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明るい祭ばやしの音。黄色や赤、青や緑の世界がするすると風のように流れていく。どうか終わらないで、夏と恋。


HE CAN'T BECOME A HERO ― クロウ・ホーガン



クロウから電話があったのは昼も大分過ぎた頃だ。久々に声が聞けたと思えば口篭ってはっきりしない様子。それでも暑い中辛抱して用件を待っていたら、漸く開いた口で、配達を手伝えと言うのだ。それもこんな灼熱の時間帯に、わざわざだ。
「えっ、今から?」
「ちょっと遠いんだけどよ、届ける場所が多くて」
「多いって言っても…」
「集合住宅でよォ…俺も出来れば手伝いなしに配達したいんだが、何分量が多いんだ。頼む!!」
そんなこんなで有無を言わさない雰囲気に思わず頷いてしまった。しまった、というのもちょっと違う。元々クロウからの頼み事は断る気が無かったのだから、言ってしまえば云というタイミングではなく、勢いのまま承諾してしまったという感じだ。

今日は一段と暑いからと、いつもより少しだけ上げた髪が、首筋をさらさらと撫でる。いつの間に伸びていたのだろうか。暫く意識しない内に急に首まわりに暑さを感じるようになって、漸く気づいた。
長い間使っていなかったせいで、髪留めもどこにしまったのかすっかり覚えていない。面倒くさくなって、包装用のリボンで適当にまとめてしまったが、思っていたよりなかなか快適だった。
雑に整えた髪をひとつ、ぽん!と叩いてから鏡から目を外す。最近買った携帯が、日に焼けた古いテーブルの上でチカチカと点滅していた。

「おう、もういいのか?」
「いいよ。サテライトでも待たせたことなかったでしょ」
携帯を耳に押し当てながら古いアパートのドアを開ける。同じくD・ホイールの発信画面を覗いていたクロウが、色の落ちたドアの軋んだように閉まる音で、こちらに顔を向けた。
「それもそうだったな!…あ」
「んー?」
鍵を閉めて振り返る。見慣れたブラックバードは陽の光できらきらと輝いている。たっぷり日光浴をしたそのボディは熱を溜めていることは明らかで、下手に触れでもしたら火傷でもしそうだ。今から乗るそれを確認して若干外の暑さにげんなりした後、漸くブラックバードに凭れるように跨った、サテライト時代からの悪友に目を合わせた。
「あ、わ、っと!」
しかし目に飛び込んできたのは、挨拶する間もなく、車体が傾いて焦った様子のクロウ。
「ちょ、ちょっと!」
慌てて駆け寄ろうとしたが、流石手慣れたもので、私が駆けつけるより早くにバランスを持ち直した。俯いて深く溜息をつく姿に、ハラハラしたのは私の方だと言ってやりたくなった。
「しっかりしてよ、そんな大きいのに潰されて怪我でもしたら洒落にならないんだからね?」
クロウはサテライトにいる頃から無茶ばかりして、普段も危なっかしいことが多かったから、そんなに直ぐに治るとは思っていない。でもふと、思ったのだ。
ハンドルを握りしめて、まだ顔を伏せている様子に。
「クロウ?」
俯き加減に笑う様子に。
「よ、よぉ」
「はぁ…?」
この時に、ふと。今日のクロウははちょっと変じゃないかと。


日暮れ時の薄暗がりの中を、風が通り過ぎる。一度体に当たって弾けていくように。正直に言うと、ブラックバードの後ろは乗り心地が悪い。風が強くて、息が苦しい上に、景色を見る余裕が無いのだ。
「ねぇ、もうちょっとスピード落とせないの?!」
「んなチンタラしてられっかよ!」
もう帰るだけの身だというのに、なにをそんなに飛ばしたがるのだろう。初めてD・ホイールに乗ったときのクロウは、速くて気持ちいいなどとはしゃいでいたが、スピードを出すのが好きなのだろうか。
「なんだかなぁ」
「なんか言ったかー!」
「ううん!」
仕事はあっけなく終わってしまった。手伝ったからとも言えるけど、二人でやるほどの仕事かといえば、そこまででもない気もする。最後の届けものだと渡されたときは、えっ、これだけ?とぽろっと零してしまったくらいだ。
苦労らしい苦労といえば、この道中の風だ。確かに距離は遠いし、生身には少し堪えた。こんな風を毎日受けて、クロウは走っているのだろうか。

クロウとはマーサハウスから一緒だったが、遊星、ジャックと三人が施設を出ていってからは会う頻度もそれほど多くなくなった。私がマーサハウスにずっと残っていたのもあるかもしれない。偶には世間話でもしに会っていたけれど、ひと月とおかず連絡を取るようになったのは、ジャックがまた一緒にいるようになって、昔の雰囲気が戻ってきたからなんだろう。だからこうしてD・ホイールに乗るのは初めてで、勿論クロウの後ろに乗るのも、長い付き合いで初めてのことだった。
風のせいだろうか。胸が苦しいような気がして、ぎゅっと回した腕に力を込める。ヘルメットがガッツリとクロウの背骨に当たったが、あまり気にしなかった。
「あ、あんまくっつくんじゃねーよ!」
「しっかり捕まれって言ったのは誰よ!」
搾り出した大声が、クロウと私の僅かな空間に響く。不満を漏らしていた心のなかに、どうして安心感が漂っているのだろう。ただのボロ臭いジャンパーなのに、何となく、触れていると落ち着いてくる。
すっかり日が落ちて、流れる風は肌寒い。僅かにためらってから、もう一度ぎゅっとしがみついた。
「……ッ名前!」
途端やっぱりクロウの声。
「だ、だってしっかり捕まれって言ったのは…」
「す――――――」
「え?」
爆音が轟いた。それほど遠くない場所で、光が放たれる。七色の光が舞い上がって空中ではじけ飛ぶ。絶え間ない発火音が鼓膜を心地良く打って、それに合わせて私の鼓動もドクドクと激しく鳴り響く。花火だ。
あまりの鮮やかさに目を奪われた。クロウのジャンパーを握りしめた手が一瞬離れそうになったほど、風の中に浮かぶ光の粒に見惚れてしまったのだ。D・ホイールのスピードに息が苦しくなっても、逃したくない輝きだった。もしかしたら、あそこから落っこちた光が、街の家々をを灯しているのかもしれない。そんな空想的な考えがよぎって、顔を赤らめた。
けれど、きっと違う。私の胸が高鳴っているのも。D・ホイールから落ちかけたのも。こんなに手の行き場を失っているのも。顔が燃えるように、熱いのも。
掻き消されたクロウの言葉が、ホイールの回転音と、花火の音に混じって、私の耳に届いてしまったのだ。あのしがみついたクロウと私の僅かな空間から、するりと。

――好きだーー!
ドクッと胸に大きな衝撃が走った。鼓膜まで破れそうなほど、大きな衝撃だ。息が、苦しい。止めて。D・ホイールを、早く。

「止めて!」
言うのと同時に、D・ホイールがゆるゆると速度を落として停止した。両手をシートの上に乗せていたせいで、体を支えきれずにクロウの背中に顔を打ち付ける。慌てて体を離した。
「ちゃんと捕まれって言っただろ」
「だ、だって…」
「いいから降りろよ」
促されて渋々両足で着地して、初めて周りの風景が目に入った。ヘルメットを外して、ぱっとパノラマの世界が広がる。涼やかな夏の夜景だ。短い花火の名残みたいに、漏れる光が燦々と街を照らしている。
「クロウ、これ…!」
「きれーだろ?前もここに来てさ、また見てぇなって思ってたんだよ」
クロウは振り向いて、笑った。にかっと。ヘルメットを脇に抱えて、心から嬉しそうに。満面の笑み。久しぶりに、クロウの顔をまともに見た気がする。
意外だ、と思ったのは、昔クロウがサテライトから見たシティの光を、寂しそうに眺めていたからだ。波打ち際から、廃墟を背後に背負って。
それが今はどうだろう。こんなに温かく笑っているのだ。

どうしてこんなに熱いのか分からない。どうしようもなく、胸が疼いた。むず痒くて、じっとしていられない。
「あ、あのさ、クロウ、さっき、」
なんて言ったの、と続けようとして、喉が詰まった。
クロウの声は、聞こえていた。でも、本当にそうだったのか、今では幻聴だったんじゃないかって思えてくるのだ。D・ホイールの回転音と一緒に、風の中にあの声を置いてきてしまった。
「…お前、聞こえてんだろ」
はっとして振り返る。けれどクロウは顔を背けていて、私も仕方なく静かに足元を眺めた。
なんと言ったらいいか分からない。また誤魔化そうか。そうも思ったけど、それでも口が開かなくて。
夜風に吹かれて、首筋で揺れる後れ毛がくすぐったい。胸に似たむず痒さ。
「…………うん」
たっぷり間を開けて口に出来たのが、空気を押し出すだけの労力のいらない、その二文字だけだった。

上で無造作に纏め上げていた髪が、肩にふわりと落ちてきた。それに意識を奪われて、肩に引っかかったリボンに手を伸ばす。と、クロウの手が、リボンごと私の指をちょんっと捕まえた。指先から、熱が伝わる。そこだけ燃えるように熱くなって、じわじわと全身に染み出す。僅かに、指先が震えた。
直後にそのまま、肩を、掴まれた。力任せに回転させられる。ぐるりと世界が水平にスライドした。
「へっ?」
突き当たりはクロウの顔。目の前に捉えているはずなのに、動転して上手く認識できない。だって近くにクロウが、クロウの顔が、近くに、クロウが、顔が、
「う、…ッ」
息をするのも忘れたその一瞬間後、まん丸く開け広げた視界に、ぽっかりと夜景が飛び込んできた。切れかけた街灯と、遠くに見えるお祭りの屋台も、しっかり。
そっと肩から圧力が消えて、顔を伏せたクロウが居心地悪そうに横目で私を窺った。ひたりと視線が結ばれた途端、言い知れない感覚が腹部から這い上がって来て、体がふるりと震えた。寒いのではない。だって顔は、真っ赤なのだ。
「わ、」
わ。壊れそうな鼓動を抱えて、クロウの放った一文字をなぞる。早く。早く何か言って。何でもいいから、何かを。
「忘れてくれー!」
「はっ…」
全身を使って腹の底から叫び終えると、クロウはリボンを握りしめたまま、ブラックバードも置いてけぼりに、一目散にゆるい坂道をかけ出していく。やっぱりクロウは変だ。様子がおかしい。
電話の時から時から挙動不審で、何か言いたげで、会えば会ったでろくに目も合わさない上に、手伝いもすぐ終わるし、言ってることは真逆で、夜風が寒いって言ってるのにスピード狂だし、その癖花火なんか見に来て…それで、それで…

唇に、指を添える。もし、もしもさっき。触れていたら、どうなった?
顔が火照る。心臓がドキドキと脈打つ。放っておいたらきっと弾けてしまうだろう。あの花火みたいに。燦然と散ってしまうに違いない。
クロウの背がどんどん小さくなっていく。一人なんかじゃ帰れないというのに。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
小走りに私もかけ出した。帰ればどうせまた、数週間は会えはしないのだ。少しくらい、追いかけっこも楽しいかもしれない。
あれは始まりを告げる花火だったのだろうか。首筋をやんわりと撫ぜる風の中に、どこからともなく微かな祭ばやしの太鼓が聞こえた。

このまま夏を、終わらせてなるものか。


11/07/10 短々編
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