた。
「ですよね。私も分かりません……困りました」
フェリシアが言い、シルヴィアと同時にふぅっと息を吐いた瞬間だった。
「何か困ってるのか?」
第三者の男の声が聞こえ、フェリシアとシルヴィアはハッとしたように振り返った。気配を消して近づいてきた訳ではないだろうが、非戦闘員であるシルヴィアとまだ未熟なフェリシアに人の気配を読めるような技術は身についていない。二人が声を掛けられて振り返った先、そこにはアルフォンソがキョトンとした表情で立っていた。
「あ、ああ、アルさん! いつからそこに……!?」
「ついさっきからだが……シルヴィア、顔色かなり悪いぞ。体調が悪いのか?」
シルヴィアが絶望的な表情で尋ねると、アルフォンソは本気で彼女の身を心配しながら尋ね返した。それにフェリシアがプッと小さく噴き出す。
「違いますよ、アルフォンソさん。シルヴィアさんは――」
「きゃぁあああ!? フェル言っちゃ駄目ぇえええ!!」
慌ててフェリシアにタックルしてシルヴィアがフェリシアの発言を遮る。それを面白がってか、フェリシアは持ち前の身軽さを利用してシルヴィアをからかいながら彼女のタックルを回避していた。
「……楽しそうで何よりだ」
アルフォンソは、気がつけばそう呟いていた。ただ一人、彼女たちを心配してわざわざ探しに来たアルフォンソだけが、この会話に置いていかれていた。そんなアルフォンソのことなどお構いなしに二人の少年少女はキャイキャイと騒いでいる。
「何も! 何もないからね、アルさんっ」
「ふふっ、とっても楽しいですっ」
慌てっぱなしのシルヴィアと、泣きそうだった表情はどこへやらのフェリシアの姿に、アルフォンソはこれはどういう状況になっているのかとしばらく考えたが、やがて諦めたように息を吐いた。
「やはり女性とは、よく分からない生き物だ……」
アルフォンソはそう呟いてから、ふと女性らしいと実感したことがほとんどない自信の相棒である赤髪の女剣士、アリサを思い浮かべ、クスリと笑った。何だかんだで、アリサのことを相当気に入っている自分を改めて自覚し、アルフォンソはシルヴィアとフェリシアに背を向ける。
「暗くなると危険だ、早く戻って来た方がいい」
それとなく促されたアルフォンソの注意に対して、シルヴィアとフェリシアのユニゾンした元気な返事が森林の合間に木霊したのだった。
前へ / 次へ