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大丈夫、万丈目くんは私の彼氏だ。私は彼を信じる。いやでも、もうちょっと考えよう。


ことばを食むものたち ― 万丈目準



万丈目くんは好き嫌いが激しい。翔を始めとするレッド寮の人間からは、万丈目くんの食事情をそう聞いていた。しかし実際のところ、万丈目くんはそこまで食わず嫌いではない。
流石お坊ちゃんと言ったところで、大変な美食家であることには間違いはないのだが、意外なことに、彼の苦手とする野菜以外のものならば、どんな味でもぺろりと平らげることを、私は最近知った。
これは私に大きな力を与える事実だ。だって万丈目くんは野菜じゃなければ何だって食べるのだ。庶民の私からすれば目玉が転がり落ちるような値の張る料理や、全身とろける味を作り出す超一流レストランじゃなくたって、選り好みせず食べるということなのだ。野菜以外であれば!
それが彼の気に入る気に入らないは別として、とにかく口に入りさえすればいい。そして喉から食道を通って、胃に収まってくれさえすれば、私はもう、それで満足だ。それ以上のことは、たとえば万丈目くんの笑顔とか、言葉とか、そういったことは何も望みはしない。
とにかく、万丈目くんの胃でこなされてくれるならば、それで本望である。

「とかなんとか言いつつ、完璧じゃないスか」
「ああ、すげぇうまそうだぜ」
「万丈目先輩は幸せザウルス」
学園生活3年目に入ってから、すっかり人気のなくなったレッド寮の一室で、胡坐をかいた三人が、簡易テーブルを囲んで明るい声を上げた。
テーブルの上では、薄茶色のチョコレートが今にも溶けだしそうな儚い香りをのせて、つやつやと煌いている。三人はそれぞれ包み紙を解いたまま、口元を緩ませてうっとりとその光を眺めている。眼だけ見ていると、なんだか精神を病んでいるみたいだ。
「ありがとう。でもそれ違うの」
三人の包み紙を指さして言うと、十代、翔、剣山くんがきょとんと首をかしげる。
でもすぐに合点して、翔君が私に向かってにやけ顔を向けた。
「そりゃそうですよねー。だって名前さんにとっちゃ、万丈目君は本命っスもんね」
「なんだ、そういうことドン」
チョコレートに種類なんてあんのかよ。なんて私があげたチョコレートを手に眺め回す十代を放って、翔と剣山くんは勝手に納得して苦笑を洩らしている。のろけと思っていることは、すぐにわかる。
勘違いしてもらっては困る。確かに本命だが、そこは絶対に否定はしないが、だが、違うのだ。
「そうじゃなくて、」
声を上げた私に、また三人の視線が集まる。早速チョコレートを食べ始めた、ナッツを砕く十代の咀嚼の音が、少しだけ沈黙に痛い。
意を決して、私は後ろ手に隠し持っていた箱をテーブルの上に置いた。
「とりあえず見てみてよ」
持ち上げたのは、まだラッピング途中の綺麗な箱。それを丁寧に開けて三人の前へ差し出す。
清潔な箱の中には、ワンカットのブラウニーに生チョコレートがデコレートされ、まるでザッハトルテのように滑らかな表面を、十代たちの羨望の眼差しが滑って行く。隣にはエンゼルパイ風に仕上げた生チョコレートの、わくわくする甘い香り。
「完璧じゃないスか」
翔が呟くのも無理はない。自分でも奇跡的な出来上がりだと、完成したときには感動のあまり涙を流しそうになった。それも当然だ。だって、毎年2月14日に命をかけるジュンコとももえにご指導を賜ったのだから。
十代がもの欲しそうに口を開けて、ブラウニーと生チョコレートの上を行ったり来たりしている。今にも口から涎が零れるんじゃないだろうかと、剣山くんはそわそわしながら、十代とチョコレートを忙しげに見守っている。
翔がひょいと体を傾けて、真ん中に挟んだ十代の背に隠れた。剣山くんへ耳打ちをしているようだ。声をひそめているのは分るが、ここは狭いレッド寮の一室。その気はなくとも聞こえてしまう。
「…やっぱのろけじゃないスか」
「俺もそう思うドン」
「しかしうまそーだなぁ!」
こそこそ囁く彼らの声にのって、十代の喉が弾む。私は首を振った。

「お褒めの言葉ありがとう」
そしてまた後ろからチョコレートを取り出す。まだあるザウルス?!と叫ぶ剣山くんを手招きして、透明のフィルターに包んだだけのチョコレートを手に取った。それは十代がもの欲しそうに眺めていた、万丈目くんのものと一緒だ。
「まぁ一口」
「むぐっ!」
いわゆる本命チョコというやつを、戸惑いつつ近寄ってきた剣山くんの口に遠慮なく突っ込むと、十代の声がいよいよ羨ましげに部屋中に響き渡る。
しばらく剣山くんの咀嚼する口元をじっと見つめていたが、突然彼の顔がひどく歪んだ。
「これは一体何だドン?!」
「チョコレートだよ」
今浮かべられる最高の笑顔でにっこり笑うと、剣山くんが大袈裟に首を振った。明らかに彼の顔は美味しくてたまらないという表情はしていない。
十代と翔が、そんなわけないだろうと、まだ外見に支配された脳で剣山くんを疑わしそうに見ている。そんな彼らにも、包み紙から本命チョコレートを差し出す。二人の期待に華やいだ笑みを、剣山くんは何とも言えない表情で見守っている。
「こんなうまそうなチョコが美味しくないわけないよなぁ、翔!」
「そうっスよねアニキ!」
そんな気持ち悪いほど嬉しそうな二人に、僅かばかりの罪悪感とちょっとした期待。もしかしたら十代なら。十代ならきっと。
半ば祈りを捧げながら、私は二人の口に吸い込まれていくチョコレートを見送った。

晴れやかな二月中旬の休日の午後。冬の終わりの透明な光さしこむ窓辺で、温かな紅茶をすすり、カップから立つ洗練された茶葉の香りに満足げに笑みを浮かべ、その口元へ運ぶのは幸福を満たす柔らかなチョコレート。
私は昨日という日をかけて、今日も今日とてブルー寮で籠っているだろう万丈目くんの、ブルジョワな午後をうっとりと想像して作り上げた。
それだというのに、窓一つしかないレッド寮の薄暗い一室では、本日二度目の沈黙が私たちを取り巻いている。
「ち、ちょっとみんな…なんか言ってよ」
いくら覚悟していたとはいえ、流石にお通夜のような表情で口を閉ざされてしまっては、これからチョコレートを渡す身としては死刑宣告甚だしい。
ようやく気づいたように、十代がぱっと笑顔を見せた。
「…あ、ああ!中々うまいぜ!これ、なんて言うんだ?」
「チョコレートですけど」
私の失望した声色に、十代の笑顔も段々引き攣っていく。沈黙。
静寂は好きだが、沈黙は好きではない。特に今日の沈黙は格段だ。痛いったら痛い。何故か胸に突き刺さってくる。
あのー。憐れんだ目で二人を見守っていた剣山くんを憎らしく思い始めたころ、それまで黙っていた翔が恐る恐る手を上げた。
「…これ、何が入ってるんスか?」
十代といい、翔といい、さっきからWHAT文しか聞いていない。もっと素直な感想があるだろう。おいしいとか、最高!とか色々さ。
剣山くんを見たら、即座に目を逸らされた。
痛む胸を押さえつつ、でもちょっとドキドキしながら、私は三人へそろりと目を向ける。恥ずかしさからすぼんだ口が息を吸う。
そして小さく一言。
「…かまぼこ」

これまで私はデュエル一筋で、デュエル以外の勉強も運動も熱心にしたことがない。とりあえずレッド寮にしがみついてはいるものの、それを後悔したこともなかったが、三年目に入って万丈目くんがブルー寮へ移動したことで、その心も大きく揺らいだ。ああ、もう少し勉強しておくんだったと。だがそれはいいのだ。この際あと一年、精一杯ブルー寮へ通い続けてやると半ば意地で決めたから、当分悩むこともない。
だが、こうして自身を振り返ったとき、デュエル以外何か熱くなったことはあるだろうかと、思い至ったのだ。答えは十中八九、ないに等しい。
だから自分を一生懸命ぶつけてみたかった。三年間で一度でもいいから、何かに熱くなりたかったのだ。
「それでかまぼこザウルス」
「残念っスね…」
言葉どおり、如何にも残念な奴だという目で私を見る二人。どの口がほざくのか、いや名前さんがいいなら僕は何も言わないっスけどね、などともう封などとっくに切っている翔が深いため息をついた。
断っておくが、私は別に万丈目くんに嫌がらせをしたかったわけではない。ネタに命をかけたわけでもない。本気の本気で、バレンタインに乗っかりたいと思って作った。その結果がかまぼこである。
確かに、作る段階で心のどこかでは気づいていたのだ。ジュンコとももえの顔もどこか儚げだったし、おかしいとは思っていた。いや、正直に言おう。私だって馬鹿じゃない。いくらなんでも、かまぼこはないだろう。
チョコレートを溶かしている間に、お湯の中に浮かぶ万丈目くんの喜ぶ顔に頬は色づくが、まな板に乗ったかまぼこに目をやると、一気にその笑顔も揺らいだ。
だが私は恋する乙女だ。乙女ならば、恋する人に自分の存在を認めてほしいという気持ちが必ずある。つまり私は人とは違うものを作りたかったのだ。三年間でたった一度の本気を出すのなら、力の出し惜しみはなしだ。そして18年間培ってきた想像力をもってして、人とは違う、斬新なものを作りたいと頭をフル回転させた。
「そして完成したのが、これ」
「ははははは」
丁寧に経緯を説明すると、私にぶつかる視線はますます刺を含んだ。乾いた笑いはすぐに薄い壁に吸い込まれていった。
「冷蔵庫を開いたとき、いける!ってこう、瞬間的に思ったの」
そういう閃きってあるでしょ?!鼻息荒気に拳を掲げる私と、部屋の空気は絶対零度の差がある。でも十代は太陽みたいに笑った。
「あーあるある!」
「ないっスよ」
「ないドン」
まあ、新しいものを作るには障害がつきものだ。仕方がない。ここで理解者を得られなくたって、先に言ったとおり、私はこの想いすべてを詰め込んだチョコレートが万丈目くんの胃に入りさえすれば、それでいいのだ。
「大丈夫、万丈目くんなら食べてくれる!」
「いやぁ、いくらサンダーでもこれはどうっスかね」
翔はとことん私の決意を砕きたいらしい。珍しく正座をした剣山くんが、両膝に拳を乗せたまま、深刻な顔で重々しく言葉を吐き出した。
「生臭いチョコレートは…生まれて初めてザウルス」
あ、ちょっと揺らいだ。

「貴様ら何をやっている…って名前」
扉が開いた途端、反射的に箱を隠した。それが正解だったかどうかは分らない。無遠慮にドアを開けたのは、私たちの話題の中心人物、万丈目くんだった。
「よう、万丈目」
そう言って気さくに手を上げる十代に合わせて、私も箱を背にかばった不自然な体勢で、軽く手を上げる。万丈目くんの眉がひくりと動いた。
「名前…貴様、俺に用があるから部屋から出るなと言っておきながら、こんなところで油を売っているとは…」
見るからにキレている。翔もまた、私につられて隠したチョコレートを気にしながら、庇うように、
「何か用スか?」
と頬をひくつかせている。貴様らには何も用はない。万丈目くんは戸口から身を屈めて、上げっぱなしの私の手首をむんずと掴んで引っ張った。
「俺は貴様らと違って暇はないのだ!」
「え、ちょ、ちょっと待って」
制止する私を無視して、万丈目くんはそのまま私を外へ引きずり出す。大丈夫かー?と顔をのぞかせる十代に、放っておいた方がいいっスよという翔くんの声が、後ろから聞こえる。ちょっと待ってよ、作ったケーキもチョコレートも、部屋に置きっぱなしなのに。
階段を踏みならす万丈目くんは、待てと言ったところで止まりそうにはない。引きずられるまま、ブルー寮の万丈目君の自室まで、私は駆け足に彼の背を追った。


部屋の戸を閉めるなり、万丈目くんは手首を握ったまま、私の首筋へ鼻を近づける。微かに息がかかってくすぐったい。思って身をよじると、逃すまいと腰を抱かれた。
「何時間待ったと思っている」
万丈目くんはご立腹のようだ。何といっても、私はあのチョコレートを渡すか渡さないかで迷いに迷って、とりあえず相談にとレッド寮に行ったころには、とっくに指定していた時間は過ぎていたのだから。
さすがに待たせ過ぎたと反省した私は、素直にごめんなさいと呟いた。
答えない代わりに、掴んでいた手首を万丈目くんの背に回される。するりと背筋を撫でて、大人しく万丈目くんの制服を掴んだ。
「…っ」
首筋を鼻で辿って、やわらかな唇を押しあてられる。ぞわりと背筋をしびれが走ると、声にならない声が口から洩れる。顔を埋めたまま、万丈目くんは静かに鼻を鳴らした。
「甘い匂いがするな」
「そ、そう…?」
レッド寮での三人の反応を見たあとでは、なるべく避けたかった話題なのだが、学園中の生徒が色めき立っている日に、恋人同士でその話をするなという方が無理があるのかもしれない。
思わず上ずった声が、情けなく高い天井へ響く。この匂いはチョコレートだな。そう言って、万丈目くんは首筋に口をつけたまま、背に回していた手を私の頬に添える。
分かっていてあえて遠まわしに、私を追い詰めようとするのは、拗ねたり、怒ったりした時の、彼の癖だ。目の前の彼の首筋に、私もそっと額を寄せると、すぐその顎を掴んで、万丈目くんはついに私の首筋から顔を離した。
黒々とした瞳が、まっすぐ私の目に降り注ぐ。頬に添えられた手が滑って、僅かな緊張に開いた唇をゆっくりと撫でた。
「俺の分はないのか」
私の手に何も握られていないのを知った上で、意地悪く緩やかな笑みを浮かべる。私は持っていないと、首を振った。レッド寮のあのチョコレートは、今日のところは諦めた方がよさそうだ。
万丈目くんはそれを待っていたように、笑みを深めて顔を近づけた。そして私はそういうときに、万丈目くんが何て言うのかを知っている。
「ならば口付けで構わん」
すぐにでも唇が触れあいそうな距離でそう紡ぐと、彼は思い出したように、もう一言付け足した。
「思いっきり甘いのを頼むぞ」
ロマンチストのつもりなのだろうか。あまりにも親父臭い彼の台詞に、吹き出しそうな口元を押さえ、私は心からの愛情を込めて、意地悪く、けれど幸せそうに笑った万丈目くんの唇に、自分のそれを重ねた。
チョコレートの代わりと言わんばかりに食む万丈目くんに、私の精一杯が届けばいい。自分から発する甘ったるい匂いに、私はゆっくりと目を閉じた。



10/02/14 短編
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