瞳が、揺れた。


―クロユリ・シキif story―


いつかは、こんな日が来るんじゃないかと、思っていた。
目の前には白い髪と黒い服が印象的な、アタシとはさほど年は変わらない男が一人。
その男の背後に立ち、伸ばした手にはナイフが握られていて。
月光で冷たく光る刃は、相手の首元に添えられている。


「――…呆気ないね。あんなに天才だと言われてたくせに、簡単に背後取られちゃうなんてさ」

「………」

「ねぇ、ベニカゲ?」


クスクスと、嘲笑う声が響く。
ナイフを突き付けられた男、ベニカゲは喋るどころか微動だにしない。
いつ喉を引き裂かれるかわからない恐怖にか、嫌味に悔しがっているのかはわからない。
もしかしたら、この危機的状況から脱する方法を探しているのかもしれない。

そうだったら早く任務を遂行しなければ。
暗殺者として生きるアタシにとって任務は至上、殺しは名誉だ。
それが例え、元は親戚関係にあったベニカゲだとしても。


「……何か、言ったらどう?」


例え、元は憧れた人であっても。
国を裏切った者には、制裁を与えなければ。


「……お前に、俺は殺せない」

「っ、何を…!」

「殺しを躊躇っているクロユリに俺は殺せない。」

「別にっ、躊躇ってなんか…っ」


嘘だ。
本当は迷っている。
主である、あの方に言い渡された彼を殺す理由に、納得していないからだ。
アタシは気付き始めているのかもしれない。
歪曲された真実に。

だけど、それでも…
もう、後には引き返せない所に、アタシはいる。


「もう、遅いんだよ……今更っ、気付いたって…!」


すべては遅過ぎたんだ。
アタシは見事にあの方の掌の上で滑稽に踊らされていたのさ。
国にも、闇花一族の負の使命にも抗えない。
アタシに残された道は、破滅しかないんだ。


「――殺して。」

「………」

「最後までジエン様を守りたいのなら、今ここで、アタシを殺してよ」


カラン、と音を立てて地にナイフが落ちる。
完全に戦意が喪失したからだ。

いつかは、こんな日が来るんじゃないかと、思っていた。
まったく、生温い幻想から覚めたと言ったのは、どんなことがあっても国への忠誠を貫くと言い切ったのは誰だったか。
結局、アタシはずっと無知なままだったのだ。
この悪夢から覚めたら、目の前にあるのは絶望だけだろう。
だったら、もう、一思いに終わらせてほしい。
何もかも、全て。


「お前に残されているのは破滅でも、絶望でもない」

「な、に言って…」

「一人だけいるだろ?」

「……っ…!?」

「お前だけの、破壊者が。」


ゆっくりと振り向いたベニカゲの赤い瞳と視線が交わった刹那。
不意に背後から伸ばされた、ベニカゲではない誰かの両腕がアタシの体を包み、覚えのある機械オイルの匂いが鼻を掠めた。


「―――…ダメだよ、ベニカゲ。簡単に答えを教えちゃ」

「シキ…!」

「……もういいだろ。クロユリを助けてやってくれ」


後ろから聞こえた声は、いつもなら憎たらしくて仕方がない男、シキのもので。
仮にも暗殺者であるアタシが背後を取られること以前に、暗殺者でもない彼の気配に気付けなかったことに驚きが隠せない。
何でここに居るのか、とか当然な疑問すらもう頭に浮かばなくて。
この腕を振りほどこうとも思わなかった。


「僕はヒーローなんかじゃない。あの男が作り上げたシナリオを打ち壊してやることは出来るけど、その先が君にとって幸福かはわからない」

「………」

「それでもいいのなら……僕のところにおいで、クロユリ」


差し伸べられた救いの手は希望か絶望か紙一重といったところか。
傍観者を気取るシキのことを侮れない悪魔だと皮肉に喩える人は少なくない。
普段のアタシなら、いや。
本来のアタシなら、きっと彼の言葉になど耳を傾けないだろう。
だが今は、この言葉が酷く優しく聞こえるほど追い込まれているのか、縋り付きたくなる心を止められない。


「ど…して、アンタは…っ」

「……僕はただ、ヒョウの思惑通りにさせたくないだけだよ」


漸く口にすることが出来た疑問は途切れ途切れ。
返ってきた答えはシキらしく淡々としていたが、それを聞いていたベニカゲは珍しく苦笑いを浮かべていた。


「あの男を破滅に引き摺り落とすことが僕の最優先事項。そのシナリオに、巻き込まれたくないだろう?」


彼は傍観者だったはずだ。
いつからシキは傍観者から、自ら動く破壊者になったのか。
アタシよりも遥かに頭の良いシキは独自の立ち位置から物事を傍観し、たまに状況を操作しながら成り行きを愉しんでいた。
少なくとも、前もってシナリオを明かしてまで誰かに注意を促して回避させることなど無かった。

こんな彼は、知らない。


「だからさ、クロユリ…」


アタシは知らない。
強くなるばかりの両腕に、この体を包み込む温かい熱。
快楽から掛け離れた、切望が滲む囁き。

そして…―――


「僕のところに、おいで。」


無性に泣きたくなるほどに、優しいシキの声なんて、アタシは知らなかったよ。



瞳が、揺れた。


(おそるおそる後ろを振り向いてみたら、)

(ぼやける視界の先で)

(彼が優しく微笑んでいた、気がしたんだ)



―――――
クロユリとベニカゲと見せかけて、クロユリとシキのお話でした。
これは数あるifの中のとある結末の一つ、とお考えください。


2012.6.27




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