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一体どうしてくれるんだ。

HE CAN'T BECOME A HERO ― 万丈目準



最初に名前の様子をおかしいと感じたのは、ひと月前だ。端から見ていれば普段とは変わりなかったのだが、レッド寮の住民曰く、どこか余所余所しくなったと言えばいいのか、付き合いが悪くなったように思えるのだと言う。その証拠に、毎日飽きもせずにレッド寮へ通っていたのが、このひと月でぽつぽつと穴が空くようになり、ここ一週間で全く姿を見せなくなった。どうやら十代達に誘われても、断りを入れているらしい。
「名前さん、なんかあったのか?」
何を思って俺に聞くのかは知らないが、十代や翔達、名前馴染みのレッド生に尋ねられても、残念ながら俺には全く思い当たるフシがない。
「俺が知るわけがなかろう」
とそっけなく一言言い返せば、冷てぇやつだなぁ、などとなじられるのが、名前が現れなくなった一週間前から今日までの恒例になりつつある。昔から何かとちょっかいを出してくる迷惑な先輩であって、こちらから好きで関わったことなど一度もない。名前がいなくなってはっきりしたことといえば、思いの外、それを勘違いして受け取っている人間がごまんといることを、知らされる羽目になったことだけだ。

レッド寮には来なくなったとはいえ、卒業前の単位もある。いくらつまらない授業だと毎日ぼやいていても、授業には出席しているだろう。思っていた所に、翌日大教室の廊下ですれ違い、立ち止まって思わず、
「名前」
と声を掛けた。歩こうと足を踏み出した弾みのまま振り向いた名前に、やはり以前と変わった様子はない。
「いい加減先輩を敬いなさい、万丈目くん」
にこやかを通り越して、けろっとした表情で俺を見返す姿に、歩み寄りながら俺は拍子抜けした気分になってため息を付いた。
「敬語を使うのも勿体無い人間もいる」
「どういうことよそれ」
語気を強めるくせに、全く意に介していないようで、何が嬉しいのか俺の言葉にも、名前はにこにこと笑みを浮かべている。あまりにもあっけらかんとした様子に、つい恨みがましい気持ちがこみ上げた。
「分かっているのか?貴様のせいで俺は毎日オウムのような連中に絡まれねばならなんのだぞ」
「なに?オウム?」
「レッド寮の連中だ。貴様が最近付き合いが悪いと煩くて敵わん。何があったか知らんが、一度顔を見せんと俺が迷惑だ」
「へぇえ〜」
思い出してまた腹の辺りがむかむかとし出した俺の横で、名前の口は、どこか他人ごとのような気の抜けた返事を漏らしている。
「なんだその返事は」
呆れて半目で睨んでやるが、目の前の名前はそっぽを向いて、耳をいじったり頬を掻いたりと落ち着きがない。
「何か言いたいことがあるならはっきりせんか」
「いや、そんなことはないけど…」
そう言ってずっと口を濁らせているので、時間も無駄だと思った俺がそれならいいが、と話を切ろうとすると、
「何で万丈目くんに聞くんだろうねぇ!」
と突然声を張り上げるので、あまりのくだらなさにため息が零れた。
「貴様が用もないのに絡んでくるからだろう、貴様が!とにかく一度レッド寮へ来い。そしてやかましい奴らに顔を出せん理由でも話してやれ」
迷惑だといった俺の態度が効いたのか、名前の顔から笑みが薄くなっていく。
「いいか、絶対に来るんだぞ」
返事も頷きもしない名前に念を押すように言葉を重ねると、そうだね、とまたぼんやりした返事をして、小さくこくりと頷いた。
「貴様…名前」
ふと思って、気まぐれに問いを投げかけてみる。
「何かあったのか?」
名前の顔が一瞬引きつったように見えた。
「就職で忙しいだけよ!」
やたら張り切った声で告げると、授業に遅れると言って、名前は慌ただしく走り去っていった。


「本当に来るって言ったのかよ?」
「知らん!いい加減俺に聞くのはやめろ!」
「あー、俺貸して欲しいDVDあったのにいつまでお預けなんだよ…」
「それくらい我慢しろ」
人の部屋に押し寄せてベッドを占領しようとする十代を投げ捨てたのはいいが、床に転がったまま出ていく気配は少しもない。あまりにしつこければ踏みつぶす手段も念頭に入れておこうと思いながら、ベッドに座って壁に背を凭れかけていると、十代が物言いたげに俺を見つめていた。
「…何だ」
「お前、なんかしたんじゃねーのか?」
疑るように送られる視線を跳ね除けて、俺は早速十代をつまみ出した。手すりに頭をぶつけたようだが、ちょっとやそっとのことでは死にそうもないやつなので、気にせずドアを閉めると、外からやかましい怒鳴り声が届く。
「なんだよ!図星かよぉ!」
「違うわ!貴様のようなウジ虫が鬱陶しいだけだ!」
特注で取り付けた内鍵を閉めて、ドア越しの濁った喚き声を背にする。布団に寝転がれば、ふつふつと怒りがこみ上げてきた。

名前に半ば無理矢理に約束を取り付けてから、もう既に一週間が経っている。学年も違えば寮も違い、アカデミアは生徒数も多い。狭い世界ではあるが、目的を持っている時に限って、広い校内で偶然会うことは少なかったりするのだ。メールや電話を使えばしつこい上に忙しいというのだから、その内時間を見つけて来るだろうと思っていたのだが、一向に現れる気配はない。
聞けば性質の悪いことに、名前は訪れなくなる前に、小さいものではあるが、十代や翔達と約束を交わしていたらしい。それが連絡しても用事を理由に躱されているので、こうして何度も俺の元へ様子を聞きに来るというわけだ。迷惑極まりない。
知ったことか。俺が知らぬと言い続ければ、その内奴らも諦めるだろう。こみ上げていた怒りも徐々に冷めて、どうでもよくなると、ままよとふて寝を決め込むことにした。


しかし思ってみれば、皮肉なものである。俺が名前を気にしなくなったその翌日に、偶然名前と鉢合わせたのだから、皮肉としか言いようがない。売店の出入り口で顔をあわせた名前は、しまったといった風に頬を強張らせた。
「こ、こんにちは万丈目くん」
購入したのだろう。手に持ったシャーペンの替芯をポケットに突っ込んで、名前はぎこちない笑顔を浮かべると、逃げるが如く俺に背を向けて足早に廊下を歩き出した。知らぬふりを通すつもりらしい。名前。些か頭に来たので、名前を呼びながら後を追う。
「約束を忘れたわけではないだろう?何故来んのだ」
「いや、だから、色々と忙しくて」
「十代達からも連絡は来ているのだろう?」
女子生徒共通のブーツが、広い廊下をカツコツと打つ。軽快な音が交互に鳴る度に、名前の髪が左右に揺れた。それを後ろから眺めながら、俺も大股に歩く。名前は答えたくないのか、黙ったまま歩みを進めている。角を曲がったり、階段を登ったり、目的地もないままただ歩いているようにしか見えない。俺を振りきりたいだけなのかもしれなかった。
名前は忙しいと言う。他に理由はないのだと言う。ならばそうなのだろう。無理に聞くのは無粋なのだろう。何より、このまま無言の追いかけっこをしていても滑稽なだけだった。
「名前」
呼んだが、やつは止まる素振りを見せない。カツカツと、規則的にブーツは床を打つ。生徒の姿は見えなかった。名前。
カツン、と音が止む。余韻と静寂が鼓膜を包む。背を向けた名前の腕を掴んだまま、俺は最後にと口を開いた。
「いつでもいい。あいつらが心配しているから、顔を出してや」
「私は」
名前は搾り出すように言った。私は、
「万丈目くんに会いたくないの!」

……は?
言葉は口から出たと思ったが、それすら声になっていないようだった。俺に会いたくない。それはつまり、どういうことだ?
俺の精一杯の気恥ずかしい言葉を遮った名前本人は、手首を掴んだ俺から少しでも遠ざかろうとしているのか、顔を背けたまま肩をを片方に縮めている。それきり、口を開く気配はない。
――お前、なんかしたんじゃねーのか?
十代に言われたことが蘇る。忌々しいと外へ放り出したが、結局やつの言うとおり、俺が原因だったとでもいうのか。記憶を遡っても、頭をひっくり返しても、思い当たるフシはない。納得できん。
「…おい、」
戸惑ったまま声をかける。理由を聞くつもりだったが手はすぐに振りほどかれた。女の力はこんなに強かったと思うほど、俺の手はすんなりと解けた。それとも俺が思うより力を入れていなかったのだろうか。
反動で振り向いた名前の顔が、俺の目に映る。

どうしたんだ?思わずそう言いかけた。俺に会いたくないと言った名前の顔は、怒っているのか泣きそうなのか分からない。浮かんでいるのはなんとも情けない表情だ。顔中真っ赤に染まっているのは、怒っているからなのかもしれない。泣きそうだからなのかもしれない。しかし、直感的にその予想を切り捨てた。そうではないと、第六感が囁く。それじゃあ、何故名前はあんな表情をしているのだ。何故、真っ赤なのだ。
俺がもたついている内に、名前は廊下を走り去っていった。女子生徒特有の足音が遠ざかって、呼び止める力が急速に霧散していく。

どうしたんだ。なぁ、名前。どうしてしまったんだ、俺は。胸がざわめく。肌が粟立つ。
「名前」
呟けば目の前がくらりと揺れた気がした。さっきまで追いかけようとしていた体が鉛のように重くなって微動だにもできない。だというのに、胸のあたりにはずっとふわふわした感覚が漂っている。
とにかく、何故あんなことを言われなければならなかったのか、明日にでも問い質してみよう。そうせねばならん。そう思い浮かべた矢先のことだった。急激に体中を何かが這い上がる。血がぐるりと巡る。落ち着かない心地になって、腕を組んだりほどいたり気を紛らわせる。
問い質すということは、名前に会うということだ。勿論、そういうことだ。しかし問い質したとして何になる?あちらさんが会いたくないというのだ。理由もなしに拒絶されて、追いかける必要がどこにある。それに質したとして、どんな顔をして会えばいいというのだ。どんな…
組んだ腕の中で一つ、人差し指を叩いた。
「何を言ってるんだ俺は…」
普通に会えばいいだけだろう。普通に赴いて、普通に声を掛けて、普通に歩み寄ればいいだけだ。普段通りに接すればいい。普通に。普段通りに。まて、普通とはなんだ?俺はいつもどんな風に名前を呼んでいた。目は見ていただろうか。引き止めていた状況は?調子は?
同じ問いが行ったり来たり、頭の中を忙しなく回っていく。

「あーあ、やっぱお前のせいじゃねーか」
いつからいたのか、すっかり出歯亀の体勢を解いた十代が歩み寄り、横から責めるように俺を見つめて来た。ただでさえ面倒な感情が渦巻いているというのに、これ以上関わられたら厄介だ。射殺すように睨みつけるが、十代は気にもとめず名前の走り去った方を眺めている。
「とりあえず謝っとけよ」
「俺は何もしとらん!いいから貴様は黙っていろ」
そうだ、俺は何もしていない。俺も、名前も。だというのにどうしてくれる。どうやって会えばいい。期待と不安が入り交じるこれを、どうすればいい。横から漏れた忌々しい十代のため息にですら、口を出す余裕がない。どうしてくれるのだ。

組んだ腕が落ち着かない。解いてみれば、手にじっとりと汗をかいていた。初めて触れた、名前の手の感触が浮かんだ。しっとりと、肌に吸い付く温かみ。どうしてくれるのだ。まるで手に心臓があるように、ドクドクと脈打つ。掌の汗を親指でなぞって、両手を握り締めた。
名前のやつめ。本当に、どうしてくれるのだ。どうして、あんな表情を浮かべるのだ。会いたいというのに。会わなければならんというのに。名前。
「まったく…」
俺も、会いたくなくなってしまったではないか。


11/11/30 短々編
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