依存と自己犠牲の矛盾。




彼が、彼女が。とにかく相手が好きで大好きで。互いに相手がいなければ生きていけないという関係性は共依存に含まれるだろう。
そして、そんな共依存にある者の大半が、相手のためなら「命も惜しくない」などと思っている。自分自身よりも相手が大切だから。守りたいから。愛しているから。―――そんな理由で命を軽んじる愚か者たちよ、今一度考えてみるがいい。

自分と相手がいてこその依存であり、互いに相手が存在してこその共依存。その、どちらかが欠けてしまっては成り立たない関係性だ。
それなのに。どんな理由にしろ、命を投げ出すということは、どちらかが欠けることを意味するわけで。それは共依存の破綻をも意味する。
二人は互いに「相手がいなければ生きていけない」と思い、言葉にし、確かめ合ってきたはずだ。そして、相手がいないなら「生きていても意味がない」とも本気で考えることだろう。果てには「死んでしまおう」だなんて結論に至る者がいてもおかしくはない。いわゆる最悪の結果になりえるというわけだ。
相手を愛しているから守りたいし大切にしたい。その思考はまだ理解できる。だが、己を犠牲にした結果は、本当に相手のためになるものなのか。

依存が故の自己犠牲。それはただの自己中心的な自己満足であり、相手にしてみれば残酷以外の何ものでもない。最悪にして最大の裏切りだ。
相手のためなら「命も惜しくない」からくる自己犠牲の結末は―――“二人の破滅”なのだ。


「本当に、相手が大切だというのなら……」

「どうして、生きることを簡単に投げ捨てられようか」

「二人じゃないと意味がないって、知っているはずなのに」

「「私たちには到底理解できないね」」


相手のため、とか言いながらさ、結局はただ自分に酔ってるだけなんだろ。相手を思い死んでゆく自分に。それが裏切りだということにも気付かないで。
心から相手のことを思うなら、簡単に命を投げ出すことは愚行だと知れ。
共依存は、自分と相手がいてこその幸せなのだから。



依存と自己犠牲の矛盾。


(最後まで二人が一緒であるためには)

(生も死も、)

(“二人で共に”が正解なのではないだろうか)



2013.11.19




「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -