ch3.水辺の大怪獣 16




そよ風が吹き、穏やかな日差しが差し込む場所は、ルカたちが激化する潜入任務をこなしているオルファ学園から遠く離れた異国の地だった。<RED LUNA>が現在の拠点として活動するのは険しい山のふもとで、せかせかとメンバーたちは各々の寝床となるテントを準備していた。ただ一人、リーダーである酒飲み親父を除いては。

「おいデニス、お前も手伝えよぉ!」

さわさわと茶色の短髪を風に流しながら、巨躯の男が拗ねたように唇をとがらせて非難の声をあげた。

バルトロメ=マルティネス。素直というべきか、猪突猛進というべきか分からないような性格をもつ彼にとって、忙しなく動くメンバーたちの中心でのうのうと昼間から酒をあおるリーダーの態度は、たとえ普段から目にしている光景であったとしても我慢ならないものだった。

「あぁん? 部下は上司に従って黙って仕事してりゃいいんだよぉ」

しゃっくりをして陽気に笑いながら、<RED LUNA>のリーダーである男、デニスは真っ赤な顔をバルトロメに向けた。

「はぁああ!? 何だよそれ! 横暴だ! 理不尽だ! ついでに言うなら給料もっとよこせ……いってぇええ!?」

ギャンギャンと騒ぎ立てるバルトロメの背中を、額に青筋を浮かべたアリサが蹴り飛ばしていた。前傾姿勢で地面に強く鼻を打ちつけたバルトロメはすぐさま起き上がり、勢い良くアリサを振り返った。

「何するんだよアリサ!?」

「うっせぇんだよワン公、黙って上司に従う。それが社会の厳しさだっつーの」

ギラリと不機嫌なアリサに本気で睨み付けられたバルトロメが、体をすくませて硬直した。アリサはバルトロメを睨み付けたまま、視線を動かそうとしない。バルトロメは、ゆっくりと周囲のメンバーに助けを求めるように視線を動かした。傍に数人が目に入る。

デニスはグビグビと酒を飲んでいる。アルフォンソは見ないふりでテントを設立する作業を続けている。長い緑の髪を揺らし、シルヴィアが不思議そうな顔でコチラを眺めていた。視線が合った瞬間、ド天然娘な彼女は何を思ったのかニッコリと無邪気に笑いながらバルトロメに手を振った。バルトロメは頬を引き攣らせて、最後にアリサに視線を戻す。だが、相変わらずの膠着状態に変わりはなかった。

「ア、アリサ……何でそんな怒ってんの? え、俺が何か気に障ること言ったか?」

バルトロメが恐る恐る聞くも、アリサは冷め切った表情のままだ。バルトロメは内心パニックになりながら、何か言うべきかと考えながら口をモゴモゴ動かす。いい加減にアリサからの冷たい視線に耐え切れなくなり、バルトロメが泣きそうになったのを自覚した瞬間だった。

「……そのくらいにしておいてやれ、アリサ」

ふいに掛かってきた冷めた男の声に、アリサの冷めた視線が動いた。バルトロメとアリサからしばし離れた場所で静かに立っていた黒髪の男は、グレン=ファインズ。バルトロメは救世主に縋るような目で、その男、グレンに泣きついた。

「旦那ぁあああ!!」

「やかましい、黙れ馬鹿犬」

罵倒されてもバルトロメはめげなかった。グレンに突進するバルトロメをグレンは無駄のない動きで避け、地面に座り込んで拗ねてしまったバルトロメを放置すると、くっくと笑っているアリサに近付いた。

「いやぁ悪いね。アイツからかうの、楽しくってさぁ」

「ふん、昔から貴様は趣味が悪い。黙らせるなら失神させるなりしてさっさと黙らせろ、鬱陶しくて敵わん」


グレンが淡々と言い放つと、それを聞いたアリサは爆笑した。流石にバルトロメを哀れに思ったのか、アルフォンソが彼の肩をポンと叩いてバルトロメの傍を通り過ぎようとすると、バルトロメが大泣きしながらアルフォンソにしがみ付いた。

「アルぅうううう!! お前だけだ、まともなのは!」

「うわ、ちょ、やめろ! 鼻水を拭け、汚い!!」

バルトロメの叫びと、アルフォンソの悲鳴が響き渡った。それを見ていたアリサとデニスの爆笑がシンクロする。デニスの側近であり、<RED LUNA>の第二幹部であるロベルトは、その様子を苦笑しながら見つめていた。

「フェリシア、助けてくれ!」

アルフォンソとバルトロメの横をさり気無く通り過ぎようとした新入りの名を、アルフォンソが叫んだ。フェリシアはビクリと肩を跳ね上げ、恐る恐るアルフォンソを見て、それから、バルトロメの巨体を見て後ずさりした。

バルトロメの身長は190センチ近く、一方のフェリシアの身長はというと、160と少しあるくらいだ。その身長差とフェリシアの葛藤するような表情を間近で見てしまったアルフォンソは、咄嗟に少年に声を掛けてしまったことを激しく後悔した。

「あ、はい、いえ、あの……アルフォンソさん……えっと、その、ごめんなさい!」

「うん、そうだよな。流石にこれは俺が悪かった」

しばらくの逡巡があったが、結局のところ、フェリシアは逃げ出してくれたようでアルフォンソはホッと安堵の息を吐いた。

「悪いなバル、重い」

アルフォンソは仕方ないと判断し、そう声を掛けるとバルトロメの足を引っ掛けて自分より十センチも体の大きな彼を砂利の上に転がした。尻を強打したらしいバルトロメが悶絶しているのを見て、アルフォンソは再び「悪かった」と短く謝罪を告げた。

「アンタ、あんな五月蝿いだけの大型犬を怖がってどうすんだよ……ったく」

「ですよね……すみません、アリサ様」

バルトロメを引き剥がしたアルフォンソがアリサの方を見ると、ちょうどフェリシアがアリサの前でションボリと頭を垂れているところだった。女性陣にあそこまで酷く言われるバルトロメが非常に哀れだ。そう思いながら、アルフォンソは苦笑する。

「悪かった、フェリシア」

とぼとぼと帰ってくるフェリシアの耳元でアルフォンソが謝罪を告げると、フェリシアは更に落ち込んだように瞳を揺らした。

「……私、きっと一人称が駄目なんですね。こんなんだから、いつまで経っても男らしくなれないんですね」

突如として呟いたフェリシアに、アルフォンソは首を傾げた。バッと勢い良く顔を上げて、フェリシアがアルフォンソを見上げる。キッと見つめられ、アルフォンソは思わず僅かにのけ反った。

「フェ、フェリシア……?」

戸惑ったように声を掛けるアルフォンソには構わず、フェリシアは食らい付くようにアルフォンソに顔を近づけた。

「教えてください、アルフォンソさん! 男性の一人称って、どんなのがあるんですか? 男性らしい口調って、どんな風に言えばいいんですか!?」

「お、落ち着けフェシリア!」

あまりにも近すぎる少年の首根っこを右手で掴んで引き剥がすと、アルフォンソは空いていた左手でポンポンとフェリシアの頭を軽く叩いた。

「あのな、男になる前に、お前は大人になれ。まだお前は世間を知らない子供だろう。育てられた基盤を大事にして、外に出て世間を見て知って、自分で成長して、それで人間ってのは出来ていくんだ。そしたら気付くこともある。男も女も関係なくなって、大人は自分の役割を知って生きるんだ」

アルフォンソの言葉に、フェリシアはポカンと口を開けた。そういえば俺は口下手だったなぁと考えてアルフォンソが苦笑すると、フェリシアの口から言葉が零れた。

「育てられた基盤……」

呆然とした表情のフェリシアに、アルフォンソは苦笑を続けたままで頷く。

「アマゾネスの女首領に……ジラに、お前は強く育てられたんだろう? 今のままのお前が、お前という人間の基盤になるんだ」

アルフォンソの言葉に、じわじわとフェリシアは顔を赤くした。泣きそうな表情だった。だが、彼はふいっとアルフォンソから目をそらすと、そのまま駆け出した。

「フェリシア!?」

慌ててアルフォンソが声を掛けるが、彼は振り返らない。どうするべきかと挙動不審になるアルフォンソは、アリサが愉快そうに自分を見ていたことなど露ほども知らなかった。そんなアルフォンソの脇を、静かな緑の風が吹き抜ける。

「私、フェルのところ行って来るね〜」

ニッコリとアルフォンソに笑いかけてから、フェリシアを追って駆け出したのはシルヴィアだった。その笑顔にアルフォンソは酷く動揺していた気持ちが落ち着くのを感じて、シルヴィアに深く感謝した。







前へ / 次へ


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -