自分は本当に必要な存在?
「私は本当に必要な存在?」
そう、ずっと心にあった疑問を、少し年上で理論的な幼馴染みに問い掛けてみた。
存在理由については誰もが一度は考えることだと、この頃の私は当然のように思っていて。
彼もまた、存在理由に疑問を抱いているのではないかと思っていたからだ。
「――…随分と深いお題を出してきたもんだな」
「だって気になるじゃん。何のために自分が存在しているのか」
「生憎、理由なんざ俺にはどうでもいい」
「は…?」
肯定が返ってくると信じて疑わなかった私の確信を越えて、彼の答えは潔いほどに簡単だった。
どうでもいい、と明け透けに言い放った彼の顔はとても清々しく、私には異質に映った。
「……何で?」
「つまんねぇ生き方をしたくないから。」
「つまらない?」
「お前は、人生を十数年生きただけで理由が見つかると思うのか?」
彼は言う、人間の寿命を考えてみろと。
そして、自分たちはその何年を生きてきたのかと。
「俺たちが生きてきたのはたかが十と数年なんだぜ。一生の命題ともいえる理由を、結論付けるには早いと思わないか?」
「………」
「俺たちはまだ過程の中にいる。それも、まだまだ初歩の段階だ」
言われてみれば、確かにそうなのかもしれない。
仮に80年は生きるとしても、現時点で理由を見付けるには生きてきた月日が浅過ぎて、仮定を立てるにしても不十分だろう。
私は何を焦っていたのか。
存在理由に固執して自ら視野を狭めていただけで、理由に必要な過程を歩むことを見失っていた。
これじゃ結論なんて見えてくるわけがない。
「あんたは結論を考えるよりも、過程を楽しみたいってことか」
「そういうことだ」
「結論を急ぐ生き方なんて、確かにつまらないかもね」
自然と笑みが零れた。
どうやら彼の理論を解して心に余裕ができたらしい。
だが、最初に私が口にした疑問の答えにはまだ不十分なところがある。
私は本当に必要か否か。
「極端に言えば、お前が居ても居なくても世界は日常を繰り返すだろうな」
「そもそも必要とされるものの定義があやふやな気がする」
「バーカ。明確な定義自体が少ないんだよ」
「……バカ言うなこの理論バカ!私より頭良いのは認めるけどさちくしょーっ」
「はっはっはっ」
年上ってこともあり、彼が自分よりも多くの知識を有しているのはわかっている。
視野の広さだって、思考の深さだって私と違うのは明白だ。
しかし、誰しもバカにされたら反論したくなるのが人というものだろう。
些か言い返し切れない部分があるのは心底悔しい限りなのだが。
「何に必要とされるかなんて、存在理由と等しく見えにくいものだろうな」
「これも、生きていく中で見つかるものなのかな?」
「さぁな。……だが、誰もお前にはなれないし、お前の代わりにはなれない」
「…どういうこと?」
「バカで煩い悩みたがりのバカな幼馴染みは、お前だけだってことだ」
「……ねぇ、二度もバカって言う必要はどこにあったのかなぁ?」
誰も私にはなれず、誰も私の代わりにはなれない。
その、当たり前でもあるようなことを、改めて言われると感動するもので。
不覚にも泣きそうになったのだけど、それを悟られたくない気持ちが勝り、憎まれ口を叩くには丁度いいネタを拾って利用してやった。
のだけど、この都合の良いネタは彼が私の反応を見越して用意してくれた逃げ道ではないのかと気付いたのは、また後のことだった。
「…暴君で優しくない年上の理論バカな幼馴染みも、あんただけだけどね…!」
「何とでも言え。とにかく俺は、俺以外の誰かになりたいとは思わない。その必要もない、だろ?」
クツクツと喉を鳴らして笑う彼は本当に余裕綽々だった。
誰かになる必要は無い。
自分は自分なのだと、自分自身の存在を肯定する彼。
その彼の揺るぎなさが、少し羨ましく感じた。
「…何に必要とされるかなんて、そう難しく考えなくてもいいんじゃねぇか?」
「ちょっと、今度は議題の根本を覆すんかい」
「そうじゃねぇよ。ただ…」
「ただ、何さ?」
ここで初めて言葉を言い淀ませた幼馴染み。
片手を口元に添え、視線を泳がせる姿はとても珍しい。
その様子を物珍しげにまじまじと観察していれば、私の視線に気付いた彼が居心地悪そうに深い溜息を吐いた。
そして暫しの時が過ぎた頃、漸く躊躇いを振り払った彼が口にしたのは、結局、今までの議題なんてどうでもよくなるような言葉だった。
「……ただ俺は、バカでもお前が必要なだけだ」
自分は本当に必要な存在?
(本日の議題の結論)
(自分が知らないだけで、)
(密かに必要とされていることもあるらしい)
(……だが、)
(彼のは狡い不意打ちだ…!)
―――――
個人的見解がベースのお話でした。
私は存在理由とか、そんな漠然としたものの答えを考えたことなんてありませんでした。
恐らく、考えても結論は出てこないんだと無意識に感じていたのかもしれません。
しかし、ある時に母が医者に言われた「50歳か。漸く人生の半分だね」という言葉が忘れられないのです。
50歳で人生の半分。
50年生きて、まだ半分なんです。
こう考えると、今から存在理由だの、自分は必要なのか否かなんて悩むのは早すぎる気がしませんか?
悩むよりも、結論に繋がるであろう過程を楽しんだほうが、人生が潤い豊かになりそうじゃないですか?
答えを出すのは、まだ早い。
この議題は一生の命題として捉えていたほうが、心に余裕が持てるんじゃないかと、私は思います。
2012.6.30