ch3.水辺の大怪獣 13



「……予想外だぜ、まさか帝国の奴らが来るとはな」

ポツリとベッドに横たわりながら呟いたライノに、ルカは苦笑を漏らした。ルカの隣では、リックが居心地悪そうに視線を動かしている。
ホワイトと薄いグリーンのカーテンが、強い日差しを遮って柔らかく室内に取り込んでいた。保健室にはライノとルカとリック以外に人は居ない。
ここ、オルファ学園では寮の傍に部活のための施設があり、放課後になると保健医は寮の近くにある保健部屋の方に移動するのだ。だからこそ、放課後の学び舎には数名の生徒と職員しか残らない。

ルカが素早くライノを保健室まで運びこんでから、ほんの数分後。ライノは目を覚ました。科学教室を出てここにライノを運んできた経緯をルカがライノに語っていると、リックはやって来た。どうやらライノの血の臭いを辿ってきたらしい。彼らは互いの無事に安堵し、それから、話は冒頭に戻るのだった。

悪態を呟いて舌打ちをするライノを見ながら、ルカは苦笑を漏らした。ルカの隣では、リックが居心地悪そうに視線を動かしている。

「すまなかったのだよ、ライノ。俺の失態だ」

「しつけぇな、もういいって」

素直に謝罪を口にしたリックに、ライノはうんざりしたように返した。性格からか、どうも自らの失態には落ち着かない様子であるリックをライノは追い払うように手を振った。リックは何か言いたげに口を開閉した後、諦めたように肩を落とした。

ルカはチラリとリックの横顔を見る。先ほどまで青白く、今にも倒れそうだったリックの面影はどこにもない。

血色のよい皮膚、赤く充血した目、唇の端から覗く牙、鋭い爪。見るものをゾクリとさせるほど不気味なリックはしかし、今は酷く落ち込んでいるためか、覇気のない人畜無害な小動物のような佇まいだった。ルカは思わず、リックの頭を撫でる。リックが驚いたように視線を投げかけてくるのを見て、ルカは笑った。


「いつだってアンタのミスは、俺でもフォロー出来るような小さなミスだろ。気にするなって」

ルカの言葉に、リックは不満そうな顔を見せる。

「そういうことじゃあないのだよ。重要なのは、ミスの大小ではない。ミスをしたかどうかだ」

「そんなこと言うなら、俺だってミスしてばっかりだ。ミスだけじゃない。この前のことといい、日常生活でも周りに迷惑かけっぱなしだし」

「この前のこと? ああ、スエ族の一件の後の引きこもり鬱事件か……」

リックが確認するように言うと、ライノが小さく噴き出した。ルカは笑いもせずに、少しばかり表情を曇らせる。リックはそんなルカの様子に少々の決まりの悪さを覚え、ゆっくりとルカから目をそらした。

「お前はいい。だが、俺にミスは許されない」

「は?」

訳が分からないと言ったように聞き返すルカに、リックは多少の苛立ちをあらわにした。

「俺はお前とは違う、俺は情報管理者だ。たとえ小さなミスでも、俺は自分を許す訳にはいかないのだよ」

リックの言葉に、ルカは無性に悔しさを覚えるのと同時に、デジャブを覚えた。どこかで耳にした台詞だったからだ。

一体どこで聞いたのか。考えて、ルカは立ち尽くした。

頭がざわつく感覚に、ルカは逆らわなかった。この感覚に身を委ねれば、思い出せそうな気がしたからだ。



――ざわりと頬を撫でる一陣の風。木から果物を摘み取る黒髪の女性。女性は立ち尽くしていたルカを振り返り、穏やかに微笑んだ。懐かしい、切ない、愛しい。心臓の中でそんな感情が暴れたような気がして、思わずルカが瞬きをした瞬間、場面が変わる。


――ざわざわと揺れる木々。深い森の中に、少年たちは居た。同じ黒髪、同じ顔をした少年たちは、一目で双子なのだろうと分かる。と、片方がもう片方に掴み掛かった。掴み掛かられた方は酷く冷静で、達観したような風があった。何故、お前は他人に優しく出来ない。そう言ったのは掴み掛かった方の少年で、彼は酷く興奮していた。それを見ながら、冷静な方の少年は溜め息を吐く。ルカはふと気付く。その少年たちは、アルフォンソの面影を持っていた。掴み掛かられていた冷静な少年はやがて、ゆっくりと口を開き、言葉を紡いだ。



「俺はお前とは違う……?」

「おい、ルカ!」


ぼんやりとした様子でルカが呟いた瞬間、ルカは自分の肩が激しく揺さぶられていたことに気がついた。しかも、揺さぶっていたのは倒れていたはずのライノだ。

「うわっ、アンタ何やってるんだよ!?」

驚き、ルカがそう口にしたところで、ライノは一瞬ポカンと間抜けな顔をした後、力が抜けたようにベッドに倒れこんだ。首をかしげたルカの頭を、隣に立っていたリックが容赦なく殴る。ルカは思わず声にならない悲鳴をあげた。吸血鬼化によって腕力を強化されている今のリックの一撃は、冗談では済まされないほどの威力をもっている。

「何するんだ、痛いだろ!」

理不尽な暴力に抗議するルカに、ライノとリックは疲れたような視線を向けた。

「いきなり目を見開いて固まるお前が悪いのだよ……生きていて何よりだが、非常に驚いた」

「ったく、心臓に悪ぃ奴だな。まだ夕方だぜ、寝るには早ぇっつーの」

リックとライノに口をそろえて文句を言われ、ルカは先程見ていた光景を思い出す。いわゆる、白昼夢というやつかもしれない。アルフォンソによく似た少年たちと、果物を摘み取っていた黒髪の綺麗な女性が頭から離れなかった。

そこまで考えて、ルカはハッとした。もしかすると、フラッシュバックなのかもしれない。記憶喪失患者には多いと聞く、デジャブのような出来事から過去を思い出す現象。記憶喪失である自分には当てはまることのように思える。そこまで考えていた時、背中に刺すような鋭い痛みが走った。思わず振り返ると、背後に呆れたような顔をするリックの姿。チクチクと痛みがする背中にルカが自分の肩越しに目を落とすと、ちょうどリックの鋭い爪のついた二本の指が腰から右肩の方へと歩いてくるのが見えた。

「ちょ、リック、痛い! 地味に痛い!」

「そうか、いい眠気覚ましになると思うのだが」

「先が不安になってくるぐらい緊張感のねぇ奴らだな……」

ギャイギャイと騒いでいると、ライノがパン、と両手を打った。ルカとリックはライノを見る。

「よく聞けよ、科学教室であんなことがあった後だ。俺らがまとめて疑われるかもしんねぇ」

ライノが蒼白な顔でギッとルカとリックを睨み付ける。背筋に冷たいものを感じながら、ルカとリックは返事をして頷いた。それを確認してから、ライノは再度口を開いた。

「ここから先、早くて一週間、遅くて二週間。俺らは完全別行動を取ることにするぜ。その間、お前らにやって欲しいことがある。リックは、俺ら三人だけが学園内で使える通信網を作り直せ。この学園の通信関係は全て帝国のあの双子……リアンとジアンが管理してるって話だっただろ、奴らに気付かれないよう前以上のモノをな」

「了解」

ライノの指示に、リックが淡々と返事をした。ルカは一瞬、そんなことが可能なのかと不安になってリックを見た。が、彼の横顔には不可能を心配する色がまったくなかったのを見て、ルカは改めてリックの情報技術のレベルの高さを痛感させられた。

「慎重に頼むぞ、リック。ルカ、お前にはさっき科学教室で言っていたことを頼みたい」

「……伝令鳥のラムを使って、組織に逐一学園の様子を報告するってアレか」

思い出したように言ったルカに、ライノは頷いた。

ルカは科学教室での会話を思い出す。
ラムとテレパスを交わせるのは、<RED LUNA>においてデニスとアルフォンソとアリサ、グレンにシルヴィア、それにルカだけなのだとリックは告げた。
ルカの脳裏に浮かぶのは、人懐っこい、美しい青色の羽をもつ小鳥の姿。時折、テレパスで話しかけてきては嬉しそうに自分の周りを飛び回る愛嬌たっぷりのラムが、まさか一部の人間にしか懐かないとはルカは今まで考えもしなかった。

「そういえば、肝心のラムはどこに居るんだ?」

ルカが言えば、ライノは苦笑した。

「念には念をいれて、この学園の裏の森にラムは置いてきてる。俺とリックにラムは呼べねぇからな。ルカ、お前にラムを迎えに行って欲しい。それで、お前が普通に生活していく中で知ったことだけでいい。お前は絶対に一般生徒であることを疑われることなく生活を続け、ラムを使って、ありのままの学園の状況をデニスに報告しろ」

「……了解」

ライノの言葉の真意が掴めないまま、ルカは頷いた。ライノの作戦の意図が掴めないのは、今に始まったことではない。だが、彼の作戦は失敗こそすることはあっても、決して自分たちにとって悪い方向には進まないことを、ルカもリックも知っていた。ならば、戦闘でしか取り柄のないルカは、潜入任務を受けた時点で彼に付き従うより他にないのだ。

ルカとリックの反応を得たライノは、ニヤリと笑ってベッドから体を起こした。そして、リックの額を小突く。

「とりあえずお前、今日は寮に帰るなよ。同室者がビビるだろ。なんせガリ勉メガネが、ある日突然ワイルドなイケメン君に豹変してんだからな」

眼鏡を取り去り、いつもの落ち着いた雰囲気とは打って変わって野生的な雰囲気を醸し出しているリックは、ライノの言葉を聞くなり不機嫌そうな表情を浮かべた。

「貴様などに言われなくても、そんなことは分かっているのだよ」

リックが身を翻して、保健室を出る。その後姿を見送りながら、ルカはポツリと呟いた。

「……リック、野宿する気じゃないのか」

「それしか無くね?」

ルカの呟きに、ライノが興味なさそうに答えた。ルカは呆れたようにライノを一瞥する。

「で、これからアンタはどうするんだ。動くにしてもアンタは怪しまれすぎてるだろ」

ルカの言葉に、ライノは余裕そうにニッと笑った。

「怪しまれるくらい別に問題ねぇよ。俺が<RED LUNA>の第四幹部だって事実がバレなきゃ、どうってことねぇし」

そう言って、ライノはベッドから出て立ち上がった。縛られ、乱れた髪をライノは一旦ほどくと、彼の長い黒髪が大きく揺れた。

「ま、とりあえずは……俺が囮になるのが良策なんじゃねえの?」

不適に笑うライノからは、微塵も怯えなどは伺えない。ルカはその様子を見て、苦笑するより他になかった。

「アンタはいつもそうやって……分かった、無茶はしないでくれ」

納得したように言って、ルカは保健室から出て行こうと足を進める。だが保健室のドアを開ける直前、ルカは最後にライノを振り返った。

「そういやアンタ、学園の女の子たち口説きすぎ。解雇処分になって学園追い出されても俺は知らないぞ」

「おいおい、何言ってんだよ。女の子のせいで俺が任務に失敗したことなんてあったか?」

ライノがおどけて言うと、ルカの目が剣呑さを増した。

「アンタのそれが原因で失敗した任務、俺が覚えてるだけで軽く十回は超えてるけど」

「あーあー聞こえねぇ。ご忠告どうもありがとよ。もう浮気しねぇよ、だからそんなにカリカリ怒んじゃねえよハニー」

「死ね」

ライノの余裕そうな軽口に若干の安心を覚えたルカは、冷たい捨て台詞を残して保健室を出る。外はもう暗くなりつつあり、ルカは寮を目指して歩み始めた。

もうすぐ暗くなる。ラムを探すのは明日の放課後にしよう。そう心に決めて、ルカは空を見上げた。アルフォンソに似た少年たちの白昼夢かフラッシュバックかを思い出して、ルカは遠くの地に居るであろう自分の兄を想う。アルフォンソが弟である自分に何か必死になって隠そうとしていることを、ルカは数年前から既に感付いていた。

――今のルカの記憶は、十一年前から築かれたものだ。

記憶喪失になった幼い頃のルカは、目覚めて初めてアルフォンソの顔を見た瞬間に、彼が兄だということは理解することが出来た。アルフォンソが兄であることと、顔も知らない母親への愛情だけは、ルカは不思議と覚えていたのだ。だが、母親と父親、アルフォンソと過ごしていただろう記憶などの一切は、ルカの頭の中から綺麗に抜け落ちていた。

それから、優しい村人に囲まれながら、人里離れた山奥の村でアルフォンソと二人で生活を始めて、一年。アルフォンソは帝国の軍人に連れて行かれた。村に残された自分は何が何だか分からないまま村で成長し、子供たちに勉強を教えて、それなりに平和に暮らしていた。

三年前に、再び帝国の人間が村にやって来るまでは……。

よく考えれば、おかしなものだ。三年前にやって来た帝国の人間は、アルフォンソの弟を探して攻め入ってきた。つまり、二度目の襲撃で狙われたのは紛れもなくルカだったのだ。

ルカには、そうまでして兄と自分が帝国に狙われている理由が分からなかった。アルフォンソが<RED LUNA>の副リーダーである知った時はそれが原因かとも思ったが、それにしてはどうも違和感が残る。だからといって、ルカが直接アルフォンソに聞いたところで、アルフォンソは何も言おうとはしない。いつか知るときが来るからと、その一点張りだ。

――もし自分が幼い頃に記憶喪失になりさえしなければ、兄の背負う秘密を少しでも共有できたのだろうか?

ふとそんな考えが浮かんで、ルカは唇を噛み締める。悔しいのか、情けないのか、自分の気持ちも分からないまま歩いていたルカは、どう帰ってきたのかも思い出せない状態で、いつの間にか薄暗くなった寮の前に辿り着いていたのだった。




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