言えない言葉の数だけ不安になっているのに、あなたは欲しい言葉だけは何一つ言ってはくれない。


―ゼロ×ジエン・ヒョウif story―


眠らない街。俗にいう歓楽街と呼ばれる地区。
当然ながら治安の宜しくないその場所を行きかう者たちの中に、一人だけ異様な雰囲気を放つ者がいた。
目元を覆う黒のサングラスで人相は分からないが、ネオンの明かりにより際立つワインレッドの髪。バランスの取れた等身は充分に人目を引く要素となっていて客寄せの女たちが次々と彼に群がっていった。
しかしその人物、現在はゼロと名乗る男は適当に女たちをあしらっては確かな目的を持った足取りで歓楽街の煌びやかさの裏側にある暗い場所へと入っていった。


「―――…」


暗い路地を進むこと数分。彼は見えてきた曲がり角を曲がるなり、突然その足を止めた。そして静かに己が曲がってきた角を振り返ると、徐々に近くなる気配と足音にゼロは眉を顰め深々と溜息を零す。


「――!?」

「……男を尾行して何が楽しいんだよ、ジエン」

「な、何でバレ…っ」

「ほう、尾行と言われて否定しねぇのか」


角を曲がってきたのは不穏な路地裏には不似合いな一人の少女、夜に紛れる長い黒髪と藍色の瞳が印象的なジエンだった。
しまった!と思わず口元を手で押さえた彼女の様子からするに、尾行は図星だったようだ。


「一応聞いておくが、ベニカゲはどうした?」

「………黙って出てきた」

「ガキだとか女だとかの前に、テメェの立場を考えろバカが。」


やや挙動不審で、目を泳がせる様子から見るに後ろめたい事があるのは明白で。安易に予想できる事柄を問うてみれば案の定、返ってきたのは彼にも彼女にとっても宜しくない状況。
場所や時間帯的に、この先にある彼の“目的”にもジエンの存在は不都合でしかないのだろう。元より相手を気遣って言葉を選ぶタイプでもなければオブラートに包むという穏便な思考を持ち得ないゼロが、普段の倍以上の刺々しさ込めて容赦無く責めの言葉を言い放つのだから。


「軽率だったとは思うが…気に、なって……ごめん」

「……はぁ。このまま一人で帰すわけにはいかねぇか…」

「エンゲツ…?」

「約束しろ。この先に何があったとしても、勝手な行動はするな。指示がない限りお前は俺から絶対に離れるなよ」

「…わ、分かった。勝手な行動はしないし、離れない」


ジエンは知らない。
今夜、ゼロがしようとしていた目的を。この歓楽街の裏側に何が待ち構えているのかなんて、この時の彼女には知る由もなかった。


「―――…ここは…」


暗い路地を歩くこと数分後、足を止めたゼロの先にあったのは古びた酒場。
ほんの僅かに明かりが確認できることから営業はしているようだが、薄暗いこともあり気味の悪い雰囲気が漂う。輝きが失われた金色のドアノブを手前に引けば、幾つかの人の声や物音が耳に届いた。
酒場という慣れない場に若干戸惑った表情を浮かべるジエンに対し、躊躇うこともなく薄暗い店内に足を踏み入れるゼロ。離れるなと彼に言い付けられてる以上、立ち止まったままではいられないとジエンは意を決してゼロの後を追い掛ける。寂れた外観に反して、店内は意外と綺麗だった。


「…何で、こんな所に?」

「こういった寂れた場所には色んな人間が集まってくるもんなんだよ。…例えば…―――」

「―――!!?」


人相を隠していた黒いサングラスを片手で外し、ジャケットの胸ポケットに引っ掛けたゼロは奥のカウンター席にへと視線を向ける。その瞳が鋭く細められたのに気付いたジエンも同じく目をやれば、いやに見覚えのある異質な空気を漂わせた後ろ姿に両手で口元を覆い絶句した。


「こんな場所には到底そぐわねぇ、冷酷無慈悲な権力者サマ、とかな。」


カウンター席に座る先客の左側、一席空けてどかりと座るゼロ。
その先客、控えめな灯りに照らされる艶やかな黒髪に、眼鏡越しに見える切れ長の目元、暗い藍色の瞳を持った男は手にしていたグラスをテーブルに置くとクツクツと笑った。


「久方ぶりだというのに、随分と言ってくれますね」

「…ヒョウっ、何で貴方が…!」

「おや。これはこれはジエン様。このような場所でお会いするとは思いませんでしたよ」


ヒョウと呼ばれた男は、この国の権力者一族が一つ、夕鴉の筆頭である。
ジエンの東雲と親戚関係にあり、かつてエンゲツとは国の行く末を賭けて戦った人物だ。革命軍を汚い謀略で壊滅に陥れ、エンゲツをゼロにさせた張本人でもある。


「俺の後を追ってきたんだとよ。夜に男を追っかけるなんざ、英才教育ってのも大したことねぇんだな」

「おやおや。その、大したことのない英才教育を受けた少女の尾行を許すとは、紅蓮の炎も落ちぶれたものですね」

「はっ。ガキの一人や二人の脱走すら防げない奴等にゃ言われたくねぇよ」

「………」


ゼロとヒョウは、いわば水と油のように決して相容れることのない間柄だ。そんな因縁のある二人が、酒場のカウンター席に並んでいる。
交わされる言葉は刺々しく嫌味ばかりだが、こんな場所で相席とは、一体どういうことなのか。目の前のあり得ない光景にジエンは困惑するばかりだった。


「それで、考えていただけましたか?」

「俺はどこにも、誰の下にもつくつもりはない」

「生き残った仲間たちの今後を保証するとしても、ですか」

「二度も同じことを言わせるな」


ヒョウの言葉を皮切りにして一気に場の空気が張り詰めた。まわりの喧騒が耳に入らなくなるほどの緊張感に、ジエンは息を呑んで二人のやり取りを見やる。
先程から変わらない二人の男の表情からは何も読み取れやしない。不穏を匂わす内容、その口振りからするに何か重要な取り引きをしているようだが、詳しいことは分からない。ただ一つ確かなのは、ヒョウが持ちかけた取り引きに、ゼロは応じなかったということだ。
交渉決裂ですね、とヒョウは残念そうに呟いて肩を竦めた。


「何を考えているのかは知りませんが、これで君の命運は尽きたも同然ですね」

「せいぜい全力で殺しにくることだな。さもねぇと…―――」


次にゼロが口にしたのは牽制と、宣戦布告だった。
かつて国の脅威となった男は絶望を経てゼロとなった。エンゲツの頃とは違い仲間も所属もない彼は、その身を縛る枷などない。それが故の危うさをもつゼロは昔以上に、国にとって最も危険な人物だといえるだろう。
しかし、一度敗れた相手に正面切って喧嘩を売りにいくというのは無謀ではないだろうか。彼らしくない挑発に驚愕をあらわにするジエン。もしや今のゼロは冷静な判断ができなくなっているのではないかと不安に駆られ、制止しようと一歩踏み出す。


「エンゲツ……っ!?」

「俺が生きてるうちは、テメェの野望に“最も必要なモノ”を手にすることはできねぇぜ」


が、その彼女よりも早く動いたのはゼロのほうであった。彼は伸ばした片手でジエンの腕を掴むと強引に引き寄せ、背後から肩や腰を抱くように腕を回す。一瞬の出来事に為す術もなく抱きすくめられた彼女は制止の言葉を告げれずに、慣れない大人の男との密着に頬を赤らめるしかできなかった。


「……身分が伴わない者が彼女に手を出すのは重罪ですよ」

「国に反逆した大罪人が、今更何を恐れるってんだよ」

「どちらにしろ捕まれば死罪確定でしたね、君は」


そういうことだ、と 勝気に笑うゼロ。対してヒョウは眼鏡のブリッジを押さえては呆れ混じりの溜息を零した。これでピリピリとした緊張感がいくらか和らぐか、と思いきや。
何の合図も前触れもなく二人して立ち上がるやいなや、ゼロはやや大ぶりのナイフを首に、ヒョウは拳銃を額に突き付けた。


「―――…この距離で、銃にナイフでは分が悪いのではありませんか?」

「ほざけ。そのトリガーを引ききる前に、テメェの喉を切り裂いてやるよ」

「本当に、出来るとでも?」

「出来ないと思うか?この俺が」


まさに一触即発。ジエンを間にして飛び交う鋭い殺気が店内を支配する。極限までに張り詰めた空気はもはや重圧でしかない。
互いに武器を突き付けられている当の二人は顔色一つ変えずに、膠着状態のまま軽口を叩いているのだから恐ろしいものである。


「………やれやれ。掛け値なしに君は危険すぎる」

「はっ。そりゃあお互い様だな」


暫しの間を置いて、ヒョウが銃を下ろすとゼロもナイフを引いた。
何事もなかったかのように身を引く男二人とは違い、ジエンは緊張の糸が切れたのか膝から力が抜け、倒れそうになったところで肩に回されたままだったゼロの腕によって支えられる。一番近くで彼らの物騒な殺気を目の当たりにしたのが、彼女にとって今日一番の災難であろう。


「―――…ああ言っとけばヒョウの注意はいやでも俺に向くだろ」


ヒョウとの物騒なやり取りの後、ゼロはジエンの手を引いてバーを出た。そしてあの無謀とも思えた挑発の理由を彼女に問い掛けられると、先程の言葉を返したのだ。
彼曰く、ジエンが率いる革命軍は年齢こそ若いが、放置しておくには目に余る人材が集まりすぎたと言う。慎重派で合理的な、あの陰険男が動きだすには十分だったと。


「煩わしいだけの因縁も、こういう時には役に立つもんだな」


ゼロは自分が一番厄介な敵であるとヒョウに思わせるのが目的だったらしい。そんなことをすれば、今とは比べものにならない危険に身を晒すことになるというのに、彼は全て覚悟の上だと笑う。
何故そんなことを、と問えばゼロは考える素振りも見せずにあっさりと言い退けた。


「今度は俺が、ヒョウの野望をぶっ壊すからだ」


その機会を誰かに横取りされるのが我慢ならない、と彼の瞳に憎悪が浮かぶ。ゼロは忘れていないのだ。過去の絶望を。
昔の彼に何があったのかを知らないわけじゃないジエンは、それ以上追及することができず口を噤む。ゼロ――エンゲツとヒョウの因縁は、自分が口出しできることではないと理解しているからだ。


「安心しろよ。お前は、俺が死んでも渡すつもりはねぇから」

「エンゲツ…っ、自分は…!」

「悪いな。これは俺の、身勝手な我儘だ」


身勝手だとわかっているのなら、なぜ謝ったりなどするのか。いつもの彼ならば他人の顔色なんて気にも留めないくせに。
自分は守られたいわけでもなく、彼も含めて誰も失いたくないのだと言ったなら、ゼロはどんな反応をするだろうか。お前らのためなんかじゃない、って否定されて笑われるだろうか。それとも…―――

そうこうしている内に見慣れたアジトに着いた。
するりと解かれ、離れていくゼロの手。闇に向かって遠ざかる姿がいつかの未来を暗示しているようで、ジエンはいやに脈打つ心臓を押さえるように左胸の服を掴む。
行かないで、と言えたなら。この言いようのない不安と恐怖を、彼は消してくれるのだろうか。



言えない言葉の数だけ不安になっているのに、あなたは欲しい言葉だけは何一つ言ってはくれない。


(彼はいつだって優しくない)

(何が真実で偽りなのか)

(絶対に口にしてはくれないのだから)



2014.1.31




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