Visibile ferita

 海の底に沈めた秘密



「と──るな…! お前、──なんだろう…!」
「それは──の──じゃないか。──の英雄がどうして?」
一歩踏み出すごとに徐々にクリアに聞こえてくる声。低めのテノールが焦ったように発された。
それに穏やかな音が何かを返す。余裕のある彼の様子までも目に浮かびそうだ。その音を最後に沈黙が降りる。急いで岩陰に潜むと、そっと顔を出して彼らの様子を窺った。

二人ともどうやら気付いていないようだ。


「お前は、あまりにも似すぎている……!」
「……」
「彼女の傍にいて何をするつもりだ! あのような嘘をついてまで!」
「いつのことを言っているのかわからないけど…酷い言われようだなあ。」
「答えろ!」
ジューダスにしては珍しい焦りと、怒りを含んだ声でルナを問いただしている。彼のその物言いに、ルナは酷く悲しそうに眉を顰めた。
茶化して肩を竦めても、ジューダスの追求は止まらない。ひとつ息をついた彼は、穏やかな海に視線を向ける。

「僕はこの旅についていくだけだよ。僕の探し人のために……ね。」
「…そういえばお前は妙にフィアを気にしていたな……彼女がお前の記憶に関連する人物なのだとしたら、やはりお前はあの男と同一人物ということになる。」
「それ、僕がそう言ったわけじゃないでしょ?」
「違うなら否定すればいい。」
「僕だってわからないんだよ。気になるのは事実だけど確証は持てない。記憶が戻っていないのは僕も一緒なんだから。」
瞳を閉じた彼はひどく儚げで、空気に溶けて消えてしまいそうな気がした。紡がれた言葉は酷く淡々としていて、彼の心の内を露わにしているかのようだった。
彼にとってジューダスの追求は、触れられたくない古傷を引っ掻かれているようなものなのだろう。あるいは塩を塗り込まれていると言い換えてもいいだろうか。

「ほう、随分とうまい言い訳だ。あいつもそんな風にやり過ごすのがうまかった。僕が最初に感じた感覚は当たっていた……というわけだ。お前、何が目的なんだ。」
「まるで僕が危害を加えるような危険人物、みたいな物言いだね。」
「…はぐらかすか、では質問を変えよう。お前がいきなり旅に同行したいと申し出てきた理由はなんだ。」
「親方に怒られちゃったっていうのと、僕が記憶を取り戻すきっかけを見つけるため……そう説明したはずなんだけどな。」
「それが建前である可能性もあるだろう。本音を隠すにはいい隠れ蓑だ。…お前、本当に記憶喪失なのか?」
「信用ないなあ、僕はそんなに怪しい?」
ジューダスの言葉にルナは目を開けて肩を竦めた。小首を傾げると彼はくすくすと笑う。
茶化したように見えるその動きも、なんだかさみしく見えた。



「見ろ、お前は今だってこうして僕の追及を逃れ、話を逸らそうとしているだろう。確信をついてほしくない人間がすることだ。……そしてあいつは、自分の思い通りに人を動かす、曖昧な言い訳に長けている。嘘をつかず、本当のことも言わず、建前と本音を使い分け、口先だけで容易く場を凌げる男なのは…僕が一番わかっているつもりだ。それでもまだお前はシラを切るつもりか?」
「……」
「僕の目をなめてかかるのもいい加減にした方がいい。僕はそれくらいのことも見抜けないような間抜けではない。」
しかしジューダスのアメジストは鋭い光を湛えたまま、サファイアを射抜く。
的確に言葉の矛盾を突いたジューダスに、サファイアブルーは諦めたように輝いた。輝いているはずなのに輝いていないような、そんな錯覚を覚えるほどに力ない表情だった。
思わず飛び出していきそうになるのを抑えて、フィアは手のひらを握り締める。ジューダスの追求に、ルナは海を見ていた目を閉じた。俯いて静かに告げる。

「…すべて推論に過ぎないよ。彼は死んだ人間のはずだ。死んだ人間が生き返るなんてことは常識的には考えられないでしょ?」
「ああそうだな。僕の言っていることはすべて推論に過ぎない。だが、根拠がないわけではない。今回の旅をしている中で、その『常識的には考えられない』ことを何度見て来たんだ? 不治の病すら治せるような奇跡を目の当たりにして、まだ常識論に拘るのか。」
「……」
「なにより、お前は僕の言った言葉をどれひとつとして否定していない!」
言い放ったジューダスはなおも強い光を宿すアメジストをルナに向けた。彼の視線が向けられることが分かっていたかのようにルナは静かに瞼を開く。
そっと開いた彼のサファイアを見ていると、まるでファンダリアに雪が積もった時のような、音ひとつない空間にいるような気がした。

「……僕は、彼女を傷つけるつもりはないよ。」
「そういうことを聞いているのでは……!」
「ジューダスー! ルナー?」
「げっ、カイル…!」
ルナの返答にジューダスがさらに険しい顔をした瞬間、能天気な声が洞窟の中に反響した。しかも大きくなっているところを見ると、こちらに近付いてきているらしい。

「…そこにいるのは誰? もしかして今の聞いていた……かな?」
「何……!?」
思わず声が漏れたのをルナは聞き逃さなかった。いつも通りの食えない笑顔を見せた彼は、的確に岩陰(つまりフィアが現在隠れている位置だ)に視線を向ける。彼が一度この岩陰を怪しいと思ったら、出ていくまで注意の目を外すことはないだろう。
ジューダスが目を見開いてこちらを睨みつけている。会話が聞かれたかもしれないと思っているのだろう。観念して岩陰から出ると、案の定厳しい視線が突き刺さる。


「……どこから聞いていた。」
やばい絶対怒ってるどうしよう。こわごわと視線を逸らしたフィアに、彼の顔は一層険しくなった。
ジューダスの注意がフィアに向いているのを良いことに、ルナは洞窟へ戻っていく。気付いたジューダスが彼を呼び止めた。

「待てルナ、まだ話は済んでいない。」
「『二兎を追う者は一兎をも得ず』……って言うだろ?」
焦ったように煌めいたアメジストに、くすくすと上品な笑みを見せたルナはそのまま踵を返す。ジューダスの言葉を背中で断ち切るかのようだった。
しかし彼は洞窟の中に入って行くわけでもなく、ただ洞窟の入り口に佇んでいるだけ。疑問に思って彼に言葉をかけようとした直後、明るい声が響き渡った。

「あー! ルナ、こんなところに!」
「おはよう。」
どうやら彼にはフィアが声を上げるまでもなく、カイルたちがすぐに来るとわかっていたようだ。
余裕すら見える笑顔は邪気がない。柔和に細められたサファイアは、本当に宝石のように美しかった。


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