ch3.水辺の大怪獣 14


翌日の放課後。ルカは帰路につく生徒たちの流れに沿いながら、さりげなく学校の裏の森に向かった。

夕日が沈んだばかりの裏の森は、酷く静かだった。不気味だと生徒たちが口をそろえて近寄りたがらない森の入口は、木々の隙間がポッカリと口を開けているように歪んで立っており、まるでルカを待ち構えているようだった。だが、アリサとの訓練で深夜の森を何回も経験しているルカにとっては、未知の森も不気味な空気すらも、彼が緊張するには役不足な要素でしかなかった。

ザクザクと草木を踏みしめながら、ルカは森を歩き出そうとした。その瞬間、すっと背筋を滑るような気配を感じ、ルカは目を見開いた。一瞬だけ感じた気配は、紛れもなく誰かが自分を見ている視線そのものだと、ルカは瞬時に判断した。気配を消すことを知っているような人間に、尾行されている。理解したルカは、ゴクリと生唾を飲んだ。

怪しまれないうちに、ここから引き返すべきか否か。そう考え、ルカは森の入り口で立ち止まった。追跡者の気配はあれきり感じない。おそらくルカが感じた気配は、追跡者の一瞬の気の緩みだったのだろう。一瞬の油断が命取りとは、よく言ったものだとルカは納得する。

先手はこちらだ。慎重に選んだ方がいいだろうか。しばらく考えて、ルカは決心した。やはり引き返すのが無難だろう、不審がられる役はライノに一任するべきだ。そう思ってルカが森の入り口に踵を返すと、少し離れた場所に煙草を吸う男が見えた。ルカは驚きに目を丸くする。
そこに居たのは金髪の用務員。また、学園に潜んでいる帝国の人間の一人であるトビアスだった。彼はガタイのいい長身で上の視点からルカを見据え、ニヤリと笑みを浮かべた。元々の彼の悪人面が手伝って、その顔は綺麗に極悪人の笑みをかたどった。

「お散歩は終わりか?」

トビアスが問いかけてくる。すぐさまルカは、トビアスが自分を追跡していたのだと悟った。何故、という疑問が浮かぶ。まさか、疑われていた? ルカは動揺しながら、何を答えるべきか迷って黙っていた。

数秒の膠着状態。

トビアスが焦れたように、懐に手を突っ込んだ。わずかに黒い鉄がトビアスの胸から顔をのぞかせる。それを認めた瞬間、ルカは反射的に飛び退っていた。ガン、ガンと二発の銃声がした。

ブレることもなくトビアスの握る小銃から放たれた弾丸が、ルカがさっきまで立っていた場所の地面に埋もれる。話すこともせずに、ルカも懐から銃を引き抜いた。ルカはそのまま森に逃げ込むと、軽い身のこなしで木々の合間を飛び移る。

「はっ、まるで猿だな。猿真似じゃあ銃器は扱えねぇぜ!」

トビアスが挑発するように言いながら追ってくるのを確認しながら、ルカはまだ薄暗い森の中を駆けた。握る銃を見る。<RED LUNA>の戦闘員として復帰したばかりの時に仲間であるグレンに言われた言葉を思い出し、ルカは眉をひそめた。

――貴様もようやく覚悟を決めたのなら、今後は銃を極力使わないことだな。しばらくはその剣一本で死地をくぐり、己を鍛えるがいい。

まさしく、銃に頼ろうとしていたところであったルカは複雑そうな表情を浮かべ、再び懐に銃を突っ込んだ。他の場所に比べて木が鬱蒼と茂っている場所を見つけ、ルカは木から飛び降りる。

銃声。背後から銃弾が飛んでくる前に、ルカは大木を盾に息を潜めて隠し持っていた通常より一回り小さめの剣を引き抜く。追ってきていたトビアスも発砲後に身を隠して気配を消したらしく、再び森に沈黙がおとずれた。
どうしたものかと考え、ルカはドクドクと脈打つ鼓動を数えた。緊張が高まる。戦闘において、体は熱く、頭は冷静になることが大切だとルカは知っていた。一つ、二つと心拍数を数えて、精神を落ち着かせる。

トビアスが動く気配がした。ルカは両手を頭上に高くあげ、地面を蹴って大木の陰から踊り出た。高く上げた両手を地面につき、一瞬だけ沈み込んだ肘のバネと手首のスナップをきかせ、両手の平で地面を強く押す。ルカが自身でいつの間にか会得していた後方転回、ロンダートの動きだった。

ルカが跳ねた場所を、遅れて銃弾が打ち抜く。軽々とした動きで木を盾にしながらトビアスに接近するルカに、トビアスは盛大な舌打ちをする。柔軟な動きで一気に間合いを詰めてきたルカに、トビアスは銃を構えた。ルカの腕が剣を引く。

五発の銃弾を使ったトビアスは、最後の弾が残った銃の冷たいボディでルカの斬撃を受け止めた。ガキリと重く冷たい金属音が響く。トビアスは飛び掛ってきていたルカの腹部にすかさず蹴りをいれようとしたが、ルカは空中で身を捩ってそれを避けると、トビアスに背中を向けて後ろ蹴りでトビアスの銃を握る右手の指を的確に打ち抜いた。

銃を取り落としたトビアスが、左手でルカの後ろ蹴りに使われた左足を掴み、思い切り手首を回す。グキリと回された足首の痛みにルカは呻いたが、痛みに細められたルカの目はしっかりとトビアスの足元に落ちている銃に狙いを定めていた。ルカはあらん限りの気力で両腕を伸ばし、トビアスの銃と地面の土を引っ掴んで拾いあげると、銃口に土を詰めてトビアスに向ける。

不意をつかれたトビアスが身を引くより早く、ルカの指がトリガーを引く。トビアスの顔の前で閃光が走り、トビアスの頬を鮮血が走った。

驚きに身をすくませたトビアスが思わず掴んでいたルカの足を離し、残弾の無くなった銃がカラリと地面に落ちる音を最後に、ルカとトビアスは息を切らして地面に座り込んだ。

「……おかしいな、暴発すると思ったんだけど」

ルカが痛む左の足首を押さえながらポツリと零すと、呆然と銃を見つめていたトビアスがハッとしたように我に返り、かと思えば、みるみるうちに顔を怒りに染めて真っ赤にさせた。

「ったりめぇだろ! お前バカか!? だいたい詰めモンで銃身を破壊するのは暴発じゃなくて腔発だし、たかが弾一発、それも土くれ詰めたくらいで壊れるほどヤワな銃がどこにあるんだ畜生が! 無知で低脳なくせに、銃なんて触んじゃねえぞボケ! 本気で猿真似じゃねえか、この猿野郎!」

一気に捲し立てるトビアスの唾が顔にかかり、ルカは嫌悪感を全身から発しながらトビアスを睨み付けた。瞬間、トビアスが硬直するのを見て、ルカは訝しげな表情を浮かべた。しばらくしてから、トビアスは舌打ちしながらガシガシと自分の金髪を掻く。

「お前、<RED LUNA>のルカ=モンテサントだな。副リーダーであるアルフォンソの弟だろ、睨み付けてくる目とかソックリすぎて笑えねえわ」

アマゾネスの牢獄にて、アルフォンソに首を絞められて殺されかけたことが記憶に新しいトビアスは深い溜め息を吐いた。一方で、ルカは突然にバレた自分の正体に驚き、剣を握る手に力をこめた。何故か分からないが、自分の正体が予定より早くバレてしまった以上……覚悟を決めてトビアスを殺すしかない。

「……どうして俺が<RED LUNA>の一員だと分かった」

警戒するようにしてトビアスに問いかけると、トビアスは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「はっ。お前たちモンテサントの人間は帝国に常に監視されてるんだよ。つっても、お前の兄貴たちの存在感が強すぎて、改めてお前のこと調べるまで俺も分かんなかったけどな! 別に、この学園の生徒を一通り調べたら、お前がR細胞のセンサーに引っかかっただけだぜ」

トビアスの言っていることの意味がわからず、ルカは眉間にシワを寄せた。俺の兄貴たち? R細胞のセンサーに俺が引っかかった?

「何を訳の分からないこと言ってるんだよ。とりあえず訂正しておくけど、俺に兄は一人しかいない」

キッパリと言ったルカに、トビアスは噴き出した。

「面白ぇなぁ、お前。意外と白状じぇねえか、冷酷な殺人者に成り下がった兄とはもう家族の縁を切りましたってかぁ? ひっでぇ弟だぜ」

何がおかしいのか、爆笑するトビアスをルカは睨み付けた、何の話か、ルカにはサッパリ分からないが、この男の口の汚さも態度も、全てが癇に障った。そんなルカの様子をどう勘違いしたのか、トビアスはヒィヒィと笑いながらさらに口を開いた。

「ま、気持ちは分かるぜ? あんな冷酷な帝国暗殺部隊隊長、ガロンが自分と血の繋がった兄だなんて、普通の神経からして我慢できるもんじゃねえもんな」

トビアスの何気ない爆弾発言に、ルカは目を見開いて硬直した。

ガロン。それは、アルフォンソが最もタブーとする男の名前。それは、ルカの母親を殺した男の名前。それは、ルイドとバグウェル夫人を殺した男の名前。やけに親しげに接触してきた、非情の白髪の軍人。それが、ガロンという男ではないのか。

グルリと周回した思考に、ルカは眩暈がするのを感じた。それと同時に、ようやく繋がった一つの真実に、取り戻した記憶のかけらに、吐き気を覚えた。

そうだ、幼い頃の自分には、双子の兄が二人居た。どうして思い出せなかったのかと考え、ルカは納得する。

双子の兄であるアルフォンソと、弟であるラウロ。アルフォンソは天才的に運動も勉強もこなす割に人の気持ちを考えることが苦手な、どこか達観したような兄だった。一方のラウロは運動や勉強が人一倍優れていたが、常にアルフォンソには負けていた。

だが、年の離れた弟であるルカに、温かい情を注いでくれていたのは、ラウロと母さんだった。アルフォンソはいつも一人で読書をしていて、ルカに関心を示すことは、ほとんどと言ってもいいほど無かった。

現在のルカに対して過保護すぎるアルフォンソと、過去の誰に対しても冷たいアルフォンソ。アルフォンソは、ルカが親切にされた兄のことを……ラウロの記憶を取り戻すことを危惧して、あのような過保護を貫くことでルカの記憶の矛盾を埋めようとしたのではないか。そんな考えが、ルカの中に浮かんだ。

そして、繋がった事実。

経緯は分からないが、ラウロこそが帝国の暗殺部隊で隊長を務めるガロンなのだろう。

長く黙り込んだルカの目の前で、トビアスがタバコを吸い始めた。先程までの戦闘時の緊迫した空気は、もはや二人の間には消えていた。ルカは俯いたまま、唇を噛み締める。思い出した記憶にルカの頭はグルグルと気持ちの悪いものが渦巻いていたが、ルカはそれらを隅に追いやり、ゆっくりと顔をあげた。

トビアスの真顔と、ルカの気力が失われた顔が向かい合う。

「アル兄のこと、知ってるんだな」

「あぁ、そりゃあストーカーも真っ青なくらいにはな」

悪戯っぽく笑ったトビアスに、ルカは悔しくなって、それから、苛立った。敵の方が当事者でもある自分より、事情に詳しかったのだという事実が、何より悔しかった。それと同時に、全てを演じていたアルフォンソに対して、怒りが沸いた。

「どうやら記憶喪失ってのも、嘘じゃねえみたいだな」

トビアスが笑う。ルカは無言だった。

「教えてやろうか? 俺の知ってるお前たち兄弟の情報」

トビアスの言葉に、ルカは勢い良く顔を上げた。底意地の悪そうなトビアスの視線を受けながら、ルカは希望に満ちたような、返答の分かりやすい目でトビアスを見つめる。

「教えてやってもいい。お前の兄貴にゃ借りがあるが、あんなクソ野郎なんかに返すのは勿体ねぇしな。ただし、条件がある」

「断る、どうせろくなものじゃない」

ルカは反射的にそう言った。が、トビアスは聞く耳を持たずに、ニヤニヤとした嫌な笑みを深めながらルカに近寄った。後ずさりして、トビアスに剣先を向ける。トビアスは近寄ることを止めて、肩をすくめた。

「俺と組んで、お互いの情報を交換するっての、どうだ?」

トビアスのあまりにも自分を馬鹿にした提案に、ルカは苛立ちを通り越して強い怒りを覚えたが、なんとかそれを腹の底で留めると、目の前の食えない男を睨み付けた。






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