悪戯好きな偶然が見たものは。

―ゼロ・ミエイif story―


偶然とは不思議なものだ。
ただその時、大した目的などなく、たまたまその場所に居合わせただけ。本来ならば何の意味すら持たない行動が、ごく稀に何かの悪戯かのように思いもよらない状況を呼ぶことがある。
今日も今日とて偶然という名の悪戯は標的を探しているのだろう。標的となった者たちは、その偶然によってどんな物語を描いていくのだろうか。


「―――…お前は…」


たまたま外を歩いていただけだった赤髪の長身の男、ゼロは夜風に運ばれる嗅ぎ慣れた硝煙の臭いに足を止めた。
緩慢な動作で顔を上げ、黒いサングラス越しに風上のほうを見やると、向かい側から歩いてくる女が一人。くっきりと身体のラインが浮かぶドレスを身に纏った金髪の女。細いヒールから響く音が近づくにつれて、ゼロの口角が上がる。


「そんな下品な匂いを纏わせて、おつかいか?」

「……時に、見て見ぬフリをするのがイイ男ってもんよ、エンゲツ―――いえ、今はゼロだったかしら?」

「筋金入りの悪い男に優しさを求めんじゃねーよ、ミエイ」


皮肉混じりな言葉に冷ややかな瞳を向けた女、ミエイと呼ばれた女は溜息を零す。皮肉を嫌味で返すあたりゼロの問いに答える気は彼女にないらしい。
だが、わざわざミエイから聞かずともゼロには察しがついていた。
本来の白髪を金髪のウィッグで覆い隠し、華美な化粧が施された顔、露出度の高い装い。男を誘惑するいやらしさを感じさせる彼女からは酒と煙草と男物の香水の匂いがして、かすかに血の匂いも混じっている。これで気付くなというのが無理な話である。


「なんで私だとわかったの?」

「どんなに化粧で化けてたって、美人の顔は一度見たら忘れねぇよ」

「あまり面白くない冗談ね」

「お前みたいな強烈な女、忘れろってほうが難しいぜ」


元は反政府組織に所属していたゼロと、現在も政府側に身を置いているミエイがこうして顔を合わせるのは今までのを含めても片手の指で収まる程度である。そんなたった数回会っただけの女を、ゼロが忘れられなかったのには理由があった。
含んだ微笑を浮かべる彼女は、ゼロが決して相容れることのない男、ヒョウの腹心の部下なのだ。国やヒョウにとって重要かつ難易度の高い汚れ仕事を女の身でありながら完璧にこなす有能な人間。その仕事柄、表舞台に出てくることは滅多にないものの、裏社会ではかなりの有名人である。
しかし、ゼロが言う“強烈な女”という形容は、また違った意味合いを持っている。彼女の輝かしい(とは若干言いにくいが)功績は全て自分が愛した男、ヒョウへの献身なのだ。ミエイが何故そこまでヒョウを愛しているのかは本人にしか分かりえないことだが、かつて彼女の心の片鱗を目にしたゼロは直感したのだ。この女は“危険”だと。


「私が怖い?」

「ああ。今すぐにでも逃げ出したいくらいだな」

「ふふっ…アタシは好きよ?アンタはなかなかイイ気分にさせてくれるもの」

「……お前な…っ」


口紅が塗られた唇が綺麗な弧を描くと、その口からは甘い囁きが紡がれる。ゼロとの距離を少しずつ詰め、身体が触れ合うところまで近寄ればミエイは彼の目元を隠すサングラスに手を伸ばした。サングラスが外されて露になった瞳には呆れの色が浮かぶも、ミエイは構わず彼の首に腕を絡ませると唇にキスをする。


「誰かに見られたらマズイんじゃねぇのかよ」

「そうね。アタシとアンタが密会だなんて、とんだスキャンダルになるわね」

「美人と話題になるのは悪くないが、他の男の匂いがついた女はお断りだな」

「あら、意外とつれない男ね。せっかく…―――」


あの小娘を泣かしてやろうと思ったのに、と笑うミエイの瞳に光りはなかった。
ヒョウを愛するが故に、激しく狂おしい嫉妬の炎に身を焦がし続けるミエイ。そんな強烈な嫉妬心を抱きながらも、表面上では正気を保っているのだから実に恐ろしい女である。
いわば無関係な因縁に巻き込まれたにすぎないゼロでも、理由を知らずに妬まれる少女に同情せずにはいられなかった。


「あの“エンゲツ”と噂になったら、お姫様はどんな顔をするのかしらね?」

「……そうまでして優越感に浸りたいのかよ」

「お姫様だって、人生に一度くらいは身をもって劣等感というものを知るべきだと思うわ」

「無関係な男を巻き込むやり方はどうかと思うがな」

「アンタは完全に無関係なんかじゃないでしょ」

「少なくとも“ゼロ”は無関係なはずだぜ」


あたかも“エンゲツ”と“ゼロ”は別であると言う彼は酷く皮肉に嘲ていた。その言葉の裏で、エンゲツがまったく無関係ではないことを自覚しているくせして何食わぬ顔をするのだから底意地の悪い男である。
一時の優越感のために、ミエイからすれば心底嫉ましい少女へのささやかな嫌がらせに最も効果的な人物はエンゲツなのだ。しかも彼は切っても切れぬ因縁があるヒョウが大嫌いであった。ゆえに破滅に追いやろうとしても、ヒョウの思惑通りには絶対に動いたりしない。そんなことからエンゲツ、現在でいうゼロはミエイにとって数少ない“好ましい人間”ある。だからこそ彼女は割りと友好的にゼロに接していた。
もちろん、ミエイにとって重大な“もしも”のときは別なのだが。


「そろそろ離れろ。匂いが付くだろうが」

「ふふっ…女の残り香を纏わせて帰ったら、アンタは本当に悪い男になるわね」

「この態勢でも襲ったりしなかった紳士になんてこと言うんだよ」

「さっき言ったことと矛盾してるわよー?」


キスした後もゼロにくっ付いたままだったミエイはクスクスと愉しげに笑いつつ、今夜最後の嫌がらせにと彼の首筋に唇を落とす。小さなリップノイズを響かせてようやく離れていった彼女は随分とご満悦だった。
一方のゼロはその行為を咎めたりはしなかったが、表情にはありありと面倒くささが浮かんでいた。深々と溜息を吐き、取り返したサングラスを掛け直すとゼロはおもむろに口を開く。


「……毎度こんなことしてたら、お前に取り入ってアイツを殺す算段をつけるかもしんねーぞ」

「あら、そんなの大した問題じゃないわ。だって…―――」


ほんの戯言のつもりだった。が、その戯れは思わぬ本心を暴くこととなる。
深緋の瞳に狂気の色を孕ませて、真っ赤な唇を笑みに歪ませたミエイは告げる。“もしも”のときの絶対的な運命を。


「―――…その時は、貴方があの方を手に掛ける前に、私が貴方を殺すもの。」


たとえ刺し違えてでも、と付け足した彼女は最後ににこりと妖艶に笑い、闇のなかへと姿を消した。
無言でその後ろ姿を見送ったゼロは首筋の、ミエイの唇が触れた箇所に手を当てる。そして何かを理解した彼はクツクツと喉を鳴らして笑った。そういう意味か、と。


「なるほど……よっぽどその手で俺のことを殺したいらしいな」


そう遠くない未来、ゼロがヒョウを殺そうとするならば、ミエイはそれを全力で阻止しようとするのだろう。彼女はその殺し合いの果てにゼロさえ仕留められれば、自分の命を落とすことになっても構わないのだ。何故なら、ヒョウを守りきることができれば至高の栄誉が得られ、心底嫉ましい女が愛した男を永遠に奪えるからだ。そこにあるのは主に対する忠誠心でも義務感でもなく、強烈な愛情と歪んだ優越感である。
首筋へのキスは“欲望”を意味する。ミエイからのキスが、それをわかりやすく示していたのだ。


「本当に怖い女だよ、お前は」


身勝手な欲望の標的となった男は体を震わせるも、その顔に恐怖などなかった。あったのは、愉しげで皮肉的な笑み。
今までに数々の死線をくぐり抜けてきた彼にとって、理不尽な殺意を向けられることはなんてことないようだ。むしろ、その成り行きを楽しんでいるようにも見えるゼロはあのミエイよりも、エンゲツの頃よりもよっぽど“危険な男”になってしまったのかもしれない。



悪戯好きな偶然が見たものは。


偶然とは不思議なものだ。
思いもよらない状況が、隠された事実を浮き彫りにさせることがある。それは時に激しい愛憎や恐ろしい欲望、計り知れない危険だったりと様々だ。
今宵の偶然は、彼らが描いた歪な物語をどう見ていたのだろうか。ただ一つ確かなのは、悪戯好きな偶然はまたあの二人を引き会わせるのだろう。欲望だらけで危険な物語の結末を見届けるために。



2014.1.25




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